表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/18

(序)


 古都の紅葉(もみじ)に純白の薄化粧をして、ときは晩秋。


 市中はしっとり盆の底に冷え、じんと、どこもかしこも静まりかえっている。




 (すぐる)は安楽寺のお堂の、縁の手前で庭をながめていた。

 紅葉の終わりのシーズンで、それだからここに入れているのだけれど、午後からの急な冷えこみにみぞれが雪へ変わり、客の姿はかなり少ない。


 小さいお寺だが、それにしても。

 優より後に入ってお堂で説明をうけていた男性が、一人足早に帰ってしまうと、廊下の方にまだ二三人いたはずだが、うそのように閑散としてしまった。


 お堂はちょっと山手にある。市中の方をみはるかすと、木々の向こうは暗い雪雲ばかりにみえた。

 なんでもないような気がしていたけど、爪先がかじかんできている。晴れていれば、冬とはいえ、ようやく気温がさがりはじめる時間帯だろうに。


「ひゃっ」


 高い、小さな叫び声がして、すぐにべしゃっと低い音がつづいた。

 そちらをみると、雪にかくれた庭石の上に、和服姿の少女が尻餅をついていた。


 優は縁の上から、庭木のそばの少女をみおろす。

 手を貸すにも、声をかけるにも遠い。飛びおりて駆けつけようにも、いまは靴下だけなのだった。


 案ずるまでもなく、少女は存外、平気に起きあがって、ぱんぱんと濡れ雪を腰と裾からはたき落とした。

 こっちをみる。

 目が合った。


「あら。――お姉さん?」


 びくりとして、優は彼女をみつめる。


「さっき、あっちに――あぁ」


 首でわずかに廊下の方を示して、一瞬、舌打ちをしそうなほど少女は顔をゆがめた。


「あたしが遅いのね。一人?」


 ひとことで、京都どころか、このあたりの人ではないとわかる話し方だった。

 すっきりした関東のイントネーション。優の生まれの、ややもするとがさつな口ぶりでもない。

 長い黒髪をハーフアップにして、半分、肩に垂らしている。この冷えるのに綺麗な草履を履いて、着物の上に上着をかさね、姿勢よく立っている。

 純和風のいでたちといってもいいのに、髪形だけのせいなのかどうか、やけにハイカラっぽくみえた。


 いまのところ、連れがいる様子はない。


 優はまよって、ただうなずいた。

 年ごろは、多分、同じくらいだろう。大人っぽくみえなくもないけれど、さきにころんだ姿をみてしまったので。

 優の無言の返事をうけると、途端に、少女はぱっと華麗に微笑んだ。


「もう観終わったの? 待ってて、あたしもすぐ観てくるから。まだ閉門には早いわ」


 ききなれない言葉を投げかけられた。

 理解が追いつかず、優が戸惑っているすきに、少女はさっさと庭を引きかえし、草履を脱いでお堂へあがっていく。


 しょうがないので、凍える足を踏み踏みしながら、優は少女が出てくるのを待つ。

 お堂の正面まで戻ると、庭の門の手前に参拝客のご婦人方が帰りかけているのがみえた。何度か足をとめ、紅葉をみあげるも、あまりの寒さに写真撮影すらそこそこになっているらしい。


 お寺の案内の声が止んだ。少女が出てくるかと、お堂の中をふりむくと、和装の少女はお守りや境内の写真のカレンダーなどをひととおり冷やかし、出てくると奥の廊下へむかった。

 ひとまわりしてくるつもりらしい。優はつい、うらめしくその姿を目で追う。


 なんで待っちゃったんだろう。

 待ってて、とはいわれたけれど。


 そもそも、まったくしらない子だ。


 和服の彼女はどうかしらないが、優はセーターにジーンズ、冬用でもない靴下、コートという格好なので、この十数分の縁での待機はこたえた。

 屋根はあるが、床もあるが、ほぼ外である。せめて靴を履いていれば。

 音をたてないようにしつつ、ひたすら足踏みしていると、軽い足音がして少女が戻ってきた。


「お待たせ。行きましょ」


 無邪気な声。優は黙って首を縦にふり、階段をおりて念願の靴を履く。

 草履の彼女は鼻緒をつっかけると、ちゃんと履くためか二三歩、()った。

 優のすぐ後ろにきて、笑う。


「良かった。一緒の人がいて」


 ……。


 優はしばらく考えたが、相変わらず、何をいわれたのかよくわからなかった。


 なんだろう、この子。

 見た目は、しっかりしている子のようなのだけども。


 宇宙人?


 話している言葉は、日本語のはずなのに、なんで意味がわからないんだろう。


 雪と一緒に空から降ってきた系かしら……。


 庭の石畳の上を、隣にきたり、少し遅れたりしながら、そばについてくる。

 先刻ころんだ例もあるので、優はなるべくゆっくり、雪の少ない歩きやすそうなところを譲って進んだ。


「観光で来たの?」


 たずねてくるので、うなずく。


「うん」

「そう。あたしも」


 いろんな疑問が湧いたが、何もきかなかった。


 一人で?

 その格好で、それに、その歳で?


 疑問がありすぎた。


 優は十五だ。中学三年生である。少女だって、精々、十五六にしかみえない。

 遠い東の言葉で、まるで観光客みたいに和装をして、そのわりにはとってつけた風ではない。そこらのレンタル着物の趣ではない。品物がいい。すごく高そうだ。


 滅茶苦茶だった。


 大金を持って家出してきたお嬢さん、だろうか。

 お金の出どころが怪しそうな様子は、彼女の清々(すがすが)しい風情からは感じられない。

 何か一大決心をして、貯金なんかを全部おろして、新幹線に飛びのって。


 そうだわ、京都行かなくちゃ!

 行くからには着物でなくちゃ?


 大分おかしいな、と思い、優は想像するのをやめた。


 待て待て、もしかしたらお茶やお花の稽古のあとに新幹線に……それなら和服なのも……。


 門を出て石の階段にさしかかった。優がぼんやり考えている横で、また、ずるっと音がひびいた。


「あ」


 後ろに斜めに傾く体の、こちら側の腕を、優はとっさに強くつかんだ。

 柔らかい腕を傷つけないよう、手のひらに力を入れる。少女は今度は、ころぶのを免れた。


 ほっと息をつく。白いもやが雪と逆にのぼって消えた。


「ありがとう」


 はにかむように微笑んで、少女はこっちをみあげる。

 優は腕から手を離し、一段さきに降りて、もう一度さしのべた。

 少女が手をとり、そうっと、草履の足を薄い雪の上におろす。


 一段、一段。


 石の上に落葉が散り敷かれ、その上、さらに雪がひろがっている。

 優が自分の足もとと、少女の草履ばかりみていると、不意にかろやかに少女が笑った。


 高く、細く。

 それでいてふんわりと、おかしそうに。


 優と同じ段に降りると、手を載せたまま優をみあげた。


「まるで騎士様ね」


 舞い落ちる雪と反対に、白く立ちのぼる息が消える。

 黒髪の肩に雪がじわりと溶けて、透明な雫が光っている。


 ――同い年のたいていの子より背が高いから、男役扱いされるのは慣れている。手を貸すのも、身を気遣うのにも、特別、違和感はない。

 それでも、するっと、その言葉をかけられたのは、初めてのことだった。


 騎士様。


 そんなこと、滅多に口にのぼせる言葉じゃない。

 それが非常に自然だった。

 彼女の口からは。


「……そう?」


 優はやっと、それだけ、口をひらく。


「ええ。下までお願い、悪いけど、歩きにくいったらなくて」


 困ったものだわと、独りごとのようにつぶやく少女のそばから、また一段、さがって、優は細い手を持つ手を肩先へ掲げた。


「どうぞ、お姫様」


 少女は目をみひらくと、にっこり笑って、手にぎゅっと力をこめた。





 澄んだ雪花が黄や(くれない)の葉に宿って、ときは初冬。

 それが、優と少女が出会った、最初のことだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ