名もなき星の殺人
犯罪多発都市ロサンゼルスでは奇妙な事件が毎週のように発生する。
しかしロス市警のベテラン警部であるジェイソンといえども今回のようなケースに遭遇するのは初めてだった。
路上に倒れる血まみれの射殺死体。
滞在していたホテルの一室から見つかったパスポートによれば被害者は日本人の日村忠68歳。
所持品からは財布が抜き取られていた。
これだけならロスの日常的な強盗殺人に思える。
だが被害者の部屋にはパスポートの他にもう1つ厄介な代物が残されていたのだ。
「もしも俺が殺されたならば、どうか無念を晴らしてくれ。俺こそが本物のスターだ」
メッセージはご丁寧に日本語と英語の両方で書かれていた。
前半部分は理解できる。自らが襲われることを予期して用意したダイイングメッセージ。
問題は後半部分だ。日村忠という老人はアメリカはもちろん日本においてもスターなどではない一般人だったのだ。
「それは不思議ねぇ」
夕食の席でジェイソンのワイフであるメアリーはのんびりと相槌を打った。
捜査中の事件のことを家族に話すのは違反行為なのだが刑事ドラマを見て警官になることを志したジェイソンは
フィクションの定番である「事件について妻と話す」という行為を日常的に行っていた。
堅物の同僚サイラスなどからは「警官がルールを守らんのだから犯罪がなくならない訳だ」と嫌味を言われたりもするが
そんなサイラスもが憧れた大学のマドンナであったメアリーは優れた直感力の持ち主で
これまでに夫が遭遇した様々な難事件の解決にも陰ながら貢献していた。
「だろう?日村忠なんて日本人の名前はこれまで聞いたこともないよ」
「そういう名前のメジャーリーガーはいなかったと思うわねぇ」
ベースボールファンのメアリーは首をかしげる。
「可能性があるとすれば役者の方だ。日村は20代の一時期アメリカで俳優になろうとしていたそうだ。
だが成功することなく数年でこの国を去っている。とてもスターとは呼べないな」
「そうねぇ。でもジェイソン、念のために日村さんの過去の出演作は調べてみた方がいいんじゃないかしら」
「本気かいメアリー?」
「昔アメリカで俳優を目指していた人が映画の聖地ハリウッドがあるロサンゼルスで亡くなったんですもの。
実際にスターだったかどうかは別にして事件とは何か関係があると思うの」
ジェイソンはそうは思わなかったが素直に助言を受け入れることにした。
データベース化されてるかも怪しい大昔の出演作リスト作りに骨を折るのは自分ではなく部下だからだ。
「そうか、メアリーさんは役者であったことが関係していると考えているのか」
「どう思うサイラス」
「被害者がアメリカに来た理由は役者を目指していた過去が関係しているかもしれない。
その頃の知り合いが成功してハリウッドで仕事しているので顔を見に来たとかな。
だが殺人事件とは無関係だろう。40年以上も昔の話だぞ」
「つまり単なる強盗殺人だと」
「あるいはヘイトクライム。ここ最近アジア系を襲う人種差別主義者の発砲事件が増えている」
「暴動が起きないことを願うよ。市民が暴徒化すれば殺人事件の捜査どころじゃなくなる」
幸いなことに今月だけで5人のアジア人が射殺されたにも関わらず暴動は起きなかったが捜査も行き詰まっていた。
防犯カメラに容疑者らしい人物の姿はなく発砲音を聞いたという住人もいなかった。
当初はサイラスと同じく強盗、もしくはヘイトクライム説に傾いていたジェイソンだったが
この結果からより計画的な殺人の可能性を考えるようになった。
現代のロサンゼルスにはいたるところにカメラが設置されている。
突発的な衝動殺人を起こした犯人が幸運にもそれらに1つも映らずに逃走出来る可能性はいったいどれくらいだ?
だが計画殺人だったとしても容疑者の姿は浮かんでこない。
40年ぶりにアメリカを訪れた日本人旅行者を殺害しなければいけない理由とは何だ?
「ねぇジェイソン、事件の全容が分かったかもしれないわ」
メアリーはハムサンドの皿を差し出しながら夫にそう告げた。
毎度のことながら女神の神託はいつも唐突だ。
コーヒーを吹きかけたジェイソンは口元を拭いながら妻に聞き返す。
「本当かいメアリー?犯人が分かったのか」
「完全には絞りきれてないわ、でも私の推理が正しければ後は警察の捜査で誰が日村さんを殺したのかは分かると思うわ」
「聞かせてくれ」
「その前に私も聞いていいかしら。警察の人は日村さんが出演した作品を見た?」
「え?いや、どうだろうな。俺が命じたのは出演作のリスト作成までだから」
「そう、見てないのね」
「君は見たのかメアリー?」
「全部ではないけれどね。ネット配信もなくDVDにもなってない作品も多いし。
でもそうした作品は除外してもいいのよ」
「どういうことだい?」
「私はね、まず被害者である日村さんの残したメッセージに嘘はないと仮定して問題を考え始めたの。
俺こそが本物のスターというのも事実。となればスターを名乗るのに相応しい出演作品があるはずよね」
「あったのか?」
「えぇ、スパイ&アシスタント。ジェイソンも見たことがあるんじゃないかしら」
「あぁ、それならば昔テレビで放送されたのを見たよ」
スパイ&アシスタントは冷戦時代を舞台にしたアクションコメディでアカデミー賞も受賞した名作映画だ。
主人公は失業中の青年である日のことCIAからスカウトされスパイの任務を支援する助手となる。
相棒であるスパイはサイラスのような生真面目な堅物で慎重にミッションを成功させようとするのだが
ドジな主人公の失敗のせいで毎回段取りを滅茶苦茶にされてしまい激怒するも
結果的にそのドジがスパイの命を救い、悪役であるソ連軍の将校の信頼を得るのに役立つのでクビにも出来ない。
そのうちに二人は熱い友情で結ばれることになり最後は爆発するソ連のミサイル基地から脱出。
司令部からミッションは成功したと通信が入り物語は幕を閉じる。
「あの映画に被害者が出演していたのか?まったく覚えていないな」
「そうでしょうね。一見すると日村さんの役は単なるエキストラに過ぎないから」
「一見すると?」
「えぇ。結論から言ってしまうとあのスパイ&アシスタントの本当の主役は日村さんなのよ」
そんな馬鹿な。
「信じられないって顔ね。私も驚いたわ。でもこれは本当のことなのよ。
日村忠がこの映画の主役であると認識した上で映画を見るとそこには全く別の物語が隠れているのが分かるようになっているの」
そう言ってメアリーはDVDを再生し始める。
半信半疑で画面を見つめていたジェイソンだったが30分もするとメアリーの言葉が正しいことが分かる。
よく見ると日村が演じる名もなきキャラクターは冒頭から背景に登場しており
さり気ない仕草で写真を受け取ったり通行人のバックから荷物を抜き取っていた。
クライマックスであるソ連軍の基地のシーンでも注意深く観察すると敵方の制服を着て混じっているのに気がつく。
ジェイソンは巻き戻して今度は主要人物の台詞に注意してみる。
「誰も主役の二人がスパイとアシスタントだとは言っていない!?」
「そう、最後のシーンでもミッションは成功したと告げているだけで二人が成功させたとは言ってないのよ」
「これは一体どういうことなんだいメアリー」
「元々この映画は予想外のどんでん返しを売り物にする予定で作られたと思うの。
一見するとスパイとアシスタントのバディストーリー。
だけど実は二人とも敵の目を撹乱させるためのアシスタントで本当のスパイは別にいた。それが日村さん。
監督は上映後に目敏い観客が気がつけばよし。
誰も気が付かなければ上映からしばらくしたタイミングで種明かしをするつもりだったと思う。
けれどここで2つの誤算が発生したの。1つは種明かしの前に映画は成功しすぎてアカデミー賞にノミネートされてしまった」
「それが誤算?仕掛けを明かしたところで評価は上がることはあっても下がることはないだろう」
「スパイ&アシスタントは主演男優賞、助演男優賞の両方にノミネートされたのよ。
けれど本当の主役が別にいるとなったら受賞は難しくなるわね」
「そんな……どうして日村は抗議しなかったんだ!?この映画の日村の演技は天才的だよ。
普通に見る分にはモブとして埋没しながら注目して見ればしっかりと存在感をアピールする。
自分が主演男優賞をとることだって夢じゃなかったはずだ」
「それが2つ目の誤算。この映画が放映された当時はね、日米貿易摩擦によるジャパンバッシングの全盛期なのよ。
私達が生まれる前の話だけど記録映像なんかで日本車が燃やされる様子は見たことがあるでしょう?
そんなタイミングで大ヒットした映画の主役が本当は日本人だなんてことになれば
激怒したアメリカ人が日本人と日系人にどんな暴力を振るうか分からない。
日村さんはそれを危惧して自ら身を引いたんじゃないかしら」
「……それが真実だとすれば犯人はスパイ&アシスタントの関係者?」
「たぶんね。監督は1年前にリブート版のテレビドラマを制作してるけど
日村さんが演じた影でアメリカを支えるアジア人スパイの要素はカットされてるし悪役は欧米侵略を企む日中韓連合。
主役の二人は近年のヘイトクイラムに対してアジア人蔑視の差別的発言をして炎上しているわ。
このタイミングで日村さんが何らかの告発をすれば相当なダメージを受けたでしょうね」
「……ありがとうメアリー。何とか捜査の目星がついたよ」
「大丈夫ジェイソン?」
「正直少し落ち込んでいるよ。自分の間抜けさ加減にね。
もしも君がいなければ俺は日村を自分がスターだと思い込んだ誇大妄想狂の哀れな老人として処理していたに違いない。
彼は本物のスターだった。ハリウッドには光輝く星たちのきらめきで溢れている。
けれど日村のように他の星のために自らの輝きを消せる男なんてどこにもいない。
そんな男を犯人は殺したんだ。人気のない路地裏で虫のように」
ジェイソンはコートを羽織った。
連日の勤務で体は疲れ切っていたが闘志は尽きることなく湧いてきた。
「犯人を捕まえてくるよ。アメリカの正義の代行者として」
ロスの街は今日も差別と偏見で溢れている。
けれどそれに対抗する力もまた存在しているのだ。俺は警官として、一人のアメリカ人としてそれを証明しなければならない。
ジェイソンは力強く扉を開き街へと駆け出した。