53話 フラスケちゃんとのコミュニケーションからの原材料・小麦粉
エルフの青年、アナベルは走り続けていた足を止め、チッ! と舌打ちしてから、不愉快そうに地面を蹴飛ばした。
「あー! くそっ! もうやめよう! これ以上走っても追い付くのは無理だ!」
「えっ!? じゃあ、あの子を探してあげないの? 1人にして、あの子が迷子になっちゃったりしたら可哀想だよ?」
驚いたように言ったジャッドに対し、アナベルはついさっき怒鳴っていたのとは別人のような優しい口調で答えた。
「ははっ、大丈夫さ。 あの子の本体は里に置いてきてあるから、里に帰ってからそれを使えば、すぐ近くに呼び戻せるんだ。 だから、彼女が迷子になる心配はないんだよ」
「……そうなの? だったら大丈夫なのかな?」
「ああ、心配はないさ。 ……それより、走ったら汗をかいてしまった。
さっきの水浴びも途中でやめてしまった事だし、改めて魔法を頼めるかな?
僕は水魔法はあまり得意じゃないから、君にお願いしたいんだ」
「あ、うん。 わかったよ。 じゃあ、あそこの岩の裏に行こうよ」
岩の崖で、ジャッドの水魔法で汗を洗い流しながら、アナベルは飛び去った少女の事を考えていた。
(あの子は、お母さんって言っていた…… でも、あの子に母親が居ない事は、あの子を創りだした僕が一番知っている事だ。 精霊であるあの子が母親だと勘違いする相手か…… それに、この方向は、例の村と一致するよね……)
「噂の精霊姫様…… もしかして、本物なのかな?」
呟いたその言葉は、微かに震えていた。
その震えが喜びから来るものなのか、苛立ちから来るものなのかは判らない。
あるいはアナベル自身も、自分の感情がどういうものなのか、把握していないのかもしれない。
ーーーーーー モーリン視点
どうもこんにちは、お母さんです。
更に言えば、外見年齢10歳程のシングルマザーです。
……う~ん。 犯罪の匂いが漂うワードですねー。 それはもう、溢れる程に。
もちろん私は子どもを産んだり、口から卵を産んだりした覚えはありません。 なのに突然、私をお母さんと呼ぶ女の子が現れたので困惑している所です。
んー、可愛い女の子になつかれるのは悪い気はしませんが、できればお母さんではなくて、お姉ちゃんと呼んでもらいたいものですねー。
で、その女の子は今、私のすぐ右側にいます。 あっ、ちなみに左にはちくわちゃんがいますよ。
ぺルルちゃんの推理によると、この子、フラスケちゃん(仮)は、どうやら精霊のようです。
で、最初は日本語で話しかけてきたと思っていたのですが、それは日本語ではなくて、精霊語ではないか? というのです。
ぺルルちゃんの解説によると、精霊語は、念話の親戚のような言語で、普通の念話と違って言葉の通じない相手にも意思が伝わる優れものらしいです。
ただ欠点もあって、心から伝えたいと思っている言葉しか伝えられないため、嘘はもちろんの事、言葉遊びや遠回しの表現などは使えないらしくて、雑談などには向かないようです。
そのためでしょうね。 フラスケちゃんの口調は、外見年齢よりも少し幼い感じがします。 まあ、それもまた可愛いんですけどね。
んー、ですけど嘘がつけないはずの精霊語で、私をおかあさんと呼ぶということは、少なくともこの子は私を本気でお母さんだと思っているという事ですよね?
……私って、そんなに母性に溢れて見えますか?
そんな疑問を感じつつ、私はフラスケちゃんをなでなでしました。
あっ、普通に触ろうとしてもすり抜けちゃうので、手の表面に不思議パワーをまとわせてから撫でるのがコツですよ。
それと、コツというのとは少し違いますが、ちくわちゃんを撫でてあげるのも忘れちゃいけませんよ。
さっきフラスケちゃんだけ撫でてあげたら、ちくわちゃんが捨てられた仔犬みたいな目で私を見たので、胸が抉られるような気分になりましたから。
……抉られるほど胸無いじゃん! とか思うかも知れませんが、そういった物理的な話ではなくて、精神的な話ですよ?
「おかあさん! なでてくれて嬉しい! 嬉しい!」
フラスケちゃんは、そういって無邪気に笑います。 うん、可愛いです。
この笑顔が見られるなら、もう私、お母さんで良いです!
私の心は、可愛いければOK! という方向に大きく傾いています。
いえ、フラスケちゃんがどこから来たのか? とか、何で私をお母さんと呼ぶのか? とか、そういう疑問は解決しておくべきだとは思うのですが、それがなかなか難しいんですよねー。
ほら、ついさっきまで自分でもすっかり忘れてましたけど、私も精霊じゃないですか。 で、実際にフラスケちゃんの精霊語も理解できてますし、私も精霊語を使えるはずなんです。
ところがギッチョン。 いざ話そうと思うと、どうすればいいのかわかりません。
念話に近いものみたいなので、そのつもりでトライしてみたんですけど、うまく伝わっていないみたいなんですよねー。
「なにかお話しして? なにかお話しして?」
……っておねだりされたのに話してあげられなかった事には、かなり強烈な無力感に襲われましたが、フラスケちゃんはそんな私の様子を見て、私が精霊語もこの世界の言葉も話せないという事に気がづいたようです。
その後はもうお話しをおねだりされる事はありませんでした。
その時にフラスケちゃんが浮かべた寂しそうな笑顔を見て、幸せな笑顔に変えてあげたいと思ったんですよ。 それに、フラスケちゃんのリクエストに応えられなかった罪悪感もありましたし、この子が私にお母さん役を求めているのなら、それに応えてあげたいなー、って考えました。
私は、右手でフラスケちゃんをなでなでします。 すると今度はちくわちゃんが悲しそうにしたので、左手でちくわちゃんをなでなでします。
んー、不公平は良くないので、後でぺルルちゃんとセレブお嬢さんもなでなでしなくてはいけませんねー。
「……*もekLgk?」
その時、フラスケちゃんがちくわちゃんに向かって何かを言いました。
さっきも何度かちくわちゃんと話しているのを見ましたし、ちくわちゃんとフラスケちゃんの間では普通にコミュニケーションが取れるみたいですね。
あっ、なら、ちくわちゃんに通訳してもらえばフラスケちゃんに色々と質問ができます!
……と思ったんですが、まず、ちくわちゃんと会話が成立しないんですよね。
ちくわちゃんとは、なんとなくコミュニケーションが取れている感じなので、会話が出来ているような気になっていました。
「eR4モーリン#2ちくわ」
あ、ちくわちゃんの『ちくわ』がでましたね?
「aP5h$ちくわd3・eR5ちくわsV」
おお? フラスケちゃんも『ちくわ』って言いましたか? しかも2回。
「ちくわ……uIa#ちくわ、ちくわ!」
「uIaちくわ! ちくわ!」
ちくわちゃんとフラスケちゃんは、2人でちくわ! ちくわ! と言いながら笑い合っています。
……なんだか仲良くなってます? いったいどんなやり取りがあったんでしょうか?
「doWx2? #a1qちくわ」
「uIa8! kよet4Fちくわ」
ちくわちゃんがぺルルちゃんを指差してちくわと言うと、フラスケちゃんは笑顔で頷いてちくわといいました。
「#k8gFcちくわ、ふesAq2fx……ちくわf3E?」
「めdGr1Xcる*、ちくわdrK」
今度はセレブお嬢さんを指差して2人でちくわちくわと言ってます。
どうやら2人の中ではぺルルちゃんもセレブお嬢さんも『ちくわ』のようです。
……しかし、会話の中で、ここまで『ちくわ』というワードが飛び交っているのを初めて聞きました。
「Wgモーリンe7U¥、ちくわ!」
ちくわちゃんが、私を指差して『ちくわ』と言いました。
それに対してフラスケちゃんは……
「リcMbMr2scMbM……ちくわぶ」
ちくわぶ!? なんで私だけちくわじゃなくてちくわぶなんです!?
1人だけ原材料から違ってるんですが、私ってそんなに小麦粉っぽいですか!?
ちくわぶは嫌いではありませんが、1人だけ仲間外れは嫌です!
私もちくわにしてくださいよ、どうすれば原材料を小麦粉から魚肉に変更出来ますか? 神殿かどこかでジョブチェンジはできますか?
教えてください! フラスケちゃん!!
精霊語を使いこなせない私の心の叫びは、当然フラスケちゃんには届きません。
結局ちくわぶからちくわにチェンジする方法を教えてもらうことはできませんでした。
そしてそれから10分ほどたちました。
2人はすっかり仲良くなったようで、楽しそうにお話ししています。
姿が見えなくて、言葉もわからないぺルルちゃんと、多分言葉は通じているけど姿の見えないだろうセレブお嬢さんと、1人だけちくわぶな私は置いてけぼりな感じですが、ちくわちゃんとフラスケちゃんが友達になったのは良いことですねー。
「ねえ、リン。 なんかあの2人をほっこりと眺めてるような雰囲気を感じるんだけど、もしかしたらそんなのんびり平和な話では終わらないかも知れないわよ?」
微笑ましい空気に水を指すように、ぺルルちゃんが真剣な表情で口を開きました。
「少し考えてみたんだけど、その精霊ってなにかおかしいわ。 まず、空を飛んで突然やって来たけど、普通の精霊は土地や物に宿るから自由に長距離の移動なんかできないはずよ。
自由に動けるのは、よほど高位の精霊か、リンみたいに実体を持っているかのどちらかだけど、その子は実体は無いみたいだし、高位の精霊にしては魔力が歪……というか、不安定な感じがするのよ。 ……なにか面倒な理由がありそうな予感がするわ」
んー、面倒な理由ですか…… できれば面倒事は避けたいですが、私はすでにフラスケちゃんを好きになっちゃいましたから、いまさら関わらないという選択肢はありません。
フラスケちゃんに面倒な何かがあるのなら、手助けしてあげるべきですよね。
「……すっかりその子に情が移っちゃってるみたいね。 リンらしいわ。
……よし! 私は、ちょっと妖精界に戻って精霊について調べなおしてくるわ。 その子の事もディアモン様に報告しておいたほうが良さそうだしね」
そう言ったあと、ぺルルちゃんは「私が居ない時に無茶しないでね!」と言いながら転移魔法を使って実家に戻りました。
行ってらっしゃーい。 ディアえもんによろしくー。
ぺルルちゃんを送り出した後、改めてみんなを見ます。
セレブお嬢さんは、途中、何度か会話に参加していたようでしたが、今は少し離れてちくわちゃんとフラスケちゃんの様子を見守っているようです。
ちくわちゃんとフラスケちゃんは、凄く楽しそうにお話ししています。 タイプの違う美少女が笑顔でお話ししているのは、実に絵になる光景ですねー。
……ですが残念な要素が1つあります。
今、2人は私の左右にいるわけですが…… 実は、私は今ゆるキャラ状態なんですよ。
想像してみてくださいね? まず、正統派金髪美少女エルフと、無垢な笑顔の神秘的精霊美少女が、仲良く向かい合っています。
周囲に広がるのは、青いバラと黄金の鈴蘭が咲き乱れる美しい光景です。
……そして真ん中には、木の幹からスポッと顔を出す無表情少女が居座っています。
もしこの場面が絵や写真になったらとしたら、見た人は一斉に私を指差して、
「お前邪魔だー!!」っと叫ぶことでしょう。 とても美しい光景だからこそ、中心にいる私の存在が、よりシュールに見えると思います。
……ですが、私が邪魔に思われるのは承知の上です!
邪魔と言われようが、ちくわぶと呼ばれようが、この場所は簡単には譲りません!
私は、左右の2人をギュッと抱きしめました。
ーーーーーー とある平原にて……
アナベルは、自分の歩く道がだんだんと平らに整備されたものに変わってきた事に気づいた。
「ふう…… 道も整備されているみたいだし、もうすぐ目的の村かなぁ?
若草の民の村か…… 半端者とはいえ、仮にもエルフの末裔が住む村なんだから、人間の村よりマシな事を期待してるけど…… さあ、どんなものかな?」
そう言ってポケットからドライフルーツを1つ出して口に放り込むアナベル。
……彼がモーリン村に到着するまで、あと僅かである。
次の投稿も2日後の予定です。