【恋に生きる令嬢】
咲き乱れる花々の中心で、妖精のように儚く、大輪の薔薇のように華やかな少女が微笑む。
「すきです」
ふわり、少女の金糸の髪が風と戯れるように揺れる。
「すきですわ。リンズベルト様」
とろり、少女のサファイアの瞳が恋に蕩ける。
「すき、すきです」
とろり、砂糖菓子のような甘さを孕んだ声で愛を囁く。
そんな美しい少女の愛を受ける青年は、彼女と同じだが短く切りそろえられた金糸の髪をなびかせ、ペリドットの瞳に苦渋を滲ませながら話す。
「すまない、君の気持ちに、レティシアの気持ちに、俺は応えることが出来ない」
そう言われた齢十歳の少女は、にこりと微笑んで告げる。
「わかっております。ですが、きっと。きっと私が大人になった暁には、貴方を迎えに行きますわ」
年齢に見合わぬ妖艶さを表情に乗せて、ひらひらと風に舞う花弁に攫われてしまいそうな程美しく、そして幼い少女はそう告げた。
それが八年前のお話。
そして、それから八年後の現在。
バリィィィイン!!!!
大きな音を立てて、事務所の窓が割られる。
そこから現れたのは幼い時から変わらない金糸の髪と、サファイアの瞳を煌めかせたドレスの令嬢。
「リンズベルト様!結婚してくださいまし!!」
リンズベルトと呼ばれた彼女と同じ金糸の髪とペリドットの瞳を持つ美丈夫は、はぁ、と大きなため息をついて考える。
「(どうして、こうなった……)」
──────
────
──
時は数年前に溯る。
冒頭に登場した令嬢の名は、レティシア。
レティシアは、オルトリングス王国の国境を守る軍人一族であるリヒテンフェルス侯爵家に生まれた長女である。
輝かんばかりの黄金に輝く金糸の髪と、サファイアの宝石にも負けない美しさを持つ瞳を持っていて、肌は真珠のように透き通り、なのに頬と唇は可憐な桃色で幼いながらも妖精のような儚さと、大輪の薔薇のような華やかさを持った美しい少女だった。
母を除いて男児しか生まれなかった家系のリヒテンフェルス家初の娘ということもあり蝶よ花よと甘やかされつつも、貴族として、軍人としての作法を厳しく躾られながら生まれ育ったお淑やかかつ自信家な少女だった。
レティシアが自信家になるのも当然だ。
容姿に恵まれただけでなく、知識をするすると飲み込み実現することが出来る頭脳と、類稀なる運動神経。それに膨大な魔力とそれを扱う才能まであったのだ。それに加えて家族にとびきり可愛がられて育った。むしろ自信がつかない方が異常である。
そんなレティシアは恋をしている。
恋の相手は五歳年上の隣国のヒューズスフィア帝国側の国境を守る軍人一族であるハーヴェイ侯爵家の次男のリンズベルトだ。国境を隔ててすぐ隣ということもあり、ふたりは会う機会が多く兄妹のように育ったのだが、レティシアは気がついたらリンズベルトに恋をしていた。リンズベルトもレティシアの想いを受けて、絆され始めていた。
本来ならばこのままふたりは結ばれてハッピーエンド!という所なのだが、そうは問屋が卸さなかった。
レティシアの魔法の才を見込んで、騎士団魔法攻撃部隊所属の優秀な魔法術士を輩出してきた名門一家エインヴルス侯爵家が婚約を申し込んできたのだ。
家の格とも釣り合いが取れていて、利益的にも申し分ないことからリヒテンフェルス侯爵家はその婚約をレティシアに相談せずに了承してしまった。
それを事後に聞かされたレティシアは烈火の如く激怒して、魔力が暴走しかけて大変なことになったのだが、決められたことは覆しようがなく婚約は決まってしまった。
レティシアを支える芯にぴしりと、ヒビが入る。
利害関係で結ばれた婚約だったが、家のためと幼い年頃なのにも関わらずレティシアは苦い気持ちを飲み込んで婚約に前向きになろうと切り替える。
婚約成立から数ヶ月後、いよいよ顔合わせの日。レティシアはとびきり自分に似合うドレスを着て、似合う髪飾りをつけてとても可愛らしい姿で顔合わせに臨んだ。
婚約相手はエインヴルス侯爵家の次男であるオズワルドで、燃える業火のような赤髪の美しい少年だとか。レティシアはエインヴルス侯爵家のガーデンテラスで初めて婚約相手のオズワルドと出会った。
オズワルドは確かに美しい少年だった。
話に聞いていた燃える業火のような赤い髪に加えて、猫のような釣り上がった目尻に光の加減によって色を変える珍しいシルバーアッシュの瞳が冷たさを感じさせ、幼いながらも知性を感じさせる片眼鏡が良く似合う美少年だった。
本当に美しい少年だったのだが、その後の行動が無神経すぎたのだ。
「あぁ、アナタが僕の婚約者ですか?後にしてください。もうすこしでこの魔導書が読み終わるので」
そう、ハッキリと言われたのだ。
わざわざ招かれたからと、望まなかった婚約にも関わらず家のために好かれようと思いとびきり美しく着飾ってやってきたのにも関わらずこの言い草だ。最悪である。
レティシアを支える芯にぴしりと、またヒビが入る。
荒ぶる気持ちを押し留めて、レティシアは言われた通り待った。
お昼過ぎに来たのにも関わらず、日が沈むまで待った。もはや意地だった。
待ち続けたレティシアにやっとオズワルドが魔導書を読み終えて意識を向けたのは夕食が出来上がる頃の時間であり、魔導書を閉じて顔を上げたレティシアに向けてオズワルドが放った一言は本当に最悪だった。
「あぁ、まだ居たんですか?」
最悪である。
レティシアからすれば後にしろと言ったのはオズワルドの方であり、普通の受け取り方をするのであれば待っていろという意味で受け取るだろう。
流石のレティシアも言い返した。
「待っていろと言ったのは貴方でしょう?!」
そう反論したレティシアに対し、オズワルドは路傍の石を見るような無関心さで言葉を返した。
「そんなことは一言も言っていませんが?アナタ、図々しいですね」
ほんっっっとうに最悪である。
オズワルドからすれば後にしろとという一言は帰って出直せという意味だったらしい。
何様だ?レティシアもリヒテンフェルス侯爵家に仕える使用人も流石にこの発言には絶句した。あまりにも魔法にしか興味のないオズワルドに絶句した。
というかここまで酷かったことを知らなかったエインヴルス侯爵夫妻もオズワルドの兄も絶句した。
そしてそのあまりにひどい一言を受けたレティシアはというと。
ひっくり返って気絶した。
勢い余って椅子から落ちて床に頭を打ち付けていた。
「「レティシア様ーーーーッッッ?!」」
双方の家に仕える使用人の悲鳴がその場には響き渡った。
レティシアを支える芯にぴしりとまたヒビが入り、バキンッ!!と叩き折られた瞬間であった。
レティシアは頭を打ってからうんうんと三日ほど高熱にうなされていた。
実は打った頭の方は全くの無傷であり、高熱の原因は不明である。そんな状態で帰ってきたレティシアを心配するあまりリヒテンフェルス侯爵家はてんやわんやしていた。一日中てんやわんやしていたが、公爵夫人の怒りの一喝により静まりはした。けれどレティシアが高熱にうなされている間そわそわしていたのは事実だった。
一方その頃レティシアは夢を見ていた。
黒髪の顔の造形の整った女が歩いている。
「(だれかしら、この方……?いえ、どこかで見たような……?)」
レティシアがそう思考していたとしても関係ないと言わんばかりに夢は勝手に進んでいく。
女は黒いビジネススーツに身を包み、ショルダーバックを肩から下げてヒールをかつかつと鳴らしながら帰路についているようだ。
そんな女が家の近くの公園に差し掛かると、にゃぁん、と鳴く声がひとつ。
女が声のする方を見上げると、公園の木の女の身長より遥かに高い位置に子猫が震えているのが目に入った。どうやら登ったら降りられなくなってしまったらしい。
にゃぁん、心細そうに子猫が鳴いた。
女はきょろきょろと左右を見渡して人がいないことを確認している。
「……よし!誰もいない!待っててね子猫ちゃん!!今助けるよ!」
そう女が言うと、かなり高い木なのにも関わらずするすると女は登っていく。五分もかからずに女は木を登り終えてしまった。
「おいで〜、おいで〜!子猫ちゃ〜ん!」
まるでヘタクソなナンパのような言葉を発しながら女は子猫へと近づいていき、無事子猫を抱えると木からするりと飛び降りる。
「(どうしてかしら……この女性、やはりどこかで見たような……?)」
レティシアがそう考えた、その時だった。
飛び降りて着地しようとした女が、つるりと足を滑らせる。
「は、?」
思わず女が呟いた。呟いたとしても誰も助ける人間はおらず、腕に抱いた子猫が怪我をしないようにと抱え直そうとしたら、子猫がするりと抜け出して女の顔面を蹴りつけて脱出する始末。あまりにも可哀想。
そんな女が最後に見たのは、宙に舞うバナナの皮と、満天の星空。
「いや、なんちゅうところにバナナの皮捨てとんねん!!!!」
そんなエセ関西弁を最後に、頭を強かにこれまた何故か置かれていた掌で持てるくらいの石の角にぶつけて、女は意識を失った。
「やだ……私の死因、アホすぎ……?」
そのなんともアホすぎる死に方をした女性は、レティシアの前世だった。
レティシアの前世は女で、ごく普通のOLだったのだが……彼女、やんちゃだったのである。むしろこの言い方では優しすぎるくらい、やんちゃだったのである。
レティシアの前世は日本人の女であった。ここまでは普通だった。
前世のレティシアは今世と同じく運動神経抜群で頭がよく、容姿も優れていて、それだけならば普通に優良物件だったのだが、彼女、小学校から高校まで本当にとんでもないクソガキだったのだ。
小学校時代はまだ可愛らしく、いじめっ子を改心させる程度のことしかしなかったのだが、中学と高校時代は思春期もあり立派な不良をシバキ回すタイプの不良となっていた。実家がそこそこいい家であり、両親がふわっふわだったため怒られることも無く、本当にすんごいクソガキだった。
そんな中学、高校時代は「気分屋」「自由人」「妖怪不良殺し」「飛び蹴りの人」やら「立てば飛び蹴り、座れば屍、歩く姿は天災級」等本当に様々な呼ばれ方をしていたが、大学に入り好きな人が出来てからは変わった。
上記の呼び名から「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と呼ばれるくらい変わった。変わりすぎて別人だった。
だがそんな風に変わった彼女でも、結局本性がバレて振られたのだ。
そうして前世を思い出したレティシアは思う。"今世こそは、好きな人と結ばれて幸せになってやるのだ!"と。
「それにしたって、なんで今思い出したのかしら……?」
実は思い出したのはボッキリと今世のレティシアの芯の部分が叩きおられてしまったが為に、前世の記憶がひょっこりと出てきたのが半分、もう半分が彼女の前世の死因と同じように頭を打ち付けたからが半分だったのだが、そんなことを彼女が知る由もなく。
「お嬢様。入りますよ」
うんうんと頭を抱えて唸っていると、使用人が様子を見に来たようで扉越しに声をかけて入室した。そしてレティシアが起きているのを目撃すると、大声で叫ぶ。
「お、お嬢様が!!!!レティシアお嬢様が!!!!目を覚ましました!!!!!」
そんな使用人の大声が屋敷に響き渡り、レティシアが顔を上げると同時に屋敷中からドンガラガッシャン!ガタガタバッタン!パリーーーン!!となにやら大変そうな破壊音や人が転倒する音が響き渡ったが、ドタドタと音を立てながらレティシアの部屋に音は近づいてくる。そして数分もしないうちに窓から父が、反対側の窓から兄が、レティシアの部屋のドアから母がやって来て全員声を揃えて言葉を発した。
「「「レティシア!!大丈夫か/ですか/ですの?!」」」
その言葉を聞いたレティシアは、ふわりと微笑みながら大丈夫と告げた。
「ええ、ご心配をおかけしましたわ。お父様、お願いがあるのですけれど……」
お願いがある、という発言に父親であるリヒテンフェルス侯爵はなんだい?と微笑んで聞く。
レティシアはやりたいことがある、と内容を告げて、それから会いたい人がいるから会わせて欲しいと頼んだ。
リヒテンフェルス侯爵はその願いを二つ返事で聞き届け、次の日には許可がおりた。
一つ目の願いは、剣や乗馬、魔法の訓練等の許可。
軍人一族であることもあり、思ったよりあっさりと許可はおり、必要な勉学と並列して行うことになった。
そして二つ目の願いは、リンズベルトと会うこと。
それも無事承諾され、リヒテンフェルス侯爵家の敷地内にある森の開けた場所に存在する花畑で冒頭のやり取りが行われたのだ。
レティシアは、決して自分の恋を諦めていなかった。
婚約者が自分に全く興味が無いのを加味して、レティシア自身勝算があると考えた。
籍を入れることになるのは、これから通う予定の王国随一の魔法術士育成学校であるオルトリングス王立魔法学園卒業後なのだ。つまり、それまでに婚約を破棄できれば無事想い人と結ばれることが出来ると彼女は考えた。
そのために自分自身が強くなり、家族を納得させるだけの力を得て、それから彼を迎えに行くとレティシアは決意した。
そう決意したのが、齢十歳の時。
そして、現在。レティシアは十八になり、あっという間に王立魔法学園卒業の日が迫っていた。
レティシアは十歳の時とは比べ物にならないほど強く、そして美しく育った。
十歳の時にはすぐに体術や剣術、馬術などを覚え、一人前の騎士を片手間で転がすほどに強くなり。(転がされた騎士は軒並み心が折れかけた)
魔法の腕も王国一と言っても過言でないほど磨き上げて。(宮廷魔法術士が行使することが難しい自己の転移や浮遊の魔法を行使できるほどの腕前を手に入れていた。宮廷魔法術士はくしゃくしゃの顔になった)
それでいて勉学も手を抜かず、常にトップに君臨し続けた。(その過程で学園のとある授業中の事故から友人になった令嬢と親友と言っても過言ではないほど関係性が深くなった)
学園で憧れない人間がいないほど、男女関係なく紳士的で、それでいて淑女としても完璧な令嬢となったレティシアは、いよいよこの時が来たかと手に持った手紙を見つめている。
彼女が手に持っている手紙に記された家紋はエインヴルス侯爵家のものであり、この手紙はオズワルドから送られてきたものだと内容を確認したレティシアは確信する。
手紙には、「二人きりで話したいことがある。今週末にうちの屋敷にあるガーデンテラスに来て欲しい」と書かれており、その週末は明日に迫っていた。
ちなみに手紙が届いたのは今日で、あまりにも急だったがレティシアは来ることを予想していたため焦ることは無かった。
そんな風に焦らず準備して迎えた次の日。
レティシアは手紙に呼び出された通りエインヴルス侯爵家のガーデンテラスへと来ていた。
珍しくオズワルドは先に来ていて、初顔合わせの時と変わらず魔導書を読んでいた。……流石に魔導書の種類は変わっていたが。
「オズワルド様」
レティシアが努めて冷静に声をかける。
定期的に会うようにと義務づけられているため、会うのは別に久しぶりという訳では無いが双方自分から進んで声をかけるような関係ではなかった。
声をかけられたオズワルドは珍しくパタンと魔導書を閉じてレティシアに座るように促す。レティシアは促されるままにオズワルドの正面に座った。
レティシアが座ったのを確認すると、オズワルドが単刀直入に告げる。
「レティシア・リヒテンフェルス侯爵令嬢」
「はい」
名前を呼び、そして呼ばれたのにも関わらず双方冷え切った声で話す。
「君との婚約を解消したい」
そう言われたレティシアは、ゆるりと微笑んだ。
「(あぁ、やっとですのね)」
やっと、やっとだ。やっとこの無価値な婚約関係が解消されるとレティシアは内心で歓喜した。だが、それを表に出さず努めて冷静に言葉を発した。
「えぇ、いいですわよ」
そうレティシアが告げると、オズワルドは多少驚いたのだろうか、目を少し開くと、すぐいつもの無表情に戻って返事をする。
「……理由は、聞かないのか?」
レティシアはその発言に、は?と呆気に取られそうになったが、それをひた隠してポーカーフェイスで答える。
「えぇ。別に、どうでもいいですもの。この婚約はエインヴルス侯爵家から申し込まれ、利害の一致で承認されたものですし、オズワルド様が決めたのでしたら覆ることも無いのでしょう?」
レティシアがゆったりとした仕草で紅茶を傾けながらそう答えると、返す言葉もないのかオズワルドはぐっと息を詰める。
「そう、だが……」
そんなオズワルドにレティシアはどうしようもない人を見るように視線だけちらりと向け、直ぐにその視線を紅茶に戻し、ティーカップを置いたあと顎に手を当てながら嘲るように笑う。
「まさか、引き止めて欲しかったんですの?」
「ちっ、ちがう!」
そう笑いながらレティシアが言うと、カッと持ち前の業火の髪のように顔を赤くしながらオズワルドは否定した。
そんなオズワルドをくすくすと笑いながらレティシアは「冗談ですわ」と言い放つ。
「お話は終わりまして?それでしたらそろそろ卒業式ですし、帰ってもよろしいかしら」
そう言うと出された紅茶に口をつけ、レティシアは喉を潤す。
そんな彼女に調子を崩したままオズワルドは肯定すると、レティシアはティーカップを美しい仕草で置き、椅子から立ち上がってオズワルドに一礼した。
「それでは、オズワルド・エインヴルス様。それほどお世話になった記憶はありませんが、お世話になりました、と言っておきますわね。失礼致しますわ」
そう言い残すと、さっさとレティシアはガーデンテラスから出ていき、屋敷に戻るため乗ってきた馬車に乗り込んだ。
帰宅したレティシアは、即座に行動に出た。
あのオズワルドの様子から、まだ正式に婚約解消の手続きをしていないと踏み、エインヴルス侯爵家によってそれが覆るよりも先に家族に晩餐で婚約解消を申し込まれたと伝えて、正式な手続き書類を申請するように頼むつもりだ。
そうして時間は過ぎ、晩餐の時間になった。
レティシアが屋敷にある食堂へとはいると、彼女が一番最後だったようで家族全員揃って席に着いていた。
レティシアはすぐさま遅れた旨を伝えると、レティシア以外の人間は気にするなと言い、レティシアに席に着くように促す。
言われた通り席に着くと食事が運ばれてきて晩餐が開始された。
皆思い思いに談笑しつつも食事が終わりに近づくと、レティシアは家族全員に今日婚約解消を求められたことと、自身もそれを受け入れ、婚約解消の手続き書類を作成して欲しいという旨を伝えた。
突然で一方的な婚約解消の願いにレティシア以外の全員が憤慨したが、レティシア自身が婚約解消を強く望んでいたことを思い出して落ち着き、レティシアの願いをあっさりと受け入れた。
「(あぁ、やっと。やっと……やっとリンズベルト様に会いに行ける)」
レティシアは婚約が解消されるまで八歳の時に会って以来リンズベルトと会っていなかった。
理由は様々だが、一番の理由はリンズベルトと釣り合う人間になって、そして彼に恋していても問題ない立場で会いたかったというのが強かった。だからこそ八歳の時に誓ってからこの十年間、決して努力を怠らず、諦めないで踏ん張り続けたのだ。
そして、今日やっとその努力が報われた。
彼女は歓喜していた。
「は……?出て、いった?」
オズワルドに婚約解消を言いつけられてからすぐ、歓喜の感情と、誓いを守るためにレティシアはリンズベルトに会いに行ったが、リンズベルトはハーヴェイ侯爵家にいなかった。
昔から仲の良かったハーヴェイ侯爵家の使用人に話を聞くと、リンズベルトは魔獣討伐の任務で親友を亡くし、実家に話をつけて家を出ていったらしい。それは五年前であり、レティシアが十三の時の出来事であった。
さらに詳しく話を聞くと、リンズベルトは家にいた時ある程度貯めていた資産から皇都に探偵事務所を設立し、探偵をして暮らしているとのことが分かった。
そんなことを聞かされたレティシアは、顔を俯かせて震えた。泣いているのかと勘違いした使用人が、大丈夫か、と声をかけようとした次の瞬間。
彼女は顔を上げた。
レティシアは泣いてなんていなかった。むしろ、挑戦的な笑みを浮かべながら、その可憐な容姿からは想像のつかない低音で呟く。
「私から、いえ、私に何も言わないで姿を消すなんて、これは挑戦と受け取ってよろしいのですわよね……?えぇ、えぇ。誓いましたもの。きっと、きっとあなたを」
笑みを浮かべた瞳には、今でも尽きない情熱と深い恋心を浮かべていて。
「迎えに行く、と」
そうして月日は流れ、婚約解消書類は無事申請が通り、エインヴルス侯爵家に送られた。
最初あちらは拒否しようとしたが、オズワルドからの婚約解消の本人希望と、リヒテンフェルス侯爵家当主の一方的に破棄してもいいんだぞという脅し……否、強い希望によって穏便な解消であればとエインヴルス侯爵家は渋々ながら認めた。
そうして、無事レティシアとオズワルドの婚約は解消されたが、それは卒業式前日のことでまだ周囲にはその事実が浸透していなかった。
そして、卒業式を無事に終えた後に開催される学園所属の生徒全員が参加するパーティー当日。
レティシアはパートナーを連れず、親友のアーリア・シェリング子爵令嬢とホールへと入場した。
親友との出会いはそれはそれは鮮烈だったのだが……それは機会があれば語ろう。
そうしてまだオズワルドとの婚約解消が浸透し切っておらず、婚約者ではなく親友を選んだということもあり会場はざわめいたが、入場したレティシアとアーリアにずかずかとオズワルドが近づいていくのを確認次第静かになった。
そして、オズワルドはレティシア……ではなくアーリアの手を取るとレティシアには一切見せることのなかったにこやかな笑顔を浮かべて声を発した。
「アーリア・シェリング子爵令嬢。……リヒテンフェルス侯爵令嬢との婚約は無事解消された今、やっと言える」
レティシアはそれを見ると少しずつ少しずつふたりから離れて傍観に徹した。
アーリアは突然の事で目を白黒させている。
「君を愛している。どうか、僕と婚約していただけないだろうか」
そう告げられたアーリアはぽかんとした表情を数秒すると、すこんと表情を落として言った。
「それは、レティシア様との婚約を解消したということで……よろしいですか?」
そうアーリアが言うと、オズワルドはにこりと笑みを深くして是と答えた。
それを見るや否やアーリアは、
「ふっっっざけんじゃねぇですわよ!!」
キレた。
「貴方の目玉は節穴ですの?!あんなに、あんなに美しく、聡明で、紳士的かつ淑女として完璧なお方との婚約を解消?!」
キレたアーリアに、オズワルドは顔を赤らめながらどこか期待した表情をする。
「しかも、その後に親友である私に求婚?!!ぶっ殺しますわよ!!!!!!」
そういうが早いか、アーリアはオズワルドに見事なジャーマンスープレックスをキメた。
実はアーリアは騎士の家系でありながら魔法にも勉学にも秀でており、この学園には特待生で入学していたのだ。
閑話休題
ジャーマンスープレックスをされたオズワルドはというと、
「あっはぁ……♡すっっっごいですねぇ♡アーリアさん♡♡やはり、僕には君しかいない!!!!」
ジャーマンスープレックスされながらどろりと蕩けた表情をしていた。
そう、この男、実は真正のドMであった。
魔法の才も容姿も頭脳も持っていたのにも関わらずレティシアが一切惹かれなかったのはこれが原因である。いつからかは不明だが、幼い頃から両親に兄と比べられ続けた結果こんな歪んだ性癖が芽生えてしまうという闇深い話があったりする。
閑話休題
「さて、と」
もはやホールの注目の的になったと言っても過言ではないアーリアとオズワルドが注意を引いているうちにレティシアはそそくさとバルコニーの窓へと近づいていく。
バンッ!とその窓を開く。すると窓が開く音に参加者全員が振り向くが、レティシアはニッコリと近年で一番美しいと言っても過言ではない満面の笑みを浮かべてバルコニーの柵に足をかけた。
「それでは、私は愛しの殿方の元へ行きますので、皆さん失礼致しますわ!!」
とんっ、とバルコニーから飛び取りると、浮遊魔法を駆使して浮かび上がり、すぐに見えなくなってしまった。
パーティーホールから悲鳴やら絶叫やら聞こえてくるがお構い無しに彼女は飛んで行く。
卒業の日、つまりはもう大人なのだ。
レティシアは本来卒業後オズワルドと籍を入れる予定だったが、それを見事にぶち壊して自由を手に入れた。
そう、あとは、約束通り想い人を迎えに行くだけなのだ。
バリィィィイン!!!!
大きな音を立てて、レティシアはリンズベルトの経営する探偵事務所の大窓を飛んだまま叩き割って登場した。
そうして冒頭のシーンへと至る。
大きな音を立てて、事務所の大窓が破壊され、リンズベルトは弾かれるようにそちらを見る。
彼の視界に映ったのは、ふわりと金糸の髪を揺らしながら入ってくる美しいドレスを身に纏う女性の姿。
そして、その美しい女性はぱちりとサファイアの瞳を煌めかせながら、その形の整った唇から言葉を発する。
「リンズベルト様!お約束の通り迎えにまいりました!」
飛び散るガラス片が光を乱反射している。
その中心に傷一つなく佇む美しい女性、否。レティシアは、幼い頃の誓いを胸に迎えに来た。
「ですから、どうか私と、結婚してくださいまし!!」
求婚されたリンズベルトは思う。
「(どうして、こうなった……)」
そんな電撃のような再開をしたふたりは、数年の月日を経て交際に至り、今では立派に夫婦をしている。
レティシアの実家であるリヒテンフェルス侯爵家はレティシアが飛び出してから大慌てだったが、レティシア自身が転移して会いに行き、リンズベルトと結婚したいのだと伝えると父と兄は大号泣し、母は頑張って落とすのよと背中を押した。
アーリアとオズワルドは、アーリアが決闘し勝ったのなら婚約してやろうと言って、何度も何度もオズワルドが挑み、何度負けても挑み続け、先日ようやく勝って婚約したらしい。
オズワルドの実家であるエインヴルス侯爵家は息子の思わぬ性癖に涙目だったが、なんだかんだ幸せそうだったので気にすることをやめた。諦めたとも言う。
リンズベルトの実家であるハーヴェイ侯爵家は、レティシアがなんだかんだでお付き合いしている時に外堀を埋めていたためあっさりと結婚を受け入れた。
リンズベルトはあまりのあっさり加減に肩透かしをくらっていた。
レティシアは前世の記憶を思い出した時点で、リンズベルトと幸せになる気しかなかった。
リンズベルトはレティシアのあまりの熱量に押され、幸せにする覚悟をした。
オズワルドは、愛しい人を手にするために何度でも立ち上がって挑み続けた。
アーリアは親友を捨てた男を軽蔑していたが、何度も立ち上がって挑んでいく姿を見るうちに、いつの間にか絆されていた。
人の恋も、人の愛も、それぞれ形が違う。
皆が皆、幸せになるためにそのチャンスをつかみ取ろうとした。
恋を恋のまま終わらせず、自力で掴み取る彼女の姿は、【恋に生きる令嬢】という言葉がふさわしいだろう!
──────
────
──
「そうして、恋に生きる令嬢は、無事自分の恋を叶えたのでした」
絵本を子供に読み聞かせる、女性と、読み聞かせてもらう少女がソファに座っている。
「ねーねー、おかーさま!このおんなのこは、いまでもしあわせ?」
そんな風に問い掛ける少女は、美しい金糸の髪と、ペリドットの瞳が良く似合う美貌の少女だ。
「そうねぇ。今でもすっっごく幸せよ!」
そう少女に答える女性は、少女とおなじ金糸の髪と、少女とは違う輝きのサファイアの瞳が良く似合う美しい女性だ。
ことり。
ソファーの前に置かれたローテーブルにマグカップが置かれる。
「……そんな絵本までかいてたのか」
マグカップを置いたのはどうやら男性のようだ。
少女とおなじ金糸の髪と、ペリドットの瞳が良く似合う美丈夫だ。
「なんとなくかいたら人気になっちゃっただけよ!」
「はぁ……これ、俺たちのことだろう。なんだか恥ずかしいな……」
「そう?私は嬉しいわ!」
「何がだ」
そこには、幸せそうな家族の姿があった。
「だって、こんなにも幸せなんだもの!その一端だけでも、伝えられるのは嬉しいわ!」
今でも変わらず、彼女は恋をしている。
【恋に生きる令嬢】Happy End!!
書きたいものを書きましたので、楽しんで頂けたのでしたら幸いです。
感想、ブクマ、評価等頂けましたらとても嬉しく思います。
読んでいただきありがとうございました!