「現代と戦国」
仕事が休みだったので、彦根市内を歩き回っていた。
彦根駅から佐和山の方に向かって歩いているが戦国時代との違いというのを当然ながら感じた。
コンクリートで舗装された道、二階建て以上の建物、車や機械の音。
西にそびえ立つ彦根城がある。戦国時代には東側に佐和山城があり、現在の城山となっている彦根山があった。今では彦根城があり、佐和山城だった場所が山となっている。
時代や支配者が変わればここまで変わるのかと思ってしまった。
歩いて松原町のあたりまで来ると昔と大きな違いがあるとすると百閒橋がない事だろう。
佐和山城から琵琶湖にかけてかかていた大きな橋で琵琶湖からの物資の輸送や人の往来までを支えていた橋だ。昭和の中期頃まではかかっていたという話もあるが平成以降に生まれている僕からすればわからない話である。そもそも現在の松原町のあたりは埋め立てられた内湖だったらしいのでそこに向かってかかっていた大きな橋があったと考えれば納得もいく。
松原の方から佐和山の方に向かって歩いていた。佐和山の近くの清凉寺や龍潭寺などを訪れた。近くにある井伊神社も行ってみた。井伊神社は石田家の後に彦根を領有した徳川家康の家臣の井伊直政が治めた時に作られた神社である。佐和山の近くには歴史的な建物もいっぱいあるなと感じた。
佐和山城の方に歩いてみると城跡となっているが石垣なども残っている。
『石田三成屋敷跡』という石碑もあったが、城跡から少し離れた場所にあったのはやはり城以外に屋敷を用意していたのかな等と邪推してしまった。
ただブラブラと歩いていたが結構たいへんだなと思った。単純に体力不足だったが歩くというのも普段からしていないと疲れるんだなと思った。
そこでふと気になったのでコンクリートの舗装された道路か山道に入ってみた。
整備されていないし傾斜も急なので絶対にマネしないでもらいたいが、僕には気になる事があった。
あの洞穴は今もあるのかという事だ。
毎回、戦国時代に行くたびに通る佐和山トンネルと繋がっている洞穴である。
城跡からのだいたいの位置を思い出しながら歩いてみた。昔と今では木の成長具合や木の葉の間から見える景色も違うから本当にたどり着くのが難しい。
ぐるぐると回ってみたがそれらしいものが見つからずに今日の探索はここまでにした。
そもそもあの洞穴は何であんなところにあったのかなどわからない事が多い
現代と昔、色々と変わってしまった事もあるし、変わらなければいけない理由もあっただろう。
戦争、経済成長、人口の増加、土地整備などで失われてしまった重要な文化もあったかもしれない。
伝統を守り受け継ぐことも大事だなと思う休日だった。