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◆柘榴晶の瞳

***


夜明けを幕開けと比喩するならば、

そのはまさしく火蓋にふさわしい


***


【目覚め】


(……お母さんは入院する事になったから)


数年前。病院のロビーで、伯父は歌鳥にそう言った。


(しばらく伯父さんの家においで、歌鳥。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんもいるし、いとこのお姉ちゃんもいるから淋しくないよ)


頭を撫でてくれる伯父の大きな手の感触がなんだか切なくて、歌鳥は俯きながらも頷いた。


(……おかあさんは、いつ元気になりますか?)


問いかけと共に見上げた伯父の顔はどこか複雑な色を湛えていて、歌鳥は言葉を飲み込んだ。


(……ごめんなさい)


小さな手で、自分の裾を握る。


(かとり、おじさんのおうちで、いい子にします)


いい子にしていれば、望みは叶う。

きっといい子にして待っていれば、母とまた一緒に暮らせる。


そう思ったのだ。



――…体がやけに重い。

節々が軋むように痛い気がする。


やっとの事で瞼をあげると、見たことのない石の天井があった。


「……?……」


目眩を堪えて体を起こし、歌鳥は辺りを見回した。ギシ、とベッドが低く鳴く。


そこは歌鳥の部屋ではなかった。

天井同様、壁と床も灰色の石造り。簡素なベッドと、その脇に小さな卓が1つ。くすんだ色の木枠の窓は開いていて、さして広くはない部屋の中に風を誘う。


「……ここ、何処……?」


困惑して、歌鳥は記憶を辿った。

……確か……


「!! お葬式っ……」


祖母の通夜だった。そこまでで記憶が途切れている。

今は何時だろうか。窓から射し込む陽光が、既に日付が変わっている事を教えている。慌ててベッドから下りようとした、そのとき、


「あれっ、起きたんだ」


ドアが開く音と同時にあどけない声がして、歌鳥はそちらへ顔を向けた。


そこには見慣れぬ装いの少年が立っていた。少年は歌鳥と目が合うと、満面の笑みを浮かべて駆け寄って来た。


「大丈夫? 痛いところとかない?」


本当に気遣わしげにそう問われ、歌鳥は状況のわからないまま、とりあえず頷いた。


「は……はい……、……大丈夫……」


小学校高学年、もしくは中学生くらいだろうか。覗き込んできた表情は幼気で、口調は一層あどけなかった。


「よかったぁ〜、ずっと目ェ覚まさないんだもん、頭でも打ったのかと心配したよ〜」


全身で安堵を表す少年の様子につられ、歌鳥は微かに微笑む。しかし、すぐに首を傾げた。


「……“ずっと”?」


うん、と少年が頷く。


「2日くらい、寝てたよ」


「そんなに!?」


驚いて、歌鳥はふと体を見下ろす。服は覚えのない装いに替わっていた。

歌鳥は困惑しながら、キョロキョロと部屋を見回す。


「ここは何処ですか? 私、どうしてここに?」


頼りなさげに訊ねる歌鳥に、答える少年の声は闊達だった。


「お姉さんが川に落ちたから助けて来た、って、クリスは言ってたけど?」


「川……って……」


山間に位置する伯父の家の前には、国道を挟んですぐ、確かに川がある。けれど家の敷地から外に出た覚えはないし、そもそも道路を横切ってガードレールを飛び越え、あの川に落ちるとは考えられない。


歌鳥は首をひねり、そしてキョトンと顔を上げた。


「……“クリス”……?」


(外国人?)


歌鳥の呟きに少年が頷く。


「クリスはおれ達の仲間なんだけどさ、2日前にお姉さんのことおぶって、全身ずぶ濡れで帰って来たんだ。

で、最初クリスってば、ほかの怪我人と同じ部屋にお姉さんを運び込もうとしたんだけど、男ばっかりの所に若い女の子を入れるのは良くないってストップがかかって、それで慌ててこの部屋を片付けたんだよ」


よく舌を噛まないものだ、と呆れるほど滑らかな説明である。圧倒されながら頷きつつ、少年の言葉が切れた所でようやく歌鳥は口を挟んだ。


「……えぇと……、怪我人…ってことは……、ここは病院か何かなんですか?」


少年が、キョトンとして首を傾げた。


「何言ってんの? こんな田舎にそんなの在るわけないじゃん。

ここはセヴァルスタのセナ砦だよ」



――…少年が部屋を出ていった後、歌鳥はひとり頭を抱えてしまった。


「お……落ち着いて……、落ち着かなきゃ……」


さっきの少年の名前はケイヴィンというらしい。“クリス”はギリギリ許容範囲だとしても、“ケイヴィン”は日本人では絶対にあり得ない。おまけに何度も聞き直してみたのだが、地名も日本では絶対あり得ない。


「が……外国??」


それにしては、日本語で会話が成立していたのが解せない。それにさっきの少年も、名前はともかく、顔立ちには何の違和感もなかった。


「ど……どうしよう……、もう、何がなんだか……」


涙声で呟いて、ケイヴィンが「乾かしておいた」という言葉とともに置いていったセーラー服に目をやる。とりあえず歌鳥はそれに袖を通した。まったく違和感のない感触が肌をなぞって、


(夢じゃない……)


そう歌鳥に教える。

おろおろと部屋の中を歩き回り、少し躊躇った挙句、歌鳥はそっと扉を開けて廊下を窺った。

歌鳥は日頃は行動力には欠けるタイプなのだが、今はそんな場合ではない。自分の置かれている状況が全くわからない。何もせずにじっとしているのは堪え難く、せめて足だけでも動かしていなければ気が狂いそうになる。


(こんなのSFだよ……、どうしよう……)


帰らなきゃ。きっと皆――…


「……」


そこで歌鳥の思考は停滞する。


(捜してる、……)


それは間違いないだろうけれど――…


***


「カトリ、っていうらしいよ」


砦の中庭。乱れた花壇の縁に腰掛けながら槍の手入れをしていたクリスが、ケイヴィンの声に首を傾げた。


「何が」


「クリスが助けた女の子だよ。カトリって名前なんだってさ。ついさっき目を覚ましたんだ」


「――…ん、」


ケイヴィンの身を乗り出しての報告にも、クリスは無関心のようだった。

対して興味を示したのは、クリスの横に座りながら、何をするでもなく中庭を眺めていた男だった。2日前のクリスとイリアスの会話の場に同席していた男である。


「へえ、そりゃあよかったな。美人か?」


ケイヴィンが頷く。


「うん、美人だった。でもドルにはちょっと若いよ」


その返答に、ドルと呼ばれた男が声を立てて笑う。


「んな下心はねぇよ。どうにかなるとしても、そこは水まで被った色男に譲るさ」


おどけて少年に向けられた視線は、黙々と刃を研く作業であっけなく断ち切られた。男が苦笑する。


「助けた甲斐はともかく、向こうに助けられた甲斐はなさそうだな」


***


――…助けられた甲斐のなさそうな歌鳥は、なんとなく人目を避けて砦内を歩き回るうち、完全に方向を見失っていた。


「……迷った……」


困り果てて辺りを見回せば、ここに至った経過の当然の結果として、人の気配も影もない。

石の壁の廊下は暗く、しかも所々抉られたように崩れていて、その破片が足取りの邪魔をする。進むにつれて窓は狭まり、射し込む光も細くなっていた。


「お腹空いたな……。おとなしくしてれば良かったのかしら。ケイヴィンくん、後でまた来るって言ってたし……」


軽くため息を吐いた歌鳥の足が“何か”に滑った。


「きゃあっ」


その異様な感触に驚いて、歌鳥は少し大袈裟に転倒する。


「痛っ……、何……?……」


手をついた先、やけに粘つく感触に顔をしかめ、歌鳥は暗がりの中で目を凝らした。


それは――…


「――…ッ!!!!」


たまぎるような悲鳴をあげて、歌鳥は弾かれたようにその場から逃げ出した。


それは赤黒く変色し、なお乾くことを拒む程の大量の血溜まりだった。


***


柘榴晶ガーネットの瞳】


ふと、クリスが手を止めて顔を上げた。


「どうした?」


ドルと呼ばれていた男が、立ち上がりかけていた体勢のままクリスの顔を覗き込む。


「……声」


「声?」


頷き、クリスが槍を携えながら立ち上がった。


「よくない声。……見てくる」


「? ……おう」


無表情のままクリスは背を向けて中庭を出て行く。それを見送りながら、男は軽く苦笑した。

やっぱり、あいつはよくわからない。


***


激しい眩暈で足がもつれて、歌鳥は崩れるように倒れこんだ。

2日も食べていない体での全力疾走、貧血で視界が暗くなる。涙が滲んだ。


「もうイヤ……、なんなの……?」


気が付けば、そこは森の中だった。


本人は知る由もないが、歌鳥が迷い込んだのは、砦内から裏山へ続く隠し通路だったのだ。血の跡は戦いの名残である。出入口は先の戦いのとき打ち壊されていたので、何の障害もなく森に抜けてしまった。


立ち上がろうとしたが、足が全く動かなかった。仕方なく上半身だけを起こし、ペタンとアヒル座りでため息を吐く。


「……そういえばケイヴィンくんが、兵隊がどうとか言ってたなぁ……」


歌鳥は木々の隙間から覗く建物を見上げた。石造りの、その威容。


「お城に、兵隊、か……。まるで博巳くんがやってたTVゲームみたい……」


これで何か翼や牙の生えた怪物でも出てきたら完璧だ、などと考えていたら、草を掻き分ける音がした。


歌鳥はそちらに顔を向け、そして凍りついた。


「……嘘……」


まさか。

冗談だったのに。


「嘘でしょ……」


一直線に歌鳥を見据える、水藻に似た緑色の眼。

鈍い朱色の毛並み。姿は虎に似ている。実際の所、本物の虎よりはやや小ぶりだが、現在それは大した問題ではない。


問題は、その剥かれた牙と、唸り声にもあらわな激しい敵意だった。


――…これは、何。


混乱と恐怖で思考が空転する。

逃げ出そうにも、疲労と貧血で体がいうことをきかない。


(何、これ……)


歌鳥自身の鼓動の合間に、目の前の獣が前脚を軋ませる音が耳に届いた。


「……いや……」


軋む。


それは目の前の獲物を仕留めるため虎が身体を屈めた音だ。


軋み、弾ける。

朱色の獣が宙に躍る。


喉が凍り付いて悲鳴すら出ない。

瞬きする猶予もない。


「――…ッ……!!!!」


獣の姿が目の前に迫った、


――…その瞬間。

歌鳥の視界を横切って、雷光が走る。


刹那だった。

獣は姿を消し、視野の外で地響きがした。


「え……」


歌鳥が音の方へ顔を向けるとほぼ同時、その視線と同じ速度で、そちらに向かって駆けてゆく人影。

その先には横倒しになった朱い虎。虎の首には、天を指し、直立して突き刺さる白銀の刃。

駆け寄ったその人物が、躊躇もなく虎の首からそれを引き抜いた。ずいぶん変わった形状の槍だ。両端に大きさの異なる刃。そのどちらも根元から細い鎖を垂らしている。その鎖は両方とも、槍の柄にくぐらせた大きな輪に繋がっている。


獣に駆け寄った人物が槍の柄を掴んだ手首を返し、振りかぶった。流れるような動きの度に、輪に繋がれた鎖が揺れて涼しげな音を奏でる。


獣の首に、雷の疾さで斬撃が墜ちる。

すくむほど重い音がして、歌鳥はびくりと肩を震わせた。


――…呆然と、歌鳥はその一連の“動作”を見守っていた。あまりにあっという間の出来事で、声も出ない。


そのとき、遠く背後から、


「カトリ!!」


と声がした。振り向くと、木々の合間を駆けてくるケイヴィンの姿が見えた。

歌鳥があの隠し通路に迷い込んでいたとき、この少年は偶然そこに繋がる回廊で掃除をしていた。歌鳥があげた悲鳴を聞いて、出処を求めて追って来ていたのだ。


「大丈夫!? 何、どうしたの!?」


「……あ……」


ケイヴィンは歌鳥の元へ走り寄り、次いで、虎の骸の傍らに立つ人物に目を移した。


「クリス!! それ何? 《ゴーレム》!? やっつけたの?」


ケイヴィンの声に、クリスと呼ばれた少年が肩越しにこちらを向き、無言で頷いた。ほっと息を吐き、ケイヴィンは屈み込んで歌鳥の身体を確認しながら、


「あれに襲われたの? 怪我はない?」


心配そうに訊ねてくるケイヴィンに対して、怪我はない、と歌鳥は頷き、地に伏した獣とクリスを惚けたように見比べた。

不思議な事に彼の槍には血の一滴も付いておらず、刃が木漏れ日を弾いて鏡のように煌めいている。


「戻ろう、カトリ。歩けそう?」


ケイヴィンに促され、歌鳥は立ち上がろうと足に力を込めたが、腰が抜けてしまって思うようにいかない。

その様子を見たケイヴィンが、既に背を向けて歩きだしていたクリスに声をかけた。


「待って、クリス! カトリ、動けないんだって。運んであげてよ」


感情に乏しいクリスの瞳がこちらを振り向いた。慌てて歌鳥は頭を振る。


「だ、大丈夫です、少し休めば歩けます。先に戻っていてください」


「でも……」


そのときクリスが無言で歩み寄り、ケイヴィンに槍を渡した。そのまま歌鳥に背を向けてしゃがみこむ。負ぶされ、ということだろう。


「本当に、大丈夫ですから……」


促すでもなく、クリスは屈んだまま身動きもない。ケイヴィンが、


「この辺はまだ危ないかもしれないんだよ」


と言うので、縮まりながら歌鳥が折れた。


「あの……、じゃあ、し、失礼します……」


おずおずと、歌鳥はクリスの首に腕を回した。

体重を預けた途端、ふわりと体が浮く。一見して華奢な少年なのに、さして身長も変わらない人間ひとりを背負いながら、彼は軽々と立ち上がった。足取りに影響もないらしく、ゆるりと歩み始める。後に続くケイヴィンが小走りに追ってくる程だ。


緊張で、歌鳥はクリスの背中で固まっている。クラスメートの男の子ともろくに話した事もないのに、この状況。変に意識しないよう、気を紛らわそうと努めていると、雑に束ねられていたクリスの長い黒髪が目に留まった。それは一見して黒色だが、光に当たると艶やかな深緑に映える。


「……きれい……」


「?」


思わず零れた呟きに、クリスが振り向いた。鼻先同士がつきそうなほど至近距離で目が合って、


「ご、ごめんなさいっ、何でもないです!」


歌鳥は真っ赤になって俯いてしまった。

クリスは不思議そうな顔をしたが、特に気に留めない様子ですぐに前を向いた。


(ああ、ビックリしたぁ……)


クリスの背中に顔を伏せたまま、歌鳥は内心で呟く。


(……眼……)


息を呑むほど透明な、赤紫の瞳だった。

それがあまりに印象的で、具体的な目鼻立ちが頭に残らなかったほど。


(……きれいな眼……)


それはさながら、夜明けに続く暁の色だった。


***

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