「元上司に文句とか言いにくい」
正継さんが帰ってきていつもの部屋で対面した。
「この度は来ていただいたのにお待たせしてしまってすみません。」
正継さんが謝ってきたので、
「いえ、この時代の街を散歩するのも楽しいので逆にお時間を頂いてありがとうございました。」
「そう言っていただけると助かります。
こちらの時代から依頼に向かうと帰ってくるまでに少し時間のずれが生じるようで、正澄が戻ってくるまでに問題が起きてしまいましてね。」
「問題は解決したんですか?」
僕の問いに正継さんは苦笑いを浮かべて
「大谷殿は上司に文句を言ったりはされますか?」
「まあ、たまにはありますね。
愚痴を聞く仕事なので我々の愚痴も上司に聞いて貰ってます。」
「理解があるうえで文句を言える環境というのは良いですね。
実はこの辺りをむかし治めていた京極氏という一族がいるのですが、その彼らが少し木材の伐採に関して少しやりすぎてしまいましてね。
我々、石田家も彼らの配下だったわけなので、そこのいさかいを治めるためには私が直接行かないといけなかったんですよ。」
「僕はいまいち詳しくないのですがこの辺の統治の移り変わりというのはどういう感じなんですか?」
「京極氏は近江源氏の佐々木家という家の分家です。鎌倉時代に近江の守護だった佐々木家は4人の息子に近江を分けて継がせたのですが北近江のこの辺りを継いだのが佐々木氏信という人で京都にある京極高辻の屋敷も一緒に相続したため、氏信の家は京極氏と言われるようになったと聞いています。この時期に同様に相続によって江南・・つまり南近江ですがこれを継いだ佐々木氏の分家が六角氏となっています。
大谷さんの時代でいう室町に入るときに京極氏は足利尊氏についたため多くの領地を得て繫栄しました。
しかし応仁の乱の頃になると勢力は減退し、京極氏の家臣だった浅井家に北近江の主導権を奪われてしまいました。浅井家は大谷さんもご存じですよね?長政様が信長様の妹君のお市様と婚姻されていましたが結局、長政様も信長様に討たれました。その後、秀吉様が長浜に城を築かれて統治されました。
そして、今に至り我々石田家が治めているという感じです。」
「正継さんにとっては元上司ってところですか?」
「そうですね、正澄や三成が物心ついた頃にはもう浅井家が治めていましたが、私の子供の頃はまだまだ京極氏の時代でしたから。衰退しているとはいえ、家柄としてはうちよりも高貴なわけですしね。」
「絶妙に文句が言いにくい関係ってことですね。」
「そんな感じですね。自由に物が言えるようになるというのは本当に羨ましいです。
色々なしがらみや過去を考慮した上で相手の顔も立てないといけないとなると大変ですからね。」
「元上司に文句とか言いにくいって感じですね。」
「本当に難しいですよ。特に私は下剋上をしたわけでもないのに彼らの上に立っているわけですからね。
彼らも内心は私にあれこれ言われるのは気に食わないのではないかと思います。
まあ、三成の立場から私にも逆らえないというお互いに難しい関係ですね。」
「大変ですね。」
僕はこれしかいう事が出来なかったが正継さんの顔を見ると本当に大変だったんだなとと思った。