17 貴方が納得していたからです
「キョウが俺だとしたら…」
榊は、疑問をぶつける。
「どうして、俺は、その記憶が、再生しなかったんだろう?俺には、彼女が謝ってくれても、何のことかさっぱりわからないのに。人違いだということは?」
「あり得ません。」
爽は、再び断言した。
「貴方は、間違いなくキョウです。」
柔らかい口調の爽が、他のことについては、幅を持たせた言い方をするのに、榊がキョウだということについては、はっきりと言い切る。
これについては、議論する気もなさそうだった。
話の説明でも、キョウを指す言葉が、全て自分をさしていることにも、榊は気が付いていた。
キョウではなく、貴方だと、榊をさしている。
「わかった。じゃあ、俺がキョウだとして、俺の記憶が戻らなかったわけは?」
爽は、静かに微笑んだ。
「ひとつは、リカが、貴方の記憶には干渉していなかったせいです。リカは、あまりにまっすぐな性格をしていました。彼女が全力でぶつかったら、貴方の中に眠っているキョウが、必ず目を覚ましてくれると、信じていたようです。けれども、貴方の記憶は戻らなかった。」
「…。」
「それは、貴方が納得していたからです。」
すんなりと爽は、答えた。
「納得?」
「リカは、貴方を殺めた瞬間から、恐ろしいほどの後悔に襲われていました。貴方を失ってしまったことに対して、死にたいほどの喪失感を味わっていました。貴方が二度とそばにいて笑ってくれないという事実に恐怖を感じ、自分自身が作り出した現実が、耐えきれなかった。その激しい悔恨の気持ちが、貴方に謝りたいという強い意志になって、この世界に生まれてきた目的を作り出しました。」
「…。」
「リカの記憶は、いわば前世での宿題です。前世でやり遂げられなかったカルマを今世で叶えるための。けれども、この件に関して、貴方には、宿題は残っていません。」
「誤解されて、殺されたのに?」
爽は、ゆっくりうなづいた。
「貴方は、リカを妹のように愛していました。深い愛情で、慈しんでいました。本当は、危険なことを、彼女にはさせたくなかったんでしょう。平和に幸せに、長生きしてほしいと思っていたのだと思います。けれども、貴方は、彼女のあの場所から出たいという強い意志を尊重して、葛藤しながらも仲間にしてしまった。その責任を強く感じていました。彼女にふりかかる危険は、自分のせいだと思っていました。だから、シュウに頼まれた大事なヒーラーより先に、リカを探しに引き返してしまった。貴方にとっては、リカが、一番大事だったからです。」
「…。」
「貴方は、そんなに大事にしていたリカに刺された時、最初は、わけがわからなかったはずです。けれども、刺されても尚、貴方は、冷静でした。リカの態度から、リカが何か誤解していることに気づきます。貴方は誤解を解きたかったはずです。けれども、時間はありませんでした。」
「…。」
「貴方は、瀕死の状態でいながらも、わかっていました。リカが、貴方に、あえて冷たい態度をとっていたことも、リカが怒っているんだと、貴方に伝えたいのだということも、理解していました。
そして、死を間近に感じた絶望的な状況の中で、貴方は、最後にリカの顔を見たんです。意識が消える直前に、貴方は、リカの態度とは裏腹な、涙でぐしゃぐしゃになっている顔を見たんです。その時に、貴方は悟りました。リカが貴方を殺そうとしたのは、本意ではないことを。騙されているのか、誤解しているのか、その両方か…。貴方は、そんなリカの状況を瞬時に把握して、そして、運命を受け入れたんです。」
「?」
「貴方は、リカの状態を理解した時に、その時点でリカを許したんです。貴方は、死の直前にリカを許していました。理不尽な死に方をしたにも関わらず、このことは、貴方の執着にはなりませんでした。」
「…。」
「貴方は、この件について、何の心残りも何の宿題も持たずに、この世界に転生しました。だから、死んだ時の記憶を呼び起こす必要がなかったんです。リカはどうしても、貴方に謝りたいという執着から逃れられずに、保健室での状況をつくりあげましたが、貴方は、リカに謝ってもらう必要を、感じていなかった。だから、記憶を取り戻す必要が、貴方にはなかった。貴方は、殺された過去の時点で、彼女を許していたからです。」
榊は、それを聞くと、無言のまま爽を見つめ、しばらくして、口を開いた。
「どうして、君には、そんなことがわかるんだ?」
爽は、首を傾げる。
「わかりません。」
「わからない?」
榊が笑う。
「そこまで、見てきたことのように話してるのに?」
爽は、何故かチラリとカウンターを見て、そして言った。
「いつも、わかるというもんじゃないんです。相手がいて、質問された時、上手くソースに繋がった時に、映像が見えてきます。あるいは、言葉のようなものが浮かんできます。それを、僕の言葉で、伝えてるだけなんです。繋がらない時は、僕は、僕自身の言葉でしか話すことができません。」
「不思議な大学生は、チャネラーか…。」
「不思議な? え?」
「いや、こっちの話。」
榊は、話しながら、もやもやしたものが解消されている自分に気がついた。
爽の説明は、証明できるものでもないが、何故か、榊にしっくりきた。
「他に、気になることはありますか?」
爽の質問に
「何故、俺は、この世界に…」
と言いかけた榊は、口をつぐんだ。
「…。」
爽は、先走りせず、榊の言葉を待っている。
榊は苦笑した。何故、俺は、この世界にいるんだろうと言いかけた自分が可笑しかった。
哲学者でもあるまいし。
自分が、この件にどっぷり浸かっていたことに気づき、自分の柄じゃないことを思い出した。
「いや、腑に落ちた。」
そう言うと、すでに、榊は立ち上がっていた。
「君の話は、俺の胸にストンと落ちる。どうして、それが、納得できるのかも疑問だが、少なくとも、もやもやは晴れた。」
「それは、良かった。」
「ありがとう。里村に感謝しなきゃな。」
「僕も、面白い時間を過ごせました。」
礼をしたいという榊の申し出を、爽は断る。
結局、榊は、飲まなかった自分と爽の珈琲代を払い、ママに礼を言って、喫茶店を出て行った。