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◆innocence

【セナ砦】


「カトリ、おはよー」


朝、ケイヴィンが歌鳥の居室に顔を出したとき、ちょうど歌鳥は朝の身仕度を整えたところだった。食事の盆を持った少年を見、歌鳥は微笑って、


「おはようございます」


と丁寧に応えた。盆を歌鳥に渡して早々と部屋を出て行こうとするケイヴィンを、歌鳥が慌てて呼び止める。


「あの、ちょっと待って」


「? 何?」


歌鳥は少し躊躇いがちに話を切り出す。


「あの……、何か、私に手伝える事はありませんか?」


「え?」


首を傾げるケイヴィンに向かって、歌鳥はいかにも内気そうな仕草で、言葉を続ける。


「私だけ何もしないで、ただこちらのお世話になっているのは、何だか申し訳なくて……。何もわからないから、かえって邪魔になってしまうだけかもしれないんですけど……」


それを聞いて、ケイヴィンが笑った。


「そんな事ないよ。男ばっかりの所だから、カトリみたいな綺麗な娘が顔を出したら、きっとみんな喜ぶと思うな」


「そんなこと……」


歌鳥は曖昧に、笑って応える。


――…この状況に関して、何か覚悟や諦めがあるわけではない。戻れるものならば戻らなければ、とも思う。

けれどその方法の手掛かりすらなく、こちらの人々は異界の存在すら知らない。歌鳥もあちらにいた頃、こんな異界の存在など知らなかったのだから、当然のことなのだが。


すぐに戻れるという事はないと思う。

突然こちらに来たのだから、突然戻るという事もあるかもしれないが、いつになるかわからない。


ならば、それまでここにいる間の居場所が必要だ。

そしてそれは、無償で与えられたものであってはならない。


少なくとも、歌鳥はそう思っている。



朝食の後、歌鳥はケイヴィンの後ろにくっついて砦の中を歩き回ることになった。


その間、歌鳥はこちらの人々の姿形が多種多様であることに驚かされた。すでに面識のあるケイヴィン達が黒髪で(厳密にはケイヴィンは赤みのある黒、クリスは黒緑)、顔立ちも日本人に近いので、今まで違和感を覚えなかったが、こうして数多くの顔を見てみると、兵士ばかりとあって男性ばかりだが、その目鼻立ちは東洋人を基として、様々な人種の風合いを感じさせる。

それらに多種の髪や瞳の色の組み合わせがあって、この世界には“他人の空似”はそうそうないだろうと思われた。髪や瞳といえば、歌鳥も日本では珍しがられて幼少期には苛められたりしたものだが、亜麻色の髪と濃紺の瞳など地味なものだ。なにせ、ここには赤や青の原色の髪をもった人々がいる。


砦の中を歩いていると、行き会う兵士たちの誰もが歌鳥たちに愛想良く接してくれた。それに対して控えめに笑って応じながら、歌鳥はケイヴィンの仕事を見よう見真似で、怪我人に食事を運んだり砦内の掃除をした。


「――…あ」


洗い物の籠を2人で抱えたとき、歌鳥がふと声をあげた。ケイヴィンが首を傾げて少女を見る。


「どしたの?」


「――…あの、後で、昨日会ったクリスさんの居るところを教えてもらえませんか? 私、2回も助けてもらったのに、まだ1回もお礼を言ってないんです」


「クリス? いいけど、一緒に捜すことになるよ。決まったところになんかいないもん」



砦の裏庭。

陽が当たらない少し湿った土の上に、人の腕ほど細い木材を1本垂直に立て、クリスは槍を構えながらそれを見据えている。クリスほどの熟練者がする訓練の様相ではなさそうだが、本人は真剣だ。おそらくは。


息を吐き、まずは横凪ぎに一閃。材木の上部から拳大ほどの木片を弾き出し、それを目で追って瞬速の連撃を繰り出す。


(――…正確に急所を狙えるなら、正確に外すことも出来ないか)


――…木片は、地に落ちるまで原型を保った。


クリスは首を傾げる。

――…こういう事ではない気がする。



「よう、ケイ。彼女連れか?」


「ドル!」


廊下で陽気な声を掛けられて、ケイヴィンがその声の主に子犬のように駆け寄った。


「ほら、カトリだよ。仕事を手伝ってもらってるんだ」


「へぇ」と笑ったのは、背の高い、鷹揚とした雰囲気の30代前半の男だった。髪の色は藍鼠、愉しげな瞳も同じ色合いで、表情と相俟っていかにも涼しげだ。

彼はケイヴィンの顔から歌鳥の顔に視線を移し、軽く手を挙げて親しげな声を発した。


「聞いてた以上に別嬪さんだな。もう体の調子はいいのかい?」


歌鳥はその男に少し気後れを見せながらも、


「あ、……ええ、もう何ともありません」


と応えた。男が鷹揚に笑う。


「そうか、そりゃ何よりだ。俺はドルサック=ハーシーって者だ、よろしくな」


「ドルはねぇ、ここでは先生の次に偉いんだよ。全然そう見えないんだけどね♪」


ケイヴィンが楽しそうにそう言うと、ドルサックが声を立てて笑う。


「威張れるほど働いてないからな」


そう言って男はケイヴィンの頭に掌をかぶせる。改めて、歌鳥が深々とお辞儀した。


「歌鳥といいます。よろしくお願いします」


その様子に、ドルサックはわずかに目を細めた。


「……うん、まぁむさ苦しい所だが、しばらく我慢してくれな」


「いえ、そんな」


控えめな微笑で歌鳥が首を振る。

ケイヴィンがドルサックの袖を揺すった。


「ねえドル、クリスが何処に居るか知らない?」


「クリス? ああ、裏庭にいたぜ、材木相手に不毛な特訓してたな。どうかしたか?」


「カトリがお礼言いたいんだって」


「あぁ、……」


得心したように呟いて、ドルサックは意味ありげに歌鳥を眺めた。その視線に、歌鳥が首を傾げる。


「……あの?」


「ん? ――…あぁ、何でもない。

クリスだがなぁ、あいつは相手が誰だろうが変わらず無愛想な奴なんだ。美人に対する礼儀ってもんも知らないが、根はいい奴だから、気ぃ悪くしないでやってくれな?」


「はい。――…、あっ、い、いいえ……」


頬を染めて、歌鳥は顔を伏せた。美人、という単語をスルーしてしまったのが、なんだか厚かましいような気がしてしまったからだった。



不毛な特訓を続けるクリスは、無意識にだが自棄になり始めていた。


辺りに散らばり、積み重なる無数の木片。意味はないと自覚しつつ、それでも手を止めないのは、何をすればいいのかわからないから。


クリスには、イリアスが言う“情け”というものが何なのかわからない。敵を生かす事が情けをかける事なら、最初から武器など持たなければいい。

けれどイリアスは戦いを選んだ。育て親のその決断に少しばかりの疑問を抱きつつも、クリスはついて行くことを選んだ。


選択の余地はなかったようにも思う。

何故ならクリスはその頃まだ子供だったから。


けれどクリスはもう子供ではない。イリアスはそう言った。


(ここを出る……)


ピンとこない。クリスには自身の未来のイメージがない。


ここを出て、それから――…?……


「――…クリス!」


「!」


唐突に呼び掛ける声に集中力を断たれ、クリスの腕から槍が滑った。


「あ」


凄まじい音を立て、斬撃の速度を保ったままの槍が石の壁に激突した。

足を止めていた歌鳥の、髪を数本かすめる位置に。


「……っ……、!!!!」


驚愕に言葉もなく立ちすくむ歌鳥の元に、ケイヴィンが悲鳴をあげて駆け寄ってくる。


「カトリっ!! 大丈夫!?」


「は……はい……。だ、だい……大丈夫……」


膝が崩れそうになるのを堪えながら、歌鳥が頷く。

ケイヴィンに遅れて走り寄ってきたクリスが、歌鳥の様子を確認した。無事を確かめ、そのまま無言で壁から槍を抜き取る。

それを見て、ケイヴィンが怒鳴った。


「クリスっ!! 先に言うことあるだろ!?」


「?」


予期せぬ少年の剣幕に、クリスが目を丸くする。

歌鳥が慌てて、ケイヴィンを留めるようにその肩に手を掛けた。


「いいの、本当に大丈夫ですから」


「そーいう事じゃなくって!」


そのとき、歌鳥とクリスの目が合った。無表情、というよりも無感情に見える赤い瞳。

ついさっきの衝撃が尾を引いて、昨日は美しく見えたそれがひどく不気味に思えた。歯の根が震えて、二の句が次げない。


「あのっ……、ご、ごめんなさいっ!!」


やっとのことでそう叫ぶと、歌鳥はその場から逃げ出すように走り去った。不思議そうに、クリスはその背を見送る。

すると、背中をケイヴィンに思いきり叩かれた。


「!?」


「何してるんだよっ! もう!! 早く追いかけて、謝って来て!!」


「……何を?」


「何を、じゃないよ! ビックリさせて怖い思いさせちゃったんだから、当たり前だろ!!」


手にした槍を示され、クリスは目を丸くした。

そして、すぐに納得したように頷いた。幼子のように、素直に。


「そうか」


「そうだよっ、クリスのバカっ!!」



(――…ああもう! 何やってるの!)


情けなさに涙が滲んだ。

階段を駆け上がり、歌鳥は息を吐く。


(またお礼言えなかった)


しかもかなり失礼な態度を取った気がする。あんな、逃げ出すかのような――…


(もうイヤ……、なんでいつもこうなの……)


歌鳥は肩を落としながら、とぼとぼと廊下を歩いた。

すると、しばらく経っても、どうも目指す部屋にたどり着かない。


「……あれ……? なんか……間違えた?」


壁や床の様式は同じだが、窓から見える光景が少し違う。どうやら棟を間違えたらしい。

廊下に人影はなく、場所を訊く相手も見付からないので、仕方なく部屋から見えていた山の形を探す。現在の位置を確かめようと、廊下を歩いた。


なんだか静か過ぎることに不審と不安を抱きながら、それでも廊下を進んでいると、静かだがよく通る男の声が聞こえた。


「――…ちょっと気が弱そうな子だな」


ギクリと、歌鳥の足が止まる。その声は、行く手のすぐ右側の部屋の中から聞こえたらしかった。扉は少し隙間が開いており、微かな陰を床に描いている。


「普通の娘にも見えたが、普通より大人し過ぎるくらいだな、あれは」


「……今のところはな」


なんとなく、歌鳥は息を潜めて身を縮めた。話の内容で、どうやら自分のことを言っているのだとわかったからだ。

声には聞き覚えがある。イリアスとドルサックだと思う。


立ちすくんでいると、さらにイリアスの静かな声が響いた。


「受け答えに支障はなかったが、所々に違和感がある。服もそうだが、名前や口にした単語も響きが耳慣れないし……。

……もしかしたら、東方辺りの民族の古い言語なのかもしれないな。あの辺りはリーヴダリルとは国交がないから、文化も伝わっていないし」


「国交のないトコの娘がこんな紛争地区うろついてんのは妙じゃねーか?」


「……まだ何もかも憶測の域だ。とりあえず、あの娘がどこかの密偵だと考えるのは無理がある。――…あれが演技でなければの話だが」


歌鳥はその言葉に目を見開いた。ひっそりと、しかし速やかに後退りして、その場を後にする。


そのまま、立ち聞きしていた事実さえ置き去りにできればよかったのに。

かすかに痛む胸で、そう思った。



【innocence】


「――…カトリをさがしてる。見てないか」


突然クリスに声を掛けられ、3人組の若い兵士が目を丸くして顔を見合わせた。


「カ、カトリ?」


「えぇと、ケイヴィンと一緒にいた女の子だろ? 見てないよ」


その答に頷いて、クリスが踵を返して歩み去る。それを見送りながら、3人組は困惑したような表情を浮かべた。


「……俺、ここに1年いるけど、クリスタルに話し掛けられたの初めてだ」


「俺は初めて声聞いた」


「あいつ、喋るんだ……」


そんなことを思われているとは露知らず、クリスは砦の中を淡々とした足取りで進んでいく。早い方がいいのは確かだが、かと言って焦るほどのことでもない。命に関わることでもないのだし。

……そんな考え方だから、ケイヴィンに叱られる羽目になるのだが。



――…わかってる。

歌鳥は自分にそう言い聞かせる。


(わかってる。イリアスさんは悪くない、間違ってない。だってどう考えたって不自然だもの、怪しまれて当然だわ。けどそれだって、私が悪い事した訳じゃないんだから、気にしなければいいの)


しかし胸の内になにやらモヤモヤしたものが疼いて、歌鳥の足を重くする。


気がつけば石の壁と天井は途切れ、淡い陽射しが落ちる渡り廊下に出ていた。歌鳥の影が、腰の高さほどの手摺りに捺り付けられている。足を止めて俯き、歌鳥は呟いた。


「……なんだか私、北原にいた頃と同じような事してる……」


――…祖母と伯母の不仲が露骨になってきたのは、祖父が亡くなった頃からだった。歌鳥は中学生だった。


(歌鳥ちゃんはお利口さんねえ)


祖母は歌鳥をよく褒めた。

少しばかりの誇張はあったが、歌鳥は祖母の自慢の種だったのだ。


(お父さんもお母さんもいなくて淋しいでしょうに、ホントにしっかりしていて良い子ね)


(髪? あれは地毛よ、当たり前じゃない。うちの歌鳥ちゃんは真面目な子なんだから。

あれはお父さんに外国の血が入ってるかららしいのよ。だから歌鳥ちゃんも鼻が高いし、目もパッチリしてるでしょ?)


(歌鳥ちゃん、本当にこの高校でいいの? 先生はもっと上のレベルのところ薦めてたじゃない。慣れちゃえば電車通学だって苦にはならないわよ)


――…愛情だったとは思う。

それでも祖母に褒められる度、歌鳥は居心地の悪い思いをしていた。祖母が歌鳥を褒めるとき、その言葉の裏にはいつも、同居する2人の従姉弟――…さらには彼らを通し、その母親である志保子への非難があったからだ。


(理彩と博巳は、どうしてあんななのかしらね)


(昨日も夜遊びよ、まだ高校生なのに。毎日なんだか濃い化粧して、パンツまで見えそうな丈のスカート履いて、みっともないったら)


(博巳も結局、お姉ちゃんと同じ高校にしか進めないみたいね)


(恥ずかしいわ、入学取消しだなんて。ちゃんとした育ち方をした子は、そんな事にはならないわよ)


歌鳥を褒める祖母の言葉には、最後にいつもそんな言葉がつけ加えられた。

その度に志保子の機嫌が悪くなる。祖母を見る目だけでなく、歌鳥を見る目も鋭くなるのだ。


(――…仕方ない。伯母さんが嫌な気持ちになるのは当たり前だわ。私のことを嫌いになっちゃっても無理はない……。

でも私が何かをした訳じゃないし、それは伯母さんだってわかってる筈だもの。だから、気にしなければいいの――…)


いつも、そう言い聞かせてきた。

けれど。


「……なのに結局、いっつも落ち込んで、ウジウジしてる……」


歌鳥はため息を吐き、手摺りにもたれた。


そのとき、歌鳥のいた渡り廊下の下を通り抜けようとした人影が、足を止めてこちらを見上げてきた。


「いた」


「え?」


それがクリスだと歌鳥が確認するが早かったか、クリスがすぐそばの木の幹を伝って2階分の高さを昇り、歌鳥の目の前に辿り着いたのが早かったか。

目を丸くして、歌鳥は呆然とそれを眺めていた。


「ク……、クリスさん?」


「ん」


頷き、クリスは軽々と枝を蹴って歌鳥の横へ飛び移って来た。着地の体勢から立ち上がると、まっすぐに顔を上げて歌鳥の顔を見る。


「カトリ」


呼び掛けられたというよりも、名前を確認されたと感じるような、抑揚のない静かな声音。思わず、歌鳥は頷いた。


「は、はい……、歌鳥です」


「ん」


クリスの仕草はやけにあどけない。表情は相変わらずの無表情で何の感情の色も窺えないが、含むものも感じられなかった。


まったくの、無垢。


「さっき」


拙い口調。まっすぐな視線。

歌鳥は無意識に、応えるようにまっすぐクリスを見返していた。


「危ない、こわい思いをさせてしまって、すまなかった」


折り目正しく頭を下げてくるクリスに、歌鳥は慌てて両手を振った。


「い、いいんです。怪我したわけでもないし、そんなこと……。それに、私の方こそ……」


口籠もった歌鳥の様子に、顔を上げたクリスが首を傾げた。促すでもなく、続く言葉を待っている。

その態度に、ふと、歌鳥の顔に笑みが零れた。こうして正面に見たクリスの表情はあまりに子供じみていて、なんだか可愛らしく思えたからだ。


「昨日と、その前と……、2度も助けてもらって、ありがとうございました」


――…言えた。


ほっとして、晴れやかに歌鳥は笑う。その顔を見て、クリスはきょとんと瞬いた。しかし、すぐに頷いた。

初めて見たこの少女の笑顔は、なんだか印象的で、心に残った。


***

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