第3話「陰る月」
気がつくと自分の家の1階の廊下に立っていた。廊下の突き当たりの部屋から声が聞こえてくる。見覚えのある声だ。俺は思わず聞き耳を立てた。
「やはり可憐は早々に処分しよう」
「可憐はまだ小さい可哀想じゃないか」
「まだ大事に至っていない所で何とかしておかないと後々後悔することになるかもしれんぞ」
「しかし……それはあまりにもひどい……」
「今度こういうことが起きないとも限らない。今回は何とか内密に処理できたがあまり大きくなると政府も黙ってはいないぞ」
「それで処理するなどとはあまりにも短絡的な考えではないか」
聞き覚えがある大人たちが言い合いをしている。これはきっと可憐のことを話しているのだろう。嫌な単語が俺の耳に飛び込んでくる。俺はとても黙ってはいられなくて話し声のするドアを開けて入った。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「うお!」
俺が拳を振り上げると鈍い肉感がある弾力が右手に感じられた。目を開けると俺は誰かを殴っていた。目を擦って改めて見ると俺の親父だった。何で親父が俺の部屋に。
「何しているんだ……親父」
「それは俺の台詞だ。斬新な朝の挨拶ありがとう。礼音」
「で。何か。用なのか」
「可憐ちゃんのことだ。お前気になっているだろう」
思わず眠ってしまっていたけどもそういえば可憐はどうなったのだろうか。俺はもしもの時を考えて強く拳を握った。
「大丈夫だ。可憐ちゃんは無事だ。ただ……今回は様子を見るが覚悟はしておいた方がいいぞ。分かっているな……礼音」
「ああ。分かってるよ」
そう言うと親父は俺の部屋から出て行った。もしかしてこれを言うためにずっと俺が起きるまでベッドの脇に立っていたのだろうか。気持ち悪い親父だ。
俺は気分を入れ替えて着替えて朝の鍛錬に向かった。朝の冷たい空気がとても気持ちが良かった。昔は嫌々やらされていたが今はこの鍛錬をしている時間が好きだ。体を動かしている時は余計なことを考えなくていい。
鍛錬も終わりご飯を食べて身支度をして可憐の家に寄ったがやはり可憐は寝ているらしい。覚醒すると1日以上は寝てしまうので予想通りと言えば予想通りだ。何も残念でもなんでもない。
仕方が無いので今日は一人で学校へ行くことにした。いつも楽しい学校への道のりも一人では楽しさが半減する気がする。何とか自分を振りたたせて我が学び舎。勇者記念学園へ到着。
勇者の活躍を記念して建てられた学校。つまり俺の学校だ。勇者の血筋ということで結構無理が利くので俺はなかなか重宝している。可憐が守られているのも俺がこの学校にいるという意味合いが非常に強い。中学の時はいじめがひどかった。俺も四六時中可憐を見張っているわけにはいかず、可憐には辛い思いをさせていた。下駄箱には果たし状が山のように入れられるし、毎日嫌がらせのように貢物が届く。俺が大変な思いをして果たし状を捨て、貢物を処分したか……。
昔の思い出に浸っているといつの間にか自己の教室を通り過ぎていた。慌てて戻って自分の教室に行くと美咲と恵梨しかいなかった。
「あれ? がりがり君は?」
「そんなさも定着しているような呼び方は可哀想じゃない」
「海渡君は入院しましたよ。過労だそうです」
「入院? まさか昨日の……」
「今年何度目だって! さすがに見舞いに行く気も起きないわ」
美咲は何がおかしいのかからからと笑っていた。気でも触れたのかも知れない。可哀想に海渡は入院しても誰も見舞いに行かないらしい。俺も行かないけど。
「今日はあいついないのか」
「よかったよ。あいつの顔見なくて済んでさあ」
「……」
俺たちのことをこそこそと見てひそひそと話している。どうやら可憐の悪口を言っているようだ。昔からあることなので俺は慣れてはいるのだが泣き寝入りするほど俺はできた人間では無い。よって彼らには泣いてもらうことにした。
「お前ら。ここで可憐の悪口など許さねえぞ! 俺は温厚だから罰としてお前らの指の爪を剥ぐ。覚悟しろ」
「なんだ。礼音。お前勇者の血筋だからっていい気になるなよ。俺の父さんは政府官僚の官邸の警備してるんだぞって。ま。待て。ぐふほううう」
俺が説得しているのに美咲はぐーで黙らせた。美咲はすぐに手が出てしまうから困る。おかげで俺の爪切りが活躍できなかった。
「これが一番手っ取り早いって」
「まあ。そうだろうが、気絶しているぞ。いいのかよ」
「おい。お前ら席に付け」
クラスメイトA、Bをどうしようか考えていると先生が来た。俺たちは慌てて自分の席に戻った。
「おい。宮本と照井はどうした? 具合が悪いのか?」
「彼らは人生について深く考えたいそうです。起こさないであげてください」
「そ。そうか。分かった。先生は邪魔しない。人生は長い。ゆっくりと考えてくれ」
なんとかうまくフォローをして事無きを得た。まったく普通の人間として生活するのは疲れる。
俺は外の景色を見ながら考えていた。人生は長いか。これから可憐はどうなるのだろうか。朝、親父は様子を見ると言っていたがあまりいい顔はしていなかった。覚悟しろか。覚悟はとっくの昔にしてるよ。
放課後、美咲に誘われて美咲の家に恵梨と一緒に行くことになった。恵梨に実家の手伝いはいいのかと聞いたが昨日恵梨の新作のラーメンを食べたら親父さんが苦しみだしてトイレから出て来なくなったらしいので今日はお休みらしい。全く何のラーメンを作ったのだか。恐ろしくて俺は聞けなかった。
美咲の実家は電気屋だ。「コモリ電気」どこの町にでもありそうな売れていなそうな。どうやって生活しているんだろう臭がする電気屋だ。
最近の大型量販店の進出で店売りがかなり厳しいが細やかなサービスと美咲の美貌で何とかやっているらしい(美咲本人談)
「とりあえずコーヒーでも飲んでよ」
美咲は家に着くと店の中にある椅子に俺たちを座らせて近くにあるコーヒーメーカーからコーヒーを淹れてくれた。美咲の淹れてくれるコーヒーは道具がいいのかとてもおいしい。豆の力を最大限に活かしていてとてもスーパーで買ったコーヒー豆だとは思えない。
「飲んだね。あんた達。私は見たよ」
「飲んだよ。お前が飲めって言ったんだろ」
「このコーヒーはこのコーヒーメーカーで淹れたんだよ。分かる。このコーヒーメーカーだよ」
美咲はやたらと強調してコーヒーメーカーをアピールし出した。また始まったなと俺は思った。
「このおいしいコーヒーが淹れられるコーヒーメーカーが今なら12800円! 更に期間限定で今なら私が直接コーヒー入れにいきます。どうお得でしょ」
「買わないから」
「えー」
「いい加減友達に家電を売りつけるのは止めろよ」
「友達ならぽんと店ごと買ってよ。ケチ」
「何言っているんだ……。ごちそうさん」
俺は一応お礼を言ってコーヒーカップを机に置いた。美咲を見ると遠い目をして涙ぐんでいた。
「あのね……。私の家ってとっても貧乏なのよ。今日も野菜炒め。明日も野菜炒め。明後日はモヤシ炒め。しあさっては炒めしなの。ひどいと思わない?」
「へー」
「へーって私がどんなに苦しんでいるのか分かるの?
美咲はかなり感傷的に涙まじりに語りだした。
「いや。お前この前100万くらいのテレビが売れたから寿司を食いに行った話をしてたからさあ。お前の家が貧乏だとは知らなかったよ」
「あら~。そうだったかなあ」
「それと噂は聞いているぞ。お前さあ。一人暮らしの老人の家に行って身の回りの世話をしてその見返りにすごい高いテレビ売りつけるらしいじゃん」
「そ。それは……。同意の上で。私は決して売りつけてないわよ」
「だったら一人暮らしの老人の家で100万以上もする46インチの液晶テレビなんているか?」
部屋の殆どのスペースがテレビってちょっとした老人虐待だろ。
「喜んでいたわよ。画面が大きいから字も見やすいし実際に人と話しているようだって。お年寄りは飢えているのよ。大きなテレビに」
「そんなことを言うならばらすぞ。いいのか?」
「な。なによ」
俺が詰め寄ったので美咲は少し狼狽して少し後ろに下がった。
「お前ある老人の家でこれからのテレビは大きいサイズじゃないとしっかりと電波を受信できないから大きいテレビの方がいいとか言ったらしいな」
「な。何でそれを?」
「勇者の人脈を侮るなよ」
「分かった。分かったわよ。そうですよ。うちは貧乏じゃないわよ。金持ちよ。悪い。私の先祖はね。魔王を倒してから自分の魔法を売って財を成したのよ。だからうちは何もしなくても遊んで暮らせるくらいのお金があるわよ。でもお金はどれくらーーーーーーーいあったって困らないんだから」
美咲は開き直って店に飾ってある高そうなマッサージ機に偉そうに座った。
「お前……。この期に及んで開き直りすぎだろ。まさか……。恵梨ん家もじゃないよな」
「うちは祈ってるだけでは暮らして行けなくなったからですよ。教会潰して一番参入しやすいラーメン屋を始めたんです」
「みんな。ひどいな……」
勇者パーティーのその後なんて聞くもんじゃなかった。誰も話そうとしないのはこういうことなのかもしれない。やっぱり魔王を倒して「END」が一番いいのだ。
「あんたん家だってそうでしょ。あんた家のお父さんってさ。勇者記念館の館長? 何それ。誰でもできんじゃん。それにあそこって世襲制何でしょ。このまま行けばあんたが次の館長何でしょ。今のこの職が無い時代で何なの? その夢職業! ふざけないでよ!」
「うるせえ! うるせえ! 確かに俺の親父は館長とか言って何もやってねえよ。ちょっと記念館覗いて後はパチンコか図書館に行ってるよ。仕方が無いだろ。俺の先祖は魔王を倒してから王宮に迎えいれられたけども王様の孫の代になったら手のひら返されて王宮から追い出されたんだから……」
「だから今は適当な役職作ってもらって天下りした訳なんだ……」
「礼音君も美咲ちゃんも止めてくださいよ」
「あんたに言われたくないわよ!」
「そうだ! お前ん家が一番ひどいんだからな!」
「な。なんで私にとばっちりが来ているんですか!?」
「お前の所の先祖は飲めばどんな病気も治る水とか言ってインチキな水を教会で売ってそれで破門されて教会から追い出されたんだよ」
「ええー。そんなこと誰も言っていませんでしたよ。それに教科書にも載っていませんでしたよ。そんなこと」
「みんな自分の先祖を美化したいんだよ。だいたい教科書に「その後、僧侶はインチキな水を売って破門されました」って載せられる訳ないだろうが!」
「うう。そうですけども。私お父さんに聞いてみる。も。もしもし。お。お父さん……」
恵梨は慌てて家に電話をかけた。現実とはとても辛いものだ。恵梨にも少しは現実を直視してほしい。そして二度と創作ラーメンなど作らないで欲しい。
「さて冗談は置いといて。可憐はどうなの?」
「どうって?」
「こんな時に冗談言わないで。まずいの?」
「ああ。まあ親父は様子みるって」
「よかった……」
「ただ……な。これからは分からない」
「そう……」
「ど。どうしよう! お父さんまだトイレから出てこないんですよ。昨日のコーヒーラーメンまだ効いているみたいです」
「……」
「……」
最後の方は恵梨の性で重苦しい雰囲気になってきたので俺たちは帰ることにした。俺はとりあえず単四電池を買って出た。