02・継承水
翌朝、水恵は鼻歌を歌いながら鏡の前に立ち、化粧水を使った。
コットンに液体を染み込ませ、顔に滑らせると、昨日と同じ甘い香りが広がった。
「この香りも良いんだよなぁ〜」
だが、そんな呑気を言ってられたのも束の間。鏡を見た瞬間、彼女は息を呑んだ。鏡に映る自分の顔が、ほんの一瞬、ぼやけて見えたのだ。水面に映る像が揺れるように、顔の輪郭が歪んだ。目をこすり、もう一度見ると、いつも通りの自分の顔が、そこにあった。「寝不足かな」と笑い飛ばしたが、心のどこかに小さな不安が芽生えた。
その夜、化粧水を手に取ると、ボトルのラベルが少し異なる気がした。「継承水」という文字が、昨日よりくっきりと浮かんでいる。ボトルを振ると、液体が奇妙に重たく揺れた。水銀みたく、ゆっくりと波打つ。水恵は「こんなに粘度あったっけ?」なんて首を傾げながら、気にする事なく化粧水を顔に塗った。肌に染み込む感触は心地よく、特別変わりがないのに安心するのだった。
「うにゅ……のどかわいた」
深夜に目が覚めた水恵は、時計の秒針の音だけが響く真っ暗な部屋を、ゆっくり歩いてキッチンへ向かおうとしたが、ふと横切った洗面所に目をやる。暗闇の中で、鏡が仄かに青白く光っているように見えて、恐る恐る近づく、鏡の前に立つが、自分の姿がない。代わりに、黒い水面のようなものが揺らめいていた。
「何…これ?」
水恵は悪い夢でも見ているのかと頬を抓ったがしっかりと痛みを感じて息を呑んだ。鏡に触れると、冷たく湿った感触が指先に伝わり、彼女は慌てて手を引いた。
揺れる波紋は継承水の様に粘土があり、ゆったりと波を打つ。水恵の眉間に不穏な色が浮かぶ、それもそのはず、波紋のその先から誰かの視線を感じるのだ。自分ではない、誰かがこちらを覗いている様な。そんな視線があった。
「きっ、きっと寝ぼけているのよ……あはは〜」
その夜は、掛け布団を頭まで被って眠るのだった。