閑話 笑う毒蛇
裏ギルドと呼ばれる組織がある。
冒険者ギルドや商人ギルドに代表されるような、社会と密接に関わりのある、いわゆる表のギルドではなく、かといって暗殺者ギルドや盗賊ギルドといった、無法の犯罪組織とも違う。
敵討ちの代行、夜逃げや移民や義賊の逃走の手助け、権力者の悪事の暴露など、法に照らし合わせれば明らかに違法ではあるが、人の感情で見るならば悪とも言い切れない。 そんな依頼を引き受ける組織だ。
その組織に、『笑う毒蛇』と呼ばれる男がいた。
毒物の扱いを得意とし、必要であれば卑怯な手段も躊躇なく使うが、普段は温厚で人当たりが良い。 そんな、この男の特徴からつけられた二つ名である。
この男は、エルフの血を引く一族の生まれで、その薬の知識と技術を使って裏ギルドの中で成り上がって行った。
街で暮らし、人間からの依頼を受け、エルフの技術を使って報酬を得るという意味では、男は、『花園の民』と呼ばれるエルフに属していると言えるのだが、男にとっては裏ギルドの仲間こそが同胞であり、エルフの中で自分がどの派閥に分けられているかなど、大した意味は無いものだ。
男がエルフの派閥というものに意識を向ける切っ掛けになったものは、一人の女性であった。
いや、彼女は、男の人生そのものに影響を与えたと言うべきだろう。
この女性は、男の家の近所にある花屋の娘で、男がエルフの知識から花の世話のコツなどを教えた事が切っ掛けで仲良くなっていった。
男の女性への気持ちは愛情であり、女性の男への気持ちは友情であったが、男はそれでも良いと思っていた。 そばで笑ってくれるなら、それで良かったのだ。
だがある日、彼女は注文された花を仕入れに行くと言って外出し、行方不明となった。
男は女性の行方を探した。 幸い男は職業柄、情報を集める事は慣れていたし、そのためのルートもある。 男が本気で探した結果、女性は数日程で見つかった。
彼女は、森で花を探している時に魔物に教われ、そのときに助けてくれた『深緑の民』に属するエルフの戦士に見初められ、エルフの里に連れて行かれたようだ。
女性は、当初は困惑していたようだが、今ではエルフの戦士のアプローチに対し、まんざらでもない様子らしく、そのままエルフの里で暮らす事も嫌がってはいないらしい。
危機を救われた女性が、その恩人に見初められ、種族を越えて愛を育み、余所者を毛嫌いする頑固な深緑の民のエルフたちにも、少しずつ受け入れられてゆく。
美しい恋物語ではないか。
男は女性の運命の恋を祝福し、彼女の事を忘れたふりをして、自分の暮らしに戻った。
そして、十数年の時が流れたある日…… 突然彼女は、男の前に帰って来た。
十年以上経った今、もう彼女の住む家など残っていない。 男は女性を自分の家に招き入れると、彼女の好きだった配合で、ハーブティーを淹れた。
「……良い香り。 このブレンド…… まだ覚えていてくれたんだ」
彼女の疲れきった顔に、ほんの少しだけ生気が戻った気がした。
「その香り、好きだったよね? ……少しだけ強い薬草を混ぜたから、心も休まるはずだよ。 おかわりもあるよ?」
今、きっと女性は苦難の中にいる。
それが分かったからこそ、男は十数年前と同じように笑って見せた。
僕はあのころと変わらない。 僕は君の味方だ。
昔のように笑うことで、彼女にその気持ちを伝えたかったから。
男の気持ちが伝わったのだろうか? 彼女は少しずつ、この十数年の出来事を話し始めた。
あのエルフの戦士との間に、子供が産まれた事。
里のエルフは、人間である自分に冷たかった事
それでも、彼と息子がいれば幸せだったという事。
やがて二人目の子供に恵まれた事。
とてもとても幸せだったという事。
そしてある日、彼が死んだ事。
彼は、人間と共に居たせいで寿命が縮まったんだ、と噂された事。
二人の子供に会わせてもらえなくなった事。
そして里を追い出された事。
なぜか、何度森に入っても、エルフの里にたどり着けなくなっていた事。
そして、全てを失って、この街へ帰って来たという事。
語り終え、声もなく泣き始めた彼女の肩を、男はそっと抱き寄せた。
抱き寄せただけだ。 それ以上は何もしなかった。
彼女にとって男は、平穏だった過去の象徴で、大切な友人で……
だけど、それ以上ではない。
それに気づいているから、男もそれ以上は踏み込みはしない。
男と女性の、暖かくて優しくて、そして歪な日常は、14日だけ続き……
ある日、彼女が死んだ事で、呆気なく終わってしまった。
男が持つ、エルフの知識と技術を使っても、女性の弱りきった心身を癒すことはできなかった。
最期の時、彼女はこう言った。
「ねえ。 あの子たちは、今、幸せかしら? ちゃんと笑っているかしら……?
ねえ、お願い…… お願いよ。 どうか……どうか、あの子達を幸せな人生に導いてあげて」
男は笑った。 死にゆく彼女に少しでも大きな安心を与えてあげられるように。
「君の依頼、この裏ギルドの『笑う毒蛇』が引き受けたよ。 ……任せて。
僕の仕事は確かだって評判なんだよ。 君はもう、何も心配しなくていいんだ」
この日、男は街を去った。 彼女との約束を果たすため。
制裁があるかも知れない。 男は、そう考えていたが、裏ギルドの仲間は、男を優しく送り出した。
「ギルドメンバーとして、受けた任務を果たすんだろう? 何も問題は無い」
男は、その言葉を言った仲間の笑顔を忘れはしないだろう。
旅を始めた男は、とある酒場で情報屋からの報告を聞いていた。
「例の子供たちは、里の方針に不信を持つ数人のエルフにより、連れ出されたようです。 やはり、子供の母親を追放したことは、里の中でも賛否が別れたようですね。 子供と、それを連れだした数人はそのまま、若草の民と呼ばれる派閥に合流したようです」
「そうか。 うん、分かった。 幸い…… と言っていいかは分からないけど、今は僕も宿無しのエルフだ。 若草の民と合流してもおかしくはないよね?」
男はそう言って、歩き出した。
「どうしようかな? その子供にとって僕は親と同じ年代なんだよね…… でも、上から押さえつけるのは僕の流儀じゃないし、子供も反発するかも知れないよね。 うーん、エルフに年齢はあまり関係ないし、いっそのこと対等の友達になっちゃおうかな? その方が一緒に居られるし、さりげなく助言をしてあげたりもできるよね」
男は、彼女の子供と、どんな形で、どんな関係性で、どうやって一緒に居ようかを考える。
彼女の死んだあの日から、心から笑うことがなくなっていた男の口元が、ほんの少しだけ笑顔の形を浮かべていた。
ーーーーーー
…… ……ん ……さん スさん…… !
……声が聞こえる。 遠くから、誰かが呼ぶような声が……。
「ヒースさん!」
「わっ……!? フリージアかい? 驚いたなぁ」
「むぅ……ヒースさん、疲れてる? 近づいても起きないのって初めてな気がするよ? いつもは寝てても人の気配がしたら起きるのに」
そう言って心配そうにヒースの顔を覗き込むフリージア。
その表情に、仕草に、懐かしい彼女の面影が重なる。
「うーん、疲れてはいるかもね。 でも大丈夫、今回はたまたま少し眠かっただけだよ。 それで? なにか用事があるんじゃないの?」
「うん。 兄さんが訓練で気合いを入れすぎて、部下の人達がボロボロになっているから、湿布薬とか栄養剤とか、そういうやつを貰いに来たんだ」
「あはは…… ムスカリは、相変わらず元気だね。 物腰は落ち着いたけど、手加減が下手なのは変わりないなぁ」
ふと思い出す。 彼女も、繊細そうな外見のわりに不器用だったという事を。
「うん、兄さんは不器用で手加減が下手。 ……でも、私も同じだから強くは言えないの」
2人とも、手先は母親譲りだね。 彼女も、なにもそんな部分を2人に残してあげなくてもよかったのに……。 そう思ってヒースは苦笑いする。
「はいコレ、薬はこの袋に入れてあるよ。 ……あっ! でも大丈夫かな?
ちゃんと、その薬をペチャンコに握り潰さないように持っていけるかい?」
「むぅ…… そこまで不器用じゃ無いもん! 分かってていってるでしょ?」
フリージアは、からかうヒースの言葉に少し頬を膨らませながら薬を受け取った。
「あははっ! ゴメンゴメン。 じゃあ、早く薬を持って行ってあげなよ。
ムスカリにもやり過ぎないように注意しておいてね」
「うん! わかった!」
袋を抱えてパタパタと走っていく後ろ姿を、ヒースは微笑みで見送った。
「……君の子供たちは、毎日を楽しそうに生きてるよ。 だけど、依頼は失敗かなぁ? 僕は、本当にただ見守っていただけだからね。
導いてあげるまでもなく、2人は、勝手に幸せな毎日を掴み取っちゃったみたいだ。 ……も~、図太くて、守り甲斐が無いよね?」
嬉しそうに、少し寂しそうに…… まるで、子供の巣立ちを見送る親のような表情で微笑んだヒースは、部屋の奥へ行き、棚からティーポットを取り出した。
そして久しぶりに彼女が好きだったブレンドでハーブティーを淹れてみる。
ムスカリとフリージアには、香りはいいけど渋すぎる! と不評だったから、今はもう、誰かのために淹れてあげることもなくなったブレンドだったが、ヒースがこの配合を忘れることは無い。
彼は、慣れた手つきで茶を淹れると、その懐かしい香りを楽しんだ。
口に含むと、複雑で深い風味と渋味が広がってゆく。
実はヒース自身でも少し渋いと感じていたブレンドだったが、今日はそれがとても美味しく感じた。
次回も2日後の投稿予定です。
閑話ラッシュは次回で最後にして、その後は何日か休んでから本編を再開しようと思います。