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ぶっ殺す探偵  作者: てこ/ひかり
第一幕
9/22

クローズド・サークル

「大丈夫よ、シュウちゃん」


 あれは確か、中学に上がる前の最後の冬休みだっただろうか。


 姉と僕が、両親に連れられて遊園地に行った時のこと。

 二人で観覧車に乗った僕らは、ゴンドラが空高く運ばれたところで、突然機械のトラブルに巻き込まれた。閉じ込められてしまったのだ。遊園地を包んでいた軽快な音楽は鳴り止み、キラキラと輝いていた色とりどりの電飾は、力を失ったかのように明かりを消していった。窓から差し込む西陽が、ゴンドラの中に不穏な影を作った。地上数メートルの高さで宙ぶらりんになった僕らは、不安げに顔を見合わせ、ひたすら機械の復旧を待っていた。


「お姉ちゃんがついてるから」


 姉が僕の隣に身を寄せて、ニッコリとほほ笑んだ。


 もう小学生も卒業するというのに、僕はそれまでの楽しげな雰囲気は何処へやら、急に萎んだ風船のようになってしまった。風にゴンドラが揺らされるたび、僕は心臓をぎゅっと掴まれたような気分になった。無駄だと知りつつも、僕はできるだけゴンドラを揺らさないように、顔を真っ赤にして腰の辺りに力を込めた。右手に握りしめていた食べかけのアイスクレープが、重力に負けてボトリと床に落ちる。


 姉がそれをハンカチで拭き取って、ブルブル身を震わせる僕に、茜色のセーターを脱いで貸してくれた。いつもは強気でしっかり者で、そのくせこの頃は僕を犬みたいに扱い始めた姉も、この時ばかりは溶けたアイスクリームみたいに優しかった。


 今にして思えば、あの時、姉だって僕と同じように不安だったはずだ。


 いつ復旧するかもわからない、空中で止まった観覧車の中。徐々に西の空に沈んでいく夕陽を眺めながら、僕は少し涙目になって姉の肩に顔を埋めた。姉は僕の頭をポンポンと撫でながら、ゆらゆらと揺れるゴンドラの中でそっと僕を抱き寄せた。


「心配いらないわ。お姉ちゃんが、守ってあげるからね」


□□□


 これでよし。


 A川は、運んできた死体を地中深くに埋め、ようやく肩の荷を下ろした。


 額に流れる大量の汗をタオルで拭いながら、ホッとため息をつく。それから、誰にも見られていないだろうかと慌てて辺りを見渡した。車の通りもほとんどない、夜の山の中。周辺に広がる雑木林には、およそ人の気配は感じられなかった。草木が突風に揺らされ、わんわんと鳴き声のように唸りを上げた。油断は禁物だが、ともかくこれで一安心には違いない。A川はもう一度死体を埋めた地面を見つめ、それから駆け足で山道の脇に停めてあったバンに戻った。


 どうせ遅かれ早かれ、死体は発見される。


 A川はそう思っていた。

 死体は地面に埋めるのが一番だ。それが一番見つかりにくいと、どこかで読んだ。だが彼は、現実はそんなに甘いもんじゃない、とも思っていた。殺害した借金取りにも、家族や仕事仲間はいるだろう。失踪届を出されたら、たちまち警察が捜査にかかる。そうなったら時間の問題だ。


 一応A川も、ネットで必死に死体の隠し場所を検索した。それでようやく見つけたのがここ、周囲を断崖絶壁に囲まれた、人も住んでいないような寂れた山奥だ。だが、素人がいくら知恵を絞って死体を隠したところで、だ。所詮付け焼き刃のその場しのぎにしかならず、およそミステリー小説や二時間サスペンスのように上手くは行かないだろう。


 だからその間に、彼はできるだけ遠くに逃げることにした。できれば数年……いや、数ヶ月でもいいから死体が発見されるのが遅れてくれれば、その間に借りた金で整形したり、海外に逃げることもできる。


「……あれ?」

 暗がりの中、バンに戻ったA川は、異変に気付き顔色を曇らせた。

 車が妙に右側に傾いている。

 慌てて下を覗き込むと、いつの間にか右のタイヤがパンクしていた。来た時はどうともなかったはずだが、元々オンボロだったから、とうとう破れてしまったのだろうか。それにしても、何もこのタイミングで……。いや、きっとトラブルとは、起きて欲しくない時にこそ畳み掛けるものなのだろう。思わぬ事態に舌打ちしながらも、A川はバンの扉を開けようと運転席に近づいた。


「うわッ!?」

 その瞬間。

 鼻っ面に鈍い痛みが走る。A川は正面から激しい衝突に合い、勢い余ってその場に尻餅をついた。運転席の扉が、急に中から乱暴に開かれたのだ。

「なんだ……ッ!?」

 彼は驚いて目を見開いた。ここへは、誰にも喋らずに、一人でやってきたのだ。同乗者はいなかった。混乱する頭の中で、A川は呆然と、扉の向こうからのっそりと現れた人物の(シルエット)を見上げていた。


「よお」

「……!」


 A川は絶句した。自分の車の中に、()()がいた。月明かりの逆光で、顔はよく見えない。思ったより細身で、若い女性の声だ。

 ただその目は異様にギラついて、嗤っているのが分かった。その人物は、A川の車の運転席に我が物顔で腰掛けていた。彼女は右手に握りしめた巨大な(ハンマー)を、A川にも見えるようにゆっくりと掲げた。

「ひッ……!?」

 A川は瞬時に危険を悟った。悲鳴を上げ、急いで立ち上がると、彼は転がるように逃げ出した。コンマ数秒差で、A川の倒れていた場所に、勢いよくハンマーが振り下ろされた。鈍い音とともに、地面が土埃を上げ抉れる。見知らぬ搭乗者は運転席から飛び降りると、そのまま何も言わず彼の後を追った。


「う……うわあああああッ!?」


 人気のない山の中にA川の悲鳴が木霊した。彼は後ろを振り返ることなく、闇雲に道を走り続けた。


 今のは、なんだ。なんなんだ。

 一体誰……借金取りの仲間だろうか。

 もしかして、もうA川がB迫を殺したのを知って、報復に来たのだろうか? 


 ふと遠くの空から、パラパラと響くヘリの音がA川の耳に届いた。

 まさか、もう警察に通報されたのか? 自分を探しているのか? 


 混乱を極めた今の彼の頭では、考えが散らかってまとまらなかった。どちらにしろ、ここにいては危ない。A川は背筋を凍らせた。先ほどの一撃を思い出し、彼はは涙目になりながら急いで山道を下った。


「ハァ……ハァ……ッ!」

 息を切らし、自分の乗って来たバンから遠く離れようとするA川の目に、信じられないものが飛び込んで来た。


「な……!?」

 山道の途中。断崖絶壁を繋ぐ古いつり橋が、ロープを切断され二つに落とされていた。


「なんだ、これは……!?」

 途切れた橋の前で息を切らしながら、A川は目を丸くした。来た時は確かにかかっていたはずなのに。何故このタイミングで……いや。

「アイツか……!」

 A川は苦虫を噛み潰したような表情で唸った。あの、バンに乗っていた謎の襲撃者。誰だか知らないが、アイツの仕業に違いない。自分を……()()()()()()()()()()、わざと出口のない環境(クローズド・サークル)を作り出しているのだ。普通は逆だろう。出口のない環境(クローズド・サークル)は、普通、()()()被害者を追い詰めるために作り出すものだ。A川は息を飲んだ。人を殺しておいてなんだが、とてもマトモな人間のすることとは思えなかった。 


「よお……」

「!」

 後ろからジャリっと砂を踏む音がして、A川は慌てて振り返った。あぜ道の隣、生い茂った草むらの陰から、両手にハンマーを構えた人物が此方を睨んでいるのが見えた。右往左往しているうちに、襲撃者に追いつかれたのだ。


「ま……待ってくれ!」

 退路を断たれたA川が、じりじりと後ろに下がりながら必死の形相で叫んだ。

「お、俺が悪かった……ッ!」

「よぉく分かってんじゃねえか」

「金なら返す……だからッ!」

「だから?」

「だから……ッ」

 

 草むらから姿を現した人物を見て、A川は再び目を丸くした。出て来たのは、彼の予想とはまるでかけ離れた人物だった。現れたのは、屈強な殺戮者というよりは、今にも消えて無くなりそうな、か細い女の幽霊だった。その彼女が巨大なハンマーを両手に握りしめ、今にもA川を殴り●さんと睨みつけている。月明かりに照らされた彼女の真っ白な肌が、暗がりの中、ぼんやりと浮かんで見えた。A川は戦慄した。A川はその場に膝を付き、教会で祈りを捧げる神父のように両手を握りしめ、目に涙を浮かべ襲撃者に懇願した。


「殺さないで……」

「死ねッ!!」


 有無を言わさず、彼女が両手に構えたハンマーを振り上げた。耳をつん裂く爆発音。それからガツン!! という衝撃とともに、A川の視界は真っ黒になり、彼の意識はそこで途絶えた。最後に彼が見たのは、夜の空の下白目を剥いて嗤っている若い女……まるで殺人鬼のような顔をした、襲撃者の姿だった。


□□□


「間に合った……!」


 パラパラとプロペラの音が鳴り響くヘリの中で、シュウはホッとため息をついた。彼の隣に座っていた所長が、麻酔銃を構えたままグッと親指を立てて見せた。


「命中!」

「すごい……流石です、所長」

 シュウは背もたれに体を預け冷や汗を拭った。眼下では、麻酔銃によって昏倒されられたシュウの姉・ヒカルと、もう一人の男性が崖の近くで倒れ込んでいた。ヒカルの危ない動きを察知し、シュウと早雲(はやも)の二人はヘリで彼女の後を追っていたのだった。


「それにしても……」


 ヘリの扉を閉め、早雲(はやも)と刻印された碧の麻酔銃を下ろし、所長がシュウに人懐っこい笑みを浮かべた。

「まさか橋を落とすだなんてね。普通、それって犯人の役割でしょうに……最近のヒカルちゃん、どんどん過激になってない?」

「所長こそ、銃の腕前がそんなにすごいだなんて知りませんでしたよ」


 先ほど、崖の上でヒカルと犯人が相見える、まさにその瞬間。間一髪のところで、夜空に浮かんでいたヘリから、北条早雲(はやも)の狙撃が炸裂した。シュウと所長を乗せたヘリは、崖に倒れた二人を回収するためゆっくりと高度を下げていった。

「急いで! そのまま病院へ!」

「プライベートヘリに麻酔銃って……所長って、何者なんですか?」

「へへん。見直した?」


 隣でガッツポーズを取る早雲(はやも)に、シュウが少し疲れた顔をしつつ笑みを向けた。それからヘリは無事昏睡状態になった二人を回収し、再び夜空へと舞い上がった。ヘリは病院へと向かった。早雲(はやも)が小さくため息を漏らした。


「シュウくんの言う通りだったね……ヒカルちゃん、やっぱり犯人を追ってたんだ」

「ええ……」

 ヘルメットを外しながら、所長がブロンズヘアを掻きあげた。

「大丈夫? シュウくん、顔真っ赤だよ?」

「大丈夫です。 ……高所恐怖症なんですよ、僕」

「無理してキミまで乗らなくても良かったのに……」


 心配そうに表情を曇らせるはやもに、シュウは頭を振った。シュウが隣に目を向けると、先ほどまでハンマーを振り回していた姉が穏やかな寝顔を見せていた。その表情は先ほどの鬼気迫るものとは打って変わって、まるで子供のようだった。ヘリが高度を上げ、パラパラと大きな音を立てながら、夜の空を切り裂いて進んでいった。


「……今度は僕が守るからね、姉さん」


 シュウは小さな声で一人そう呟き、寝静まる姉に自分の探偵(トレンチ)コートをかけて上げた。それから憂いを帯びた目で姉を見つめ、彼女の黒髪をそっと撫でるのだった。

第261条 前3条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する。


(引用元:刑法第261条)



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