雨の降る理由
雨の日は外で遊べないのが残念だ。どうしても外で遊びたかったら、レインコートを着て、長靴をはいて外へ出かけなければならないのだ。
でもレインコートは蒸れてすぐに暑くなる。レインコートを着るのが嫌いな由美子は、こんな日は家の中で遊ぶしかないのだ。
「お母さん、なんで雨、こんなにいっぱい降るのかなぁ?」
窓の外をながめながら、由美子はそう言った。
「そうねぇ。なんでかしらねぇ?」
洗濯物をたたみながら、無邪気な娘の質問に母親は答えた。
「雨に聞いてごらんなさい。なんでたくさん降るの、って?」
そうか、分からないときは誰かに聞きなさいと学校の先生にも言われていなぁ、なるほど、と由美子は思い、早速雨に話かけることにした。
リビングのソファーの背もたれに乗りかかるようにしながら、由美子は窓の方を見た。
「ねぇねぇ、雨さん。なんでたくさん雨が降るの?」
窓の向こうの雨に向かって、由美子は話しはじめた。
ぽつぽつぽつぽつぽつ・・・
規則的に、でも不規則に、雨はひたすら空の上から地面に向かって降りてくる。
ぽつぽつぽつぽつぽつ・・・
ぴちゃん
時折、地面にできた水たまりや、窓や屋根に当たる音が聞こえる。
ぽつぽつぽつぽつぽつ・・・
ぽつぽつぽつぽつ・・・
ぽとん
「うーん、由美子にはわかんないなぁ」
雨の音はリズミカルに何かを訴えるかのようにも聞こえたが、窓の向こうに話しかけていたのでは、きっと声が届かないと思って、由美子は窓を開けた。
ちゃぽん、ちゃぽん、ちゃぽん、ちゃぱ、ちゃぱ
急にこれまでよりも大きな音が聞こえるようになった。
庭に向かって空から雨粒が降りてくる。
「ねぇねぇ、雨さん。なんでそんなにたくさん空から降ってくるの?」
由美子はさっきよりも大きな声で雨に話しかけた。
ちゃぽん、ちゃぽん、ぴちょん、ぽちょん
ぽつん、ぽつん、ぽつん、ぽちょん
雨は由美子に返事をしているようだった。
ぽとん、ぽとん、ぽとん・・・
由美子は窓から手を出した。
由美子の手の上に、空からたくさんの宝石が降ってきた。
宝石は、由美子の手の上に落ちると、ぴちゃんとはじけて、さらに遠くに飛んでいく。
「わぁ。つめたい!」
いつの間にか、由美子の手は雨でしっかり濡れてしまっていた。
それでも、空から降ってくる宝石をつかもうと、由美子は必死になっていた。
由美子が雨だれと戯れていると、家の庭に一匹のネコが現れた。
ネコは由美子が雨と遊んでいるのを見て、その場に立ち止まった。
最初、ネコはしばらく由美子の様子を見ていたが、そのうち、雨に濡れながら自分の体の毛づくろいをはじめた。
ネコに自分が見られていると感じて、由美子はネコに話しかけた。
「わぁ。ネコくんも、雨と遊んでるんだね」
由美子が話しかけるとネコは返事を返した。
「遊んでるわけじゃないけれど・・・」
ふん、と鼻を鳴らしながら、ネコは続ける。
「まぁ。遊んでいるのかもしれないね。雨はとってもやさしいからなぁ」
しっぽをぱたり、と倒しながらネコは由美子にそう言った。
「やさしいってどういうこと?」
ネコが言っていることが、由美子にはさっぱり理解できなかった。
雨はやさしい、ってどういう意味なんだろうか?
「雨は僕らにとってシャワーだよ。体を綺麗にしてくれるのさ」
そっかぁ、と由美子は思った。
うなずく由美子にネコはさらに続ける。
「それに、雨がふったら花や木が元気になるだろ?空から降ってくる恵みってやつだな」
ネコはそう言ってからにゃおーんと泣いて、塀の上を歩き始めた。
「待って、待って、それから、それから?」
ネコに逃げられそうになって、由美子はあわてて質問をする。
「まぁ。僕らは雨と仲良しだから」
得意げにネコはそう言った。そして、続ける。
「あとは由美ちゃんが自分で考えればいいんじゃないの?雨があがったら西の空を見るといいよ」
ネコはそう言ってから、軽々とジャンプして、塀の向こうの通りへと去って行った。
「ねぇ、待って」
由美子は窓から顔を乗り出して、ネコに話しかけようとしたが、すでにネコの姿はなく、見慣れた塀が建っているだけだった。
ネコはきっと由美子が雨に話しかけていたことを聞いていたに違いなかった。
雨がやさしい、だなんて考えたこともないことだった。
「あれ?」
きょろきょろとあたりを見渡しながら、由美子はふと、雨がやんだことに気がついた。
庭先に咲いているアジサイが、雨粒をあびて、きらきらと輝いているのが見えた。
由美子はふと、ネコに言われたことを思い出した。西の空を見るといい、と言っていたはずだ。
急いで窓を閉めて、濡れた手をタオルでふいた。
「お母さん、西ってどっち?」
「西?ベランダの方よ」
ベランダと言われて、由美子は2階に駆け上がった。
階段を上がり、ベランダの入り口へ行くと扉を開けた。
普段母親が洗濯物干しに使う、ちょっと大きなサンダルを履いて、そのままベランダに出る。雨があがった空を見上げると、そこには過ぎ去ったうす黒い雨雲と、水色の空との境目が見えた。
「わぁ。すごぉい」
「ほんと、スゴイわねぇ」
由美子があまりにもあわてて階段を駆け上がっていったので、何かあったの?とその後を母親が追いかけてきていた。
その不思議な光景に、親子はしばらく見入っていた。
誰がこの大きな空にまっすぐな線を引いたのだろうか。その薄暗い雲と水色の空ははるか遠くまで続いているのが見えた。
「お母さん、なんで雨がたくさん降るのか分かったよ」
不意に由美子がそう言った。
「お。雨にでも聞いてみましたか?」
由美子が自慢気に言うので、母親が由美子の目を見て聞いた。
「うん。聞いてみたんだけど・・・雨さんは答えてくれなかった。でも代わりにクロネコが教えてくれたんだよ。西の空をみたら分かるって」
「おやおや、そうでしたか。で。答えは分かったの?」
「青空だってシャワーを浴びないとキレイにならないからだって」
目の前に広がる薄青い空を見ながら由美子は自信に満ちた声でそう言った。
「さっきまで、あんなに黒い雲がたくさんあったでしょ?でも、今、もう黒い雲はどっかに行って、青い空になっているんだもん」
雨上がりの空を見上げながら、由美子は嬉しそうだった。
「そうねぇ」
母親はふと、由美子の顔を見ながら言った。
「由美子、この青い空をちゃんと守っていける人になってね」
世界のどこかでは、この雨が酸性雨になっていて、森や自然を脅かしていること。
どこかの国で事故があったときは黒い雨が降ること。
世の中にはそんな問題が山積みなのだ。
きっと由美子もいつか、そんなニュースや問題を知るときが来るだろう。そしてきっと雨が降る本当の理由を知るときがくるはずだ。
「うん。そうする」
元気のいい小学生1年生の返事が母親の心に響き渡った。
もうすぐ夕暮れがせまってきそうな空の色を親子はいつまでも眺めていた。
<完>