09
訓練所にいた明日葉は、ふと目を細めると、どこかに振り返っては、また視線を戻した。
「……なんか、噂されてる気がする」
「なんか壊したからだろ」
「まだ壊してないですーーっ!!」
「そりゃすごいじゃない。あと一日がんばりなさいね」
軽く流す備前に、明日葉は頬を膨らませるが、渡された筒状のそれに、首を傾げる。
「小型酸素ボンベ。緊急用で30分しか保たないから、使ったら、すぐに決着をつけるか、逃げるか」
酸素ボンベは、本当に筒状で、先程確認したガスマスクとは異なり、引っ掛ける場所も見つからない。
「この小さな小窓を開けて、そう。そこを開けて、その部分を噛む。そしたら、空気が出てくる」
筒状の一部分が開くようになっており、そこに咥えるための場所があった。
試しに咥えてみれば、軽く嚙んだ時だけ、空気が出てくる。
「お、簡単」
装備の説明と言われた時は、難しいことを覚えないといけないかと思ったが、先程のガスマスクも被るだけだったし、刀も出発前に近江が調整してくれてる。
覚えることはほとんどないし、これなら直感的にも使える。
「世々継君に感謝しなさいよ? その刀にも、色々仕込んでるって言ってたよ?」
「…………」
刀で切るより、素手で殴った方が早いし、殺傷能力は高い。
それが事実であることは、近江も理解しているが、それでも、明日葉の使っている一点物の二振の刀には、近江の培ってきた技術が詰め込まれていた。
その説明はしたことがあるし、試しに使ったこともある。数日後には、すっかり存在を忘れていたが。
故に、今回の道具は、全て明日葉用に、単純な構造となっているものが多い。
ここ数年で、近江も明日葉用のチューニングには、慣れたものだ。
「よし。それじゃあ、全部の装備をつけた状態で、軽く打ち合いしようか」
服も手袋も靴も、耐熱素材で、いつもよりも重く、動きにくい。
その上、ガスマスクもつけて、視界も悪くなる。
周囲の環境も味方につけてくるヴォルグレームスの相手だ。少しでも、慣れておいた方がいい。
問題なく装備をつけていく明日葉に、備前も装備をつけ、訓練用の木刀を手に取るのだった。
*****
その頃、カーフは、町にいた。
ヴォルグレームスの再生確認されると、緊急時に自力での避難が難しい人たちは、先にダンジョンの外にある町に避難させているという。
すでに、残っているのは、何かあれば、すぐに走って逃げることのできる人たちだけ。
それでも、戦闘が始まれば、被害がどこまで広がるかわからないため、明日の朝までに、ここにいる住人は全員避難するように命令されている。
「あら、カーフもこっちの手伝いに来てくれたの?」
「うん。まだ避難してない人たちに、連絡して回るんだよね?」
ここ数日、ゆかりを含めた複数人で案内をしているのだが、今日まで、ほとんどの住人が避難していなかった。
「一時的とはいえ、住み慣れた場所を離れてもらうんだし、仕方ないとは思うんだけどね……今日の夜には、避難してもらわないといけないから……」
困ったように頬に手をやるゆかりを見て、カーフは、まだ詳しくは聞いていない作戦について尋ねた。
「現状、ヴォルグレームスの核は、ダンジョンの階層の間に、他のゴーレムの囲まれる形になっているの」
階層の間に核が収まってしまっているため、ただでさえ、ダンジョン解体用の機材が無ければ、そこまで辿り着けないのに加え、周りが複数のゴーレムに囲まれている。
ダンジョン解体用の機材は、モンスターとの戦闘は想定されていない。
そのため、単純な掘削作業というわけにもいかない。
「だから、作戦は結構単純でね。明日葉が、2階層の床をヴォルグレームスの核ごと破壊。その時に、核を破壊できれば、一番いいわ。もしできなくても、3階層で戦いになる」
普通なら、ありえないと鼻で笑われるような作戦だ。
だが、カーフも目の前で見たことがある。
「だけど、相手はゴーレム。逃げる選択を取られたら、壁や地面に潜って、別の階層に逃げる可能性もある。だから、みんなには、戦いが始まる前に、避難をお願いしてるの」
「そっか。うん。わかった。ボクも手伝うよ」
「お願い。さすがに、毎日言ってるし、覚えてるとは思うから」
そう言われ、ゆかりと一緒に回るが、確かに、皆、一様に楽観的だった。
「よぉ。明日葉んとこの」
「あ、イノブチ」
もう知っていたのかとゆかりに聞かれれば、カーフも猪渕も頷いた。
「いつものか?」
「いつもと思うなら、避難してくださいよ……」
「ちゃんと夕方には避難するからよ。ほれ、ちゃんと店先に、荷物もまとめてるし」
口裏でも合わせているのではないかと思うほどの同じような返しに、ゆかりも小さくため息をつくしかなかった。
「ちゃんと避難してくださいね」
「わかってるって。ほら、商品だって、今日はあんまり並べてないだろ? 奥には在庫あるから、なんか買ってくなら、包んでくるぞ」
「今、仕事中です……」
「ツケでもいいぞ」
そういうことではないと、ゆかりが頬に手をやれば、走ってくる制服を着た隊員。
どうやら、ゆかりに用があるらしく、少し離れたところで、ゆかりと話をしている。
「大変だなぁ。お前らも」
「そう思うなら、避難してよ……」
「そういうなって。俺らがいなくなったら、食材や物資を運び込むのだって、全部やることになるんだぞ」
「あれって、イノブチたちがやってたの?」
今朝、積み上がっていた食材や医療物資の山。
軍が届けている物もあるが、日用品に関しては、ここで店を開いている人たちが、仲介してくれているものも多い。
「んーー……だとしても、やっぱり、みんなは避難した方がいいよ。危ないんだし。みんなが怪我した方が、イヤだよ」
人手という意味では、確かに助かっている部分はある。
だが、そのせいで、ここにいる人たちが、傷ついてはいけない。
そのために、ゆかりも他の隊員も、毎日のように誘導しているのだ。
「イヤ、か。そう言うんだったら、俺たちだってイヤだよ。また、全部お前たちに任せちまうんだからな」
比較的安全とはいえ、ダンジョンに程近い場所に、既に町があるのだから、わざわざ移動してくる必要はほとんどない。
それでも、ここに店を構えている人たちというのは、なにかしら、ゆかりたちに恩がある人たちばかりだ。
だからこそ、自分たちにできることを、ギリギリまで手伝いたい。
そう思っている人がほとんどであった。
「それに、ちょっとした罪悪感もあってな」
ゆかりが拾ってきた人とは思えない姿をした明日葉に、今と変わらず接することができたのは、ゆかりくらいだ。
ほとんどが、その姿に、畏怖し、距離を取った。
「見た目が人になってもだ。赤ん坊みたいな癇癪を起すくせに、とんでもねェ力で暴れて……そんじょそこらにいるモンスターよりも、バケモノだったよ」
ゆかりや備前への恩と信頼。
ただそれだけで、自分に関わらないならばと、明日葉がそこにいることを、容認していた。
「でもよぉ……うちのメンチカツ食って、うまそうな顔すんのよ。そしたら、愛着っつーのかな? そういうの湧いてさ……」
そうしたら、今までの自分の行動が、ひどく惨めで、バカらしくて、自分の心に刃物を突き立てられた気分になった。
「ここにいたって変わらねェってわかってるんだけどな!」
取り繕うように、笑い飛ばす猪渕に、カーフは柔らかく微笑むが、ひどくいい音が猪渕の後頭部から響く。
「ない頭で、理屈こねてんじゃないよ! 要は、アンタらが好きで、心配だから、できるだけ傍にいたいってことだろ!」
「おま、お前な!? 情緒ってもんがないのか!?」
「今朝、犬にやったよ。それより、明日葉のところの子だね? 好きな食べ物はあるかい? 戦いが終わったら、たっくさん食べられるように用意しておくからさ」
「ボ、ボクの? アスハと同じでいいよ」
「欲がないねぇ。肉じゃなくても、構わないよ?」
そう言われても、味はほとんどわからないし、好きな物だって思いつかない。
だけど、ふと脳裏に過ったのは、涼介たちと食べた飴だった。
「飴、かな……みんなと食べて、楽しかった……かな?」
いまいちハッキリとしないカーフの言葉に、猪渕の夫婦は顔を見合わせると、笑って頷き合った。
「よしよし。それなら、戦いが終わったら、打ち上げパーティーだな」
「みんな、喜んで参加するだろうね」
「え、えぇ……?」
困惑するカーフに、ゆかりも戻ってくると、打ち上げパーティーの事を聞いては、少し思案すると頷いた。
「よかったの……? 約束しちゃって……」
「大丈夫よ。今回は、それなりの規模の避難だから、炊き出しは必須だし、それが少ぉ~~し豪華になるだけだもの」
猪渕たちと別れてから、カーフが聞けば、ゆかりはいたずら気な表情で返した。
「それより、監視班から連絡があってね……少し戻らないといけないから、カーフ、ひとりで回れる?」
「それ、大丈夫なの?」
監視班というのは、ヴォルグレームスの再生状況を確認している隊員たちだ。
その班から連絡があったということは、ヴォルグレームスに動きがあったということだろう。
「今は、いつ復活してもおかしくない状態だからね。少しでも変化があったら、連絡が来るようになってるの。さっきの連絡も、本体が現れたわけじゃなかったから、大丈夫よ」
なにより、2階層に降りるための階段の近くには、明日葉と備前がいるはず。
何かあれば、一番に動ける場所にいる。
「それに、何かあるなら、なおさら、避難誘導を急がないといけないんだし。だから、この仕事は、重要なことよ。カーフ。できる?」
「うん。任せてよ」
その辺時に満足した様子で、足早に戻るゆかりと別れてから、数分。
ダンジョンが大きく揺れ出した。




