◇Prologue:Crystal
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異界より乙女舞い降りき
其は虹色の唄の継承者
曙光の翼もつ雲雀の娘
朱き血の民に約束の刻を告げるもの也
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【Prologue:Crystal】
平原を抜ける風は、砂と血を含んで煙たく舞い上がる。
空に響いた鬨の声は味方の勝利を告げるもの。丘陵の上、石造りの砦に白旗があがった。
――…感慨もなさげに、それを見上げる少年がいる。
年の頃は15〜17歳。戦士と呼ぶにはあまりに線が細く、華奢にさえ見えるが、片手に身の丈程の白銀の長槍を携える。
静かに佇む彼の周囲には無数の屍が転がっており、彼の戦果を物語った。息も乱さず、返り血もお付き合い程度。刃についた血の雫石を払い、彼は踵を返した。
味方すらが畏怖を込めた視線で見送るこの少年の名を、クリスタル=アームという。
……名もなきこの反乱軍における、最強の雄。
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……現在より遡ること4年、リーヴダリル暦406年。長く圧政を布いた第28代皇帝ヘルヴァルド5世が帝都イザヴェルにて崩御。
当時、その後継はヘルヴァルド5世の弟・バルカシオン公爵が有力と目されていた。残虐さでは亡兄に劣らぬ男である。
これに異を唱えた諸侯13連名が、別の候補者を擁立。それがヘルヴァルド5世の一女、現・聖地ヴァナディースの長、シスター・クローディアであった。
皇位継承を巡る政争は長く続いたが、2年後、公爵派がバルカシオンの即位を強行。当然、諸侯13連名は激しく反発し、同様に国土の各地で抗議の声があがった。
*
リーヴダリル南方に位置するセヴァルスタ諸島は、バルカシオン派の治める領地である。
この地に反バルカシオン派の旗があがったのは約2年前、バルカシオン即位から半年後。
初めはバルカシオンの即位に対する反発と圧政からの解放を叫ぶ、100人に満たぬ徒党でしかなかった。その活動を武力により押さえ込まれようとしたことをきっかけに、武力でもって抵抗すべく、レジスタンスが旗揚げされた。
活動はさらに広がり、領土各地に同志を募り、その軍勢は現在1万に及ぶ。
その指導者の名を、イリアスといった。
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落城から一夜明けた。
比較的小綺麗に残っていた書斎風の一室に、イリアスは先の戦いで最も戦果をあげた功労者――…クリスタルを呼んだ。賞賛あって然るべきところを、椅子に腰掛けながら迎えた盟主の表情はどこか重い。
「活躍は聞いた。よく皆を助けてくれたな。疲れてはいないか?」
ソファに座りながらイリアスと向かい合う少年がコクンと頷く。感情の見えぬ表情にその仕草は、ひどくあどけなく見えた。
イリアスは頷き、涼しげな青い瞳で少年を見る。
「それは結構。――…だがな、クリス。お前は少しばかり、正確に殺し過ぎる」
イリアスの言葉に、少年はきょとんと首を傾げた。
親しい人間はクリスタルのことを“クリス”と呼ぶ。卓の上で肘をつきながら腕を組み、イリアスは渋面のまま続けた。
「お前が残酷ではないことはよく分かってる。動けぬ者や、命乞いする者に止めを刺すような事はしない。もっとも、お前の敵になった者は一撃で死ぬわけだから、これは想像でしかないんだが。
……正確に急所を狙えるなら、正確に外すことも出来ないか? 我々の目的は、敵を殺すことではないんだ」
その問いに対し、クリスはあどけない表情を変えぬまま首を傾げた。
「敵は殺そうとしてくる」
拙い口調でそう返した。抑揚に欠ける声は柔らかく、しかし温度を欠いて機械的ですらある。
イリアスが小さな溜め息を吐いた。
「相手の意図は関係ない。これは人道の問題だ。情けを乞う機会すら与えない事は、情けをかけないと同じ事。
……そしてそれは、我々が敵としている連中の思想なんだ、クリス」
その部屋にはイリアスとクリスの他に、長身の男が1人居た。開け放たれた扉の横で軽く腕を組みながら壁にもたれかかり、見守るというには少しばかり軽薄そうな視線を2人に向けている。
イリアスは続ける。
「……もう7年か。俺がお前を見つけたとき、お前は獣同然だった。それを拾って育てたのは、お前が子供で俺が大人だったからだ。生きる術を知らない子供にそれを与えるのは、大人の義務だから。――…けれど、お前はもう子供じゃない」
きょとんとして、クリスがイリアスを見返した。
「敵と同じ思想をもつ人間をここに置いておくわけにはいかないんだ、――…クリス」
*
「――…本気かよ?」
廊下を歩み去るクリスの背を見送り、2人の会話を同席して聞いていた男が、扉の所からイリアスを振り返る。
「一番の稼ぎ頭を追い出したりしたら、士気に影響しないかね、大将?」
イリアスは立ち上がり、窓際に寄った。
「その兵士達からの苦情なんだよ。あれの戦い方は機械的過ぎて、士気云々よりも悪心に近いものを周りに与えるらしい」
「苦情、ねぇ…」
男は含みのありそう視線をイリアスに向けたが、実際には何も言わなかった。イリアスもあえて男の態度を探ろうとはせず、自身の手元に視線を落とした。
「……別に追い出したい訳じゃない。ただ、何の為に我々が戦っているのか考えて欲しいだけだ。
あいつの身体に染み付いた《森の仔》時代の悪癖――…、それに気付かぬまま戦地に連れてきてしまったのは、この俺だ。このままあの子を信念なき殺戮者にしてしまうくらいなら、槍を捨てさせてしまった方が良い。もう森に帰らずとも、生きていけるだろう…」
*
クリスは砦を出て、裏山へと回った。
緑の丘の上から、戦死者の為に墓を掘る仲間達の姿が見えた。クリスはいつものように、不思議な思いでそれを見下ろす。
なぜひとは、その死後、その体を隠すように穴を掘るのだろう。まるで、獣や鳥にその体を与えることを拒んでいるようだ。命の尊さを説くのなら、土に直接還るよりも、他者の腹に収まってやった方が筋が通るだろうに。
否定はしないが賛成もしていない行為に加わる気にはなれず、クリスは独り山に分け入った。
特に目的もなく、ただの気分転換のつもりでブラブラしていたら、微かに水音が聞こえた。それに惹かれて木々の隙間を抜けると、渓谷を見下ろす場所に出た。
近付くにつれ大きくなる音でクリスの耳を叩いていたのは、見上げる程の巨大な滝だった。谷間の川に落ちる水の飛沫が霧のように風に舞い上がり、崖から覗き込んでいたクリスの肌を撫でる。
それが心地良く感じられて、しばらくこうしていようか、などと思った時だった。
「?」
クリスは目を丸くし、顔を上げた。
目の前に、光の砂がキラキラと帯状になって流れている。
「……虹……?」
手を伸ばすと、それは指先で溶けて消えた。
虹は実は触れられるものだったのか。そんな事を思ってボンヤリしていたら、視界の真上から、目の前を“それ”が谷底へ墜落していった。
“ひと”だった。
「!!」
“それ”が水面に届くより先に、反射的に、クリスは躊躇なく崖の縁を蹴った。
伸ばした手は空中では届かず、視線での追跡は激しい水飛沫で断ち切られた。それに続いてクリスも水中に落下する。
自身の身体から生じた無数の泡が水面に浮かんで消えた後、クリスは水中で目を開いた。幸いにも澄み切っていた水流の中、クリスは求めるものを視界に捉える。クリスの位置よりも運良く下流、流れに乗れば難はない。
水を掻き、泳ぎながら伸ばしたクリスのその手が、か細い手首を掴んだ。
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