32.5話 花園の民からの手紙
この大陸に生きるエルフの末裔は、主に3つの派閥に別れている。
簡単に分ければ、自然の中でエルフらしく暮らす深緑の民。
人間の街で人間のルールの中で暮らす花園の民。
人間と半歩離れた距離感で、両方の中間のスタイルで暮らす若草の民。
その3つである。
そしてその3つの中にも何個かのグループがあるのだが、花園の民の中で大きな力を持つグループは、ネウロナ王国の王都ネウロナに拠点を持っている。
彼らは、馬で数日の地に若草の民が村を作ったこと。
そして、そこに精霊が居るらしいという事は、地理的にも近く、人間たちの噂話を聞く機会の多い事から、わりと早い段階から耳に入っていた。
だが、2つの理由から、会いに行く事ができないでいたのだ。
理由の1つは、伝統的なエルフと一番離れた生活をしている花園の民は、深緑の民や若草の民に対して負い目のような気持ちを持っているため、自分たちから連絡を取るのが気が引けるというもの。
もう1つの理由は、人間の権力者が良い顔をしないということだ。
古の時代、エルフが人間の上位に居たことから、一部の人間……とくに支配階級の人間は、エルフを警戒しているのだ。 花園の民が人間の街で暮らせるのは、エルフとしての生活を捨てたから…… つまり、言ってしまえば人間に降伏したからだ。
それが、他のエルフのグループに会いに行けば、妙な疑いを持たれるかもしれない。
人間の街で暮らす異種族にとって、疑いの目で見られる事は死活問題だ。
そういった理由から精霊…… しかも、伝説の精霊姫かも知れないと噂される存在を一目見たいと思っても行動に出られなかったのだが、ある日、1人の男が行動を起こした。
男の名はコランバイン。 この街に住む花園の民の代表だ。
ただ、この男には1つ目の理由である他者への負い目などは、始めから無かった。
エルフの文化を捨て、人間として暮らす事が正しい事だと心の底から信じ、むしろエルフの文化にしがみつく他の派閥を愚か者だと言い放つような男なのだ。
ーーーーー 長老・タンジー視点
儂は花園の民の生き方に文句を言うつもりは無い。
だが、コランバインという男、個人は昔から気に食わなかった。
あやつは昔から、人間の文化は素晴らしい、エルフの文化は時代遅れだと言っておった。
人間の文化に敬意を持つのも、古い考えに固執し過ぎないのも大切じゃが、あやつのように全てにおいて人間の文化に合わせるのが最善だと言うのは極端過ぎる。
……だが、それでもエルフの血を引く同胞じゃ、心の底にはエルフの誇りが残っているはず。
「……そう思っとったんじゃが、これを見てはのう……」
突如コランバインから送られて来た手紙には、こう書いてあった。
『精霊姫と思われる存在を確保したと耳にしました、商人ギルドと共に、それを使って神殿を中心とした街を作る計画があるらしいですね、我々も一枚噛ませてもらえませんか?
計画が深緑の民に伝われば、必ず横槍が入ります。 その前に我らと協定を結びましょう。 我ら花園の民は、人間の組織の他、亜人のコミュニティにも伝があります。 我々の情報力があれば、大陸中に散っている若草の民に連絡をつけて、その村に集結させる事も可能です。 我々、花園の民は必ず、様々な面で力になれるでしょう』
モーリン様を物のように言ったうえに、一枚噛ませろなどと、まるで金儲けのような言い分じゃ。 さらに、深緑の民の横槍が……などと言っているが、この手紙は横槍にならんと思っているのかのう?
しかも、その後に続く最後の一文がまた、不快じゃ。
『我々が協力するにあたり、まず、噂の精霊姫様を連れて来てください。
一度直接見て、祭り上げるに足りる存在かを確かめなければいけませんので。
我々から動くと、妙な疑いをかけられるので、そちらがここへ来ていただけますか?』
……無礼にも、モーリン様の方から顔を見せろじゃと? そちらが足を運ぶのが道理じゃろう。
うぬぅ、殴りたいほど腹立たしい言い分じゃが、利益はある話じゃ。
あやつは、無神経で嫌味で性格が悪くて目つきがスケベそうで髪が薄くて足が臭いが、無意味に人を騙す男ではない。 この提案の内容に嘘は無いはずじゃ。
……情けないが、儂ひとりでは決めれんのう。 主だったメンバーを集めて相談するほうがいいじゃろうな。
ーーーーー
ここは、話し合いなどに使うために最近建てた家じゃ。
まあ、話し合い用と言っても、他の家より少し広くて、椅子と机が多くあるだけじゃがな。
そんな間に合わせのような会議室に、村の主要なメンバーが集まり、話し合いが始まった。
「私は良い提案だと思う。 多くの組織と繋がりが出来るのは後々の為になるだろう」
この意見は、領主様の弟で、この村の代官になる予定のハルディン様じゃ。
まだ手続きが終わっていないようで、まだ正式な代官ではないのじゃが、後々ここの責任者になるのは決定しておるから、今回の話し合いに出てもらった。
「反対だ! エルフの誇りを捨てた者が、精霊様を食い物にしようとしているようにしか思えん!」
これは、ヘンプじゃ。 昔から儂の補佐をしてくれている。
保守的で、我らの中では、深緑の民に一番近い思考をしておる。
そのため、若者には頑固者と思われておるが、組織には、こう言う意見も1つや2つは必要じゃろう。
「俺にはどちらが得なのかはわからんが、モーリン様が行くかどうかと言う話なのだから、モーリン様の考えを聞くべきでは?」
この意見は、ムスカリだ。 こやつは頭脳労働は得意ではないが、いざ問題が起きた時には最前線に立つのはムスカリなのだから、話し合いに参加する資格はあるじゃろう。
「そうだね。 僕らはモーリン様に何かを強制できないし、したくもない。
モーリン様の意見を訊かないと、僕らだけで決めても意味はあまり無いんじゃないかな?」
これはヒースだ。 ヒースは情と利益、どちらの考え方も柔軟に出来るから、こう言う場では頼りになるのう。
昔から会議の場にこやつが居ると、儂の仕事が無くなったものじゃ。
「……だが、モーリン様がこの事を知ったら、行く事を選ぶんじゃないか? あの方は、村の皆の為なら、自分が取引材料として出向く事など気にしないだろうよ。 ……だからこそ伝え難いんだがな」
アウグスト殿だ。 この村の今後にとって最も重要な人物と言えるのう。
なんせ工事の人員や費用のほとんどを出してくれたうえに、領主様をこの村の味方に引っ張り込んでくれたのもアウグスト殿なのじゃからな。
ふむ、明確に賛成と言ったのはハルディン様だけで、
逆に反対と言ったのはヘンプだけ、
後は皆、モーリン様の判断に任せると言う考えか。
だがアウグスト殿の言う通り、モーリン様がこの事を知れば自ら取引材料になるかもしれん。 これ以上モーリン様に負担を強いるのは若草の民の名折れじゃ。
何とかコランバインと交渉して、向こうから来させるかのう?
その時ノックもなく、突然部屋のドアが開き、小さな人影が入って来た。
フリージア? なぜここに……。
はっ!? まずい、フリージアがこの手紙の事を知ったら、コランバインがどんな事になってしまうかわからん! 気に食わない男じゃが、死なせたい訳じゃあない。 儂は、手紙を懐に隠した。
儂が手紙に気を取られたその時、俄に皆がざわめいた。
ん? 何かあったかのう?
儂が顔を上げると、そこにはモーリン様がいらっしゃった。
なぜ!? 儂は、いや、儂だけではなく、部屋中の者が説明を求めてフリージアの方に顔を向けた。 その視線に気づいたのか、フリージアが口を開いた。
「……なんかモーリンが来たがっていたから、とりあえず一緒に来た」
う、うむ。 あまり説明になっていないが、モーリン様が自主的にここへ来た事はわかった。
しかしなぜこのタイミングで…… まさか儂らの話し合いの事を察して?
モーリン様はそのまま部屋の奥の、地図を貼った壁のところへと歩いたかと思うと、自分を指差しながら、地図上の一点……
丁度、コランバインのいる地、王都ネウロナをトントンと指差した。
おおっ…… やはりモーリン様は全てをお見通しだったようじゃ。
『自分が行くから、交渉を進めろ』と仰られているのかっ……!
そこまで村の事を考えて下さるとは、本当に頭が下がるばかりじゃ。 モーリン様に甘えてばかりの自分の至らなさが情けないのう……。
「皆のもの! モーリン様の心意気を無駄にする訳にはいかん! 儂らは、せめてモーリン様が不自由を感じる事が無いように、万全の旅支度をするのじゃー!!」
「よし! 俺が一緒にいくぜ! 王都なら俺の庭みたいなモンだ、頼りにしてくれていい。
それと馬車の手配も任せろ、直ぐに用意する」
「おお! 確かに王都ならアウグスト殿が居れば安心じゃ! お願い出来ますかな?」
「うむ、ならば俺は護衛を引き受けよう」
そう言ったのはムスカリじゃ。 この前の戦いに参加出来なかったから、張り切っておるみたいじゃのう。 ……じゃが。
「モーリン様が行く以上、フリージアもそちらへ回さねばならん。
モーリン様とフリージアが留守の間、ムスカリまで居なくなっては困る。 すまんが、お主は残ってくれんか?」
「むっ……! それは……確かに。 あまり村を手薄にはできないか」
ムスカリが不満げながらも引き下がると、代わりにハルディン様が提案した。
「ならば、私の部下に護衛させよう。 戦力としてはムスカリ殿には及ばないだろうが、武装した兵士が共に居ること自体が、不埒な者への抑止力になるだろう」
ふむ、確かに兵士に護衛された者に手を出す者は、そう多くは無かろう。
「出発は明日の朝くらいだよね? じゃあ僕はそれまでに、色々な薬を用意しておくよ」
ヒースは、そう言って出ていった。 多分これから薬を調合するのじゃろう。
慌ただしくなって来たのう。 さて、何か儂にできる仕事はあるかのう?
その時、クイッと服の袖を引かれる感触を感じて、儂はそちらを振り向いた。
む? フリージアか?
「むぅ…… 状況がわかんない。 とりあえず、モーリンが出かけるって事でいいの? それで、私は当然付いて行っていいんだよね?」
「当然じゃ、お主は特別な理由が無い限りは、ずっとモーリン様の近くに居てもらいたい」
「……うん! ずっとモーリンの近くにいるね! ずっとずっと近くに。 えへへっ ……あれ? 長老、何か落ちたよ?」
そう言ってフリージアが拾い上げたのは……
ふおぉぉ!? 例の手紙じゃ! さっき袖を引っ張られた時に落としたのか!?
それを見たフリージアの雰囲気がどんどん変わって行く。
……お、お主、さっきまで、えへへっ、て笑っておったじゃろう? もう少しそっちの状態で居てくれんかのう?
「そっか。 うん、何で出かけるのかわかったよ。
この手紙の送り主をアレしちゃうんだよね? ……任せて」
アレってどれ!? お主、何をする気じゃ!? 違う! 違うぞ!?
儂は別に、お主を暗殺者として送り込む計画を立てていたわけではないぞ!?
儂はさっき、モーリン様の旅立ちまでに、自分に出来る事が無いか探していたが……。 ふむ、どうやら大きな仕事があったようじゃな。
それは、魔王の目覚めを鎮める事じゃ。
コランバイン、感謝するのじゃよ? ……儂、命の恩人じゃよ?
初めて長老の名前が出て来ました。 ……多分誰も興味無いと思いますが。
次回も2日後の投稿予定です。