第14話「礼音と可憐のパーソナルスペース」
これまでのあらすじ
2×××年。突如やってきた大魔王美咲により、再び世界は闇に支配された。立ち上がったのは礼音、可憐、恵梨。まさかの落とし穴にはまって可憐は大魔王美咲に捕まってしまった。礼音は可憐を救うために重大な決断を迫られていた。大魔王が提示したのは下記の三つの選択だった。
A 65インチのプラズマテレビを買う(メーカー保証一年付き)
B 美咲と付き合う(あんたなんか別に好きでも何でもないんだからね台詞付き)
C 死ぬ
礼音に人類が生き残るための究極の選択が迫られていた。
「はあああああああああ」
礼音は飛び起きた。体中に汗がだらだらと流れていた。起きたてなので、頭がぼうっとしてはっきりしない。
「なんかあんまり覚えてねえけど。すげえ夢みた。なんかすげえ寒気がする」
礼音は言い知れない不安を感じて、台所に急いで駆け下り、これでもかと言うほど念入りに体中に塩をふった。それから、体中が塩臭くなったので、朝から風呂に入って身を清めた。
「何か嫌な予感がする……」
変な残尿感のような思いを感じながら、朝いつもように可憐を迎えに隣の真木家に向かった。迎えに行くと可憐の様子がおかしかった。何がおかしいかと言うと、ちょっと説明し辛い所がある。順を追って説明すると、可憐はいつものように庭で畑仕事をしていた。礼音はいつものように挨拶をした。可憐もいつものように挨拶を返した。ここまではいい。ここまではいいのだ。礼音が一歩可憐に近づこうとすると、可憐が一歩後ろに下がるのだ。おかしいと思い、礼音が一歩また近づく。そうすると可憐ももう一方下がるのだ。
「可……憐?」
「は……早く学校に行かないと学校に遅れちゃうよ」
礼音が固まっているうちに可憐は素早く、礼音の脇を通り真木家の外に出た。礼音には何が何だか分からなかった。
人間にはパーソナルスペースという他人に近づかれると不快に思う空間のようなものがあると言われている。恋人、家族で四十五センチ以内、友人で四十五センチから百二十センチ、同僚と仕事する距離が百二十センチから三百六十センチなどと言われている。
結局、何が言いたいのかと言うと、可憐は礼音から一定の距離を取っている。推定距離三メートル。恐らく今までは四十五センチ前後くらいで会話をしていたのだが、これは離れすぎだ。可憐は礼音の様子を伺いながら、礼音の前を歩いている。とてもじゃないけどもこれは一緒に歩いているとは言えない。なぜか礼音はちょっとしたストーカーのような距離を保ちながら可憐と登校することになっていた。礼音はたまらず可憐に言った。
「おい。可憐それは何のプレイだ」
「ごめんね。なんだか礼音が近づくと胸が苦しくなって、頭がズキズキするの」
可憐が申し訳なさそうに言った。礼音にはまるで理解ができなかった。
「なん……だと」
礼音は可憐に駆け寄った。それを見て、可憐は全速力で礼音から遠ざかる。
「お願いだから、近づかないで、礼音のこと嫌いになりたくないのぉー!」
涙目でお願いしている女の子を追い回している姿は、はたから見ると本当のストーカーだった。涙目で懇願されては大人しく引き下がるしか無かった。
学校にたどり着いてもそれは続いた。いつも仲睦まじい礼音と可憐の姿を見慣れているクラスメイトにとって、これはクラスを揺るがす大問題だった。いったい何があったのか、ひそひそ話がクラス中で交わされていた。
「礼音。本当に見覚えにないのね!」
美咲は礼音の首筋を掴んで、今にもバリカンで頭を刈り上げようとしていた。
「無いって言っているだろうが、だいたい俺が可憐に何かする訳がないだろうが。とりあえずその物騒なものをしまえ」
「恵梨には分かりますよ。ずばり礼音君は可憐さんに変態行為に及んだと……間違いないです」
恵梨は何かを悟ったような顔をしてうんうんと頷いている。
「礼音君それはいけませんよ。やってしまったことは仕方がないです。私と一緒に警察に行きましょう」
海渡は海渡で礼音のことを気遣っているようでいて、「こいつ、いつかやるとは思っていたけどついにやりやがったという」顔をして内心引いていた。
「だって、じゃあ何で可憐がこっちに近づいて来ないのよ」
可憐は教室の隅の自分の席で、『木村太郎の畑の育て方ワンポイントレッスン』の本を読んでいる。こちらに気づいて手を振ってきたが、顔は引きつっていた。
「俺が知るかよ。朝迎えに行ったらこんなことになっていたんだよ」
「では昨晩に……」
恵梨はアゴに手を当てて、何かを考え込んでいた。恐らく恵梨の頭の中は摩訶不思議のパラレルワールドが展開されているのだろう。
「止めろ。変な想像をするな。俺は何もしてないって」
「じゃあ何で。こんなことになるのよ! さっさと吐きなさいよ。場合によってモヒカンにされるのも覚悟しなさいよ」
「だから止めろって! 何回も言うが俺にも分からないんだよ」
「とりあえず様子を見ましょうか。時間が経てば元に戻るかも知れませんし」
「そうね。分かった。とりあえず今日は礼音。あんたは可憐に近づくの禁止だからね。後、お昼も一人で食べてね」
「なんで!」
「なんでって礼音がいると可憐が来られないじゃないの。私は可憐とお昼一緒に食べたいんだから、礼音は一人で食べて、これはお願いじゃなくて命令だからね!」
ビッシと美咲はバリカンを礼音の前に突きつけて言った。不本意ではあるが、今の礼音は美咲の言葉に従うよりなかった。
この状態にクラスの男連中は色めきだった。今まで、礼音という勇者だか何だか知らないがいつも可憐の側にいる邪魔な人間がいない。これをチャンスと言わずに何と言おうか。いつも影で礼音と可憐がイチャイチャしているのを傍から見ていて爆発しろと心の中で思っていた連中は、このチャンスを逃すはずはなかった。
昼休みには瞬く間に可憐の机の周りに人だかりができた。銀色の髪に真っ赤が瞳、ある意味人離れした容姿を持ちあわせた可憐に、淡い恋心を持った連中も少なくはなかった。
そんな状態を見て、礼音は黙ってはいられなかった。
「可憐ちゃん。今度一緒に壺作りに行こうよ」
「うん……今度ね」
「可憐さん。僕と一緒に清水の舞台から飛び降りましょう!」
「うん……今度ね」
「お前ら可憐に近づくな!」
雑魚を蹴散らすように人の輪を裂いていこうと行こうとすると、可憐は慌てて、席から立ち上がり教室の外までに逃げた。
「礼音。お願いだから近寄って来ないで……」
可憐は教室の外から顔だけ出して、懇願した。
「は……はい」
礼音は今まで無いほどショックを受けて、自分の席で項垂れた。
お昼も、礼音は一人で食べた。一人で食べてもいくらトッピング全乗せ弁当でも味気無い。しかも、礼音を抜いてお昼を食べている美咲達はとても楽しそうだ。何を話しているのだろうか。
そんな姿を見た美咲は可憐と相談してある方法を思いついた。
一人でしょんぼりしている礼音にメールが届いた。可憐からだった。
『これからはメールでお話しよ!』
可憐の方を見ると、みんなでゲラゲラ笑いながら、こちらに手を振っていた。礼音の中になんとも言えない怒りがこみあげてきた。
(なぜ教室内でメールをしなくてはいけないのか。それはおかしいだろう)
そうは思っても、そうするしかない礼音は可憐に同意する返事を返した。そのメールを美咲は可憐から奪ってみんなに見せてゲラゲラと笑っていた。礼音は後で、教室の中に美咲が勝手に常備している加湿器を水没させてやろうと決意した。とにかくこれから礼音は可憐の「メル友」という立場を獲得したのだった。
結局、今日一日、可憐の三メートル以内には一歩たりとも踏み入れることはできなかった。帰りは可憐とメールをやりとりしながら帰った。あんなに近くにいるのに、満足に言葉が交わせないことに礼音は、落ち込んでいた。
『きっと明日は元に戻ると思うから今日は我慢して』
『そうだといいけど』
『うん。絶対だよ。だからそんなに落ち込まないで』
礼音はその言葉を信じて、可憐と別れた。礼音は家の中でこんなに可憐と、まともに言葉を交わせないのが、寂しいものだとは思わなかった。明日は今日の分も合わせて、思いっきりなでなでしてやろう(今までやったことは無いけども)と勝手に考えて、礼音は眠りに着いた。
次の日、若干の不安も抱えながら、可憐のいる真木家の畑へと向かった。
「可憐! おっはよー!」
キャラでは無かったが不安を吹き飛ばすためなのか、礼音は異常にテンションが高かった。
「あ。礼音……ぉ……ょ」
可憐は顔を引きつらせながら、家の敷地の外に離脱した。礼音は慌てて、可憐を追った。
「ごめん。礼音。やっぱり駄目みたい」
「なんで……」
礼音は思わず、可憐に一歩近づいた。
「近づかないで! 礼音が近づくと気持ち悪くなるの!」
今まで聞いたことがない可憐の声に礼音は、驚いた。そして、礼音の頭の中は真っ白になった。本当に真っ白になった。しかも、その距離は昨日よりも長い五メートルになっていた。
「え……どういうこと?」
いったい可憐の身に何が起きているのだろうか。そして、これから礼音はどうなるのだろうか。しばらく、礼音はその場に石像のように固まっていた。