08
長谷川の悲鳴に、すぐさま近江と炎歌が、廊下に出た。
そこには、座り込んでいる長谷川と、トイレから出てきた、もうひとりのニヒルに笑う長谷川。
「ちょちょちょちょっまっ……!」
座り込んだ長谷川が、情けなく腕を振る。
その頭上を掠める足は、容赦なく、ニヒルに笑う長谷川を蹴った。
駆け付けた炎歌に蹴られた長谷川は、慌てたように踵を返すと、近江たちが駆け付ける方向とは逆方向へ、逃げ出した。
「何があった!?」
「か、鏡から俺が出てきた……!」
「……インサイドミラーか!」
「最悪ね!」
”インサイドミラー”の名前が出た途端、炎歌はめんどくさそうに眉を潜めると、逃げた偽の長谷川を追いかける。
「明日葉! って、通信切れてる!?」
ダンジョンを攻略する時のように、常に通信を繋げている義務はないが、先程の一件以来、通信は繋げたままだったはずだ。
だが、いつからか、切られていたらしい。
再度、明日葉との通信を繋げようとするが、反応がない。
「ふたり共、大丈夫?」
「偽モンスターは、インサイドミラーだ。一応、殺傷能力は低い」
少し遅れて、カーフと尾幌がやってくれば、長谷川が縋るように、カーフへ抱き着く。
「ただ、厄介だ。アイツらは、姿が映り込むものがあれば、そこに潜んで、写り込んだ動物の姿で、実体化して移動する」
場所を移動するために、姿を借りるだけで、故意に、人へ危害を加えるタイプのモンスターではない。
ただし、一部、問題視されていることがある。
「実体化した時に、違和感を持たれないように、見たものを真似るんだ。どのタイミングから、ワンダラースケアロウと一緒にいるかわからねェが、少なくとも、この村で見たものを真似るとしたら、随分と攻撃的なタイプになってるだろうよ」
少なくとも、この屋敷で起きた惨状やワンダラースケアロウによって、錯乱させられた人々を見て、学んだはずだ。
人は、人へ危害を加えることが、当たり前であると。
「今、姐さんが追いかけてる。俺らは、インサイドミラーが逃げ込める、鏡やガラス、金属を破壊する。不可能なものは、隠す。わかったか?」
「わ、わかった!」
「尾幌さん、悪いが、手伝ってくれ」
「は、はい」
各部屋に置いてある物など、今から調べては、時間が掛かる。なにより、見落としが出る。
ここは、屋敷について詳しい、尾幌の協力を仰いだ方が早い。
「あの、壊すというのは、どの程度のものを……」
「インサイドミラーが実体化するには、写し取った物体のサイズでしか出てこられない。だから、少なくとも、人間が這い出てこれないサイズ以下にする」
「わかりました」
人が這って出てこられる以上の大きなものになれば、ある程度、数は限られてくる。
鏡や窓、大きな水面を持つ風呂など、とにかく、尾幌の案内で、部屋に置いてある、体が写る大きなものを破壊していく。
「アスハは……? 外にいたはずだよね?」
近江たちが、破壊できない金属製の鉄板などを、吸収していたカーフが、心配そうに周囲を見渡す。
明日葉は、ワンダラースケアロウを探して、ひとりで屋敷内を探していたはずだ。
これだけ、騒いでいれば、すぐに駆け付けそうなものだが、未だに姿を現さない。
カーフの問いかけに、近江も携帯へ目をやり、少し眉を潜めた。
「この屋敷の裏山にいる。詳しくはわからねェ」
「それって、ワンダラースケアロウのところに、ひとりで行ったってこと!?」
「連絡がつかねェから、詳細はわからねェ。ただ、明日葉なら問題ない。とにかく、今はこっちをさっさと片付ける! いいな?」
今にも、明日葉の方へ行くと言い出しかねないカーフを先に止めれば、カーフは少し迷っていた様子だったが、すぐに頷いた。
その頃、インサイドミラーを追いかけていた炎歌は、悪態をついていた。
「あぁ……もう……! 長谷川さんが、ニヤつきながら、走り回ってるのって、それだけで腹立たしいわね……!」
「それ、俺の事バカにしてる……?」
「よく理解できましたね。貴方なんて、13連勤の三徹後でも、対処できる程度のノミ虫でしょ」
「俺じゃなくて、本人への罵倒ってことにしようかな……?」
実際、炎歌も普段ならば、インサイドミラーに遅れは取らないが、今日は、ワンダラースケアロウによって、錯乱した村人を治療していた。
そのせいで、魔力や気力、体力が大きく削られていた。
しかし、それでも、インサイドミラーが、もし、鏡などに逃げ込めば、すぐにその潜り込んだ物体を破壊することくらいはできる。
「貴方こそ、さっさとお家に逃げたら?」
「おっかない人を撒いたらなぁ」
インサイドミラーは笑いながら、視界に写った、割れた窓ガラスに足を止める。
「マジか……」
乱雑に割られた窓ガラスに、振り返れば、窓ガラスは、全て割られているらしい。
それだけではない。鏡もだ。
「…………」
この姿は、鏡などに潜り込んでいる時とは違い、実体を持っている。
殴られれば死ぬ。
うまく鏡にさえ逃げ込めれば、割られたところで、小さな欠片からでも出ることができる、小さい生き物に姿を借りればいい。
「ようやく、追いつきましたわね」
「ま、待て待て。お前ら、こいつと知り合いなんだろ? 仲間なんだろ? まさか、殴るわけないよな?」
慌てたように否定するインサイドミラーに、炎歌は嬉しそうに微笑む。
「その顔を殴れれば、きっと、すごくスッキリするでしょうから、その点だけは感謝しています」
追っていた時の迫力のある表情ではなく、余裕のある笑みに、インサイドミラーは、小さく悲鳴を上げた。
ここは危険だと、割れた窓から、屋敷の外へ逃げようとするインサイドミラーを阻むように、伸びてくる腕。
インサイドミラーも、その大きな手に、反射的に身を捩じらせれば、その腕から生えてくる棒状のなにか。
「は!?」
迫ってくる棒状のなにかに、インサイドミラーが、踵を返せば、そこにも同じように棒状のなにかを伸ばす腕。
「ナイス! カーフ!」
即席で作った牢屋へインサイドミラーを閉じ込めたカーフに、近江も声を上げれば、炎歌も疲れたように息を吐き出した。
「叩き潰してもよかったのに……」
「見た目、長谷川さんなのに……」
「そうだぞ! そういう優しさ! この部隊に足りてない!」
容赦なく、追撃していた炎歌に、本物の長谷川がついツッコミを入れてしまうが、炎歌はどこ吹く風だ。
「これで、インサイドミラーは確保できた。あとは、ワンダラースケアロウの方だな」
そちらは、おそらく明日葉が追っているはずだと、携帯を取り出すが、明日葉の位置は大きく動いていない。
電話に出るとは思えないが、ひとまず電話を掛けた時だ。
「あ! モンスターが!」
尾幌の慌てる声に目をやれば、インサイドミラーが、カーフが作った金属の牢のひとつに、入り込もうとしていた。
細い棒ではあるが、姿さえ写れば中に入れるらしく、インサイドミラーは、数秒もしない内に、ニヒルな笑みだけを残し、牢の鏡面の中に消えていく。
「何か布を――」
被せろと叫ぼうとする近江は、目の前で起きている違和感を認識しながら、理解するまでに、言いかけた言葉が漏れ出していく。
「被せて……」
尻すぼみになる近江の目の前で、近江の目の前で、どんどん短くなっていく金属の棒。
インサイドミラーが逃げ込んだ時のようなスムーズさで、カーフの腕の中に、再び吸収されていく金属の棒は、数秒でカーフの体に消えていった。
「…………」
「よしっ」
「お、おぉ……」
「それで、アスハはどこ?」
あまりにあっさりとした幕引きに、カーフ以外が唖然としている中、カーフだけは、ここにいない明日葉のことを気にしていた。
そして、カーフの疑問に答えるように、屋敷の裏山の中腹から、大きな音と振動が響いた。




