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灰色の歯車と人間

作者: 筍カグヤ

私は灰色の歯車である。

命令通りに動く社会の(いち)パーツである。

つい先日、それを断腸の思いで飲み込んで理解した。

幼き日々、希望の光が満ち足りていた過去は、地続きの人生である筈なのに、全く違う人間の記憶を垣間見ているのかと思うほどであった。

人間失格。

言わずと知れた文豪、太宰治の著書であり、彼の代表作の一つでもある。

学生時代、その作品を読んだことがあった。

読み込みが浅いゆえ、その作品の本質を見抜くことは叶わなかった。

しかし、なんとも印象に残っている部分があった。

主人公、大庭葉蔵が道化を演じるところであった。

自らを隠すために道化を演じる。

自己を表すのではなく、作り、見せるその所業には、とめどない嫌悪感と忌避感が湧いて出た。

だが、それと同時に共感もしてしまったのだ。

本心を見抜かれ、嘲笑われるような気がした若き日の私は、当然の如く新しい私を構築して、さもそれが正真正銘の本物であり、いくら暴かれようと変わることの無い正体のように振舞っていた。

それは、自殺と同義である。

自らを押し殺して、姿形だけ同じのナニカが私として振る舞うということである。

インスタントに生きやすい外装というと、やはり意見を持たないことだろう。

周囲が右といえば右、左といえば左。

カメレオンのように、色を変えて生きていくことだろう。

やがてそれは、一個人というアイデンティティを剥奪していき、社会という一纏まりにくくられてしまう。

次第に、本心を外敵から護るための盾として作り出したものが、自らを殺し、世界にある一存在として埋没させようとする宿敵に変わり果てていることに気づいてしまった。

それが、怖かった。

故に決心した。

自らを殺して、偽りを生かすのを止めよう、と。

しかし、人生そう上手く行くものではないということだ。

いつの間にか、道は外れ、私自身を私自身が殺して、それを素材に作り上げられた灰色の歯車は、回りだしていた。

そして、それを自覚したのが、もしくは見て見ぬふりをしてきた現実を直視したのは、つい昨日の話である。

今日は土曜日、朝から元気のいい子供たちが遊んでいるのか、時々楽しそうな声が聞こえた。

だが、私は白いベッドの上で、先日上司に言われた言葉が常に脳内で反響して、思考すらままならなかった。

仕事のミスをして、上司に説教された。

それ自体は別に問題は無い。

上司は然るべき時に私を叱り、私は然るべき時に叱られた。

ただ、それだけであった。

だが、何気ない言葉が、まるで返しの付いた釣り針のように、深々と突き刺さったのだ。

「お前の代わりなんていくらでもいる」

言葉はナイフというが、私にとってそれは真剣のような斬れ味をもつ凶器であった。

その時、私は、私という自己を犠牲に作り上げられた量産型の歯車でしかないことに気づいてしまった。

気づかなければよかった。

無知は幸福、そんなことを考えてしまった。

灰色の歯車、それの絶妙な光の照り返し具合の違い程度でオリジナリティを出せていると思い続けていればよかった。

その時に感じた無気力感で、その日のことは殆ど覚えていない。

気づけば白いベッドに横たわっていた。

それは、安らかに眠る遺体に似ていた。

もう既に死に絶えた自我が、無意味に足掻こうとしているのが滑稽だった。

そのまま、意識を深く沈めて、再び目を開けた時に、カーテンの隙間から光が差し込んでいたのが見えた。

そして今に至る。

何をするでもなく、ただ惰性で寝転がり続けた。

午後の二時、一旦昼食の為に解散した子供たちが再度集まって遊ぶ声が聞こえた頃。

流石に、腹の虫の訴えを我慢することが出来なかった。

そのうちに腹の虫が、私の腹を食い破って空腹を満たすのではないかとさえ危惧したが、腹を見てみると何の変哲もない寝巻きが映っただけであった。

その事に安堵する。

それと同時に、そんな骨董無形な前提を否定することで安心感を得るほどに参ってしまっている自分に、危機感を憶えた。

作ったのは、何の変哲もないインスタントヌードルだった。

熱湯を注いで、スマホを眺めて待った。

出来上がりを知らせるタイマーが鳴ると、とぼとぼ情けない、千鳥足にも似た動きで、台所まで取りに行った。

持ち上げて、食べるためにベッドに戻ろうとして、そして落とした。

それに対してなんの感情も抱かなかった。

ただ、それを事象として受け入れ、なんの処理もせず、ぼーっと眺めていると、風の音が大きく聞こえた。

外に出ることにした。

吹き抜けていく風を想像すると、それは地獄から抜け出す蜘蛛の糸に似ていると思ったからだ。

流石に寝巻きのままで出る訳にも行かないので、適当に選んだ服を着た。

外に出て空を仰ぎ見ると、どうやら、先程までとは大きく顔色を変えていた。

というより私が、かなり長い間眺め続けていたらしい。

冬は日が落ちるのが早いとはいえ、午後四時半には既に傾き始めているというのは、なんともやる気のないことだ。

太陽はオンリーワンであるのだから、それらしくどんと空に君臨し続けていて欲しいものである。

そろそろ、子供たちもお開きの時間。

家の近場の公園を訪れると、そんな感じであった。

何気なしにベンチに座ると、蜘蛛の子を散らすように帰っていく子供たちを眺めた。

子供らはそれぞれが光り輝く、存在そのものがこの世に二つと無い宝石のようであった。

間違いなく、それらは、私のような歯車ではなく、人間であった。

しかし、いずれ光沢を帯びた三百カラットもありそうな子供たちも、くすんだ灰色の歯車へと自らを変化させるのだろう。

それは、妖怪変化じみた、非現実的な事象のようにも思えた。

そんなことを考えていると、私に対して声をかけられた。

「どうかしたんですか?」

それは、あまりにも眩しい一人の子供の声だった。

私は、その子供を見た。

自らを押し殺すことはなく、我を出すことを躊躇わず、どれだけ暴いても見える正体はそのままの姿であるのだ。

人間として存在している。

なんとも羨ましい。

ありのままで存在していられることが、この世に有り得るはずのない奇跡のように思えた。

その純白さが、私の口を動かした。

内容は、私のことである。

私の殺した私のことである。

友人と言える者はいた。

しかし、親友と呼べるような者はいなかった。

恋人と呼べる者はいた。

しかし、愛妻と呼べるような者はいなかった。

師と呼べる者はいた。

しかし、恩師と呼べるような者はいなかった。

それは全て、私のせいである。

それらは、私に対して本心を見せようとしていた。

全てをさらけ出すそれらに対して、私は私を隠し続けた。

私を殺し続けていたから、私を見ることは叶わず、故に親しき仲にはなれなかった。

友人にとって、私は、私でなくてよかったのだろう。

私と同じような者が、同じような出会いをすれば、その者と友情を育んだのだろう。

恋人にとって、私は、私でなくてよかったのだろう。

私と同じような者が、同じような出会いをすれば、その者と愛情を育んだのだろう。

師にとって、私は、私でなくてよかったのだろう。

私と同じような者が、同じような出会いをすれば、その者と信頼を育んだのだろう。

そうやって、自らが恐れた存在の埋没が、そのまんま実現しているのだ。

それが全て自業自得なのだから、笑えてくる。

心中を全て吐き出した。

気分としては告解室である。

司祭を通して神に罪を告白し、許しを乞うように、自らが殺した私のことを、この純粋に存在している子供に語り、正当性を得ようとしているのである。

ハッキリ言えば、子供では内容がよく分からないだろう。

この純粋な子供なら、悪く言えば無知である子供なら、私の言葉を咀嚼せず、無意味に肯定すると思ったからだ。

人は皆、支えられたいのだ。

間違っていようと、誤っていようと、肯定が込もった一言さえあれば、間違いを間違いでないと認識できなくなってしまうから。

だが、真実は違った。

風が、一筋、流れた。

それは、蜘蛛の糸のように見えた。

「よくわからないけど、あなたはあなたなんじゃないですか?あなただから、その友人は友人になってくれたし、あなただから、その恋人は恋人になってくれたし、あなただから、その師は師になってくれたんじゃないですか」

その言葉が、深く突き刺さった。

しかし、それは先日の真剣のごとき鋭さではなく、優しく包み込まれるような感覚。

私は私である。

紛れもない真実が、叩きつけられた。

どれだけ私を殺そうと、どれだけ偽物を表そうと、私が私であることは間違いなく、私が私を見せてしまうことは間違いないのだ。

完璧な無色透明は不可能だから、滲み出る本心が人を惹き付けたと、この子供は言った。

きっと、この子はそこまで考えていないのだろう。

しかし、純白であるが故に出る答えを、私というフィルターを通すとそんな主張に聞こえた。

あまりにも単純で、だからこそ、無駄に複雑になった私では気づくことの出来ない答え。

それが、ここにあったのだ。

私は、少年を真っ直ぐに見据えた。


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