逃走 1
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襲われていた者には、目もくれなかった。これから相手取る呪霊の姿が、あまりにもシャファルの予想とはかけ離れていたせいだ。
大型竜の呪霊。近頃時折現れては、上級から特級クラスの除霊師の手を焼かせているとは聞いていたが、まさか実際にお目にかかるとは思ってもみなかった。
呪霊が多く現れる地域では、その数に比例して呪霊の力は弱くなると言われている。その地域の条件にもよるが、一定区域内に集まるエネルギー量が限られてしまうからだ。この森は他の地域と比べればかなりエネルギー量が多い場所だが、多くの呪霊が好むらしく、大量かつさほど強くない呪霊の集まる場所でもあった。
そんな場所に一体だけ異常に強力な呪霊が出現すれば、当然他の呪霊を喰らい殺す。呪霊の世界も、厳しい弱肉強食なのだ。
その世界の中でも、特に強力かつ凶悪とされているのが、大型竜種…ミコドナッチ・フィルハート種だ。
悪いおふざけだ。
胸中で毒づきながら、シャファルは再度札を取り出した。
とある事件をきっかけに、シャファルは他の除霊師のように使い魔を使うことが出来なくなった。使い魔の使えない除霊師になど、誰も除霊の仕事を頼むわけがない。シャファルは除霊師としての仕事を断念するつもりでいた。
そんなシャファルだったが、使い魔の能力の代わりに得た能力があった。他の誰にも使えないその能力を使うことで、シャファルは除霊師として活動できるようになった。
シャファルの能力は使い魔と共に倒した呪霊と契約を交わし、一度限りで戦いに協力させる、というものだった。もともと使い魔が倒した呪霊は、他の動物の死同様、黄泉の国へと逝くとされていた。しかしかつてのシャファルの使い魔の力は呪霊を殺すことなく、己の体内に蓄積・封印するものだった。使い魔がいなくなった後、シャファルに残されたのは、使い魔の中にいた数多の呪霊たちだけだった。
己の魂を札という形で具現化し、呪霊を呼び出す鍵とする。シャファルの独特な戦い方から、いつしか他の除霊師たちは、シャファルをこう呼んだ。
切り札と。
大仰な異名だと思う。そもそも異名などを頂くようなことは何もしていない。かと言って否定して回るのも面倒なので、シャファルはだんまりを決め込んでいた。
威勢のいい雄叫びを上げながら飛び出したのは、狼を象った獣型の呪霊だった。大きな顎で臆することなくフィルハートに食らいつく狼と上空から急旋回して鋭い嘴の一撃を叩き込む鳥を目にし、襲われていた少女が小さく震えるのが分かった。
しかし、腑に落ちない。
見たところ、少女が身につけているのは地方に唯一の除霊師育成施設・ラスクーツ学院の制服だ。おまけに年齢はまだ12か13ほど…というシャファルの憶測が正しければ、学院二等生。やっとこさ使い魔の変幻が出来るようになったかならないかの見習いクラスだ。辺りに使い魔がいないところを見ると、シャファルの読みよりも年下…三等生か。だとしたら、こんなところにいるのは場違いも甚だしい。
とにかくここにいても、シャファルの邪魔になるだけだ。
「何してる、早く逃げろ」
怒鳴りたいところではあったが、それに怯えてもたつかれては元も子もない。なるべく穏やかに話しかけたが、少女はへたり込みながら戦いを見つめるばかりだ。見れば脚はガクガク震え、恐怖に顔はひきつり、額には冷や汗が浮かんでいる。もしかしたら、シャファルの声が聞こえてもいないかもしれない。
…くそっ。
内心で毒づき、シャファルは少女を強引に背中へと放り投げた。聞いているかどうかも定かではないが「掴まってろよ」と今度は怒鳴り、走り出す。
どこかで見た気がする少女だ、と思ったが、記憶から少女を捜すのは後回しにした。