その2
ジャージに着替え、鞄を持って部活へ。場所は武道場。約束している矢野琴音とコガ君は、剣道部に所属している。二人は同じ道場に通っていた同門だ。
琴音の“琴”は実在した女剣士から付けたらしい。と言うのも、矢野父は大の幕末好き。遊びに行くといかに幕末が面白いかを切々と説くので、その時代だけ詳しくなった。
だから歴史のテストで幕末関係の問題が出ると、思わず矢野父の感謝する。
ありがとう、矢野父。「いい加減飽きました」とか生意気言ってごめんなさい。
そんな環境で育った琴音が剣道をやりたいと言い出すのは、必定だったのかもしれない。
道場に行くと奇声……じゃなかった、気迫の籠った掛け声が聞こえてきた。
何と言っているのかと琴音に訊いたことがある。答えは「声に気迫を乗せて自分を奮い起たせてるのよ」らしい。
うん。分かったけど、私の知りたい答えじゃないよね。
一礼してから道場に入る。部員ではないが礼儀は守らなくてはいけない。邪魔にならない隅っこに鞄を置いていると、でかい影がぬっと動いた。
「おー来たか、長谷川妹。いつも悪いな」
「いえ。友達の頼みですし、何より好きでやってる事なので」
がっはっは!と笑いそうなこの熊みたいな人は剣道の主将。生徒会長と友人で、二人で居るのを良く見かける。私は二人を筋肉フレンドと密かに呼んでいた。
「さて、今日は何をやりましょうか」
「今度練習試合があるんだ。買い出しを頼む」
「分りました。では、行ってきます」
私はこうしてたまに剣道部の手伝いをしていた。マネージャーが居ないので助かるとは言われるけれど、力になっているのかは謎だ。
主な仕事は買い出し・洗濯・掃除・ビデオ撮影・スコア付……あれ、結構やってるかも。ま、楽しいからいいけどね。そしてこの手伝いにはある裏取引が隠されていた。
私たち兄妹には中学三年の弟が居る。八月生まれの葉月は剣道少年だ。きっかけは矢野父に誘われて一緒に琴音の試合を見に行ったとき、葉月は剣道と琴音に一目惚れした。しかし、琴音は葉月に言った『私より弱い男は嫌い』。
それから葉月は琴音と同じ道場に入りめちゃくちゃ努力をして、部活の団体戦では大将を任されるほどに。健気な弟のため、私は高校の剣道部顧問と主将に『中学生と合同練習を!』とお願いしたのだ。断られると思っていたが、拍子抜けするほど快く引き受けてくれた。その代り、微力ながら剣道部の手伝いをしている。
買い物を終えて帰ると、ちょうど休憩中だった。私は練習試合の時に持っていく鞄に必要なものを補充していく。
「先輩、何やってるんですか?」
「ぬぁっ!?乗るな重いわバカ!休憩中は休憩しな、オオヤ」
「大谷ですよ~。あ、買い出し行ってくれたんですか?ありがとうございます!」
「どういたしまして」と言いながら背中のオオヤを捻って落とした。
犬みたいに人懐っこいオオヤは背中を向けていると乗ってくる。小型犬なら可愛いで済まされるが、オオヤは身長175cmで成長中。160cmしかない私は毎度潰れそうになっていた。
「なんで先輩は名前ちゃんと覚えてくれないんですか?古河先輩も可哀想です」
「可愛い女の子なら覚える価値はあるが、男の名前を憶えて何の得があるのさ。何かくれんの?」
「俺の愛をあげます」両指を重ねて胸に置くオオヤ。……馬鹿じゃないの?
部活後、琴音の着替えを待っていた。先に着替えを終えたコガ君とオオヤが一緒に帰ろうと誘うが、二人は自転車通学。しかも逆方向なので断った。
「先輩はいつも矢野先輩ですよね。たまには俺も構ってくださいよ」
いつも矢野先輩って、なに当たり前なこと言ってるんだのワンコは。しかも構って……手伝いに行ったときは相手してあげてるでしょうが。
「嫌だよ。オオヤには部活の先輩が沢山居るでしょ。ねっとり構ってもらいな。コガ君なんかお勧めだよ」
「勝手にお勧めしないで。しかもねっとりって……。あと古河と大谷だよ」
「はいはい。古谷君と大河ね。早くお帰りよ」
しっしっと追い払うと頬を膨らませ「大谷っす!」「長谷川さん、混ざってるよ」と言い残して帰って行った。
「弥生、お待たせ!……どうしたの?」
「ううん。何でもないよ」
道着姿は凛々しいけど、制服姿の琴音もまた美しい。幻の後光が見えて思わず手をかざした。
琴音はまさに女剣士といった容姿をしている。いじったことのない長い黒髪は艶めいていて、とても綺麗。
駅に向かう中、向けられる視線の数に思わず得意げになった。
「何笑ってるの?」
「うん?私の親友が綺麗だから鼻が高くてね。優越感に浸っていたんだよ」
「なにそれ」と笑う仕草すら見とれてしまう。駅のロータリーには同じ高校の生徒が結構いた。その中に目立つ一団がいて、目が合うと腕を上げて手を振っている。
「弥生ちゃん、琴音ちゃん!一緒に帰ろー!」
武藤さんだ。こんなに人が居るのに一発で分かった。さすがヒロイン。そして琴音と並ぶと圧巻。綺麗系と可愛い系、両手に花とは正にこのこと。
どうだ男ども。羨ましかろう?
「ふわっ!」
何も無いところで武藤さんが躓いた。さすがヒロイン。どじっ子もまたテンプレだよね。その武藤さんをスマートに受け止める腕が。なんて慣れた動きでしょう。
「愛莉、気を付けろ」
「ありがとう、誠司」
小林誠司は武藤さんを支えると、少し照れながら顔を反らした。
男子の名前を覚えない私が、なぜ小林誠司の名前を覚えているのかと言うと、小林誠司は武藤さんの幼馴染。しかも爽やかイケメンで、武藤さん一筋。
ヒロイン観察に余念のない私が覚えない訳がない。
ありがとうテンプレ。ありがとう幼馴染!
改札で別れるとき、なぜか小林誠司に頭ぽんぽんされた。そして満足気に頷く。武藤さんも同じように頷いていた。すごい、シンクロしている。さすが幼馴染。
手を振る武藤さんに、私も手を振って応えた。
「……なんだったんだろう」
「弥生の頭は手を置くのに丁度良い高さにあるからね。しかもこのタレ目。色素の薄いふわふわな猫っ毛。動物好きなら愛でたくなる気持ちは充分理解できる。私も弥生の頭撫でるの気持ち良いから好きだよ」
成る程、動物愛護の精神から来るものだったのか。通りで私より背の高い人達に良く頭ポンポンされると思った。
それを受け入れる私もいかがなものか疑問だけど。
「ただいま~」
「琴音先輩はどうだった?」
帰宅すると同じタレ目の葉月が出迎えてくれた。だけどね、葉月君。
「そこは先にお帰りでは?」
どんだけ琴音主義なんだ?恋の盲目バ葉月が!
「帰ってきた時点で安否は確認できた。問題があるようには見えない。それよりも、琴音先輩のが重要だ」
「あっそ。琴音は今日も格好良くて綺麗でしたよ」
「だろうな。さすが琴音先輩だ。弥生と友人なのが信じられないくらい完璧な人だからな」
……ど突いたろか?
剣道は丸っきり素人ですが、学生の頃一度だけ見に行ったことがあります。
知識のない自分ですが、引き込まれたのを覚えています。
ご不快になられた方がいましたら申し訳ございませんでした。
ですが、批判等は控えて頂けると幸いです。