8 どうして?
「彼がタクミ、そして、彼女がアイリ。」
「よろしく。」
「こちらこそ。」
タクミもアイリも顔だけは知っていた。
二人共目立たない若者ではない。
タクミは、ずば抜けた容姿で、アイリは、ヒーリングがいきなり目覚めた者として、顔は、多くに知られている。こんな有名人が、ここから脱走したいと思っているとは、リカも驚いた。
しかも、今回の脱走メンバーのリーダー格だという。
タクミも、アイリもキョウとほぼ同じくらいの年齢だ。彼らがリーダーだというグループの若さがわかる。
若いからこそ、広い世界と自由に対する憧憬が、強い衝動になってしまうのかもしれない。
タクミは、男にしては、とても綺麗な顔立ちをしていた。
口の端がいつも笑っているような表情だが、それは、穏やかで優しいものでは決してなく、どこか好戦的で、危険な雰囲気を持っていた。
一方のアイリは、タクミとは対照的な、優しく柔らかい印象を持つ女だった。
友達の怪我がきっかけになって、いきなりヒーラーになったというのは、有名な話だ。
「ここから、出たいのか?」
タクミが、単刀直入にリカに質問する。
「出たい。」
リカは即答した。
「外の景色を見てみたい。外の人を見てみたい。自由になりたい。せっかく動ける体と使える頭があるのに、城塞にこもって、大昔の戒律守って、自分を殺して、一生を終えるなんて、まっぴらだわ。」
「確かに。」
タクミが笑う。
「詳しいことは、キョウに聞いてくれ。生きて出られても、生き抜ける保証はなし、捕まったら即死罪だ。その覚悟はできてるのか?」
「もちろんだわ。」
リカに迷いはない。
タクミは、面白そうに笑って、キョウと目配せする。
「じゃ、近いうち。」
そう言うと、タクミは、用が済んだとばかり、さっさとリカとキョウの前から去っていった。
置いて行かれたアイリは、その速さに苦笑する。
リカは、興奮していた。
「ホントに、ホントに、ここから出られるのね。」
「大きな声を出すな。」
キョウが、リカをたしなめる。
「リカを仲間にするつもりはなかったんだけどな。」
キョウは、独り言のように、ため息をついた。
「どうしてよ! こんな計画たててたんだったら、もっと早く教えてくれたらいいじゃないの。」
リカが、それにかみつくと、キョウは少し眉を寄せた。
アイリがやんわり口をはさむ。
「リカ、過去に、ここから逃げ出せた仲間が何人いると思う?」
「え?」
「公表はされていないけど、いなかったわけじゃない。私達みたいに、純粋に、自由に憧れた者ばかりじゃないのよ。厳しく細かい戒律に、どうしてもなじめない、生まれながらに犯罪体質を持つ人たちもいたし、反抗心を抑えきれない人たちもいた。ほとんどは、失敗して、殺されてる。確率は低いの。」
「覚悟してるわ。」
「宗主は、私達一族を、ただ守りたかっただけだった。けど、宗主亡きあとの長老たちは、ここから人が脱出することによって、外界の人間に、私達の存在がばれることの方を恐れたの。血は薄れ、昔のように、多くの超能力が生まれてくるわけじゃないけど、一族は、皆、いつ、能力者が生まれるか、また、いつ発動するかわからない可能性を常に持っていることは知ってるわね。」
「アイリが急にヒーラーになったみたいに?」
「そう。緊急時、極限状態におかれた時、いきなり発動するようなことが、一族全てに起こりうるの。だから、万が一、外に出た人間が、その能力を発動させてしまったら、また迫害の歴史が繰り返されるかもしれないということを、長老たちは恐れてる。存在を隠しきれないことを恐れている。
長老たちにとっての一番大事なことは、ここを守るということだから…。」
「だから?」
「守るための犠牲は厭わない。」
「どういうこと?」
「見つかれば、必ず殺される。例外はないわ。」
「わかってる。タクミとアイリに会わせてくれたのは、面接だったんじゃないの? 私の覚悟を見るための。」
アイリはクスクスと笑った。
「そうなんだけど、タクミは、リーダーの中では、一番甘いのよ。」
「甘い?そんな風には見えなかったけど。」
「ああ見えて、人に対する許容範囲が、意外に広いの。キョウは、リカに会わせるのはタクミしかいないと決めてたみたいよ。私はおまけみたいなもん。」
「どういう意味?」
リカがキョウを振り返ると、キョウは、困ったように笑った。
「タクミなら、たいていのことは受け入れる。受け入れたあとに、そのあとのことを考える。決行が間近に迫ったこの時期に、仲間を追加するなんてこと、タクミ以外のリーダーなら無理な決定だと思うわよ。」
アイリが補足する。
キョウは、いつも、そうだった。
小さい頃からずっと、キョウはいつも、リカにとって、世界で一番優しく、頼りになる兄のような
存在だった。
「リスクはできるだけ、回避したいものね。」
リスクと言えば…とアイリは続けた。
「もう一つ、言っておくことがあるわ。さっきも言ったけど、長老たちは、戒律を守るための犠牲を厭わない。」
リカがうなづくと、
「過去における脱走の失敗は、ほとんどが、内通者によるものよ。」
アイリは、衝撃的な告白をした。
「この城塞には、生まれながらに、長老に下々の声を、情報として与える使命を持つ家族、長老直属の間諜がいるという噂があるの。」
「間諜?」
「悪いことばかりを拾うわけじゃない。けれども、その家族にとっての代々の使命は、人々を監視し、上層部にとって不穏な動きがあれば、それを長老に報告すること。」
「それが、誰だかはわからないのね?」
「あくまでも噂なの。だれも、その正体はわからない。だけど、もし、私達の仲間に、彼等が混ざっていたら、私達は全滅するわ。」
「全滅…。」
「人は仕事というフィルターを使えば、人間性を捨てることもできるのよね。彼等にとっては、報告するということが生きる目的そのもの。そう教育されて成長する。」
「…。」
「私達の脱走は賭けよ。賭けに負けたら死ぬことがわかって、それでもいいという人だけが行く。揺るがない覚悟が必要よ。」
「ありがとう。アイリ。わかったわ。」
アイリは、それでも強くうなづくリカに、にっこり笑いかけ、すっかり姿の見えなくなったタクミの後を追って、その場を去っていった。。
「正直、お前を連れて行くのは…」
残されたキョウが、複雑な表情をする。
「ありがとう。キョウ。心配してくれて。でも、私は、死ぬことは怖くない。それより、キョウたちに残されて、ずっとここで生きて行かないといけないことを考える方がずっと怖いわ。誘ってくれて感謝してる。死んだとしても、絶対後悔はしないわ。」
きっぱり言い切るリカだったが、キョウの表情は、やはり複雑なままだった。
昼休みに、たっぷり話を聞いた凛は、教室に向かって歩きながら、しきりに感心している。
「やっぱ、夢のリカは、梨花じゃないわ。」
「何? それ…。」
「そんな難しげな話を、すんなり理解してる梨花が、想像つかない。」
「難しげって何よ。」
凛は、笑いながら
「でも、やっぱり、榊に一度話してみた方がいいと思うって。」
と、主張を繰り返す。
「えー。凛だから話せたけど、こんな話して、脳内ストーリ―ですって言われたら、めっちゃ恥ずかしいじゃん。」
「だからー、梨花にそんな才能ないって。」
「ええ?」
「梨花が、小説家になれる子だったら、そういうのもありだけど、どう考えても、梨花が考えれるストーリーじゃないって。」
「どういう意味よ?」
「そういう意味だって。」
笑いながらじゃれあって、駆けだした凛を追いかけようとした梨花は、勢いあまって、前を歩く人の背中に激しくぶつかってしまった。
「うっ!」
「あ、馬鹿、梨花。」
「ごめんなさい。」
ぶつかった相手が、振り返る。
「あ、榊…。」
凛が、口を押えたとき、
「お前達、どうして…」
激しく衝突された榊が、眉をしかめて言ったのだ。
梨花の全身が総毛だった。
突然、あの光景が、梨花の脳裏をフラッシュバックする。
キョウを背中から刺したあの瞬間だ。
振り返ったキョウは、信じられないものを見たように、リカを見た。
「どうして?」
と、リカに聞いたのだ。
「キョウ…」
「え?」
榊は、梨花の様子がおかしいことに気づいたようだった。
「大丈夫か? 牧嶋…。」
「梨花、どうしたの?」
私が、キョウを殺した。
キョウを殺したあとの激情が、一度に梨花に押し寄せてきた。
「おい、牧嶋?」
「梨花?」
二人の声が遠くに聞こえた。