決断 4
***
「いいんですか? さっきの竜型呪霊、そのままにしておいて?」
旅支度をさっさと整え、草履を履き始めたシャファルに、リアフィールは尋ねた。
どう見ても凶悪そのものの竜型呪霊をそのまま放っておけば他の呪霊がどんな被害を被るのか、想像するのも恐ろしい。どう甘く考えても、この森の呪霊生態系は滅茶苦茶になるだろう。
しかしリアフィールよりも遥かに豊富な知識を備えた青年は、あっけらかんと答えただけだった。
「俺みたいなのがチョロチョロしても仕方がない。すぐにラスクーツ除霊師協会から討伐隊が編成される」
「へー…そんなことが分かるんですか?」
「常識で考えれば分かる」
遠回しに常識がないと言われた事に気付き、リアフィールは少しムッとした。さっきからこの人は言ってほしくないことをさらりと言う。リアフィールに常識がないとしたら、この人にはデリカシーがないのだろう。
「そういえばシャファルさんの使い魔はどうしたんですか? 一度も見たことがないんですが」
話の筋を変えようと聞いてから、リアフィールはその話題のチョイスを後悔した。シャファルはかなり不機嫌そうな表情を作ったのだ。しかし怒るようなことはせず、相変わらずぶっきらぼうに答えただけだった。
「いない」
「どうしてですか?」
後悔したにも関わらず、リアフィールは尋ねずにはいられなかった。シャファルの作ったその表情が、どうしようもなく気になってしまった。
だがシャファルはリアフィールの質問には答えず、風呂敷を持つと、シャファルが寝ぐらにしているらしい木の穴から出て行った。
答えたくないのだろう。シャファルのデリカシーのなさを非難できないな、と数秒前の自分をたしなめながら、リアフィールもそれに続いた。
「家族に事情を説明して来い」
シャファルの突然の命令に、リアフィールはそっと俯いた。
確かにこれから危険な旅路が待ち受けているのだから、当然だろう。しかしリアフィールにはそれができない。
「家族は…いません」
理由を聞かれるだろう、そう予想したリアフィールは、反射的に身構えてしまった。共に旅をすると決めたとはいえ、シャファルがどんな人間なのか、リアフィール
はまるで知らないのだ。一番思い出したくない記憶を話すつもりは、毛頭なかった。
そんなリアフィールの胸中を知ってか知らずか、シャファルは淡々と続けただけだった。
「そうか。学院まで戻るのは面倒だし、俺が手紙だけ出しておこう」
さっと懐に手を突っ込んだシャファルに、リアフィールは思わず尋ねていた。
「聞かないんですか?」
「何をだ?」
「私の家族がどうなったのか、聞かないんですか?」
「聞いてほしいのか?」
「いいえ! でも私、聞かれると思ったから…」
「身近な者を喪ったときのことを聞くほど無神経じゃないからな」
前言撤回、最低限のデリカシーは持ち合わせているようだ…と思い直したリアフィールの目の前でシャファルは青い札を取り出し、空中で横一文字を描いた。描かれた一文字がパックリと開き、奥から一体の鳥型呪霊が飛び出した。さっき竜型呪霊と戦った呪霊と比べると随分小さいが、間違いなく呪霊だ。
シャファルは鳥型呪霊の足に手紙をくくりつけると、短く「頼むぞ」と囁いた。その言葉に応えるように頷いてから、鳥型呪霊は勢いよく飛び立った。
「呪霊を使い魔の代わりにしてるんですか?」
「違う」
説明するつもりはない、と言っているかのようだった。それ以上は追求できず黙り込んだリアフィールを一瞥してから、シャファルは「行くぞ」と短い一言だけを放り投げた。我に返って歩き始めたシャファルの背中を追いながら、リアフィールは今一度、背後に広がる森林を振り返った。
森林の先には、通い慣れたラスクーツ学院がある。そこには2年間を共に過ごした級友や師範がいる。彼らに何も言わずに出て行くことに、裏切りのような罪悪感すら感じてしまう。
しかし、やっと大切なことに気付いた気がするのだ。シレアが見捨てて逃げ出す程度の除霊師でいたくない。その成長の為には、避けようのない道だった。
もう二度と戻ってこれないかもしれない。しかしこの旅の中で命を落としても構わない。
そしていつか必ず、シレアを認めさせてみせる。