16 彼女の望みはとてもシンプルだったんです
その週末、結局、榊は、凛に強引に約束させられた喫茶店に出向いていった。
オフィス街から少し路地に入った若干わかりにくい場所に、その喫茶店『ありす』はあった。
駐車場は、かろうじて3台分あったが、車を使ってわざわざくるような場所でもなく、おそらく、オフィスや近所のマンションの客を顧客にしていると思われた。
茶色を基調としたセンスのいい小さな喫茶店の中には、40代とみられるママが一人。
客は、カウンターに一人、奥のテーブルに一人が座っていた。
凛の姿はさすがにない。
「里村さんですね。僕は、凛さんのクラスの副担任をしております榊恭平といいます。今回は、個人的な事で、場所をお借りすることになりました。」
榊が、凛の母であるママに挨拶すると、彼女は、にっこり笑って奥の席を案内した。
「いつも、娘がお世話になっています。お待ちしていましたよ。凛が、強引に誘ったらしいですね。でも、きっと、いいお話がきけますよ。」
凛の母親は、奥のテーブルに榊を案内すると、自分は、邪魔にならないよう、さっさとカウンターの中に引き返して行った。
「榊恭平です。今日はよろしく。」
「志筑爽です。」
とりあえず、自己紹介をすると、凛曰くの不思議な大学生は、立ち上がって、きちんと挨拶をした。
一見、極めて常識的で、不思議感はまるでない。
どこか、育ちの良さを感じさせる、端正で、優しい顔立ちの、礼儀正しい男だった。
珈琲を、爽の分と二人分、凛の母親に注文した榊は、席に腰掛け、軽く首を傾げる。
「会ったことが?」
志筑爽と名乗った大学生は、笑いながら首を振った。
「いえ、初めてだと思います。」
「懐かしい感じがする…。」
榊は、少し目を細めて、しばらく爽を見ていた。
爽は、微笑んで、榊が話し出すのを待っている。
世の中に、悩み事相談や、占い、拝みやなど、不思議な力で、人を助ける商売や、商売でなくても、そういう力で、人を救う人たちがいるという話はきく。
別に肯定も否定もしないが、理系男子の榊にとっては、今まで、興味もなく、馴染みも無く、関わることもなかった世界なので、そういう能力を持つという爽を前にして、若干の戸惑いを禁じ得ない。
こういう話が、はたして信じてもらえるかどうかの自信も無い。
少なくとも、榊の今までの人生で、霊能力者の前で話をするという経験はなかった。
ましてや、悩み事というのが、はっきりしているわけでもないのだ。
自分が、何について、どう悩んでるのかという自覚は、榊にはなかった。
ただ、漠然と、自分にふりかかった体験について、腑に落ちない疑問を感じているだけだ。
何から、どう話せばいいのか、榊は、軽く吐息をついて、口を開いた。
「君を紹介してくれたのは、教え子なんだが…。」
「ああ、凛ちゃんですね。」
爽は、にっこり笑った。
「この前、此処に来て、色々話してくれました。」
「ああ…。」
と榊は苦笑する。
「あいつは、待つ奴じゃなかったな。」
「梨花さんの夢の記憶が、日を追うごとに希薄になっていると聞きました。凛ちゃんが、梨花さんから聞いたことまで、梨花さんはどんどん忘れていっていると、不思議がっていましたね。」
「それは、どうして?」
爽が、何を理解してるのか、何がわかるのかすら、榊にもわからなかったが、つい、疑問をそのまま伝えてしまった。
けれども、爽は、その質問を当たり前のように受けとめる。
「彼女が、何故、記憶を呼び戻したのかという理由に関係します。」
打てば響くような答えがかえってきたので、榊は、そのまま、話を続けてみた。
「それは、前世に関係が?」
「はい。これは、貴方達の前世です。」
爽は、きっぱりと言い切った。
「…。」
「凛ちゃんの話によると、梨花さんの説明する世界が、過去の時代にあてはまらないと言っていたそうですが、同じ時間軸とは限りません。パラレルワールドの存在は?」
「理解はできる。」
「同じ顔で、同じ名前を持つ世界があって、それが、榊さんたちのいた前世なのかもしれません。」
「かも?」
「場所についての断定は、僕にはできません。可能性というなら、地球外だって考えられる。実際には、違う顔で、違う名前で、違う環境なのかもしれないけど、梨花さんにとっては、キョウの魂が榊さんだということは、絶対的な認識なので、それ以外のことは、彼女の脳内で変換して、夢の中では、梨花さんの理解しやすいイメージで、環境や人物が描かれているだけなのかもしれません。」
「なるほど。」
爽の答えを、榊は、不思議な思いで聞いた。
「他のことは可能性でも、前世だということについては、断定なんだな。」
「そうですね。」
それを面白いと感じながら、榊は質問を続ける。
「さっき、言っていた、牧嶋たちが記憶を呼び戻した理由というのは?」
「貴方に謝りたかったんです。」
「…。」
「彼女は、貴方を誤解して、殺してしまったことを知った。だから、貴方に、どうしても謝りたかったんです。だから、貴方を追いかけてきた。高階さんの意識の一部を連れて行ったのも彼女の仕業でしょう。」
「彼女の仕業?」
爽は、にっこり笑った。
「聞きませんでしたか? あの城塞に囲まれた一族は、超能力の因子を持っていたと。顕在化されていなかったいろんな能力を、彼等は持っていた。梨花さんの場合、魂の状態になって、初めて発動しました。」
「死んだあとに?」
「そうです。彼女は、あのあと、すぐに殺されてしまいました。死んだあと、来世のプログラムを組むことは、魂のレベルでは、不思議なことではありません。ですから、彼女の超能力と言い切ることにも語弊があるのですが、彼女の場合は、そのプログラムが、来世の為ではなく、前世のリカのこだわりを、具体化したことというのが特徴です。異世界に来た貴方を追いかけてこれたのも、その彼女の能力です。」
「ちょっと待ってくれ。」
榊は、あまりの内容に、ついていけてない自分を感じ、話を止めた。
頭の中で整理してみる。
「つまり、前世のリカは、死んだあと、超能力を駆使して、俺の転生先の魂を追ってきた。その理由は、俺に、謝るためだけ?」
「そうです。」
爽は、あっさり肯定する。
「こだわりと言うのは?」
「過去世のリカが貴方に謝るというこだわりです。今世に生きてる高校生の梨花さんではなく、貴方を殺した当事者のリカとして、貴方に謝りたかったんです。」
「だから、記憶が必要だった?」
そうですと、爽は答える。
「リカは、死んだ後に発動した能力をフルに使って、貴方の魂を、異世界まで追ってきました。貴方には、絶対出会うと信じていた。だから、会った瞬間から、発動できるようプログラムをつくっていました。」
「俺と会った日から、夢が始まったというのは…。」
「リカが組んだプログラムです。そして、彼女の能力の面白い所は、シュウの意識の一部を一緒に連れてきたことです。シュウは、本来、一緒に来る予定の魂ではなく、リカの力によって、強引に連れてこられた意識です。この世界に存在している高階さんの前世は、異世界のシュウとは違う流れを持っています。それなのに、リカは、異世界のシュウの意識の一部を、高階さんに上書きしました。おそらく、自分でも理解できなかった生前の状況の欠落部分を補足する必要を感じてたのだと思います。そのため、高階さんに、憑依したような形になったシュウは、全てを思い出すことはなく、リカの目的を成就する状況になった時だけ、意識を浮上させました。」
「…。」
「リカのこの世界での目的が終わったあとは、シュウの役目も完全に終わったため、記憶も消えてしまいました。元々、シュウの記憶は、高階さんの記憶そのものでもなかったので、役目が終わって、除霊されたような感じです。リカの目的も果たされたから、その意識も浄化されてしまいました。現実の梨花さんにとっては、必要のない記憶なんで、消えていくのは自然なんだと思います。
リカとして、心から、貴方に謝りたかった。彼女の望みは、とてもシンプルだったんです。」