逃走 2
✳︎✳︎✳︎
力強い腕で抱え上げられ、驚くほどの勢いで加速を始めてから、ようやくリアフィールは目の前で何が起きているのかを理解した。
見知らぬ誰かが呪霊を引き連れて参上し、リアフィールを連れて逃走に移ったのだ。
見たこともない凶悪な大型竜に立ち向かう度胸の持ち主が、明らかに荷物にしかなりえない少女を抱えて遁走するはずがない。リアフィールが見知らぬ青年を窮地に陥れたことは明白だった。
すぐ後ろから、大型竜の追ってくる足音が分かる。見るまでもなく、大型竜はリアフィールたちのすぐ後ろにまで迫っていた。鳥型呪霊と青年がどこからともなく召喚させた狼型呪霊の反撃の雄叫びを上げているのは聞こえるが、抑えきることが出来ずにいるのだろう。
呪霊二体をも物ともしない相手に、この状況で逃げ切れるわけがない。
逃げて、下さい。
呟こうとしたが、漏れたのは細い呻き声だけだった。恐怖のせいか、思考は普通に動くくせに、体が思うようには動かない。その悔しさに、リアフィールは泣き出したくなった。
青年は一言も発さず、黙々と足を動かし続けた。木の根や平たい石が現れては青年とリアフィールの行く手を遮るが、青年はその存在を予め予習していたのでは、と疑いたくなるほど軽々と、それらの障害物を飛び越える。大型竜の雄叫びと足音が小さくなったように感じるのは気のせいだろうか。
ちらちらと振り返り、大型竜の追撃速度を確認しながら走っていた青年の表情が、微妙に強張った気がした。その原因を自ら視認したい衝動と、状況を悪化させてしまうかもしれない何かを見る恐怖に駆られるリアフィールに、青年はぼそりと囁いた。
「掴まってろ」
「え?」
うまく聞き取れなかったリアフィールは聞き返したが、どうやら青年は二度同じことを言うことを嫌う性格だったらしい。それ以上は何も言わずに、道なき茂みへと突っ込んだ。
「ふべっ!」
いきなり草木に顔面を強打され、リアフィールは少女らしからぬ奇声を発してしまった。それでも青年の首に回した両手だけは離さない。
直後、背後から爆音が轟いた。大山風のような突風が乱暴にふたりの背中を殴り、前方へと速度をつけていたふたりは抵抗する術もなく吹っ飛んだ。
「息を吸え」
青年がこんな状況にも関わらず落ち着いた、淡々とした声を発したが、背後の暴風に掻き消され、耳元で聞いたはずのリアフィールにすら届かなかった。
緑だらけの景色が開けた。あちこちを引っかかれ、切り傷や擦り傷だらけになっていたリアフィールはホッと一息つき、次いでギョッと目を見開いた。その先には一切道のない、巨大な湖があった。
息を吸い込む余裕もない。リアフィールに出来たことといえば、絞殺しかねない強さで青年の首にしがみつくことだけだった。