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ぶっ殺す探偵  作者: てこ/ひかり
第一幕
6/22

時刻表トリック②

「うわああああああああああッ!?」


 人気のない大きな工場跡地に、見知らぬ男の叫び声が響き渡った。


 年齢は二十代前半くらいだろうか。縦縞のスーツに身を包んだ若い男が、長年の雨風で錆びついた機材の間を、まるでデタラメに走っていた。そこそこの値段がしそうなケバケバしいスーツには、途中で転けたのだろう、膝や肘のあたりが擦り切れたように破けていた。


「ハァ……ハァ……ッ!」

 だが男は高級そうな服の破れを気にする素振(そぶ)りも見せなかった。そんな余裕はなかったのだ。彼は開けっ放しになっていた狭い倉庫の奥の、壊れたトラクターの影に無我夢中で飛び込んだ。それから男は滴る汗もそのままに、物陰でジッと息を殺す。音を立てないように、()()()からその身を隠した。


「ハァ……ハァ、ハァッ!!」


 午前八時過ぎ。


 彼の右手に巻かれた金の腕時計が、開け放たれた窓から差し込んだ朝の光に照らされてキラリと光った。男の潜んでいる廃工場から、道を一本挟んだところにオフィス街がある。今頃は通勤ラッシュの満員電車から吐き出された大量のサラリーマンたちで、ごった返していることだろう。だが、草木も野ざらしになったこの場所には、立ち入り禁止のロープが張られていることもあり、今は人っ子一人見当たらない。誰も近づく者はいなかった。


「チクショウ……!」

 男は唇を噛んだ。血走った目で恐る恐る後方を覗き込み、一人小声で毒づく。強く握りしめ過ぎたその拳からは、先ほどから爪が皮膚を突き破って、うっすらと血が滲んでいた。彼の視線の先には、拍子抜けするほど爽やかな青い空が広がっていた。

 人影はない。

 彼がほんの一瞬安堵の表情を見せた、その時だった。

「!」

 ザッ、ザッ、と砂利を踏む音が、息を潜める男の耳に飛び込んできた。

 それから、ブォォォ……ン!! と唸るように低く響く、不気味な機械音。彼はたちまち表情を強張らせ、生唾を飲み込んだ。


「……!」

 やがて彼が飛び込んだ倉庫の入り口に、ゆっくりと()()()がやってきた。その()()()は……背の高い細身の女性で……男が隠れている暗がりの倉庫の中を舐めるように眺め回した。彼女の柳の枝のように細い右手には、小型のチェーンソーが握られていた。彼女は高速で回転する小型の刃をゆらゆらと揺らし、中にいるであろう男を探して舌舐めづりした。


「残念だったなァ……そっちは行き止まりだ」

「……!!」 


 一つしかない入り口に仁王立ちし、恍惚とした表情で嗤うその女性……私立探偵・明智ヒカルを見て、男は思わず絶句した。身動ぎひとつ取れなかった。ヒカルは一歩、また一歩と暗がりの倉庫の中に足を踏み入れた。ゆっくり、ゆっくりと……時折右に左に顔を伸ばし、どこか物陰に男が潜んではいやしないかと、丁寧に一つ一つ確認して行く。チェーンソーの刃音が、静かだった倉庫の中に木霊して、男の耳元でわんわんと唸りを上げた。

 

 やがてヒカルの足音が、男の隠れていたトラクターの前でピタリと止まった。男が息を飲んだ。一瞬の沈黙が、壊れたトラクターを挟んで、二人の間に流れる。一秒が十秒にも永遠にも感じられる、時間を凝縮したような沈黙。背中越しに感じる彼女の気配、鳴り止まない回転音。男は堪らず、その場から転がるように飛び出した。

「ま……待ってくれ! 俺は……!」

 腰を抜かし、命乞いをする男の視界に飛び込んできたのは、頭上高く掲げられたチェーンソーの刃だった。

 次の瞬間、チェーンソーが彼目がけて勢い良く振り下ろされた。男の姿を見るや否や、ヒカルは問答無用で凶器を振るった。


「ぎゃああああああああッ!!」

 男が白目を剥いて泣き叫んだ。チェーンソーの刃は、だが彼女の細い腕では勢い余って、狙いをわずかに外した。高速回転する凶刃が、腰を抜かした男の右耳をかすめ、すぐ隣に突き刺さった。

「うわああああああああああああッ!!」

 男の耳が、ちょっとだけ切れた。

 耳元でギャギャギャギャギャギャ!! と削れていく古びた木造の壁を見て、男は仰け反った。ヒカルもまた白目を剥き、残念そうに「チッ」と舌打ちした。それからスカートの下から太ももが露わになるのも構わず、にゅっと伸ばした右脚を壁につけて踏ん張って、突き刺さったチェーンソーを引っこ抜き始めた。清潔感溢れる白いスカートが、滲んだ血でところどころじんわりと赤く染まっていく。彼は泣き叫んだ。


「待ってくれって言っただろう!?」

「ああ言ったな。テメーが●した被害者だって、おんなじコト言っただろうよ……」

「オ……」


 ヒカルがチェーンソーを引っこ抜き、再び倒れ込む男に近づいて言った。彼は口元から泡を吹き、スーツの胸元のポケットから、震える指で一冊の文庫本を取り出した。

「俺が、殺したって……!? ア、アリバイがあるって言ってるだろ!? 俺のアリバイが解けたのか!?」

「アリバイ……」

「そうだよ! この時刻表をよォく見てくれ! 俺はどう考えても、事件が起きた当日には現場には……!」


 男の言葉に、ヒカルがようやく動きを止め、左手で彼が差し出した文庫本を受け取った。それから間髪容れず、右手に持っていたチェーンソーで、受け取った『JR時刻表・三月改定号』をビリビリと引き裂いた。


「ああッ!?」

「これが答えだ」

 男が目を引ん剝いた。ヒカルは細切れになった紙くずを、まるで桜吹雪のように全身で浴びながら嗤った。


「何をするんだ!? オ、俺の時刻表(アリバイ)が……」

「知るか、そんなもん。アリバイとか証拠とか、関係ねえんだよ。テメーが犯人だってわかってりゃそれで十分だ」

「あんた、本当に探偵か!?」

 焦点の合わない目で唾を飛ばす男に飛びかかり、ヒカルは馬乗りになった。

「うわああ……うわああああああ!!」

「大人しくしろ!!」

「姉さん!!」


 ヒカルがチェーンソーを振りかぶったその時。倉庫の中に、また別の誰かの声が飛び込んできた。逆光に照らされたその人物を振り返って、ヒカルは眩しそうに目を細めた。


「よお、シュウ」

「姉さん……!」

 倉庫の中の状況を一目見て、シュウその場で凍りついた。ヒカルは入り口で立ち(すく)む弟に嗤いかけた。

「待ってろ。今朝食にサイコロステーキを作ってやる……」

「食べたくないよ! そんなもの!」

『動くな!!』


 突如ノイズの混じった怒声が響き渡り、シュウの後ろから、大量の警官たちが現れた。彼らは瞬く間に倉庫の入り口を埋め尽くし、中でもみ合いになっていた二人に銃口を向けた。


『観念しろ!! もう逃げられんぞ!!』

 制服警官に紛れ、マフィア顔の警官の一人が、スピーカーを片手にそう叫んだ。

「だってよ」

 逆光の中、自分に向けられた大量の銃口を前に、ヒカルが渋々チェーンソーを下ろした。それから彼女の下で呆然とする男に嗤いかける。男は口をパクパクと動かすばかりで、一言も発しなかった。

「良かったな、命拾いして」

『お前だよ。お前に言ってるんだ、明智ヒカル』

 スピーカーを持った警官が、半ば呆れ顔でヒカルに怒鳴った。


『明智ヒカル! 脅迫及び殺人未遂、その他諸々の容疑で、お前を現行犯逮捕する!!』


□□□


「ありがとうございます、猪本警部。わざわざ送っていただいて……」

「別に構わんよ」


 突き出した両手に布を被せられ、パトカーで連行されていく犯人と、姉。二人を見送りながら、シュウは横に立っていたマフィア顔の警官に話しかけた。猪本と呼ばれたマフィア顔の警部が、ブラウンのトレンチコートを風に靡かせながら肩をすくめた。


「パトカーでサイレン鳴らしてかっ飛ばしゃ、新幹線で行くより少しは時間短縮になっただろ」

「はい。静岡駅から降りて現場に向かうにしても、途中のインターチェンジで降りた方が近道でした」

 シュウが頷いた。

「犯人は警察関係者だったんですね。『時刻表』のアリバイトリックは()……実際はパトカーを用意して、サイレンを鳴らし、高速道路で時間短縮を図った」

「面目無い話だ、身内からこんな……」

「警部はどうして、姉がここに逃げ込んだって分かったんですか?」

「フン。警察としての勘だよ……と言いたいところだが。今の警官が使ってるPフォンには、全部GPSが搭載されとるんだ」

「なるほど……」


 それから猪本は、不機嫌そうに鼻を鳴らすと、パトカーに乗り込んだヒカルにツカツカと歩み寄った。


「明智よ」

「…………」

 猪本の問いかけにも、ヒカルはしばらく押し黙って、明後日の方向を睨んだままだった。猪本が呆れたように肩をすくめた。


「全く……お前はどうしていつもそうなんだ? ちゃんと手順を踏んで、ルールを守って正しく捜査すると言うことを知らんのか? え?」

 睨みを効かせる猪本に、ヒカルはようやく顔を向け、低く唸った。

「……それは、会議室の中とか、紙の上でのキレイ事でしょ。猪本のオッサン」

「オッサ……」

現場(コッチ)じゃそんな事言ってられませんよ。それで犯人に逃げられたらどうするんですか? 黙って次の犠牲者が出るまで、指咥えて待ってるんですか? 現場(コッチ)生きるか死ぬか(デッドオアアライブ)なんで」

「俺のいる現場と、お前のいる現場はどうやら大分違うらしい」

 猪本が渋い顔をした。

「結果的に事件を解決すれば、何をしてもいいって訳じゃないからな。いくら事件解決のためだからと言って、いつまでも情状酌量じゃ通じんぞ」


 探偵(ヒカル)はそれには答えず、黙ってパトカーの後部座席に座っていた。シュウは、隣のパトカーに乗せられた今回の犯人の顔をちらりと見た。かわいそうなことに、その顔は憔悴しきっている。とにかくヒカルに細切れ(サイコロステーキ)にされて、痛い目に遭わずに済んだと言う安堵で、魂が抜けたようになっていた。


「事件を解決したいって気持ちは痛いほど伝わるんだがね……痛いのは気持ちだけにしてくれんと」


 やがて、去っていくパトカーを見つめながら、猪本が呆れ顔でシュウを振り返った。シュウはそれには答えられず、朝の日差しに目を細め、ただ苦笑いを浮かべるのだった。

第六十六条 犯罪の情状に酌量すべきものがあるときは、その刑を減軽することができる。


引用元:刑法第66条

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