8: 勘考する
「小さな雫が寄り集まってできる大きな流れは、まるでそれが必然であったかのように、爪痕を残す。何も不思議なことはないよ」
薪の割れる音と、鍋の煮詰められるくつくつという音。
ミルシエーラは無言で、急逝した夫の遺品を前に茫然とする未亡人のような目で、並べたレテルの衣服を見つめていた。
無駄に肩身が狭い。
重苦しい沈黙に包まれる室内で、窓辺に飾られた若木の鉢植えも気まずげに枝を揺らしている。あれはもしや、今さらだが、もみの苗木じゃなかろうか。
「お腹空いたー。あんたたちご飯作った?」
ばかし、と扉を跳ねあげて、黒の魔女が朗らかに登場した。
……え?
「いやお前、一晩出てこないんじゃなかったのか?」
「は? いやそんなわけないでしょう。飯抜き休みなしで仕事しろって、どんな鬼畜生よあんた。こう見えて私あんたよりずっと歳上よ?」
「それは何となく分かる」
「なんですって?」
なんで怒るんだよ、自分で言っておいて。
魔女は竈で煮られている鍋に気づいて、にっこり笑った。
「さすが神子、私のぶんも作ってくれてるわね」
言って、振り返った黒の魔女は、顔色をなくした。百面相か。
猫じゃらしに飛び付くような勢いでレテルの服を回収し、黒の魔女は超なんでもない素振りで、そっぽを向いて口笛を吹きながら木箱の裏に服を蹴り込んだ。
「……魔女様」
「あ、あぁらミルシエーラ。なにかしら?」
不自然ってレベルじゃない。
「これは、どういうことですか?」
「な、なんのことだか解らないわ」
「レテル様のことです」
「さ、さぁ、誰だったかしら」
すっとぼける黒の魔女の肩を掴んで、ミルシエーラは小首を傾げた。
「説明、いただけますね?」
黒の魔女は、うぅっと唸ると、勢いよく両手を打ち合わせた。
「わ、悪かったと思ってるわよ! 私だってね、勇者を一目見ておかないと分からないじゃない! でもいいでしょう、ディエドからも助けたし、詩だって教えてあげたのだから!」
開き直るように捲し立てるその言葉に、俺とミルシエーラはさぞかし間の抜けた表情を浮かべたものと思われる。
一目見た?
ディエドから助けた?
詩を教えた?
俺は振り返って窓辺の若木を見る。レテルの放った矢と同じ、もみの木である。
「ちょ、ちょっとお待ちいただけますか。今なんと仰いましたか?」
「え?」
黒の魔女はミルシエーラを見上げ、次いで俺の顔を見上げた。
「まさか、トチった?」
半笑いを浮かべている黒の魔女に、静かに確認する。
「お前がレテル本人だったのか」
「……ええ。そう。男に化けたら、いくらなんでも気づかれないだろうと思って。まさか物的証拠を捕まれるとは夢にも……と、早とちりして、絶望してゲロったわけ」
やれやれ、と魔女は威厳も何もない軽さで肩をすくめた。
しかし、考えてみれば思い当たることもないではない。
そもそもディエドに対して対抗手段を持っていたことや、伝承に漏れていたような詩吟を知っていたこと、そして都合のいい薬草を探していたこと。
裏があるだろうとは思っていた。
が、まさか、ここまでのものとは思わなかった。
そこでふと思い出す。レテルの様子が明らかにおかしかった、熱病で体を拭いてもらおうとしたとき。あれも当然、中身は魔女だったわけだ。
「あ、てことはお前、人の半裸を」
魔女はギッと勢いよく俺をにらんだ。
「見たくて見たんじゃないっ!」
「そのわりにガン見してただろ」
「がががガン見なんかしてないわよっ!? そりゃまあ、男の体なんて何十年ぶりだったからちょっと意識しちゃったけど? でもちょっと! ちょっとだけだしっ!」
様子がおかしかったとは思ったが、逆にここまで過剰反応されても困る。
男だと思って気兼ねなく半裸を見せて、同性愛嗜好だと思って動揺して変に焦って、さらに実は中身は美少女で、挙句の果てには外見に似合わない年齢を重ねていた、という事実に、いったい俺はどうリアクションすればいいのか。
しかし、俺のことなど些事でしかない。ミルシエーラの様子をうかがう。
ミルシエーラは、淡い微笑みを浮かべて、力なくまぶたを伏せていた。
そのまま、見事に立っていた紙が風に煽られて倒れるように、力なく体を傾けていく。
「ミルシエーラ! 気を確かに!」
「え、わっ。なんでその子気絶してるのよ!」
「お前のせいだ馬鹿!」
「ば、馬鹿! 言うに事欠いて馬鹿ですって!? 魔女に!?」
「いいからタオルと水持ってきてくれ!」
「ああもう、分かったわよ!」
鍋がばすっと小さく吹き零れた。
敷いた布団に寝かせていたミルシエーラが目を覚まして、気を落ち着けさせたあとにようやく夕食の仕度を始めた。
「味薄ぅ。ちょっとダシの味しかないじゃない。塩、塩」
「魔女のくせに濃い味が好きとか、どこまで俗化されてんだ。ほれ、ミルシエーラ、熱いぞ」
「あの、自分で食べれますから」
「まあ待て。無理はするな。お前の受けた衝撃はなんていうかコメントに困るレベルだ。出来る限り介助させてくれ」
「いえ、ですから。せめて冷ま」
「遠慮するない。日ごろのお礼だ」
「むぐ、あふ! あっふ! おふ! おごっふ!」
むせてしまったミルシエーラに水を手渡す。
我関せずとばかりに、魔女はスープ片手に固めてない柔らかいパンをかじっている。俺の腰をつま先で蹴った。
「どうなの、あんた。魔王は倒せる?」
「蹴るな。そんで全く分からない。なあ、もう少しヒントくれないか」
「それじゃあ何の意味もないわ。答えを持つことは結果論で、答えを出すことが重要なの」
「そんなこと言われてもな……」
「仕方ないわね。今どこまで気がついているの? 洗いざらい吐きなさい、すべて」
「すべて?」
「そう。すべて。まだ話してないこともね」
さすがは魔女というべきか、心まで読めているのではないかと思うほど、言い当ててきた。
人心地ついたミルシエーラが、訝しげに俺を見る。
確かに、まだ誰にも、一言も、俺がこの旅をどう捉えているか、ミルシエーラにすら話していない。
「あんたの口から語り直すの。そうすれば、見えてくる……かも」
つくづく頼りにならないが、すべてを見透かすような物言いをしたレテルの中身であり、伝承にさえ残される黒の魔女だ。
答えにたどり着く光明が見えるかもしれない。
「まず、大前提から話す。俺は、そもそもここに現れたのは、生前への未練に対する、救いと罰だと聞かされている」
「聞かされ……って、誰にですか?」
「質問しない、神子」
魔女に諌められ、すみません、とミルシエーラは恐縮しきったように肩を縮める。
「誰だったかは、知らん。もしかしたら、神様か何かかもな」
正直信じていない。
「ミルシエーラのことは、俺は……そうだな。この世界の象徴であり、勇者の半身であり、俺の……すでに死んだ身である俺が失った魂の象徴じゃないかと思っている」
浮かんだ言葉で説明していて、すでに死んだ身、という自分の発言に引っかかりを覚える。
それはまるで、死人のようだ。
死からの復活というモチーフは聖性を高めるが、同時に、禍々しく世界を外れた忌むべきものにもなりうる。
「黙らない。それを口にする」
「あ、ああ。俺とディエドは似ているなって。同じ、すでに死んだ存在だ。俺は勇者って聖性をつけてるが、あいつは禁忌の存在に落ちぶれている。待てよ」
なにを根拠に聖性を高めていると言った?
俺が勇者だから、って? そんな証拠もあやふやで中途半端な剣一本の立場で?
「似ているどころじゃない。俺とディエドは同一だ。……ディエドが、俺の姿なのか?」
「止めるな。続けなさい」
自分の手を見つめそうになった瞬間、魔女に急かされた。
ミルシエーラが信じられないという顔で眉をひそめて俺を見ている。
「違うな。たぶん違う。俺とディエドで違うのは、そう、ミルシエーラだ。俺のそばにはミルシエーラがいる。ミルシエーラは生命の象徴だ。いつか言っていたな、ディエドは魂が死に、不死身の体のみが死してなおさまよっていると」
「え、ええ。申し上げました」
戸惑ったまま答えるミルシエーラに、黒の魔女は満足げな笑みを向けた。その仕草の端にどこかレテルの面影が見える。ミルシエーラもそう思ったのか、顔を伏せてしまった。
可哀想に思うが、今は、それどころではない。せっかく頭が回ってきているんだ。止めるわけにはいかない。
「だから俺はミルシエーラと居るから勇者なんだろう。失われたはずの人間性をミルシエーラが補ってくれてるんだろう。いや、どうかな。そこまで機能主義に考えるには、ミルシエーラは人間味に溢れてる。こう言うとおかしいな。ミルシエーラはミルシエーラで、俺は俺だ。それでも、俺たちは勇者と神子だ。たぶん、そういうことだ」
「そうね」
魔女が楽しそうに相槌を打つ。
自分の言葉が破綻しているような気がしてきていたが、肯定されてしまって思考が流れる。
「俺はだから、最初はこの世界を普通に物語だと思っていた。誰かの用意した書割と役者の立つ舞台に、突然放り込まれたようなものだと。でもたぶん、違うんだろう。両義的だ。重ね合わせと言ってもいい。その側面はゼロじゃない。でも全てじゃないし、まして真実ではありえない」
「魔王はどう思う?」
「魔王はつまり、最終目標だ。世界が指向する先で、物語の結末だ。英雄譚における最終目標というのは、だいたいが社会における障害の象徴であるほかに、英雄の通過儀礼としての障害という意味がある。だからたぶん、俺は、その魔王という象徴を乗り越えれば――何かを得られる」
「なら、だからこそ、魔王はなんの象徴だと思う?」
「恐怖……だと思う。最初は死じゃないかと思ったけど、死はディエドのものだから。それに死は乗り越えるものじゃないし、乗り越えてしまえば、それは摂理に反することだ。俺が死人になるだけだ。死は受け入れるもの。そして次に繋ぐものだ」
「ふふっ」
「魔王は、世界を滅ぼすのですから、終わりの象徴、ではないのですか?」
魔女が嬉しそうに笑い、ミルシエーラがおずおずと聞いてきた。
俺は首を振る。
「魔王は終わりの象徴って考えてもいいが、英雄譚で敵を倒して終わり、というものはまずない。そこにエピローグが挟まらなければ、観客は落ち着かないだろう。魔王は終わりじゃない。倒しても倒せなくても、終わるわけじゃない。そう、例えるなら、あれだ。変革。すべてをひっくり返してしまう。でも、だからって変革を象徴しているわけじゃない。魔王が変革を望むわけじゃない。滅ぼそうとしているのだから。だから変革は結果論で、観測者的な立場による、感想だ。だからたぶん……恐怖、を象徴しているはずだ」
違うかもしれない。いや、たぶん違うだろう。
しかし、では、なんだ。
「そこまで分かっているなら、もう何も言うことはないわね」
「は?」
魔女が楽しそうに笑ってパンの欠片を口に放り込んでいた。
しっかり咀嚼して飲み込んだ魔女は、器を放り置いて地下への木蓋を開ける。
「お、おい待てよ。まだ分からないぞ!」
「そこまで分かっていて閃けないんじゃあ、その器じゃなかったってことよ」
「お前はこの器を片付けろ! そんでもってちゃんと教えろ!」
「甘えないの。家賃と思いなさい」
かみ合ってるんだかかみ合ってないんだか分からない会話を残して、魔女は梯子を降りていく。戻ってきて手を伸ばし、木蓋に手をかけた。
「本当に最後に、特別に教えてあげましょう。剣に刻む呪文は、知恵の意味を持つ古語の、最上級敬語。エルノレムファシェル。音に意味はないけどね」
じゃ、と声を残して木蓋をばたしと閉じてしまった。
結局何を言うこともできなかった。
剣に知恵を刻む。いや、知恵を武器にする?
「あの、忠志様」
「ん、ああ。ミルシエーラ。悪い、今器を」
「いえ。もう自分で食べましたから」
「そうか」
お節介だったと声を大にして言われたようでへこむ。いや、まあたぶんそうだったろうと思うが。
しかし俺のなんというかコメントできないレベルの同情心を、どう表現したらいいものか。
俺がやきもきしていると、ミルシエーラは俺をじっと見つめていた。奥歯にものが挟まったような感じで、そわそわと落ち着かない。
「あの、忠志様は」
「おう。なんだ?」
頼みごとか、なんでもこい。
しかしミルシエーラは、もにょもにょと口を動かして、結局言葉を発することなく誤魔化すような笑みを浮かべた。
「いえ。やっぱり、なんでもありません。それより片付けてしまいましょうか」
「ああ。あ、いや、俺だけ話しまくってて食ってないな」
「では、お待ちします。……あ、そうでした。忘れる前に、申し訳ありませんが、少々こちらに来ていただけますか?」
「ん? どうした」
布団に腰を下ろし足を伸ばしている状態のミルシエーラの隣に立つ。
ミルシエーラは腕を伸ばし、俺の腹を、ぎょりっとつねった。
「ごぎゃあ」
「よくも熱々のイモを人の口に押し込んでくれましたね」
言葉もなく撃沈。なんだ、なんていうか、なんだこの痛み。
稲妻が貫いたような、肉を引きちぎって戻して貼り合わせたような、なんか尋常じゃない痛みが暴れている。
どんだけ全力で仕返ししてくるんだ。
「ミルシエーラ、お前」
「なんでしょうか、忠志様」
「結構、根に持つタイプなのか」
ミルシエーラは小さく笑って、楽しそうに言った。
「そうかもしれません」




