1話 1マイルってどれくらい?
ーー事件だ。
数千を誇った父の蔵書達は本日をもって全て踏破された。
思えば長い戦いであった。
彼らに哀悼の意を捧げると共に、解決せねばならない課題が浮上している。
滅多に使わないが、父親がいつだかの誕生日にくれた鞄を引き出して靴を外履きに替えた。
すると、ようやく事件に気づいた母親が薬鉢をひっくり返して飛んできた。
あー…。商売道具なのに。
「わ、ワイルド、ど、どうしたの?お外に行くの?かあさんついて行こうか?何か欲しいの?」
まだ何もしてないのに、母は感極まった様子でまくし立てた。
一気に面倒くさい気がして来たが、しかしこれは由々しき事態なのだ。
「とうさんの仕事場に行ってきます。目的が済めばすぐ帰ります。」
挨拶も終えたので出掛けようと玄関に向かえば母に制止される。
「待って!いや、行っていいのよ!」
どっちなんだろう。
「これね、お弁当。父さんに持って行ってくれる?きっと喜ぶわよ、それからそうだ、お財布は持った?お菓子でも買って来きたら?そろそろお買い物も覚えなくちゃね。それから…。」
大変長そうなので弁当と小遣いだけ貰って、逃げるように家を出た。
母さんてば過保護だよなぁ、なんて思いながら父の仕事場、町の療治院を目指す。
町には本で読んだ色々なものが溢れていて賑やかだ。
馬車、噴水、あの木はリンゴ。あの人の持っているのは杖かな。魔法使いがつかうやつだ。
実際に見るのは初めてだけど例えば外套が色分けされている理由、お店が均等に並んでいる理由、太陽が沈む理由だってなんでも知ってる。
母さんはちょっと心配しすぎだ。
しかし療治院はお城の方角に1マイルも行けばすぐだと父さんは言っていたのに、なんだか見えてこないなぁ。
見落としただろうかと悩んでいたらふと、美味しそうな匂いがしてきた。
もうお昼だから早く弁当を持って行ってあげないと。
案ずるより生むが易し、ともかく歩いてみるしかない。
途中、喉が渇いたので瓶の看板があるお店で水を買った。瓶の看板は酒屋さんだ。酒屋とはいってもミルクとかジュースなんかも一緒に売ってる。
ちゃんとお会計もできた。順調だ。
それからしばらくは気分良く歩いていたものの、さすがに疲れた。
低い石垣のような所に腰掛け一息ついていると、同じ年頃の男子が数人騒がしく歩いてくる。
極力話しかけられないようにと明後日のほうを向いていたのに、その中で一番体格の良いのがこっちを見て立ち止まった。
「おい、お前見かけないな。迷子か?」
迷子、と言われると不本意だが悪いやつじゃなさそうなので一応頷く。
「療治院に行きたいんだ。父親が働いてる。」
そいつはふうん、と言って連れを振り返る。
「ちょっと遠いけど案内してやろうぜ。親が働いてんならこの辺の奴だろ?名前は?」
「ワイルド・ヒース。向こうの薬屋に住んでる。」
今来た道を差しながら言うと、彼らは一瞬戸惑った顔をした。
何だろう。父さんめ、隠れて悪いことをしているな。
「ガイスト先生んとこ子供いたんだな。」
ガイストというのは父の名だ。
家では見たことがないから療治院に来たことのある奴なのだろう。
うちの薬屋は調剤師の母親が切り盛りする店で、父親は薬剤師。最初は一緒に仕事をしていたらしいが、療治院がこの町にできてからは毎朝わざわざ通っている。
正直無駄な気がするが、穏便に暮らすには必要なことらしい。
ともあれ、彼らに案内して貰いたどり着いた療治院は思いの外遠かった。
聞いていた話と全然違う。
上がった息を整えながら、呼ばれて姿を見せた父をほんの気持ち睨んだ。