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八話

「いらっしゃいませ!」

 正午をちょっと過ぎた頃、姉ちゃんの高くなった声に迎えられてハンネスが入ってきた。いつもの席に着くと注文を聞きに来た姉ちゃんににこりと微笑む。

「今日は何がいいかな」

「実は今日、珍しく新鮮な魚を仕入れているんですよ。よければどうですか?」

「へえ、魚料理か。じゃあそれにしてみます」

「わかりました! 店長、アジのムニエルお願いします!」

 調理場の店長に伝えると、姉ちゃんは嬉しそうに笑った。

「しばらくお待ちくださいね」

 そう言って手早く汲んだコップの水をハンネスに出すと、姉ちゃんは別の客の元へ行った。その足取りは何とも軽い。なぜかって言えば、開店時、店長から自慢げに、この町では珍しい海魚が手に入ったと聞かされた姉ちゃんは、これはハンネスに絶対に食べてもらわねばとかなり意気込んでた。味わってもらえることがかなり嬉しいらしい。微笑ましい限りだ。

「ウルリカさん、今日はやけに明るいね」

 カウンターのハンネスが不思議そうに聞いてきた。

「変に明るい時は、全部ハンネス絡みだよ」

 食器を洗いながら俺は答えた。

「僕? 何かした覚えはないけど」

「わかってる。とにかく出された料理を食べてくれれば、それだけで姉ちゃんは幸せだからさ」

 ハンネスはまだ不思議そうな顔をしてたけど、俺はそれ以上言わなかった。

 二人が両思いだとわかったけど、弟としてそれを喜ぶべきか、俺は悩んでた。姉ちゃんがそれを知れば、間違いなく幸せに思うだろう。でも幸せに思うのと幸せになるのとはまた違う。姉ちゃんがハンネスと付き合って幸せになれるのか、俺はそこが不安だった。まだハンネスには悪い噂が付きまとってるし、何か隠してるような雰囲気も少しある。この前はお姉さんとも言い合ってたし、家族とはあんまり上手くいってないのかもしれない。そこにわけありな感じも受ける。普通なようでごたごたを抱えてるような……そんな男に姉ちゃんを託して大丈夫なのか、俺には確信が持てなかった。

「そう言えばアイヴァー、そろそろ帰るって言ってたけど、それは――」

「いらっしゃ……あっ、お姉さん!」

 ハンネスの声をかき消すように、姉ちゃんの驚く声が響いてきた。俺とハンネスが入り口のほうを見れば、長い金髪を揺らす細身のズボンを穿いた女性――ロヴィサさんが足早に入ってくるところだった。

「どうも。また会ったわね」

 姉ちゃんにそう一言いうと、ロヴィサさんは迷うことなくハンネスの元にやってきた。

「和やかな昼食時を邪魔して悪いんだけど」

「本当だね」

 言葉通りの表情を浮かべるハンネスを、ロヴィサさんは厳しい顔で見つめる。

「大事な話よ。真剣に聞いて」

 真面目な口調に何か感じたのか、ハンネスの表情が引き締まった。

「……わかった。外で聞くよ」

 おもむろに席を立って、ハンネスはロヴィサさんと一緒に店の外へ出てった。それを姉ちゃんは怪訝そうに見つめると、小走りに俺のほうへやってきた。

「ハンネスさん、帰っちゃったの? 注文したばかりなのに」

「話をしに行っただけだと思うけど。また戻ってくるよ」

「そう……それならよかった」

 安心した姉ちゃんはカウンターへ戻ってった。それにしてもロヴィサさんの表情、やけに厳しかった。深刻な話でもするのかな。家族の問題か、それとももっと他の……まあ、俺には関係ないことか。さっさと溜まった食器を洗おう。

 …………でもやっぱり気になる。ハンネスに別の顔があるんじゃないかって思うと余計に、無性に気になってくる。駄目だ、じっとしてられない!

 俺は濡れた両手を拭いて調理場へ入ると、隅に置いてあるごみ箱をつかみ上げた。

「店長、ごみ出しに行ってきます」

「ああ? まだそんなに溜まって――」

 調理中の店長のいぶかる声を無視して、俺は裏口を出た。店長の言うようにごみ箱の中はまだ半分くらいしか埋まってない。いつもはぎゅうぎゅうに詰まった状態でごみ出しに行くけど、今はそれまで待ってられない。ちょっと強引だけど、これを口実にさせてもらう。

 軽いごみ箱を抱えて、俺は食堂の裏側の壁沿いを進んだ。その先には以前入った空き地がある。多分二人はまたここで話してるに違いない――と思った時、予想通り話し声が聞こえてきて、俺は静かに壁際に身を寄せて、二人の会話に耳をそばだてた。

「――数日前から頻繁にやつらを見かけるようになったわ。とうとう本腰を入れたみたい」

「……それで?」

「それでじゃないわよ。他人事みたいに」

「僕はもう関わりたくない」

「あんたがそう思ったって、向こうはそうさせてくれないの。絶対にまた来るわよ」

「もうやらないって、僕は決めたんだ」

「知ったことじゃないわ。それならそれで、あんたは殺されるだけよ」

 殺される? 何の話なんだ、これは……。

「これまでは私がどうにかしてきたけど、本腰になった向こうが人数をかけてきたら、あんたにまで手が回らなくなる。そうなったら、やらないなんて言ってられないわよ」

 ……ハンネスの返事は聞こえてこない。

「お願いだから帰ってきて。私達の側にいれば助けることもできるわ」

「僕が帰れば、また仕事をやらせるつもりなんだろ? わかってるよ」

「そうよ。弟を引き戻して何が悪いのよ。代々私達はそういう仕事をしてきて、あんたもその血を受け継いでるの」

「血を受け継いでるからって、それは義務じゃない」

「義務じゃないけど、この家に生まれた事実は変えられないわ。私達は永遠に姉弟なのよ。助け合う仲なの」

「助けなんていい。僕は一人でできる」

「どこが? 未だに職も見つけられてないじゃない」

「それは、ロヴィサのせいだ」

 ハンネスの語気が少し強まった。

「ロヴィサの嫌がらせのせいで、僕はあんな噂を――」

「嫌がらせだなんて失礼ね。私はあんたを助けてあげたんじゃない。そうしなきゃ今ここに立ってないわよ」

「あの程度の相手に助けなんていらない」

「あらそう。じゃあ私がいなかったらどうするつもりだったの? 怒鳴って追い返す? 腕か脚をへし折る? それとも気絶させて放置とか? そんな生ぬるい方法じゃないでしょうね。その程度じゃ相手は何度も来るわよ」

 綺麗な女性の口から、まるで不良のような言葉が淀みなく発せられてる……これは、喧嘩とか抗争の話なのか?

「あんたが仲良くしてる姉弟も時間の問題よ。もしかしたらすでに目を付けられてる可能性だってある。無関係の二人を、あんたは危険に巻き込みたいの?」

「それは……」

「この町にい続ける限り、あの二人は危険にさらされる。そうなったらそれはあんたの責任よ。生ぬるい考えで守りきれるの?」

「わかってる……」

「いいえ、わかってないわね。自分本位に行動してきたあんたに、そんなことできるわけな――」

「ウルリカさんは命に代えても守る!」

 ……俺は? よくわからないけど、俺は守ってくれないの?

「ふーん……そう。それならやってみなさい。自分と、あの姉弟の身を同時に守れるかしら。私はもちろん助けないわよ。すべてあんたの責任なんだから」

「言われなくたってわかってる」

「でも、もし一人じゃ手に負えなくなったら、遠慮なく言いなさい。私達は両手を広げてハンネス迎えるわ」

「だから、家には戻らない」

「だったら、早く後始末をしてちょうだい。こっちだって仕事が立て込んでるのよ。あんたの面倒ばっかり見てられないの」

「頼んでないことはしなくていいよ」

「可愛くない弟……じゃあ後は自分でどうにかしなさいよ。私はもう知らないんだから。本当に知らないんだから!」

 苛立った声でそう言うと、ロヴィサさんの足音が空き地から遠ざかってった。帰ったらしい。静かになった空き地に、俺はしばらく聞き耳を立てる。すると小さく、はあ、と溜息のような音が聞こえた。そして足音が遠くなってく。ハンネスも空き地を出てったようだ。俺もごみ箱を抱えて裏口へ引き返した。

 聞いた感じじゃ、ハンネスの家は代々何かの仕事をしてて、その仕事が嫌でハンネスは家を出た、ってことだろうか。危険な仕事で、それは仕事をやめたハンネスと、よく話す俺達二人にも影響がある……? その辺りがよくわからない。ロヴィサさんの言い方だと、相手の人はかなり危険そうな雰囲気だった。暴力も辞さないような、危ない人なんだろうか。そんな人を相手にするハンネスの家の仕事って、一体何なんだ? 本当に俺達にも危険が及ぶなら、今すぐ姉ちゃんを引き離さないといけないけど、仕事の内容はさすがに聞かないとわからないな。でもどうやって聞けばいいんだろ。突然聞いたら不自然になるし、そういう話になったとしても、家を出たハンネスが話したがるかどうか疑問だ……。

 そんなことを考えながら裏口から洗い場へ戻ると、ちょうど同じ時に入ってきたのか、カウンターの向こうからハンネスが歩いてくるところだった。そして俺と目が合った。

「あ……」

 聞こうとしたけど、ハンネスの口が開くほうが少し早かった。

「ゆっくり食事をしたかったんだけど――」

「ハンネスさん、お話は済んだんですか?」

 横から来た姉ちゃんが笑顔で聞いた。

「はい、話は終わったんですけど……」

「アジのムニエル、できてますから食べてください」

 ふと見ると、カウンターにはバターの香りを放つ、できたてのムニエルが置かれてた。でもハンネスはそれをいちべつすると、申し訳なさそうに姉ちゃんを見た。

「ごめんなさい。本当は食べていきたいんですけど、急用ができてしまって、行かなければいけないんです」

「え……そう、なんですか……」

 姉ちゃんはかろうじて笑顔だったけど、声に残念さが滲んでる。

「また次回に食べさせてください。代金はこれで足りますか?」

 ハンネスが上着のポケットから金を出そうとするのを姉ちゃんは止めた。

「食べていないんですから、お代は結構ですよ」

「いえ、僕の注文で作られたものですから」

 止めようとする姉ちゃんをやんわり退けて、ハンネスはカウンターに金を置いた。お詫びのつもりかなのか、二倍の金だ。

「こんなに……ハンネスさん!」

 呼び止める姉ちゃんにハンネスは笑みを返して店を出てってしまった。男前らしい帰り方だ。

 肩を落とした姉ちゃんは、残された料理を手に取って見つめる。

「食べてもらいたかったのに……」

「仕方ないよ。急用なんだから。また新鮮な魚が入ってくるまで待とう」

「ええ、そうね。それまでハンネスさんの喜ぶ顔は楽しみにしておくわ。……アイヴァー、これ後で食べる?」

「え? いいの?」

「お代はいただいているし、店長も怒らないと思うわ。休憩時間に食べて」

 内心喜びながら、俺は姉ちゃんからムニエルを受け取ろうとした。

「アイヴァー君、いるのか? ごみ箱はどこにやったんだ」

 調理場からの店長の声に、俺は未だにごみ箱を抱えてることに気付いて、慌てて戻しにいった。その際、捨てに行ったはずのごみが変わらず入ってたことで、店長は俺がさぼったとして、その罰にムニエルを取り上げた。昼時を過ぎた休憩時間、調理場で残り物のまかないを食べる俺の横で、店長は自分で作ったアジのムニエルを自画自賛しながら食べてた。俺が食べるはずだったのに……いや、それを言うならハンネスか。急用で急いでたせいか、ハンネスには話を聞きそびれちゃったな。また明日にでもそれとなく聞ければいいんだけど――そんな予定を考えながら、俺はその日の仕事を終えた。

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