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一話

「……ああ、誰もあいつは愛せないんじゃないか?」

 無精ひげの常連客はわずかに眉をしかめてそう言った。

「どういうことですか?」

 俺が聞くと、男性は目を丸くしてこっちを見てきた。

「知らないのか? ……って、そうか、ここの者じゃないんだったな、君は」

「はい、来て間もないもので……」

 そう言うと男性は、一瞬辺りを見渡すと声をひそめて言った。

「なら教えてやろう。あの男についてはいろいろ噂が立ってるが、どれもいいもんじゃない」

「噂……?」

「ああ。あいつがこの町に現れたのは確か、一年か、それくらい前だったと思う。誰もやつがどういう素性で何をやってるのか、未だに知らないよ」

「でも、名前くらいは知ってますよね?」

「名前もまだ……いや、前に呼ばれてるのを聞いたな。えっと、何だっけな……アンとかナンとか、そんな響きだったような……」

 しばらく記憶を探ってたけど、突然弾かれたように顔を上げた。

「そうだ! ハンネス、そう呼ばれてた」

「呼ぶ人がいるってことは、何人か知り合いはいるんですか?」

 この質問に、男性は再び眉をしかめて俺を見た。

「そうじゃない。名前を呼んだのは町の者じゃない。外から来た見知らぬ若い女だった……」

 間を置くと、男性は険しい目付きに変わって、そして静かに言った。

「……その後、その女は死体で見つかったんだ」

「し……!」

 急に物騒な単語が出てきて、俺は思わず息を呑んだ。

「もしかして、噂っていうのは……」

 恐る恐る聞いた俺に、男性はゆっくりうなずく。

「そうだ。殺した犯人じゃないかってことだ」

「その犯人は、捕まってないんですか?」

「残念ながらな。今も未解決のままだ」

「どうしてあの男性が犯人だって噂が立ったんですか? 何か怪しい素振りでもあったとか?」

「女と話してたのはあいつだけだったらしい。だから警察もあいつを調べた。だが何も見つからず、すぐに帰された。犯人だっていう証拠は何もなかったんだ」

「警察が帰したんなら、噂が立つ理由はないんじゃ……」

「その時はそれで収まってたんだ。噂もまだなかった。じゃあなぜ噂が立ったかと言えばだ、それは――」

 男性は俺の目を見つめると言った。

「また殺人が起きたからだよ」

 俺は一瞬呼吸を止めて男性を見つめ返した。

「しかも、立て続けに二人もだ」

「二人? だ、誰が殺されたんですか」

「最初と同じように、外から来た若い女だった」

「まさか、その二人も……」

「その通り。あいつと話してるのを見た者がいたんだ。その後に死体が見つかってる」

「その時ももちろん、警察は調べてるんですよね?」

「ああ。だがやっぱり証拠はなかったらしい。二件とも、あいつはすぐに戻ってきたよ。最初の事件と同じく、今も未解決になってる。殺された人はかわいそうだよ」

「この町のことは詳しくないんで、一応聞きますけど……よくこういうことは起こってるんですか?」

 これに男性は目を丸くした。

「そんなわけないだろ。町ったって、ここは田舎の町だ。凶悪犯罪とは無縁だったよ。やつが現れるまではな」

「じゃあ、あの人が来てからそんな事件が起きて……」

「そうだよ。噂が立ったのはそういう理由だ。殺された女が全員、外の人間だっていうのもある。やつが呼び寄せて殺したとか、たまたま町に立ち寄った独り身の女を狙ったとか、殺した状況も様々だし、素性についても、犯歴がいくつもあるとか、都会で犯罪を犯した逃亡犯じゃないかとか、挙げればきりがないよ」

「どれもあの人が悪者前提の噂なんですね」

「うーん、まあな……」

 男性は短い髪の頭をぽりぽりかきながら言う。

「あいつが正体不明で、怪しいから噂が立ったのは言うまでもないことだ。だがもしかしたら、少しだけ嫉妬が混ざってるのかもしれない」

 俺は首をかしげた。

「嫉妬って、一体誰のですか?」

「この町の男、全員のだよ」

 男性は視線の先、カウンター席に座るハンネスの背中を眺めながら言う。

「君も見て思っただろ。女好きのする顔だと。少なくともこんな田舎町で見かけるような容姿じゃない」

 男性につられて俺も視線をそっちへ向けた。黒い上着を着た細身の背中が見える――初めて見た時、俺も男性と同じようなことを思った。同性から見ても、あの容姿は認めざるを得ないくらい整ってて、何だか無性に羨ましく感じた。自分と比べたって意味のないことだとはわかってても、もてたことのない人生を送る俺には、かなり眩しく見えたもんだ。

「あいつが現れ始めた頃、町の女達の間じゃちょっとした話題になってたらしい。あの男前は一体誰だってな。それが徐々に広がって、若い女達が興味津々に見に来るようになった。この食堂も、前は女っ気なんかなかったが、あいつが来ると急に華やかになったもんだよ。ここに通ってる私としちゃ、あんまり落ち着けなかったけどね」

 男性は少し迷惑そうな顔でカウンター席の背中をいちべつした。

「今日も何人か女性客は来てますけど、前はもっといたんですか?」

「ああ。席の半分以上埋まることもあった。だがそれも事件が起こるまでのことだ。あいつに犯人の疑いがかかると、次第に女達の姿も減っていった。怖がったせいもあるだろうが、男達が女達に、あいつは殺人犯だから近付くなと言い回ったからだ。次はお前達が狙われるかもしれないと恐怖を煽って、あいつへの興味を断たせた。まあ実際、あいつが一番怪しいわけだから、男達の行動は間違っちゃいないと思う。自分の娘や女友達があいつを追っかけてたら、私も同じことをするかもしれない。だが、証拠もなく犯人扱いするところに、何だか男のみっともない嫉妬を感じたんだよ、私は。突然現れたのは、女達の視線を独り占めにする正体不明のいけ好かない男だった。そいつが実は悪人だったとすることで、皆どこかでいい気味だと思ったんじゃないだろうか」

「そういう気持ちは、わからなくはないですけど……」

 かつて俺もそんな気持ちを覚えたことがある。俺が片思いする女の子が慕う人気者の男子が、その子の前でへまなんかをすると、心の中で盛大に笑ったもんだ。それと同じような感情が、あの人にぶつけられたってことだろうか。

「これは個人的な見方だ。どうであれ、あいつが怪しいことは事実なんだ。幸い、あれから事件は起きてないし、女達も近付くことはなくなった。一部の女はまだ視線を奪われてるようだけど……」

 そう言って男性は奥に座る女性客をちらと見た。若い女性二人組で、カウンター席のハンネスを見ては、お互い嬉しそうに笑って話してる。

「どんな男かと聞かれれば、今は疑惑の塊のようなやつだとしか答えられない。私はお勧めできないね」

「はあ……」

「君の知り合いだったか? 彼女には別の男を紹介してあげたらどうだ。たとえあいつと付き会ったとしても、悪い噂がある限り、本当に愛してやることは難しいんじゃないか?」

「そう、ですね……話してみたいと思います。すごく参考になりました。ありがとうございます」

「いいよ。いい暇つぶしになった。仕事、頑張れよ。また来る」

 男性は立ち上がると、財布から昼食の代金を出し、机に置いて帰ってった。

「また、お待ちしてます」

 食堂を出てく後ろ姿に、俺は一言そう言ってから、小さく溜息を吐いた。

「アイヴァー君、休憩時間、終わったぞ」

 調理場から店長が顔をのぞかせて言った。壁にかかった時計を見れば、ちょうど午後二時になってる。話を聞いてるうちに二十分の休憩はいつの間にか終わってたらしい。

「あ、はい、戻ります」

 俺は空になった皿とコップに、料理の代金を持ってカウンターへ向かう。その時、視界の隅に黒い上着が見えて、何となく振り返ってみる。例の男ハンネスは、半分ほど食べ終えた牛肉のソテーをフォークで突きつつ、コップの水を飲んでた。

「お客と随分話し込んでたけど、何話してたんだ?」

 顔を戻すと、目の前のカウンター越しに店長が立ってた。

「いや、大したことじゃないんです」

 隣の男を気にしながら、俺は笑ってごまかした。

「ずっと話してたからさ……何か食べたのか?」

「話す前にちょっとだけ」

「足りないようなら、奥にパンがあるから、それ食ってもいいぞ」

「はい、ありがとうございます」

「それじゃ皿洗いと掃除、頼むぞ」

 そう言って店長は調理場へ戻ってった。俺は食器と代金を持ってカウンターの裏へ回る。

「これ、代金」

 金を差し出すと、俺の四つ上の姉ちゃん――ウルリカが振り返っていつもの笑みを見せた。

「ああ、ありがとう」

 受け取った金を姉ちゃんは金袋に丁寧に入れる。会計は姉ちゃんの担当だ。そして、さっき常連客が言った、俺の知り合いというのは、実は姉ちゃんのことだ。つまり、ハンネスについて話を聞いた理由は姉ちゃんにあるというわけで……とりあえず、俺がこの町に来た理由から順を追って話そう。

 俺の故郷は、ここよりもさらに田舎の、ベルイ村っていう小さな村だ。生活は基本自給自足で、顔も名前も住所も、今日は何を食べて明日何をするかも知ってるような、村人全員家族みたいな感覚の本当に小さな村だ。そこで俺は生まれ、十七年間暮らしてる。

 家は農家で、主に小麦を育ててる。牛や鶏もいるけど、数は少ない。あくまで我が家の中心は小麦栽培だ。両親はさらにいいものをと、いつも研究熱心だ。おかげでうちの小麦はなかなか評判がよかったりする。

 小麦の収穫は夏だから、それまではあんまり仕事はない。家畜の面倒は両親二人で十分間に合うから、毎年春頃になると、俺は長めの休みを貰える。友達と遊んだり、山へ散策しに行ったり、家の手伝いを忘れてとにかく遊ぶ……んだけど、ど田舎で遊び続けるのには限界がある。村には娯楽っていうものがまったくないからだ。そんなものがなくても、カエルを追っかけ回したり、牛糞を投げ飛ばしたりして遊んでたけど、それが楽しいと思えたのは、せいぜい十二、三歳くらいまでで、その後は休みを貰っても時間を持て余すようになった。

 姉ちゃんはというと、十九歳の時に村を出て、ここよりは若干都会を感じさせるクルーセンドの町へ働きに出た。これは両親の勧めだった。長男の俺は農家の跡取りになるけど、姉ちゃんにはそういうものはない。いい相手を見つけて幸せな結婚をしてくれることが両親の願いだ。でも、姉ちゃんは致命的と言っていいほど、男を見る目がない。

 まず、姉ちゃんは面食いだ。好みでかっこいい顔の男ならすぐに惚れてしまう。ある時、村の若者の中でもまあまあいい顔の男に姉ちゃんは惚れた。どうにか話しかけて、二人は付き合うことになった。しかし、それから数日後、姉ちゃんはいきなりやってきた女に顔をビンタされた。彼女は男の恋人で、男はその存在を隠して姉ちゃんと浮気してたってわけだ。

 また別の時には、旅をしてるっていう男に出会って、姉ちゃんはいつものように惚れた。男が村にいる間、泊まってる宿に通っては彼のために食事を持ってったり、ほつれた服を縫ってやったりしてた。男が村を発つと言うと、姉ちゃんは自分も一緒に行くと言った。でも二人分の旅費がないと男が言うと、姉ちゃんは唯一の宝物の指輪を差し出して、これを売って旅費にすればいいと、もう自分も行く気満々だった。でも翌日、準備をして男の宿に行ってみると、もう男の姿はなかった。差し出した指輪共々、そのまま行方は知れず。これが両親にばれて、姉ちゃんはこっぴどく叱られた。

 とまあ、姉ちゃんは男の顔しか見てないから、これまでいい恋愛をしたことがない。何度も裏切られてるんだから、少しは選び方を変えてもよさそうなもんだけど、姉ちゃんはぶれない。性格は決して頑固なわけじゃない。逆におっとりしててマイペースなところがある。もしかしたらそういうところが悪い男に目を付けられやすいのかもしれない。が、それにしても悪いやつを選びすぎだ。弟としてこの先が心配になる。

 この気持ちは両親も同じで、姉ちゃんがあまりに騙されるのを見て、少し違う環境で勉強したほうがいいんじゃないかって考えた結果、町で働くことを勧めた。こうして姉ちゃんは村を出たってわけだ。

 その後届いた手紙の様子からは、新しい生活を楽しんでるのがわかった。特に困ったこともなく、町に馴染んでるようだった。これに両親は一安心したけど、唯一の不安はやっぱり恋人についてだ。手紙では何も触れてなかったけど、また悪い男に引っ掛かってないかと、常に心配を感じてるようだった。

 休みの時間を持て余してた俺は、そこで思い付いた。特にすることがないなら、自分も町へ行ってみるのはどうか。遊びながら、ついでに姉ちゃんの様子を見て伝えれば、両親の心配も少しは消えるかもしれない――それが、町へ来た俺の理由だ。

 ここも田舎とはいえ、やっぱりベルイ村とはまったく違った。店は多いし人も多い。建物は皆綺麗で、道も歩きやすい。雨が降ってもぬかるみで靴が汚れることもなかった。ここならいい休みが過ごせる。と思ったけど……三日ですることがなくなった。町は思ったより狭くて、町並みも三日も見て回ればすぐに飽きた。何か娯楽はあるかと探したけど、男性達が集まる酒場くらいしか見つからず、まだ酒の飲めない俺は途方に暮れた。

 こんなことなら、姉ちゃんの様子を見てさっさと帰ろうかとも思ったけど、村に戻ってもどうせ同じ状況が続く。それならと、俺は小遣稼ぎに働こうかと考えた。農業以外したことのない俺には新鮮な経験になるかもしれないと思った。

 さっそく俺は姉ちゃんのところへ行って、いい働き口がないか相談してみた。休みの日数は三週間。そんな短期間だけ雇ってくれる人なんてそうそういないと思ったけど、姉ちゃんはあっさり見つけてくれた。自分が働く食堂の店長に聞いたところ、皿洗いや掃除の雑用として雇ってくれるっていうことで、俺は話がついたその日から働くことになった。

 それから間もなくして、俺は姉ちゃんが一人の男性に熱視線を送ってることに気付いた。カウンター席に座る男性……見れば、かなりの美形だ。同じ男でも気後れしそうなくらい整った容姿をしてる。俺の中には確信と、得体の知れない不安が同時に沸き起こった。姉ちゃんが次に惚れたのはこの男性らしい――俺は仕事が終わった後、意を決して確認してみた。すると姉ちゃんは満面の笑みで、少し頬を赤らめながら、すごく気になってると答えた。やっぱりか、と思ったのと同時に、美形男性の素性を早く知りたかった。何せ姉ちゃんの男を見る目は皆無だ。もし悪い男だったら気持ちが高まりすぎる前に早くその熱を冷まさせないといけない。昔みたいに裏切られ、姉ちゃんが馬鹿を見ないように。

 そういうわけで、俺は常連客の男性に話を聞いてたんだけど……どうやら姉ちゃんの男を見る目はより悪化してるらしい。まさか殺人の容疑者に惚れるなんて。昔のどうしようもない男達がしたことが可愛く思えてくる。殺人なんて、これ以上最悪なことはないだろ。よりによってどうしてこんな男を。姉ちゃんも噂を知らないわけじゃないだろうに――そうか。噂だから気にしてないのかもしれない。噂は真実とは限らないから、だから気持ちを持ち続けてるのかも……。

「アイヴァー、このお皿お願いね」

 洗い場に来た姉ちゃんは汚れた皿を俺の横に置いて、すぐにカウンターのほうへ戻ろうとしたけど、ふと足を止めて俺に振り返った。

「そうだ、今日夕食、一緒に食べる? それとも別のがいい?」

「ううん、一緒でいいよ。姉ちゃんこそ俺と一緒でいいの?」

「やあね、私まだ約束するような人なんていないわ。じゃあ角のお店で食べて帰ろうか」

「家で作ったほうが安いんじゃないの?」

「そうだけど、今日はちょっと疲れちゃったの。たまには、ね」

 にこりと笑って姉ちゃんは戻ってった。

 家族として、姉ちゃんには幸せをつかんでもらいたい。そのためには、ハンネスという男性を取り巻く噂が本当なのか、もう少し探ってみる必要がありそうだ。

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