9 どうする? 5時限目
リカに最初の一報を伝えにきたのは、リーダーの一人であるアイリだった。
夜中にリカの家にかけこんできたアイリは、声を潜めて、リカに言った。
リカたちは、幼少期は親と暮らすが、ある年齢になると、独立して暮らすのが通例だった。
若者たちは、いくつかの地域にちらばって、長屋のような形の家に、一人ずつ暮らしていた。
駆け込んできたアイリは蒼白だった。
「リューが殺された。」
開口一番の台詞で、リカは緊張した。
リューのことは知っている。
恐らく、同世代では、剣の腕は一番だと聞いている。
彼も、仲間だったんだ。
新参者のリカは、タクミに認められたとはいえ、仲間の全てに紹介されているわけではない。
リカの知る仲間は、ごくごく身近に限られていた。
「急いで。逃げるわよ。計画がバレてる。」
「どうして?」
「わからない。けれども、一番腕のたつリューが、真っ先に殺された意味は…。」
「内通者?」
「その可能性が高いわね。脱走するメンバーは、全て知られてると思っていいかもね。」
「誰が内通者かは?」
「わからない。」
そこで、アイリは、いったん言葉を切った。
暗くて顔は見えないが、感情的になるのを必死で抑えているようだった。
「カズが、リューの家にいたの。仲間の一人よ。彼女が、死ぬ前に、テレパシーで映像を送ってきた。」
「カズはテレパス?」
「違う。けど、リューが目の前で殺されて、超能力が開花したんだと思う。一番、受け取ってくれるだろうと思われるソーに、その映像とメッセージを送ったの。」
「あのリューが、殺されるなんて…。」
「足を狙われ、そのあとは、メッタ突きだったらしいわ。超能力の開花を恐れて、とにかく一人ずつ、徹底的に殺していくつもりみたい。時間がない。急いで。」
アイリの声がかすれている。
涙をこらえているのかもしれない。
リカは、剣と、こんな時のために用意していたリュックだけもって、外に飛び出た。
けれども、リカにはやらなければならないことがある。
「アイリ、私は、キョウを迎えに行く。」
アイリは、それを聞くと、泣きそうな顔のままで言った。
「リカ、私は、ここにくる前にキョウの家を覗いたけど、キョウはいなかった。もともと、リューとカズは、キョウと3人で脱出のルートの話をする予定だったの。リーダー同士で、脱出の役割を、簡単に分担してるんだけど、外に出てからの動きの責任は、この3人が担当だったから。」
そんな細かいことは、まだ、リカには伝えられていなかった。
「なら、キョウは?」
「時間にルーズなキョウは、見たことがない。カズが死んで、テレパシーの交信が途絶えるまで、
カズの見える映像の中にキョウはいなかったらしいの。」
リカは、胸が激しく鳴るのを感じていた。
「キョウは、遅刻なんかしない。」
アイリもうなづく。
「最悪の場合、リューの元に向かう憲兵と遭遇した可能性がある。それでも、憲兵を見つけて、姿を隠していたのだとしたら、命はあるかもしれないけど…。」
ただごとじゃない憲兵たちの姿を見つけて、隠れてあとを追い、リュー達の惨劇を知ったなら…。
「リカ、自分に都合のいいことばかり、考えてる余裕はないわ。もう、キョウも命がないかもしれないことも、覚悟しておいて。」
キッと前を向くアイリは、いつもの優しいアイリではなかった。
リカは、頭を金づちで殴られたかのような衝撃を感じていたが、まだ、それについて考える余裕もなかった。
キョウ、お願い、生きていて。
そう祈るのがやっとだった。
「ソーからのちっちゃい伝令が来て…。」
「ちっちゃい伝令?」
「カズのテレパシーを何とか受け取ることできたソーは、リーダーに伝令を送ってきたの。それぞれの近場の仲間を連れて、西の門へ集合するようにって。私のとこには、ちっちゃい女の子だったわ。彼女は、別のリーダーのとこに、それを伝えにいったけど、運よく、他のリーダーたちのグループに合流できたら、西の門でキョウと会えるわ。」
そう願う。
リカは、心の中で強く念じながら、アイリの後について西の門に向かう。
憲兵に会わないよう、路地には気をつかいながら、月明かりの中、静かに走る。
この静寂の中で、大きな捕り物が行われているというのが、不思議な感じだった。
けれども、確実に、夜だからわかる地面を揺るがす地響きが伝わってきていた。
大きな人数が、迫ってくる足音だ。
「次は私かも…。」
アイリは、振り返りもせずにリカに言った。
「次の仲間のとこに行くつもりだったけど、やめておくわ。リカに、仲間の名前を告げて、私の代わりに彼らにこのことを伝えてもらおうとも思ったけど、時間もなさそう。リカは、とにかく逃げて。そして、私がいないことを、タクミたちに伝えて。」
「え?何を言ってるの?」
「一番厄介なのは、腕のたつリューだったと思う。その次は、きっと、ヒーラーだわ。」
「?」
前を行くアイリの表情は見えなかったが、声は冷静だった。
タクミに確認された覚悟を、このアイリもちゃんと備えているのだ。
「どんな手段で、私達を追っているのかわからないけど、仲間の名前がバレてて、探知できる能力者がいたなら、一人ずつ確実に追われるわね。能力の発動を恐れて、大人数で確実に独りずつ殺すのが、彼等のやり方なら、ターゲットが逃げるのは難しいけど、その分、他の者は逃げる時間がとれるはず。」
「どういうこと?」
「集団でやられたら、勝ち目はない。それより、このことを残された仲間に伝えて。それが、大事な使命よ。」
「…。」
「わかった?リカ。」
振り返ったアイリの目には、強い覚悟があった。
足音の地響きは、確実に大きくなっていた。
その瞬間だった。
遠くから投げられた矢が、アイリの胸をとらえた。
「アイリ!」
憲兵たちの姿が見える。
リカの背筋がゾクリとする。
覚悟はしていたが、死を現実に間近に感じると、想像もできない恐怖が襲ってきた。
アイリは、リカに向かって、必死で怒鳴る。
「早く逃げて。」
「でも…。」
恐怖で足が竦むリカにアイリは、更に怒鳴る。
「私がいかないことを、伝えて。お願い!」
怒鳴ることもつらい状況のはずだが、アイリの必死さが、リカの目を覚めさせた。
けれども、アイリをここに置いて逃げていいものかと、躊躇するリカに、アイリは、言った。
「リカの今考えること全ては、間に合わない。いい? リカが今できることをして。お願い。」
アイリに刺さっている矢を抜いて、アイリ自身が自分をヒーリングしたとしても、間に合わない。
この状態のアイリを、リカが抱えて逃げることも不可能だ。
リカの今考えること全ては、間に合わない。
アイリの言う通り。
リカが出来る事と言えば、逃げることだけだ。
仲間にとって、貴重なヒーラーを失うのは相当な痛手だ。
そのヒーラーが、もういないということを伝えてと、アイリはリカに託した。
自分を探すなと。ヒーラーがいない前提で戦えと。
それを仲間に伝えろとアイリは言うのだ。
リカは、覚悟を決めて、アイリを見た。
憲兵たちは、もう、すぐそこにきている。
アイリが必死にうなづいた。
リカは、次の矢が飛んでくる中、アイリに背を向けて、走った。
憲兵たちは、アイリの想像通り、リカを追うことをせず、先に、アイリのとどめを刺す方を選んだ。
リカが、最後に振り向くと、憲兵に囲まれたアイリが血しぶきをあげていた。
目をあけると、懐かしい顔がそこにあった。
「梨花―、心配したわよ。」
夢にどっぷりつかったあとは、こちらの現実世界の方が、嘘っぽく感じられる。
ホッとした凛の顔を見て、懐かしいと思えてしまった。
つくづく平和な日本にいることを痛感する。
「ごめん…。」
起き上がった場所は、学校の保健室だった。
「気がついたか。」
保健室の先生である高階と話をしていた榊が、ホッとしたように、声をかけた。
「すみません。」
「今、病院に連れて行く話をしてたとこだ。」
梨花は、慌てて首を振った。
「いいです。いいです。もう、全然大丈夫!!よくあるただの貧血ですから。」
「何言ってるんだ? 下手すりゃ、大怪我してたんだぞ。」
凛も
「そうよ。榊が支えなかったら、頭打ってたかもしれないよ。」
と、榊の方につく。
そして、自分の言い方にすぐ気が付いた。
「あ、いや、榊先生が、梨花をここまで連れてきてくれたから…。」
「いつもは呼び捨てか…。」
舌を出す凛に、苦笑して、榊は、梨花のそばに座った。
「病院に、行った方がいいと思うんだが…。」
「いいえ。絶対にお断りです。ホント、ただの貧血ですから。今、生理中なんで、血が不足気味なんです。」
「でもな…。」
「榊先生。」
高階が、割って入る。
「午後の授業にかかるかもしれないけど、少し、ここで休ませますよ。おかしいようだったら、病院に無理矢理でも行かせますから、先生は、授業に行ってください。」
「そうですか?」
保健の先生がそういうならと、榊は、心配そうに梨花を見つめたあと、梨花についていると言い張る凛をひきずるように連れだし、午後の授業のために、教室に戻って行った。
残された梨花は、自分が何故、意識を失ったのか考えていた。
ショックだったのだ。
自分が人を殺したということが。
この平和な日本で、人を殺すこと自体が、梨花をとりまく環境の中にはないものだった。
人を殺すなんて、ドラマやニュースの、自分とはかけ離れた世界の、自分には全く関係のない、一生関わることのない世界のことだと思っていた。
けれども、梨花は、夢の中で、確かに、人を、キョウを殺したのだ。
そして、目の前で、アイリも死んだ。
自由が欲しいと言っていた仲間は、その夢の代償に何を得たのだろう。
梨花は、自分の手を見てみる。
両手に血はない。
けれども、感触は残っていた。
そして、後悔の気持ちも…。
フと気が付くと、高階が、梨花をじっと見つめていた。
その目は、心配しているというより、氷のように冷たい視線だった。
「高階先生?」
梨花が声をかけると、高階はハッとしたように、瞬いた。
にっこり笑ったその顔には、先程の冷たさはみじんもない。
「どうする? 5時限目。」
いたずらっぽく笑った高階に、梨花は、さっきの視線が勘違いかと思いなおす。
「今から行きます。もう、全然平気なんで。」
「そう。じゃあ、気を付けて。何かあったら、すぐに保健室に来るのよ。」
「わかりました。ありがとうございました。」
「榊先生にも、ちゃんとお礼言っておいた方がいいわよ。」
「そうします。」
教室に向かいながら、梨花は、高階が、榊のことが好きなのかなと、ちょっと思った。