49話 モヤモヤ気分からのワサワサトレーニング
深く、静かな森の中。 木と石で作られた簡素な家が並ぶ里があった。
そこには老若男女合わせて400程の人影があったが、彼らは皆、人間ではない。
彼らは皆エルフであった。 そう、ここはエルフだけが住む里なのだ。
純血のエルフは数人のみで、他は皆ハーフやクォーター。
しかもその純血の数人も自称であり、本当に純血のエルフなのかは不明であるが、それでもエルフが優良種であり、その血を引く自分たちは人間よりも上の存在だと思っている彼らは、『自分は紛れもないエルフであり、この里はエルフのみが住む聖域である』と強く主張していた。
『深緑の民』
それが彼らの一族の名である。
森の中にあるこの里の中でも、最も森の奥に位置する所にある花畑。
この場所は、この里のエルフであっても用もなく近づくことは禁止されているのだが、今日はこの場所に駆け寄る人影があった。
「アナベルさん! 大変です!」
青年が大声を上げて駆け寄って来ると、花畑の前の石に腰掛けていた人物が立ち上がり、駆け寄って来た青年を怒鳴り付けた。
「ここには誰も近づくなと言っただろう! 僕の言葉が聞こえなかったのか!? それとも理解が出来なかったのか!? 悪いのは耳か!? それとも頭か!?」
「すっ……すみません! ですが、本当に大変な事があったんです! 若草の民の所に精霊様が現れたそうです! しかも、その精霊様は実体を持っていて、一部では精霊姫の再来ではないかという噂も……」
「……なんだって? 若草の民の所に精霊姫様が?」
アナベルと呼ばれたフード姿の男は、青年の言葉に驚いたような表情をしたが、その後すぐに張り付けたような笑顔に変わり、優しげにささやくような口調で持論を語り始めた。
「……それは偽物だよ。 精霊姫様ほどの方なら、原初のエルフの血を色濃く引く、この僕の前に現れるはずさ。 若草の民なんて半端者の所に現れるなんて、本物の精霊姫様ならあり得ない事だよ」
フードの男…… アナベルの言っていることは、自分以外に精霊に選ばれる者は居ないと、心から信じこんでいる物で、他の派閥から『選民主義に凝り固まっている』と言われる深緑の民の中であっても異質と思われる程に傲慢であった。
だが、その言葉を間近で聞いていた青年はそれに何も言わなかった。
何も感じていないわけではない。 たが、意見を口に出すことが許されないのだ。
エルフの血の濃さが重要視されるこの里では、原初のエルフの子孫であるアナベルは、たとえ里の長であっても強く物を言えない存在なのだ。
「それで? 長はどういう対応を考えているんだい?」
「あ、はい。 若草の民達に精霊姫様の身柄を引き渡すように命令するようです。 今、使者を送る準備をしています」
それを聞いたアナベルは、少し考えてから口を開く。
「使者か……よし。 僕が行こう。 その精霊姫様が本物なら、伴侶になるべき僕が迎えに行くべきだし、偽者ならその場で断罪すればいい。
そう言う事だから君は、僕が使者として行くって、長に伝えてきてくれないかい?」
「はい!」と一言返事をして走り去る青年の事など、アナベルは、もはや気にも留めていなかった。
「精霊姫様か…… 偽者だとは思うけど、もし本物だったら、あの子は要らなくなっちゃうかなぁ? それなりに苦労して育てたんだけど…… まあ、結論を出すのは、直接その自称・精霊姫様を見定めてから……だね」
ーーーーーーモーリン視点
どうもこんにちは、モーリンです。
今朝、ぺルルちゃんが深刻な顔で話しかけてきました。 前に言っていた家出少年のジャッド君の捜索を本格的に手伝って欲しいとの事です。
前は、『見かけたら連絡して』くらいに言っていましたが、事情が変わったみたいです。
なんか、お仕置きのプロみたいな妖精さんが来るらしくて、ジャッド君がその妖精さんに補導される前に、私たちで穏便に保護しようという話です。
お仕置きのプロ…… 怖いですねー。 捕まったら、お尻ペンペンとかされちゃうんでしょうか?
うーん、子供に体罰は良くないですから、確かに私たちで保護した方がいいですよね。
そう思って、ぺルルちゃんのお手伝いを快諾したんですけど、『さあ! やりますよー!』と気合いを入れた所で、居場所がわからないから、まだ普段通りに生活してていいって言われて、ズッコケそうになりました。
話を聞くと、ディアえもんから秘密道具を借りたので、ジャッド君が例の悪い魔力を使ったら居場所がわかるそうです。
なので、その反応があってから行動するようですね。
んー、ですがそれは、ジャッド君が悪い事をするのを待つということですよね?
本当は悪い事をする前に保護する方が良いんですけどねー…… とはいえ、今の所、先手を取って探す手段が無いのは確かですから、仕方ないと言えば仕方ないんでしょうし…… うぬぬ、なんだかモヤモヤしますねー。
気がつくと、悩む私の顔をちくわちゃんが覗きこんでいました。
その表情は少し心配そうです。 ……私がモヤモヤ気分なのを気付いているんですか?
おや? ぺルルちゃんもセレブお嬢さんも心配そうな顔をしてますね?
……どうやら、ちくわちゃんだけではなく、皆さんにモヤモヤ気分がバレてるようです。
私のこの鉄壁の無表情から感情を読み取るとは、皆さんやりますねー?
私は、私の顔を覗きこんでいるちくわちゃんの頭を抱き寄せ、動物をモフる感覚で頭をわしゃわしゃと撫でました。
うん。 あまり皆さんを心配させたくないですし、気持ちを切り替えます!
さあ! もっと楽観的に、前向きな思考をポジティブシンキングしましょうか!
考え方を変えましょう。 ジャッド君が悪い魔力を使って何かが起きてしまっても、大事故になる前に私が止めればいいのです!
そのあとに保護してお家に帰してあげれば、あとはディアえもんがしっかりとお説教してくれるでしょう。 それでズバッと解決です!
さて! モヤモヤ気分は忘れましょう!
ぺルルちゃんの言う通り、今は普段通りの日常を送りましょうか。 まずは村の散歩でも…… おっと、その前に、っと。
私はセレブお嬢さんを抱き寄せてなでなでしました。
ちくわちゃんだけとスキンシップをするのは不公平なので、みんなを平等に愛でましょう!
セレブお嬢さんは、多分、20歳過ぎですし、外見も目力のあるデキル女タイプなので、過剰なスキンシップは好まなそうに見えますが、実は頭を撫でると凄く嬉しそうに笑うんですよねー。 そのギャップがとっても魅力的です。
さて、次は……
私はぺルルちゃんを見ました。 すると、ぺルルちゃんはビクッ! と、驚いた猫の様な動きをしました。 そして、空を飛んで私から離れようとしますが…… 遅いですよー!
私が意識を集中すると、周りの動きがスローモーションの様に見えました。
当然、ぺルルちゃんの動きもハッキリ見えていますよー。 私はぺルルちゃんを後ろに回り込み、そしてぺルルちゃんを優しくキャッチして、指先で頭をなでなでします。
「あれ!? いつの間に後ろに!? ……ちょっと、リン!? 私を撫でるためなんかに、わざわざ身体能力の無駄遣いをしないでよ!」
ふっふっふっ。 『能力の無駄遣い』は、日本のオタクにとっては、誉め言葉ですよー。
ぺルルちゃんも、表面上は嫌がっていますが、実は照れてるだけです。
スキンシップ自体は好きみたいですから、少し強引にでも撫でに行くのがぺルルちゃんを愛でるコツですよ。 そうしたら、仕方ないわね~、みたいな顔をして、大人しく撫でられていてくれますから。
……ふぅ。 堪能しました。
3人を愛でて、美少女成分を補充したので、これで私も美少女です!
……冗談ですよ? 私は自分が珍獣ポジションなのはわかってますから。
ですがまあ、3人を愛でているうちにモヤモヤ気分は晴れました。
さあ、改めて散歩に出かけましょう! きっと何か素敵な発見があるはずです!
……しばらく村を散歩して、2つ大変な発見をしてしまいました。
まず1つ目です。 この前の大きな街から一緒に来た団体さんの中に、犬の獣人さんがいたというのを今日、初めて知りました。
今まで何度も顔を見ているのに、今日になって、やっと初めて気付いた自分にビックリですね。
言い訳をさせてもらうと、この人、前に会った猫耳メイドさんみたいに、人間に動物のパーツが付いたタイプではなくて、動物が二足歩行してるみたいな、ガチのタイプの獣人さんなんですよ。
で、初めて見た時に、随分と毛深い方ですね~、とか思ってしまいまして、そのせいで『毛深い人』という先入観が強くて、顔が犬だという些細な点が見えなくなっていたようです。
先入観とは恐ろしいものですねー。 ここまで視野を狭めるとは。
そして、2つ目の発見です。
村で会った皆さんの半分くらいは、私の顔を見ると、両手を左右に伸ばしてワサワサと羽ばたく、私の動きを真似してくれるんです。
最初は、動きの真似をされるなんて、私も芸人ポジションが定着してきましたねー、なんてホッコリした気分で見ていたんですが、そこで気付いたんです。
この『ワサワサ』は、皆さんが真似をするという事は、皆さんの中では、きっと私の定番ネタだと思われているんですよね?
なのに、私は前回のライブでワサワサしませんでした。
きっとそのせいであまりウケなかったんです! ライブで定番ネタをやらなかったから、見ているお客さんが、アレ? って困惑して変な空気になってしまったんですよ!
うぬぬ…… お客さんの求めている物を考えず、自分が面白いと思うネタを一方的に押し付けるなんて、エンターテイナーとして、下です! 下の下です! ゲゲゲのゲです!
んー、私も修行が足りませんねー。
私には、学校も試験も何にもないのですから、自主的に修行しなくてはいけないんですよね。 夜に墓場で運動会するくらいの根性を見せなくてはいけません。
帰ったら早速トレーニングですよ! ワサワサの素振りを100セットです! 今までよりも美しい羽ばたき方を追究しなくては!
帰った私は、切り株の上に立って、ひたすら夕日に向かってワサワサしていました。
ちくわちゃんもセレブお嬢さんも不思議そうに見ていますし、ぺルルちゃんは直接、
「ねえ、リン。 いったい何があって、そしてどんな結論になってその行動に繋がるの?」
と問いかけて来ましたが、私は、
モーリンズ・ブートキャンプ・ケッカニ・コミット
とだけ答えて、トレーニングに集中しました。
私は、このワサワサを極めて、次のライブを成功させてみせます!
ーーーーーー
その日の夜、フリージアは長老の家に訪れていた。
「なんかモーリンが、夕日の方向に向かって、ずっとワサワサしてるの。
なんだかいつもより真剣な雰囲気だったから気になるんだけど、何だろう?」
そう言って首を傾げるフリージアの問いに、長老・タンジーは、うーむ、と唸る。
「夕日の方向…… ここから西と言われて思い当たるのは、エルフの聖域じゃが…… まさか、深緑の民に何か不穏な動きがあるとでも?
確かに、そろそろモーリン様の噂があやつらの耳に届いてもおかしくない時期かもしれん。 だとすれば警戒はしておくべきかもしれんのぅ」
誰も知らない事であったが、奇しくもモーリンが夕日に向かってワサワサしていたその時は、深緑の民・アナベルが精霊姫の噂を見定めるために里から旅立った時間と一致していた。
次も2日後の投稿予定です。