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◆セヴァルスタの反乱軍

【反乱軍の盟主】


書斎風のとある一室、簡素な卓上に広げられた地図と手元の紙を見比べながら、盟主イリアスは無言だった。

窓と扉は風を通すため開け放たれ、壁一面の本棚から古びた書物特有の匂いを微かに踊らせている。


そこへノックも声掛けもなくズカズカと踏み込んでくる足音があった。しかしイリアスは紙面から目も上げない。顔など見なくとも、それが誰なのかは判る。


「どうした大将? 難しい表情して」


予想通りのバリトンの声に、その指摘に違わぬ声色でイリアスが、


「ドルサック、お前、今回の戦いをどう思った?」


と問うた。唐突、かつ深刻そうなその声に、ドルサックはひとまずおどけてみせた。


「まあ……、皆の活躍あって楽勝?ってか? 特に援軍もなかったし」


「……《ゴーレム》」


呟くような一言に、ドルサックが得心したように頷いた。


「ああ、そういえば少なかったな」


「少ないなんてものじゃない、俺が予想していた半分以下だ。陽動部隊に至っては一体も見ていないと聞く。

どうもここ最近の戦いで感じるんだが、いくら辺境とはいえ敵の戦力が少な過ぎないか」


ドルサックが首を捻る。


「そうだなぁ……、総力戦になるとしたら此処だと思ってたんだがな」


「ああ……、妙だ」


腕を組み、ドルサックが目線を宙に泳がせて唸る。


「状況が変わって本土の方に戦力を送ったんじゃないのか? 今じゃ各地で似たような騒ぎがあるんだろ?」


「そういう報告はない。第一、いくらなんでも我々のような連中が暴れている土地から兵を取り上げはしないだろう。セヴァルスタは辺境だが、重要な資源の宝庫だ。それに、ここの領主はバルカシオンとの繋がりが強い」


「ふ―…ん、……」


2人が各々思案に耽ろうと黙りこんだ時、扉の陰から兵士の1人が顔を出した。報告がある、と言う彼に入室を促すと、イリアスはさっきまでドルサックといたときの気安い雰囲気から、盟主の顔に切り替える。


「どうしたんだい?」


「はい。先ほど裏山で残留ゴーレムが発見され、クリスタル=アームがそれを討伐しました」


ドルサックが軽く口笛を吹いた。彼は先刻までクリスと共にいたのだ。


「それで行ったのか。やっぱあいつの野生の勘は頼りになるねぇ」


たしなめるように横の男に目をやったイリアスが、


「報告ご苦労、処理はまだほかのゴーレムの屍体と一緒に出来るな。場所は決まったか?」


後半の言葉にはドルサックが応えた。


「裏の川辺に結構広い所があって、そこに全部運ばせてある。何せ盛大に火を使うからな、山に入ったら大事だ。水が近い場所で、あとは風向きとの相談だけ」


「なるべく早く。始末が遅れては、体が気化して毒を吐くからな」


はいはい、とドルサックは頷き、姿勢良く立っている兵士に笑いかけた。


「一応聞いとくけど、怪我人は?」


「おりません。一般人の少女が居合わせたと聞きましたが、無事だったようです」


イリアスが軽く眉をひそめた。


「一般人?」


近隣の住民には避難を勧告し、護衛をつけて自軍の拠点に送った筈だが。

首をひねるイリアスの横で、ドルサックが思い当たった。


「多分カトリって娘じゃないか? クリスが拾って来たっていう……」


その言葉に、イリアスが目を丸くする。


「……クリスが?」


***


(……お礼、言いそびれちゃった……)


灰色の部屋のベッドにちょこんと腰掛けながら、歌鳥はひとり硝然とうなだれている。


クリスに背負われたままでこの部屋に戻り、降ろされた途端にすっかり放心して気が抜けてしまい、歌鳥が我に返った時にはすでに彼はケイヴィンを残して部屋から出て行ってしまっていた。


情けなく溜め息を吐いたところにノックの音がして、歌鳥は少し緊張した。


「は、はい?」


「入るよ〜」


快活な声がして、戻ってきたケイヴィンが顔を出す。


「カトリ、食事。食べれそう?」


器一杯のシチュー(だと思う)を載せた盆を持ちながら部屋に入り、ケイヴィンがそれを歌鳥に差し出してきた。歌鳥は丁寧に頭を下げ、それを両手で受け取った。


「食事は兵士が優先だから、おかわりは待ってね」


「ケイヴィンくんは? 食べたんですか?」


「おれはまだ怪我人の世話とかあるから」


歌鳥は曖昧に頷きながら、


「大変なんですね…」


と呟いた。ケイヴィンが笑って首を振る。


「俺は怪我とかする訳でもないし、全然ヘーキ」


働き者な言い種がなんだか微笑ましくて、歌鳥が笑みをこぼした。


そのとき、扉の方からノックの音がした。ケイヴィンが首を傾げながら返事をすると、「失礼」と涼しげな声がして、すらりとした男が姿を見せた。


「! 先生!」


ケイヴィンの親しげな声に、歌鳥が首を傾げる。その反応に対して穏やかに微笑みかけて、彼は歌鳥に向かって声をかけた。


「構わないかな?」


「? ――…はい……」


歌鳥は控えめに頷く。


男は20代の後半くらい。ゆるく束ねた黒髪を肩に垂らし、優しげながら堂々とした雰囲気がある。長身だが特にがっしりはしておらず、かと言って決してやせぎすというわけでもない。

一見して知性の方が先に漂うような男だったが、ごく軽い武装をしており、腰には細身の剣を下げている。それを見て、歌鳥の体が少し強張った。その反応に気付いて、彼は少女を安心させるように笑いかけた。


「ああ、すまない。怯えさせてしまったかな」


男はベルトからそれを外し、壁に立て掛けた。その様子に、歌鳥はなんだか申し訳ないような気分になる。


「ごめんなさい……、その、慣れてないので……」


男は鷹揚に笑った。


「いや、武器は怖くて当たり前だ。女性の居室にこんなものを持ち込んだこっちが悪い」


明るい口調に少し緊張が解け、歌鳥が緩やかに笑う。その横でケイヴィンが身を乗り出し、


「先生、どうしたの? お見舞い?」


と訊ねた。


「まぁ、それに近いかな」


「ふーん? じゃあ後でね、カトリ」


ケイヴィンがパタパタと部屋を出て行ってしまうと、初対面の男と2人きりになってしまった歌鳥は、なんとなく落ち着かない。

そんな歌鳥の心中を知ってか知らずか、彼は静かに部屋を見渡し、卓の上に置かれた盆に目を留めた。


「――…ああ、食事をするところだったのか。邪魔をしたかな」


「あ、いえ……」


「食べながらでいいから、少し話をしてくれるかい?」


「はい……」


歌鳥は部屋の隅に置かれた椅子を引き寄せ、イリアスに差し出した。もう1つをベッド脇に置いて自分で座り、行儀良く卓の上で食事に手をつけ始める。

男はその様子をさりげなく眺めた。ずいぶん育ちが良さそうだと見当をつけて、優しく声を掛ける。


「確か、カトリ、……でよかったかな?」


「はい」


「こういう言い方は失礼かもしれないが、少し変わった名前だね」


歌鳥は笑って頷く。子供の頃から、珍しい名前である自覚はある。


「何か意味がある?」


その問いに、歌鳥は意図を測りかねて首を傾げた。


「意味……ですか? ……“歌う鳥”……です」


その答えに、イリアスが微笑んだ。


「そうか。……良い名前だ」


ありがとうございます、とはにかんで、歌鳥が顔を伏せる。

男は柔らかな笑みを浮かべたまま、口を開いた。


「……私はイリアス=マックールという。一応、ここにいる兵士たちの命を預かる者だ」


その言葉に、歌鳥は首を傾げた。


「……お医者さん……ですか?」


その言葉に、イリアスはくすりと笑った。


「何故そう思った?」


「え……、さっき、ケイヴィンくんが“先生”って呼んでいたから……」


ああ、とイリアスが得心したように頷く。


「昔、似たようなことをしていたからね。でももう先生と呼ばれるような立場ではないかな。今は、ここの最高指揮官をしている」


一瞬おいて、歌鳥はきょとんと目を丸くした。反応に困り、ようやく声をしぼりだす。


「えぇと……、……、大変そうですね……」


「それなりに」


長いこと歌鳥の匙を持つ手が止まったものだから、イリアスが首を傾げて歌鳥の顔を覗き込んできた。


「食欲がないか? そういえば随分寝込んでいたと聞いたが……、今は体調は?」


「大丈夫です」と応えながら、歌鳥はなんとなく、この人は尋問に来たのだ、という気がしていた。そこまで不穏ではなくとも、そういう目的で来たのだと。無理もない、とも思う。


「川で溺れていたと聞いたが、何があった? 君はどこの村の娘かな」


「……わかりません……」


そう答えるしかない。


「わからない?」


「……はい」


適当な嘘をつく事も出来ず、歌鳥は蚊の鳴くような声で呟く。

その様子に、イリアスは一層表情を和らげて歌鳥を見た。


しばしの沈黙の後、カチャリと音を立てて器を下ろし、思い詰めた表情で歌鳥が顔を上げる。


「あのっ……、“日本”……って言って、分かりますか?」


イリアスは瞬いた。聞いた事のない単語だ。それを察してか、少女はなおも心細げな色を浮かべ、さらに幾つかの単語を口にした。だがやはり、そのどれもイリアスに聞き覚えはない。

その答えに、少女は俯いて肩を落とす。落胆が目に見えて、イリアスは少し困った表情で頭を掻いた。


「いや、知識が足りなくて済まないが……、えぇと、……それは地名、なのかな?」


弱々しい仕草で歌鳥が首を振る。

やはり、とは思ったが、ここは歌鳥の知らない世界なのだ。だから彼も、歌鳥の世界を知らない。


けれど、何故――…?


「カトリ?」


イリアスが気遣わしげに、黙り込んだ歌鳥に声を掛ける。

少女は整った顔立ちを歪めて、今にも泣き出しそうだった。


「……すみません……、なんだか……頭が混乱して……」


「頭?」


イリアスは眉をひそめ、そっと歌鳥の額に触れた。


「そうか。流された時に、どこかにぶつけた可能性はあるな……」


――…可哀想に。


イリアスの労るような呟きが、歌鳥の記憶の中の声と重なった。


(――…可哀想にね)


***


――…あれは、祖母が入院してしばらくしてからの事だったろうか。退院の見込みはない、と周囲の誰もが感づき始めていた頃だ。

山間の集落、よくある口さがない中年女たちの立ち話。学校からの帰り道で、偶然歌鳥はそれを耳にした。


(ほら、あそこはお嫁さんがちょっとキツいから)


(でもね、お婆ちゃんもよくなかったと思うのよ。いくら歌鳥ちゃんが可愛いからって。あんな露骨に区別したら、そりゃ志保子さんだって面白くないわよ。そりゃあ確かにあそこの子は2人共、お世辞にも出来がいいとは言えないけど、同じ孫に変わりはないんだから)


(どうなっちゃうのかしらねぇ、歌鳥ちゃん。まさか追い出されはしないだろうけど、お婆ちゃんがよく『嫁が孫を苛める』なんて愚痴ってたらしいわよ)


(話半分にしたって、良好な関係じゃないでしょうね。あそこは旦那さんも家に寄り付かないから、間に入ってもらえないし。それに理彩ちゃんはともかく、下の博巳くん、決まってた高校を合格取り消しになったでしょ。ほら、問題起こして)


(あんな大人しい子には酷な環境よねぇ……、――…可哀想に)



――…自分の境遇が、他人から見たら“可哀想”と言われるような種類のものであることは承知している。けれど、歌鳥はそういう言葉もそういう視線も欲しくはなかった。


確かに伯母は歌鳥に冷たかったが、歌鳥を虐げはしなかったのだ。常識と世間体。それらによって構築された伯母の自制心が、歌鳥を迫害から守ってきた。だから歌鳥も、それに従うつもりだった。

本当なら、中学を卒業したらすぐに北原の家を出てもよかったのだ。けれど、それがたとえ歌鳥自身の意志だとしても、周囲は歌鳥と志保子の確執を疑うだろう。だから高校を卒業するまでは、北原の家に留まることを決めていた。

卒業したら、大学でも就職でも、とにかく一人暮らしが不自然にならない土地へ行く。疎遠に見えぬよう、時折は北原家に顔を出す。


そう決めていた。


……なのに、こんな形で。


今頃、北原の家はどうなっているのだろう。

歌鳥が急に姿を消した事を、周囲はどう見ただろう。


それとも――…、と、歌鳥は思う。


ついに自分は逃げ出して来てしまったのだろうか?

――…あの世界から。


***


――…陽は傾いて、鮮やかな朱色を空に滲ませる。


城壁の上で肌寒い風に髪を躍らせながら、クリスは無感情に空と大地の境界線を眺めた。それが世界の境界ではない事を、クリスは森を出て初めて知った。

この大地には、クリスには見えぬ線引きがしてあるらしい。それ故の、この争い。


「お? 何してんだ? クリス」


気安げに自分を呼ぶ声の主は、クリスより10以上も年上の友人(当人曰く)だった。


「ドルサック」


「なんだ、また遠い目で自然界鑑賞か? やっぱ帰りたいのか?」


クリスが首を傾げる。


「……“やっぱ”?」


「ん? ああ、……たまに、お前にはその方が幸せなんじゃねぇか、って思う事があるんだ」


「……なぜ?」


不思議そうに問うクリスに、ドルサックが何故か自嘲気味に笑んだ。


「お前、人殺しは楽しくねぇだろ? 戦なんざ人間しかやってねえ。……て事は、他の生き物からしたら馬鹿馬鹿しい行為なんだろうぜ」


「おれは森でも生きものを殺した」


何の色みもない声音。


「生きものと争わない生きものはいない」


ドルサックが頭を掻く。


「そりゃあ、いわゆる食物連鎖とか――…、狩りとかそういうのに対する抵抗の事だろう? お前の言うそれは、厳密には争いじゃない」


ほんの少し、クリスは眉をひそめた。不快の表れという訳ではなく、釈然としない、といった類の表情だ。


「今までの戦いも、生きるための戦いだとイリアスは言っていた」


「ん? ……ん〜……、まぁ確かにそうなんだが。アレだ、同族で争うのが人間だけだ・って話だな。同族殺しは人間だけが踏み込む行為だ」


「何がちがう?」


予想していなかった種類の返答に、今度はドルサックが目を丸くする。


「その“同族”とは、何を見て区別してる? おれは自分と同じ生きものを見たことはない」


子供の屁理屈にも似た言い分に、ドルサックは苦笑せざるを得ない。


クリスは生き物を線引き出来ていないのだ。食べる為に生き物を殺せるから、人間も躊躇なく殺す事が出来る。目的と行為は直結しない。


(まぁ、それがクリスだからなあ……、今さら……)


今さら下手にクリスの価値観に手を加えて、混乱させるのは避けたい。ドルサックはイリアスと違って、打算的に物事を考える型の男だった。


正直、ドルサックは今のままのクリスでも構わない。むしろ今のままでいてくれた方が助かる。敵を殺さずに追い払うならまだしも、捕虜にでもしたら食費と治療費がかさむだけだ。


クリスは戦場以外で他人に害を加えたことはないし、物事に頓着しないから他者への敵意も持たない。戦場で敵を殺すのは、ただ降り掛かる火の粉を払っているだけ。好き好んで槍を振るっているわけではない。

ならそれでいいではないか、と思う。当たり前の環境の中では、まったく無害な少年だ。

ドルサックから見ればイリアスの言う“兵士の苦情”など、ただの“愚痴”に過ぎない。彼らにしたって、クリスが戦線から離脱する事の方が死活問題だろう。


(理想主義者なんだよな、イリアスのやつは。まあ、だからこそ、ここまで人間が集まってついてくる訳なんだが)


ドルサックがため息にも似た息を吐いたとき、その理想主義の盟主からの召集を告げる兵士の声が聞こえてきた。


無言でクリスがきびすを返す。ドルサックから自身の質問に対する答えをもらっていない事は、何の気掛かりにもならないらしい。その背を見ながら、ドルサックもゆっくりと足を進める。


(さて……、どうしたもんかな……)


ドルサックは内心でぼやいた。


(クリスはこの調子。イリアスも頑固なヤツだから、俺が頭をひねってやらなきゃマジでこいつを追い出すかもしれん)


それだけは、避けたい。


(……戦場で俺の仕事が増えちまう)



【セヴァルスタの反乱軍】


――…砦の前庭に集められた兵は8000弱、全軍の約5分の4にあたる。

残りは怪我やその世話のために砦内におり、これより行なわれる盟主の演説を、せめて窓を開けて待っていた。


日没も間近、藍に染まりつつある空。

松明に火が灯され、露台にイリアスが姿を見せた。彼は朗々と、よく通る声を響かせる。


「まずは皆の頑張りに感謝する。労いが遅れた事を詫びてから、これからの事を伝えたい。しばらくは、このセナ砦を拠点とし、南半島の掌握を堅固なものとする。


我々の目的は都へ攻め上ることではない。僭王バルカシオンを排除し、聡明なる聖女クローディア殿下を御位に就けることである。

殿下は不正を許さず、父王への諫言が盛んだったがゆえに不当に疎まれ、王宮を追われた方だ。皇女を遠ざけて以降、ヘルヴァルド5世の治世は悪化の一途を辿った。その悪虐に最も忠実だったのが彼のバルカシオンだ。――…これは皆も身に染みているだろう」


兵士たちの同意の頷きが、波を作るかのようだった。


ここにいる兵の殆んどは元々は農村や漁村から集まった一般民である。

ここセヴァルスタ諸島はバルカシオンの直轄地ではないが、統治を任される領主は、バルカシオンの一族と姻戚関係を結ぶ事で権威を得た男だった。故に彼は、バルカシオンの流儀でもってこの地を治めてきた。重税を課し、苦役を強いた。反乱を防ぐ為の人質として、奉公と称して村人の妻子を領主府や本島に召しあげた。


圧政に抗う道はないように思えた日々。

しかし反旗は上がった。


イリアスは理想と現実感覚を併せ持つ指導者だった。

彼は、かつては神の教えを説いて各地を回る巡教僧だった。そんな彼が初めてセヴァルスタに立ち寄ったのは、5〜6年前のことになる。小さな農村に留まり小さな教会を建てたのは、村人に文字や学問を教える為、――…そして、1人の少年に人間社会の中で生きる術を教える為だった。


数年後、村人に慕われるようになったイリアスは、国の情勢を憂いていた。

課された税を納められず刑罰を受ける人々を見、理不尽な労役に倒れる人々を見て、優しくも強靱な意志を秘めていた神父は、祈りを捨てて戦いを選んだ。


イリアスを慕う村人たちが中心となって結成されたその組織は、とにかく結束が強く忠実だった。イリアスは彼らでも実行可能な作戦を立てられる知識と聡明さを持っていた。

そして1つの村から始まった反乱は、少しずつ規模を拡げ、呼応した民がイリアスの元に集った。


人が増えても、イリアスは当初からの姿勢と方針を変えなかった。剣を手にしても、彼は“優しい神父”のままの態度で兵士たちに接した。

それ故だろうか、兵士たちのイリアスへ向ける敬愛には、ただの指導者への崇拝ではなく、まるで慈父か何かに対するような暖かな尊敬の色がある。


盟主の演説は続く。


「――…悪しき前例は繰り返すべきではない。バルカシオンの治世を認める訳にはいかない。我々はその意志を確かに示した。

こうして我々がバルカシオンを支援する土地を掌握することは、彼奴の権勢を削ぐことになり、ひいては聖女クローディア殿下を擁する諸侯13連名の勢力を後押しすることに繋がるだろう。

これはリーヴダリル全土の解放の第一歩だ。それを誇り、しかし驕る事なく今後も努めて欲しい」


その声に応じ、歓声が上がる。


兵士たちの声がとどろく中で、露台の隅に控えていたドルサックが微笑みながら手を叩いている。

その横で、クリスはただイリアスの背を見つめた。


――…誰もが同じ想いで、ここにいる。

それを確かめる度、クリスは自分が“異物”である事を自覚する。


もっとも、それに何の痛みも寂しさも感じていないのがクリスという少年なのだが、それこそが、彼を異端たらしめている最大の要因だった。


(――…帰りたいのか?)


クリスは空を仰いだ。


望郷はない。

望みなどない。


クリスには、何もないのだ。


***

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