お隣は魔王家番外編2~海渡編4~
美空は兄の部屋や台所を調べたが兄を見つけることができずにいた。
「いない……いったいどこに」
台所を出て廊下に出ると、廊下の壁に何かが書かれていた。
『海渡はこちらです』
かなり大きな紙に文字とともに矢印が書かれていた。なんともご丁寧なことだと美空は思った。こんなことをするのは父親しかいない。こんなことならもっと傷めつけてやればよかった。
矢印に従って歩いて行くと、父親の書斎の前に行き着いた。どうやら海渡はここにいるようだ。
「ふう……よし」
美空は少々兄に会うことに対して緊張していた。兄も私のことを突き放すのだろうか。母親がいなくなってからは、兄だけが美空の心の拠り所だった。きっと優しい兄なら今回のことも反対してくれるはずだ。心配は尽きないが恐る恐る書斎のドアを開けた。
書斎に入ると兄はこちらに向けて背を向けて座っていた。兄は眠っているのか、何かに集中しているか美空が書斎に入ってきたことに気づいていないようだった。美空は兄の小さい背中を見ながら昔のことを思い出していた。
幼い頃の兄はいつもベッドの上だったという記憶しかない。ただとても優しかった。私がかけよると寂しげに笑って必ずアメをくれた。私は兄がなぜいつもベッドの上にいるのか分からなかったのでぐずって、無理に遊んでもらっていた。
前に私は兄に一度聞いたことがあった。
『兄さんはなんでいつもベッドにいるの?』
子供ながらにひどいことを聞いたものだ。それに対して兄は、少し困ったような顔をしていたが、優しい笑みを浮かべて私に言った。
『私はね。天国に行くまでの準備をしているんですよ。みんな多かれ少なかれ、徐々に準備をします。僕はたまたまその準備が早いだけなのですよ』
そのころの私には、ほとんど理解できなかったが、胸がとても苦しくなった。兄は私が行くとどんなに具合が悪くても遊んでくれた。中学にあがる頃に、勇者のおじいさんの薬で何とか日常生活は送れるようにはなった。具合が悪くなることはよくあったが、家に帰ることができた。父親に嫌気がさして出て行った母親の代わりに私が兄のお世話することになった。兄はいつも申し訳ないような顔をしていた。私は好きでやっていることだから気にしないでと言うと、さらに申し訳ないような顔になった。そのうち私が兄を守らなければならないと思うようになった。最初はこの気持ちがどこから来るのかが分からなかった。周りの友達は兄のことをまるで産業廃棄物のように扱うので、私たちのように兄妹仲の良い関係は異常らしい。
『美空。もしかして兄貴のこと好きなんじゃない?』
友達が冗談まじりで何気なく言った言葉だったが、私はその言葉にはっとさせられた。まずいと思い、その場はうまくごまかしたが、その言葉がきっかけで私は気づいてしまった。私は……。
美空はしばらく書斎にいる兄の背中を見つめていた。
「兄さん」
「……」
「あの人なら家の前で寝ていますよ。それよりも兄さん……私、私は兄さんと離れたくはありません!」
美空はすがるように兄に向かって叫んだ。兄は全く微動だにしなかった。
「……」
「兄さん聞いているんですか? こっちを向いてください」
「……」
「兄さん? いったいどうしたんですか?」
美空が兄の前に回りこむと兄はイヤホンで音楽を聞きながら、知恵の輪をしていた。美空は心配していた自分がものすごく馬鹿らしくなって、怒りが急激にマックスに達した。「雷切」を取り出して、兄の知恵の輪に振り下ろした。兄が知恵の輪を解く前に強制的に右の輪と左の輪は離れ離れになった。
「何しやがるんですか! 美空!?」
「にいさーん。いったい何をやっているんですか」
「いや……私は知恵の輪をだな」
そう言いながら兄は再び、どこからか取り出した知恵の輪を始めた。もちろんその知恵の輪も一刀両断させて頂いた。
「心配した私が馬鹿みたいじゃないですか。いいですか? そんなに言うなら勝負しましょう」
「私は何も言っていませんが」
「いいから。勝負です!」
「は……はあ」
兄が近くに置いてある刀を掴んで構えた。兄はなぜ勝負をしなければならないのか訳がわからんといった顔をしている。
「兄さん勝負の前にこれだけは確認させてください」
「はい。どうぞ」
「兄さん。私と一緒に母さんの所に行きましょう。ここにいたら絶対にろくな人間になりません。ここにいたら私も兄さんもおかしくなる」
「分かってください。美空。僕は母さんの所へは行けませんし、二人で母さんの所に行けないんです」
「なぜですか! 兄さんがこの家の跡継ぎだからですか? それとも私のことが嫌いなのですか?」
美空の顔は今にも泣き出しそうになっていた。それを見た兄も眉を寄せて困った顔をしている。
「そんな子供みたいなことを言って僕を困らせないでください。私はこの家に生まれついた瞬間に渡家を守る使命を持っているのです。それは父も同じです。ただ美空が嫌いな訳がないじゃないですか。それは分かってください」
「でも……それじゃ……分かった。分かったけど約束していつか必ず迎えに来るって」
「約束します。この呪いに必ず打ち勝って美空を迎えにいきますよ」
「それと、私、兄さんにメールと電話するからね。嫌って言ってもするからね」
「私は構いませんよ。いっぱいしてください」
美空と海渡は近寄って握手をした。美空の握った兄の手は兄の心のように暖かかった。兄さんとこれから離れ離れにならないといけないと思うと、涙が出そうになったが、我慢した。
「兄さん手を抜かないでよ。本気で来てね」
「元からそのつもりです」
美空と海渡は一定の距離を取って、お互いに構えた。美空の「雷切」に対して、兄の刀は「村雨」。渡家当主だけが持てる「村雨」はスピード重視で刃は限りなく薄く作られている。兄は居合い抜きを得意としているので、その刀の形状を見たものは限られたものしかいない。
何度か兄と対戦したことがあるが、私は一度も兄に勝ったことが無かった。瞬間的なスピードは兄の方が上だが、美空には兄のスピードを上回る素早さがある。美空は体を使って兄を翻弄するしか無いと思った。
兄は集中力を高めるために目を瞑った。美空は始め、ゆっくりと兄の周りを円のように周りだした。やがてスピードをあげ、兄の隙を付くためにじっと動きながら待った。勝負は一瞬で決まる。美空は兄の居合い抜きの恐ろしさを知っているので、なかなか踏み込めないでいた。
「……」
「……」
無言の攻防が数分続いた。どちらも動けないでいる。美空は意を決して踏み込もうと決意した。その時、庭側のドアが突然開いた。
ガララララララ
「まったく本気出しすぎさあ。痛いっさあ」
父親が空気を読まずに書斎に入ってきた。そして、書斎にあるふかふかのソファにどっかりと座った。美空と海渡は呆れて、動きを止めて父親をじっとりとした目付きで睨んだ。
「美空……腹が減ったから何か作ってくれ」
「……こ……く……親父」
「こく? なんだ。こくって」
「この糞親父。何勝手に入って来てんの!? 意味が分かんない。もう一回死ねー!」
「お。おい。やめ。ぎゃああああああ」
「ちょ、ちょっと美空。止めなさい。いやもっとやれ」
父親の叫びが木霊した。父親は美空が家を出る前に家を出ることになった。行き先は病院だ。
それから美空は結局、母親の元へと行った。父親に絶望したということもあるが、もう少し兄を信じてみようと思ったのもある。
学校は監獄と言われている全寮制の女子高に通うことになった。よほどのことが無い限り外には出ることができないそうだ。海渡も肩の荷が降りた気がした。それも一瞬だけではあったが……。
なぜなら、美空が家を出て行った日からのメールと電話がすごい数来るようになった。今日の美空から来たメールが三百六七件。確かにいっぱいメールをしてもいいとは言ったがこれは多すぎではないかと思った。その内容は今何をしているのかとか自分が何をやっているのかという報告がほとんどだった。正直、迷惑メールよりも迷惑だ。
電話はそれほどでも無いが、電話にたまたま出られなかったときの留守電がすごい。
『百七十六件のメッセージがあります』
『兄さん。なんで出ないの? さてはあの女でしょ。この間の美咲とかいう電気女でしょ。絶対そう。私には分かっているのよ……』
これも可愛い妹の茶目っ気かと思い、そのうち飽きるだろうと思ってそのままにしておいた。実際は高校になった今でも前よりはよくなったが、かなりの数のメールが来る。
それ以外は体調がよくないくらいで何も変わりはない。父さんは相変わらず洗車している。気持ち美空がいなくなって寂しそうにも見えるけども問題ないでしょう。
最近、生涯の友になれそうな人と出会った。礼音と可憐。美咲と恵梨はどうでもいいとしてこの出会いは必然だった。
美空がいなくなって寂しくなったが、礼音と可憐がいるので毎日が楽しかった。
家にいるとたまに美空のことが懐かしく思える。
「兄さん」
という声も聞くことが無くなった。昔はうっとおしくなるほど、聞いていたあの声を聞くことが無くなった。
「兄さんってば」
なぜか、美空の声がやけにリアルに感じられる。目の前を見ると、美空が立っている。いつ美空の一分の一等身大パネルなんて作ったのだろうか。それとも一分の一フュギアだろうか。
「あれ。美空?」
「そうよ。兄さん。ただいま!」
「ぎゃああああああ!」
いるはずの無い美空のいることに恐怖を覚えて、海渡は気絶してしまった。
「え! なんで……なんで気絶するの。ちょっとねえ。私、兄さんに会いたくて監獄から抜けてきたのよ。ねえ。ねえってば」
美空は兄をゆすって起こそうとするが、兄は一向に目を覚ます気配は無かった。