番外編2~海渡編1~
僕は人生の大半をベッドの上で過ごしている。僕は生まれついた時から、原因不明の病に悩まされている。医者に言わせると原因不明の奇病で、現代の医学でも治療方法は無いのだという。
僕達、渡一族には魔王の呪いがかけられている。各世代に一人、原因不明の奇病にかかり、二十歳までに死ぬ。呪いをかけられた者は、腕に斑模様の斑点ができる。
僕が生まれてきたときに、僕の腕に斑点を見つけた母は、卒倒した。父は、自分の兄がその斑点を持っていたので、確率的には高いとは思っていたようで、さほど慌ててはいなかったそうだ。
僕もそのことを早い段階から聞いていたので、覚悟は決めていた。それほど僕は、生に対して執着心は持っていなかったので、自然と受け入れられた。でも、死ぬのはさすがに怖い。友達、家族と別れる時が来るのは寂しいとは思う。僕は思う。人間いつかは死ぬ。ただ、僕の場合は、あらかじめ生きられる時間を教えてもらっているだけだ。だから僕は、その時が来るまで、自分の人生を受け止めて残り少ない人生を心穏やかに過ごしたいと思っている……。
そう切に思っているのだが……。この話は僕が中学時代の話である。
朝六時、渡家の海渡の部屋。渡海渡はベッドで心穏やかに眠っていた。目が覚め、ベッドの上で微睡んでいる。そんな時間が海渡は大好きだった。そこに、どこからともなく「ゴゴゴ」と地鳴りのような音が聞こえる。その音の主は海渡の妹、渡美空である。輝くような長い黒髪を翻して、廊下を疾走している。美空が着ている白装束が朝の太陽に照らされている。美空はお目当ての部屋の前にたどり着くと、鼻息も荒くドアを思い切り引っ張った。
「あ、あれ開かない」
鍵が掛かっているのか、ドアは開かなかった。海渡は勝手に入ってくる妹対策として、頑丈な鍵を付けた。元々、部屋には鍵は付いていなかったが、父親が鍵を付けろとうるさかったので仕方がなく付けた。効果の程はあまり期待できなかったのだけれど。
「兄さーん。あれ、またですか。無駄な抵抗なのにな」
美空は慣れた手つきでポケットから十円玉を取り出して、鍵穴に差し込んだ。二秒程で解錠され、更に二秒後にはドアが開け放たれた。海渡が店員さんに並の泥棒ならこれで充分ですとオススメされた三千六百円鍵はあっさりと破られた。海渡は今度、オートロックの鍵買おうと決意した。
美空は、海渡の部屋に侵入し、カーテンを開け放つ。朝の光が部屋に差し込んだ。次に、兄に近寄り、布団の上から腕を掴み揺さぶった。
「兄さん、朝ですよー」
「……。ん……美空ですか。今起きます」
海渡の妹の美空は毎朝、起こしに来る。海渡が前になぜ僕のことを起こしに来るのか不思議に思って聞いた話によると、美空の愛読書『妹の心構えワン・ツー・スリー』の十二ページにそう書いてあるからだと言う。海渡は納得できなかったが、あまりにも自信満々に美空が答えるものなので、そう言うものかと思い、海渡は無理やり自分を納得させた。
その後、美空に促され、家の食堂に向かう。海渡の家は昔、何とかという財界人が住んでいたお屋敷らしく、無駄に広い。部屋が数えきれない程多いし。トイレが何個もあるし、風呂も何個もあるし、サウナもある。家の中に案内図があるのはたぶんこの辺りでは海渡の家くらいだと思う。
朝食は美空が作ってくれる。父さんが、家に他人がいるのが、虫唾が走ると言って使用人は海渡達の通学用の運転手の他には一人もいない。代わりにロボットの掃除機がひっきりなしにあちこち、動き回っている。
海渡のご飯はいつもおかゆだ。ただお米は農家から直接買った新潟産のこしひかりを使い、水は家にあるミネラルたっぷりの井戸の水を使っている。味付けは海渡の大好物「ご飯かもしれませんよ?」を使っているので、ただのおかゆだがうまさは保証されている。
美空はと言うと、中学生の女の子らしく、朝からヘビー級の献立だ。海渡の目の前で見ているだけで胃もたれしそうな、焼肉丼をばくばくと食べている。海渡は食欲を無くして、朝の食卓にいない父さんのことを美空に聞いてみた。
「父さんはどうしました?」
「あの人はいつものように外で洗車してますよ」
そんなつまらことを聞いて、地球の二酸化炭素を増やさないでくださいよという口調で美空はばくばくと焼肉丼を更に加速させて食べている。
「美空……父さんのことをあの人なんて言わないでください」
「私があの人のことを……ばくばく……どう言おうと勝手です」
美空は父さんが大嫌いなようだ。思春期の女の子は父親が嫌いになるという話だけれども、それを遥かに超えて父親を嫌っていた。たぶん、母さんが父親の悪口をいつも言っていたのでその影響がかなりあるのだと思う。父さんもかなり誤解されやすい人なのだが、息子の僕がどう贔屓目にみても父さんは駄目な人だ。家には先祖が残してくれた財産があった。かつて、魔王を倒したパーティーの一員だった家のご先祖さまは、更に王様に気に入られ、何世代に渡って何もしなくてもいいほどの財産を得た。僕の父さんは、おじいさんに甘やかせて育ち、順調にお金持ちのバカ息子の典型的な例のような人間に育った。僕も父さんが僕の父さんで無かったら、きっとあまりの情け無さに日本海に沈めていたと思う。
朝食が終わり、美空と連れ立って学校に登校する。美空も制服に着替えて、愛刀「雷切」を背中に背負う。その昔、雷を切ったとも言われる名刀「雷切」を美空は父親から誕生日のプレゼントにもらった。父さんは剣のコレクターで剣と名の付くものならなんでも集めた。エクスカリバーから虎鉄までありとあらゆるものを集めた。その中でも特に父さんは刀に特に興味を持ったようで、暇があれば洗車と同じくらいに刀を磨いて、いろんなモノを試し切りしていた。特に大根が斬りごたえがると言っていた。
外に出ると、父さんが愛車のポルシェを洗車していた。父さんはいつもポマードをべったりとつけた髪に紫のスーツ、全部の指にダイヤの指輪を付けていた。ご近所さんからは「動く、ジュエル」と呼ばれていて、僕達兄妹は恥ずかしい思いをしている。
父さんはまるでわが子を撫でるかのように(実際は一度も撫でてくれたことなどない)車体を専用の布でソフトに撫でる。それに呼応するかのように父さん自慢のポルシェ911は輝きを増した。その輝きに父さんはうっとりして、二分ほどいろんな角度から見つめ、再び、撫でる。撫でる……見つめる……撫でる……見つめる……撫でる……見つめるの繰り返しだ。
僕達の気配に気づくと父さんは車の洗車をやめて僕達に視線をうつした。
「仲が良くて何よりさあ。美空今日も最高にかわいいさあ」
「あの父さん。足強烈に踏まれてますよ」
父さんは娘のことが大好きなようだが、世の中はうまく行かないようで絵に書いたように嫌われていた。僕はその姿を不憫にも思うが、自業自得なので特に擁護はしなかった。
「これも愛情表現の一つさあ。照れちゃってかわいいもんさあ」
「兄さん。さっさと行きましょう。学校に遅れますよ」
「はい、はい。では父さん行って参ります」
僕と美空は運転手付きの通学用のビー・エム・ダブリューに乗り込んだ。
「美空さあ。クラスメイトにセクハラされたら電話するんさあ」
「早く。車を出してください。いっそのことひいちゃってもいいですから」
海渡と美空は父さんに温かい目で見送られて、学校まで向かった。美空は車の中で父親の悪口を息継ぎもしないで話した。よくもそれだけ、自分の父親の悪い所を見つけられられるものだと感心した。海渡が父さんに良い所だってありますよと言うと美空は、しばらく考え込んだかと思うと。
「お金を持っていることくらいかな」
と言っていた。海渡の母親もよく似たようなことを言っていたが、美空もその血を洩らすこと無く引き継いでいるようだ。
学校が終わり、家に帰ると父親にこっそり呼ばれた。海渡は帰りは、美空が部活なので一人で帰ってくるのだが、運転手の林崎さんに車から降りるときに手紙を渡された。
「お父様からです」
「はあ……」
林崎さんから手紙を受け取ると手紙には『話があるので、私の書斎まで速やかに来るように、来なければ海渡の大事にしている壺を割る』と書いてあった。
用があるならお前から来いと思ったが、仮にも父親なので素直に書斎に向かった。十分程歩いて、父親の書斎「竜王の間」に着いた。書斎のドアには無駄に二対の昇龍が彫られていた。ただ、父さんがちゃめっけで目の部分に油性のマジックで×を書いていたので、全然威厳を感じ無かった。いったいこの人は何がしたいのだろうか。
ノックをして部屋に入ると、部屋の中は真っ暗だった。部屋の奥に入ると奥にある仏壇の前で父さんはいつになく真剣な顔つきで、坐禅を組んでいた。海渡は近づいて父さんに話しかけた。
「改まって何の話でしょうか?」
「海渡よ。落ち着いて聞け。美空を家から出すことにした……」
「……」
これが波乱の始まりだった。海渡の心穏やかな生活はこの時を持って終了を告げることになった。