第二章 第八話
俺は考えたくなかったこんなこと。
山に登ったら必ず降らなければならないことを。
これ、降りれるのか…それほど体力の限りを尽くしていた。
あのマシンガンのぶながでさえついには30分も前から一切口を開かなくなった。
施設では多少運動はしていた。
体育館やグラウンドでサッカーやバドミントンやテニス。それだけじゃなく、短距離走や長距離走も少しはやったことがあるが、
5,6時間にも及ぶ長時間の活動は今までしたことがなかった。
痛覚はほぼない。だけどどんどん鉛球を引きずっているんじゃないかと思うほど足が重たくなっていく。
肩が自由に動かない。そして何より、こんなに首が痛くなることは今まで一度もなかった。
いくら不死身の肉体を持つしょくにんと言えど、足を滑らせ首から上を傷つけたら一環の終わりだ。
重たい身体を持ち上げながら、滑る恐怖を噛みしめながら、それでも進むしかないのだ。
「の、のぶなが いいこと教えてやろっか」
わずかに残る体力を、のぶながとの会話に消費している。
「な、なんだよ」
「登り切ったら、降りないといけないんだぜ」
「ば、馬鹿野郎そんなの知ってるよ ふざけんな、考えないようにしてたんだ。
お前は悪魔だデルタ デビルに改名したほうがいいんじゃないか」
のぶながも残る体力を俺との会話に消費してくれた。
「そしてな、降りは楽だが、危険は降りのほうがたくさんある」
「じゃ、じゃあ登りじゃ滑らねえってことだな。忠告ありがとよ」
そうしてゆっくりゆっくり確実に進んでいく、そして15分後。
「あ、あと3歩だのぶなが!」
「…」
もはや喋る気力もないのぶなが
3、2、1 「ちょ、頂上だ」/「登り切ったぜ…」
二人は10分間ほど岩場に座り込んだままなにもできなかった。
「さあのぶなが、お待ちかねの富士山頂上から、この日本を眺めてやろうぜ」
そうやって俺はのぶながの手を取る。
「ああ、これだ」
彼の喋った後にひゅう~風の吹く音が聞こえた。その間に呼吸を整えるのぶなが。
「俺はこれが見たくて脱走したんだ。拝まずに帰るなんてことできるはずがない」
そうして再度立ち上がった二人は、日本一高い土地から日本を見下ろした。
「おお、これが我が国…って」
二人の目に入った景色は、
「木と山ばっかじゃねーか。海も見えやしねぇ」
当日、すこーしだけ曇っていた富士山の山頂は、海を海として認知できないほどの距離しか見ることができなかった。
「俺も富士山に登ったら日本の全てを見渡すことができるんじゃないかって思っていたんだが、
どうやら2~300kmほど先までしか見ることができないらしい」
「それってどれくらいなんだ?」
「快晴の場合、NEW東京タワーは見えるし、海も見えるらしいが、関東全域までは及ばない距離のようだ。」
「はは、そうか。そうだよな、富士山から日本の全てが見えてしまったらつまんないよな。
続きは自分の足で足を運んで見ろってことか」
妙に納得してしまった。むしろこれでよかったのかもしれない。
ここから全てが見渡せたら、日本なんて巡る必要はない。だから旅人はいつの時代も存在するのだ。
「なあデルタ、この景色を見たしょくにんって他にいると思うか?」
「いや、思わない。俺たちが世界で初めて富士山の山頂まで登ったしょくにんなんじゃないかと思う」
「そうだよな。俺達すごいことやってのけたよな」
「次は…一合目から登ってみたいもんだな」
そういって俺達は笑いながら固い握手を交わした。
この握手は何人たりとも割って入ることのできない固い硬い握手だろう。
今だ。今言うしかない。
決心した俺は口を開いた。
「なあのぶな…」/「なあデルタ。俺と一緒に活旗党に入って二人で全国回ってしょくにん解放運動をしよう」
デルタの顔に冷たい風が絡まり体温を奪った。
「え、のぶなが。今なんて言った?」
「だから、活旗党で活動しようぜ!俺と一緒にさ」
…なぜだ。冗談のつもりかのぶなが。
「のぶなが、俺からも話がある」
「なんだデルタ」
「俺と一緒に外しょくに入って、たくさんの人を笑顔にさせないか」
富士山の山頂はとても寒いはずだ。俺達は気温の感知能力が低いが、それでもわかる。冷たいのが。
そう頬と耳が物語っている。
そしてどんどん俺たちの頬と耳は冷たくなっていく。それほど沈黙してしまった。お互いに。
のぶながは硬直しかけているその口を静かに開いた。
「デルタ、それは無理な相談だ。俺は外しょくには参加できない。」
自分の耳を疑いたかったが、どうやら違うようだ。幻聴ではない。現聴のようだ。
「聞かせてくれのぶなが!なぜ外しょくには入れない。外しょくの活動は俺たちを最も満たしてくれる活動だろ?」
「逆だよデルタ。またそうやって縛られながら生きていくのか?お前の幸せは何だ?」
「俺の幸せは…人々を笑顔にすることだ」
「デルタ。それは幻想だ。お前はマヒしている。俺達しょくにんにとっての幸せは 自由 だ 自由であることだ」
「自由?」
自由ってなんだ。自由による幸福ってなんだ。
「ほらな、答えられないだろ?お前はまだ知らないんだ。檻の外側の世界を」
「のぶなが、それはお前も間違っている。檻なんてないんだ。囲いを作っているのはお前の心だろ?」
「デルタ、いいかもう一度言う。俺と一緒に活旗党に来い。外の世界を教えてやる。お前を導いてやる」
「のぶなが目を覚ませ、俺が導くさ。しょくにんとしての生き方を」
とても長く感じた。登山するよりも長く。たった5分のぽっち沈黙が、
二人にとって今までに一番長く感じた5分だった。
「わかったデルタ。お前はまだ知らないんだ。だから時が来たらお前を迎えに来てやる。
それまで外しょくに属していればいいさ。」
のぶながは俺に背を向けた。
「俺は一足先に行く。今日この場で揺ぎ無い信念に変わった。俺は行くぞデルタ!
後からでもいいついてこい!お前の歩く道は俺が整地しとく。安心しろ」
そういってのぶながは歩き始めた。
「冗談だ なんてことない いつもの冗談だ びっくりしたか?お前と違う道を歩むわけないだろ」
そういって欲しかったが、あいつからその言葉が出ることは無かった。
俺達は登ってきた道を降り始めた。
たどった道は同じだが、俺たちの進むべき道は分かれる。
そんな不思議な帰路となる。
「デルタ、必ず 必ずもう一度ここにきて、この美しい景色をその目に焼き付けよう。今度は同じ道を歩みながら」
「のぶなが、約束するよ。できれば同じ道を歩みつつ、もう一度この景色をみたい」
その言葉を最後にサラとユキが待っている休憩所まで会話することは無かった。
当然各々 綺麗だ とか すごい とか 下山しながらも、富士山から見下ろす景色はそれはそれは今までに見たことがない景色だ。
施設にいては一生見ることができなかった景色。写真や映像では映ることがないこの景色は、
俺たちの記憶に確実に刻み込まれた。だが、その感動を共有はしなかった。
寝ている時間を除けば、二人にとって、生涯一番長い沈黙の時間となったのだ。
二人の心中はお互いの心が響き続けていた。
自由とはなんだ。喜びとはなんだ。生きているとはどういうことだ。
二人はここまでお互いの事を考えたことは無かった。
デルタが、のぶながが、どういう気持ちで日々を過ごしていたのか、胸の中で考えながら歩き続けた。
そしてサラとユキの二人の待つ山小屋にたどりついた。
「お帰り二人とも」
「あ、ああ、帰ろうか」/「悪かったな待たせて。ありがとう。ただいま。」
俺たちがサラにかけた言葉は一緒ではなかった。




