閑話 あの娘の消えた日常 3
日本の友達の話です。
今回だけでは書ききれなかったので、次回まで続きます。
『 卒 業 証 書
芹沢 稲穂 殿
あなたは本校の全過程を終了しましたのでこれを証します』
……私は右手の中の紙切れをボーっと見つめた。
終わった。
終わってしまった。
あの娘と…… 毛利 鈴と過ごした、私の高校生活が終わってしまった。
今日、私はここから巣立って行くんだ。 ……鈴を永遠に置き去りにして。
今はもう、鈴を覚えている人間は、きっとこの世界で私だけだろう。
昔、鈴と友達だったと言っていた彼女も、先月の初めに鈴を忘れてしまった。
陰で鈴に恋していたらしい柔道部の山崎も去年の末には鈴を忘れていたし、鈴の家族に至っては、きっとクラスメイトたちよりも早く鈴を忘れてしまっただろう。
そして……
卒業アルバム。
生徒たちの思い出の写真が詰まっているはずのソレには、鈴の写真も名前も載っていなかった。
修学旅行の写真では、お土産コーナーで私の隣でダサいキーホルダーを真剣に選んでいたはずの鈴の姿はそこに無くて、ただ私一人が誰もいない左側に微笑みかけていた。
消えていく。 鈴の存在が消えて行く。
きっと世界すら鈴の事を忘れてしまったんだろう。
だけど、私は忘れない。 忘れてたまるかっ!
私が辛かった時、鈴だけが私の手を取ってくれた。 離さないでいてくれた。
だから私も離さない。 鈴の思い出が世界から消えて行くとしても、私だけはこの思い出を手放すものか!
そう自分に誓いながら、私はまた鈴の事を思い出していた。
大切な思い出を噛み締めるように。
ーーーー
私が鈴と最初に出会ったのは、中学1年の、ある日曜日の事だった。
私の家族はエリート一家だった。 父は大病院の院長、母は弁護士だ。
上の兄は医科大学に通っていて、下の兄は有名高校で上位の成績を誇っている。
……だけど、私だけは凡人だった。
授業も真面目に受けていたし幼いころから塾にも通っていたから、小学校の中では優秀な成績だったけど、両親が期待するレベルには全然届かなかった。
結局、2人の兄の母校である名門中学校の受験には落ちてしまい、地元のごく普通の中学に通うことが決まった。
……昔からあまり期待されていなかった私は、それを切っ掛けに完全に家族から見放されたらしく、その後は会話らしい会話もしなくなってしまった。
やがて親からマンションの一部屋を与えられて、家から追い出されるようにそこで生活を始めると、週に2回訪ねてくるお手伝いさんを通さないと家族と連絡も取らなくなった。
「っ! あーっ、もう!」
すっぽ抜けて転がるぬいぐるみを見て、私は苛立って叫んだ。
両親の望むレールから外れてしまったことで良くも悪くも自由になった私は、勉強浸けだった生活をやめたんだけれど、空いたその時間を一緒に過ごすような友達もいなかった。
仕方なく近所のゲームセンターで1人、クレーンゲームをしていたんだけど、2千円使ってもぬいぐるみの1つも取れずにイライラは増すばかりだ。
「……もういいわ、どうせぬいぐるみなんて取っても仕方ないし」
負け惜しみのように呟いた私は、キョロキョロと別のゲームを探す。
……私の目に止まったのは1つの格闘ゲームだった。
それは向かい合って対戦できる台で、裏側の台ではすでに誰かが遊んでいるらしい。
見た感じあまり上手くない。 弱いコンピューター相手なので勝ち進んではいるけれど、内容を見ると必殺技もろくに使わず、パンチやキックをブンブン振っているだけだ。
私も格闘ゲームなんて数回さわった程度の初心者だけど必殺技くらいは出せる。
少なくともコレよりは上手いはずだ。
私は向かいの台に100円を入れて乱入する。
我ながら意地が悪いけど、イライラしていた私は自分より下手な相手を倒してストレス解消しようとしたんだ。 だけど……
「えっ……あれ? ちょっと!? 何で?」
私はあっさりと負けた。
凄いテクニックで負けたなら相手を褒めることもできるけど、単なるパンチとキックだけでボコボコに負けた私は、ただ唖然としてしまった。
……もういい。 ゲームセンターに来たはいいけど、楽しくないわ……。
お金を払ってストレスを買っているみたいでバカみたい。 帰ろう。
これ以上ゲームを続ける気にならなかった私は、おとなしく帰ることにした。
でも、その前に対戦相手がどんな人だったのかが少し気になったから、立ち去る前にチラっと向かいの台を覗いてみることにする。
「……へっ?」
変な声が出てしまった。
それに、すっかりイライラも吹っ飛んだわ。
……なぜなら、私の向かいの台に座ってゲームをしていたのは、アルパカだったからだ。
いえ、正しくはアルパカの着ぐるみパジャマを着た小さな女の子だった。
えっ? 何で着ぐるみパジャマでゲームセンターに?
意味が分からずそのまま固まっていると、数分後、アルパカが席を立った。
ゲーム画面にはスタッフロールが流れている。 あ、結局パンチとキックだけでクリアしちゃったのね……。
ゲーム画面から視線を少し下げると、そこにはカエルの顔の形の小銭入れが置きっぱなしだった。 ……これ、さっきの子の小銭入れよね? 届けてあげないと。
私はカエルの小銭入れを拾って、駆け足でアルパカを追いかけた。
「ちょっと待って! そこのアルパカ! カエルを忘れてったわよ!」
改めて聞くと我ながら変なセリフを言ったものね。 意味が分からないわ。
だけど、アルパカは気づいたみたいで、立ち止まってこっちを振り向いた。
無言、無表情でこちらをジッと見つめるアルパカ少女。
な、何? ボーっとした目付きなのにやけに視線に存在感があるわね。 敵意のある視線じゃないのに、凄く圧力を感じるわ……。
ちょっと気圧された私だけど、気を取り直して話しかける。
「このカエルの小銭入れってあなたのじゃない? ゲームの台に置いてあったわよ」
そう言ったら、アルパカ少女は無言・無表情のままペコペコと頭を下げながら小銭入れを受け取った。
忘れ物を届けてあげたのに無愛想に受け取るなんて失礼……と思ったけど、よく見ると無表情なのに不思議と本気で感謝をしてる感じが伝わってくる。 悪気は無さそうね。
でも、それなのに口を利かないなんて、もしかして……話せないの?
「ありがとうです」
なによ、話せるんじゃないの。
アルパカ少女は、バッと手のひらを私に向ける。 何? ちょっと待って、て事かしら?
彼女はそのままペタペタって感じの足取りで走って、近くのコンビニに入った。
2~3分すると彼女は何かを持ってペタペタと走って来る。
そして貢ぎ物でもするように、頭を下げながら両手で袋を私に寄越した。
コンビニの袋には、マジックで『素品』と書いてある。……素品?
ああ、きっと粗品の事ね。 字を間違えてるけど、お礼ってこと?
中身は、エナジードリンクとポテトチップスだった。 微妙なチョイスね……。
そのあと、近くの公園で少し話をしてからお別れした。 彼女は、最後までほとんど喋らなかったけど、私の言葉にコクコクと頷いて聞いてくれていた。
……そう言えば誰かと雑談なんてしたのは久しぶりだったわね。 何となく気分が軽くなってる気がするわ。
あっ、なんでアルパカのパジャマを着てるのか訊くのを忘れてたわ。 また、どこかで会うことがあれば、訊いてみようかしら?
彼女との再会は思ったよりも早かった。
次の日、学校に行った私は少しだけ熱っぽい気がしたから、念のため保健室に体温を計りに行ったのだけど。 そしたら、そこに彼女がいたのだ。
流石に学校ではアルパカの格好じゃなくて、学校指定のジャージ姿だった。
彼女は足を痛めているらしくて、保健の先生に湿布薬を足首に貼ってもらっている。
私は先生に声をかけて体温計を借りると、近くの椅子に座った。
そして体温を計りながら、その子に話しかける。
「こんにちは、また会ったわね。 あなた同じ学校だったのね、知らなかったわ」
と言うか、まず中学生だって事に驚いたわ。 小学3~4年生だと思ってた。
まあ本人の前では言わなかったけど。
彼女は『オッス!』みたいな感じで片手を上げて挨拶した。 ……やっぱり声は出さないのね。
その時、「はい、終わり」と言って、保健の先生が湿布を貼り終えた足首をポンと叩いた。
「ギニャア!」
あ、こういう時は声を出すのね。 それにしても……
「ぷっ……! あははっ! 『ギニャア』って何よ?」
彼女の悲鳴が可笑しくて、私はつい笑ってしまった。 すると、彼女は私をジッと見たあと、小さな声で呟いた。
「西アフリカの国です」
「それはギニアよ」
条件反射のようにツッコミを入れると、彼女はグッと親指を立ててサムズアップした。
……ツッコミを入れられて嬉しかったのかしら? 意外とギャグが好きみたい。
なんかこの子、面白いわね。 癖がある……じゃなかった、癖になる魅力があるわ。
友達に……なってくれるかしら? でも、友達ってどうやってなればいいんだっけ? 考えたら私って昔から友達がいないのよ。
うーん……とりあえずは、自己紹介からよね。
「私は一年C組の芹沢稲穂よ。 あなたの名前を教えてくれない?」
私が自己紹介すると、彼女はジャージのポケットから何かを取り出して私にくれた。
これは……名刺? 自己紹介で名刺って、サラリーマンじゃあるまいし。
名刺を見ると『一年A組・毛利 鈴』と書いてある。 名刺を使う意味は分からないけど、とりあえずクラスと名前は分かったわね。
私は何となく名刺の裏を見る。 裏にも何か書いてあるみたい。
『ギルドランクC』
……ギルドランクって何?
訊きたい事はたくさんあったけど、次の授業時間が近づいていたし、私の熱も大したことなかったから教室に戻る事にした。
鈴も足首の治療を終えて、教室に戻るようだ。
ちなみに鈴の足の怪我は、体育の授業の最初の準備運動で足を痛めたらしいわ。
……準備運動って怪我をしないためにやる物だと思うんだけど。
それからも私達は偶然色々な所で顔を合わせて、そのたびに少し話をした。
……まあ、話と言っても鈴は相変わらずほとんど喋らないんだけどね。
そして、いつからか私たちは1番の友達と呼べる関係になった。
私はよく鈴をカラオケに誘った。
別に私はカラオケは好きでも嫌いでもないんだけど、それでもカラオケによく行く理由はただ1つ、鈴の声が聴けるからだ。
鈴はとにかく喋らない。 せっかく可愛い声をしているのに、1日一緒にいても全く喋らない日もあるくらいだ。
だけど何故か歌う事には抵抗は無いみたいで、カラオケに行けば鈴の声をよく聴く事ができるのだ。
それにしても、恥ずかしいとか自分の声が嫌いとか、そういう理由なら歌うのも避けるはずだけど、喋らないのに歌は平気ってどういう事なのかしらね?
気にはなったけど訊ねはしなかった。
軽い理由ならいいけど、重たい理由だったら訊ねたら気まずくなるし、もしそうなったら人付き合いの経験が足りない私じゃあフォローできそうにない。
私はもう、鈴が喋らなくてもなんとなく意思の疎通ができるようになっていたから、喋らない理由を無理に聞き出す必要も感じ無かったし、声が聴きたい時はカラオケに誘えばいいしね。
あ、でも変な歌ばっかり歌うのは少し不満かな?
可愛い声だし歌も上手いから、私としては正統派の歌を歌ってみて欲しいんだけどね。
ある日、また鈴とカラオケに行ったのだけど、その日は店が満室だった。
部屋が空くまで待つのもなんだし、他にどこか行く所があったかな? と考えていると、私のスマホにメッセージが届いた。
……鈴からだ。 隣にいるのにスマホでメッセージって……。
少し苦笑いしながら、私はメッセージを見た。
〈では、私の家に来ませんか? UELUKAMUです〉
…………UELUKAMU? もしかしてwelcome て言いたいのかしら?
これはギャグ? それとも素で間違えてるの? ど……どっちなの?
チラリと鈴の顔を見たけど相変わらずの無表情で、顔色から真意は読み取れない。
「……それじゃあお邪魔するわ。 案内してくれる?」
私はUELUKAMUについてはスルーして、鈴の家へと向かった。
鈴の家は高級とまでは言わないけど、そこそこ良いマンションだった。
そして、中へと案内された私は、すぐに違和感を感じた。
……私の部屋と同じだ。
家族の気配が無い。 今、留守にしているということじゃなくて、鈴以外が生活している感じがしないのだ。
玄関の靴箱にも鈴の物であろう小さな靴しか無く、台所には調理器具は無い。
それに冷蔵庫にはエナジードリンクとコーラしか入っていないし、部屋のインテリアも鈴が選んだであろう怪しいセンスの物ばかりが並んでいる。
多分、鈴は1人暮らしだ。
その後も何度も鈴の部屋へと行ったけど、やはり家族と会うことは1度も無かった。
でも、私は家族について鈴には何も訊かなかった。 家族との関係が複雑なのは私も同じだ。
私にも経験があるけど、善意からの慰めや同情の声も邪魔に感じる事があるから、こういう事には触れないのが1番だろう。
もちろん鈴が困っていたら手助けはするけど、ズカズカと家庭の問題に踏み込んで善意を押し付けるのは違うと思う。
だから、私はただ友達として一緒にいる時間を楽しく過ごす事だけを考えた。
鈴も私の家族の事や生い立ちの事は訊かなかった。
変に遠慮しているんじゃなくて、お互いにこの付き合い方が心地いいんだ。
だから私たちは、自然にいつも一緒にいた。
休み時間、私はいつも通り鈴の席へと向かう。
そこには鈴を抱き締めて記念撮影する女子グループがいた。 鈴も嫌がって無いみたいだから私も文句は言わない。
抱き締めているのが男子だったら殴るけど。
鈴のそばには、私の他にもよく人が寄ってくる。
ほとんどの人は、友達というよりは面白い珍獣を見ているような感じで鈴に接していたけど、みんな悪意は無くて、鈴が嫌がるような事は無かった。
鈴は色々な意味で注目を集めるから、自然と隣にいる私も声をかけられる事が増えていき、3年生になる頃には私にも友達が増えていたわ。
まあ、1番の友達が鈴なのは絶対変わらないけどね。
私は、できる事ならこれからも鈴と一緒に居たいと思っている。
今、私たちは中学3年生。 進学を考えなくてはいけない時期だ。 私は一流の学校に行けるレベルでは無いけど、まあ何校かの候補から選べるくらいの学力はあるわ。
だけど実は、私は鈴と同じ高校に行こうと本気で考えている。
こう言ってはなんだけど、正直、鈴の学力は低いわ。 鈴が行く高校に合わせると、私は自分の偏差値よりかなり下の学校に行くことになると思う。
志望校を聞かれた時も「鈴と同じ学校」と答えた私は、担任に真顔で止められたわ。
「親御さんが何て言うか……」なんて言葉を言った担任に、私は苦笑いしか浮かば無かった。
……先生、私の両親は、私に対してはもう何も言いませんよ。
あの人たちにとっては一流以外は全て無価値だから、一流校に進学できない時点で二流でも三流でも中卒でも、どれを選んでも私の評価なんか上がりも下がりもしないんですよ。
担任が、「一度両親と相談しろ!」と何度も繰り返すから、返事は予想できていたけど、一応両親に志望校を伝えた。 返事は……
「好きにしろ。 必要な金だけは出してやるから、あとは勝手に生きろ」
ほらね、予想通りだった。 もう悲しくもないわ。
私に対して関心を持っていない事がよく分かる冷たい言葉だけど、まあ、保護者の許可が出た事には違いはないわ。 これで担任も文句は言えないわよね。
そして次の春、私は鈴と同じ高校に進学した。
今回は主に中学時代の話でした。
次回は高校時代の話になります。
投稿日は未定ですけど、できるだけ早くしたいとは思ってます。