呪いのリクエスト週末のレクイエム
「それでは次の曲はN市在住の大谷勇作さんからのリクエスト、週末のレクイエムです」
とある金曜日の夜、俺田中と後輩の石田はラジオから流れてきたパーソナリティーの声に仕事の手を止めて耳を傾ける。
まず最初に口を開いたのは俺だ。
「おい、大谷の奴仕事サボって曲のリクエストなんかしてやがるぞ」
「まったく何考えてるんですかね。繁忙期だってのにあいつが休んだせいで僕達はこの有様だというのに」
そうぼやく石田の机の上には今週中にサーバにデータを入力しなければいけない資料の山が積まれている。
俺が所属しているこの部署は俺と二人の後輩の合計三人で回している。
その為一人休んだだけでもその皺寄せは大きく、今日は夜遅くまでこうして残業をしているという訳だ。
俺の机の上も石田と似た様なものなので二人で顔を見合わせて苦笑をした後でパソコンのモニターに視線を戻してカタカタとキーボードを叩く作業戻る。
「まあ同姓同名の別人かもしれんけどな。それにしても最近この曲良く聞くが誰の曲だ?」
「さあ? 僕も気になって検索したんですけど全然アーティストの名前がヒットしないんですよね」
「そっか」
この【週末のレイクイエム】がラジオから流れてくるようになったのはここ一ヶ月程の間からだろうか。
FM-NNNという地元のローカル局で週末のみリクエストを受け付けているこの曲は古今東西様々な地域、宗教で歌われてきた讃美歌や鎮魂歌をモチーフにして作られたと思われる異色な作品で、隠れた名曲としてSNSを中心にじわじわと話題が広がっている。
しかし現在に至るまでアーティストの情報は公開されておらず謎の曲として様々な憶測が出回っている。
恐らくはラジオ局が話題作りの為に仕掛けたものだというのが真相だろうが、これだけ情報が出回らないのは明らかに不自然だ。
そんな事を考えながらキーボードを叩いていると曲の出だしから丁度三分ほど経ったところで石田がぷっと吹き出して言った。
「ほら、このお経を唱えてるようなフレーズ、いつ聞いても笑っちゃいますよね」
石田の意見は全く同感だ。
俺も軽く笑みを浮かべながら賛同の意を示す。
「分かる。でも通しで最後まで聞くと何かやる気が湧いてくると言うか、元気になれる曲なんだよな」
「本当に不思議な曲ですね」
「さあもうひと頑張りだ。終電までには終わらせるぞ」
曲が終わると同時に俺と田中は気合を入れ直して仕事に集中する。
その甲斐もあって日付が変わる前には全てのデータの入力を終わらせる事ができた。
職場を出た俺たちは談笑をしながら駅へと歩く。
帰り道にいつも話題を提供してくれるのはお喋りが大好きな石田の方だ。
「そういえば先輩、こんな噂聞いた事あります? 実は週末のレクイエムを作曲したのはこの世の人間じゃないらしいですよ」
「なんだそりゃ」
石田は胸の前に出した両手の指の先をだらりと下げ、幽霊のポーズを取りながら続けた。
「実はあれはとある事件で悲劇的な最期を迎えた犠牲者の怨念によって作られた呪いの曲で、リクエストした人は皆不審な死を遂げてるらしいですよ。きっと怨霊が仲間を欲しがってるんですね」
「おいおい、オカルトサイトの見過ぎじゃないのか石田」
「最近SNSではこの噂でもちきりなんですよ。きっと大谷の奴も今頃……って冗談ですよ先輩、そんな怖い顔をしないで下さい」
「さすがに笑えないぞその冗談は」
「あはは、でもちょっと背筋が冷たくなったでしょう? 最近暑いですからね」
石田は悪びれる様子もなく無邪気な笑顔を見せている。
石田本人もどう見てもそんな噂話を信じている様子は全くなく、猛暑続きでバテ気味の俺に対して少しでも涼んで貰おうとの思いやりのつもりなのだろう。
「ねえ今度先輩のマンションに遊びにいっても良いですか? 確かマンションの二十五階でしたよね。それだけ高いと夏でも涼しいんだろうな」
「いや、そうでもないぞ。それに今エレベーターの改修工事中で階段を上るのが大変なんだ」
「ええ……じゃあやっぱりいいです」
「こいつ……ははは、でもまあそうだよな」
その後も俺たちは他愛もない雑談をしながら駅のホームで別れてそれぞれの自宅方面に向かう電車に乗った。
◇◇◇◇
週明けの月曜日、俺が職場にやってきた時には社内は騒然となっていた。
出社した俺に気付いた石田が思いつめたような表情で駆け寄る。
「先輩……大谷さんが自宅で首を吊ってたとかで……」
「ああ、今朝俺にも連絡があったよ」
「噂は本当だったんだ。週末のレクイエムをリクエストなんかしたから……」
「馬鹿な事を言うな、あいつ最近過労でかなり疲れきった顔をしていたからな。きっと精神的に参っていたんだろう」
「僕この前あいつに例の噂の話をしたんです。あいつは笑って聞き流していましたけどね。きっと丁度いい話のネタになる程度の軽い気持ちであの曲をリクエストをしちゃったんだ……そうだ、僕のせいであいつは……」
「もうやめろ、呪いなんてある訳ないだろう。お前のせいなんかじゃない」
俺は錯乱する石田を落ちつかせようと手を尽くしたが彼の耳にはまるで届かず、早退をさせて自宅で休養するよう説得するのが精いっぱいだった。
そして石田と入れ違いになるように警察の人間がやってきて俺は同じ部署の先輩として色々と事情を聞かれた。
しばらくは仕事どころではなかったが、事件性は認められないという事で週末がやってくる頃には社内は通常営業に戻っていた。
ただひとつ先週までと違うのは余程ショックを受けたのか石田が会社に来なくなってしまった事だ。
部署の人間が一度に二人も減った事で俺の仕事は三倍に膨れ上がってしまった。
しかし事情が事情なので石田に文句を言う事はできない。
仕方がなく代わりの人間が部署に配置されるのを待ちながら俺はひとり黙々と業務をこなしていた。
そして今週も週末がやってきた。
今夜も残業だ。
「はぁ……」
口から洩れるのは溜息ばかり。
話し相手がいないだけで普段何気なくこなしている作業もこんなに辛くなるものなのか。
そうだ、人の声が聞きたい。
俺は気を紛らわせる為にあれから切ったままだったラジオのスイッチに手を伸ばした。
「ガー……それでは次の曲です」
ラジオからお馴染みのパーソナリティーの声が聞こえる。
「N市在住石田義正さんからのリクエスト、週末のレクイエムです」
「はあ!?」
俺は自分の耳を疑った。
石田義正……間違いない、俺の後輩の石田のフルネームだ。
拭いようのない不吉な予感がした俺は反射的に石田の携帯に電話を掛けていた。
「出ろ、頼む出てくれ……」
しかし俺の祈るような気持ちをあざ笑うかのように聞こてくるのはトゥルルルルという呼び出し音だけ。
最早仕事どころではない。
俺は職場から飛び出してタクシーを呼びとめ、石田の住んでいるアパートへ向かった。
◇◇◇◇
翌週、職場は石田がアパートの一室で包丁で首の動脈を切って自死したという話題で持ちきりだったそうだ。
遺体の第一発見者であり通報者である俺は重要参考人として刑事さんたちに事細かに事情聴取を受けた。
その時に以前石田から聞いた噂話を刑事たちに伝えたが当然まともに相手にはされなかった。
冷静に考えればそんな非現実な話を信じて貰えるはずがないのにあの時は我ながら酷く混乱していたようだ。
そしてあの夜乗ったタクシーの記録から石田の死亡推定日時には俺は職場にいたというアリバイが成立したので直ぐに容疑は晴れた。
しかしあの惨状を目の当たりにした時から俺の精神は明らかに異常をきたしている。
仕事にも行けずに自宅に引き籠って自問自答を繰り返す日々。
石田はどうしてあの曲をリクエストをしたのか。
噂の真相を確かめる為だったのか。
自責の念に苛まれた結果自分も大谷の後を追って呪い殺されようとでも考えたのだろうか。
しかしまさか本当に呪いによって殺されたとは信じられない。
きっと呪いとは関係なく自らの意思で命を断ったのだろう。
だとしたら俺がもっと早く石田の心をケアしていれば助けられたんじゃないのか。
俺は布団に包まりながら何度も同じ問いを繰り返した。
そしてまた週末がやってくる。
俺はこの一週間ずっと自室に引き籠っていた。
済んでしまった事をいつまでも引きずっていてはいけない。
いい加減立ち直らなければ。
俺は自分の頬を両手でパンと叩いて気合を入れる。
考えたらこの一週間誰とも会話をしていない。
無償に誰かの声が聞きたくなった俺は徐にラジオのスイッチを入れた。
「ガー……それではN市在住田中重雄さんからのリクエスト、週末のレクイエムです」
「はあ!?」
突然ラジオから流れてきたパーソナリティーの声に俺は息を飲んだ。
田中重雄は俺の名前だ。
勿論ラジオにリクエストなどした覚えはない。
「誰だよ勝手に人の名前でリクエストなんかしやがって」
俺は今でも呪いなど信じてはいないがこんな時に胸糞が悪い悪戯だ。
俺は苛立ちながらラジオを切ろうとスイッチに手を伸ばした。
いや、伸ばしたつもりだった。
「あ、あれ……?」
まるで金縛りにでもあったかのように身体の自由が効かない。
いや動かないだけならまだ良かった。
次の瞬間俺の両足が自分の意思とは無関係にベランダへ続く窓に向かって歩みを進めた。
「お、おい……どうなってるんだ……まさか……」
俺の手が勝手に窓を開けて更に足を進める。
「う……嘘だろ……」
そしてその右足がゆっくりとベランダの柵を乗り越えた。
「違う、俺がリクエストをしたんじゃない……誰かが俺の名前を騙って……ああああーっ!」
次の瞬間俺の身体は地上へと落ちていった。
人は死の瞬間時間がゆっくり流れるように感じられるという。
俺は自分の身体が地面に叩きつけられるまでの永遠とも感じられる僅かな時の間に思考を巡らせる。
きっと石田が言っていた噂は正しかったのだろう。
週末のリクエストは呪われた歌だ。
ただひとつだけ違っていたのは死ぬのはリクエストをした本人ではなく、死ぬ人間の名前がリクエストした人物の名前として紹介されていたという事だ。
死にゆく者に捧げられるのがレクイエムなのだから。
俺の意識はそこで途絶えた。
「ラジオをお聞きの皆さんお待たせ致しました。次の曲は週末のレクイエムです。リクエストして頂いたのは……」
完