オッサニア・オンライン(上)
「ただいまーっと」
会社から帰った目下俊夫(52)は、誰も居ない部屋の明かりを付けるとカップラーメンに保温ポットのお湯を注ぎ、くたびれた身体からネクタイをはずしスーツを脱ぐ。下着一枚の楽な姿になると、のびのびとした笑顔を浮かべた。これから楽しいゲームタイムなのだ。
停電でもあったのか、保温ポットの中のお湯は冷めきっており、カップラーメンは水を吸ったグズグズな物体に成り果てている。軽く舌打ちすると、先ほど脱いだ加齢臭漂うスーツのポケットから携帯固形食糧と取り出して齧る。明日の朝飯だが、まあいい。
妻は10年前に若い男と出て行った。娘は何か知らんが妻に付いて行った。養育費は払っているがもう長い事あっていない。だが、いい。
俺には、これがある。いつもの場所で、いつもの仲間。
この、『オンライン上の楽園』が。
ド派手な演出と重厚なストーリーとアニメや週刊誌と連動した企画テンコ盛りの新作タイトルが次々に現れては消えるバーチャルリアルティのゲーム群。
新作に次ぐ新作がことごとく短期間で散って行き、通常の一人用のコンシューマゲームよりもゲームへの接続時間が短い事が明らかになってから、オンラインゲーム業界は完全に沈黙した。
もう、オンラインゲームはFPSと麻雀だけ。RPGは完全に終わったコンテンツと成り果てた中、ほんの少しだけ新規ユーザーも居ないのに息が続いているVRMMORPGがあった。
一つは小学生にやや人気のカードバトルRPG『宇宙ヤクザ・ファンタジー』で、捕まえたモンスターや通行人を働かせたり戦わせたりするバトルゲームだ。
マンガにもなったが10週目以降なぜか続きが連載されない事と、ユーザーが低年齢に固まった為にお金を使う層が居らず運営会社が儲からない為、今にも停止されそうなコンテンツだ。
もう一つが『パラダイス・オンライン』
サブタイトルは「働かなくても良い俺達の楽園」だった。
けれど、誰もその名前では呼ばない。通称は「オッサニア」で通っている。
店頭でクライアントソフトのパッケージ買う時も、オッサニア下さいで買える。
1年以上の継続ユーザー率95%以上という恐るべき客の固定を可能にしたのは一体何だったのだろうか。
このゲームの特徴は
・レベルが無い
・お金とかはリアル時間に応じて定額支給
という二つの点がまず目を引く。
何この共産主義の手先、と思う層は始めからこのゲームをやらない。ユーザーの絞り込み、というヤツである。
モンスターを狩るのも、武器防具や家具を生産するのも、やりたいからやるだけ。
やったからレベルが上がるとか、お金が稼げるとか、アレをしないとコレが出来ないと言うの、無し。
執着するものも射幸心を煽る物も無いから、すぐにプレイヤーが離れると思われたが、逆にこれが心地よい層が居着いた。
さらに、味覚エンジン搭載という、当初は女性層を取り込む為の売りが大きかった。
さまざまなレストランと提携したり、地方自治体となぁなぁのグダグダになって御当地料理とかをゲーム内で有料販売という形を夢想していたらしいが、現実の料理と微妙に違うと言う問題が発生した。
これは、バーチャルリアリティ空間にログインするアバターが、口の中の容量や歯の形まではトレースしていない為、人によってリアルでは違うはずの「一口の大きさ」や「齧った感覚」に誤差があった為だ。
現実の料理とデータ上の料理の味は本当は同じはずなのに、入力機器である生身の身体のせいで受け取り方が違ったと言う笑い話である。
これで飲食系の提携先はほとんど消えた。
ただ、「味が違っても別にいい」という豪快な店が何店か残った。現実の店舗を構えていない店である。ぶっちゃけ、潰れた店。
当初、この味覚エンジンは「現実と同じ味を安価で数種類提供して、気に入ったら現実の店にも足を運んで下さい」という試食のような扱いの広告として使用される予定だった。毎日一定額支給されるパラダイス・ドルはそこに回数制限をつける為のチケットだ。
だが、飲食店がごっそり減った状態では、このチケットだけで細々と経営できてしまう店が発生した。これといって味に自信もプライドも無いいくつかの店が、これ幸いとオンライン店舗のみに切り替えた。何しろ仕入れも廃棄も無いしバイトも雇わなくていい。
最盛期は和・洋・中の様々なレストランや独自色を様々に打ち出した個性的なラーメン屋や各種スイーツが軒を並べていたパラダイス・オンラインの飲食店サーバは、今となっては「美味しくないラーメン屋」「おでん屋」「焼き鳥屋」というガード下の三種の神器が並ぶだけとなっている。
常夏のビーチエリア :ログインユーザ 0人
白銀のゲレンデエリア:ログインユーザ 0人
晴れた日の公園エリア:ログインユーザ 0人
秘密の空き地エリア :ログインユーザ 0人
ガード下エリア :ログインユーザ 18729人
これが今のオッサニアの現状である。無料の共通アバターである『髪の薄いひょろいおっさん』の姿のプレイヤー達がリアル上司の愚痴を言い合いながら酒を飲み、焼き鳥と枝豆と冷奴で状態異常:酩酊を引き起こし、NPCの女将を口説く。おっさんたちの楽園。
たまにリアルマネーを突っ込んで、課金アイテムの『ししゃも』とか『砂肝』とかを買って周りのみんなに振る舞えば拍手喝采だ。リアルでは影の薄い窓際の置き物も、この瞬間はヒーロー。確かに味はたいして旨くも無いし変わり映えもしないけれど、その代わり変わらない安心感がある。ぼられる心配も無いし、飲み過ぎて千鳥足になった所を塾帰りの中学生に狩られる心配も無い。
人は何か素敵な物を得る事でのみ幸せを感じるのではない。失わない、という安定の中にぬるま湯のような幸福感を感じたりもするのだ。
いつも通りに『ガード下エリア』にログインした俊夫……ハンドルネームTOSHIは、道端に転がっている【ビールケース】を拾うと、いつもの店に入り【家具生成】コマンドで椅子を作り出す。
「オヤジさん、俺いつもので」
「馬鹿野郎、うちはいつも同じのしかねぇよ!」
毎日繰り返されるやり取りに、周囲の酔客もいつもどおりに、たまには新商品いれなよぉと合いの手を入れる。
いつもの店というのは、いつも通っている店というだけの意味では無い。店名が『酒処・いつもの店』なのだ。
「うちはセルフサービスだから、自分で取りに来な」
実際にリアルの身体を動かすわけではないので疲れる事は無いのだが、めんどくさいと言うのはそう言う事ではないらしい。めんどくさがり屋は舌を出すのもめんどくさがる。この店の店主はリアル店舗でも焼き鳥も焼かずに客より先に呑み潰れてしまう為に店を潰した経歴を持つ。オンライン店舗は天職と言えた。
TOSHIはカウンターまで移動してパラダイス・ドルという毎日支給されるお酒引換券を置く。空中に浮かびあがる『お品書き』から一番安い『親父の微笑み』をクリック。実体化したコップ酒を持って定位置に戻る。常連ほど奥に座るのがこの店の暗黙のルールだが、もう2年前から席替えは発生していない。もちろん、そこがいいのだ。席を一つ詰めるという事は、そのプレイヤーがネット環境か命のどちらかを失ったという事だと皆思っている。
2年前にZUMIさんという古株が来なくなった。彼は人に奢る事は無かったが、課金アイテムを奢られて機嫌が良くなると
「俺は昔バンドやってたんだよ、結構売れたりもしたんだけど音楽性ってのの違いでサァ。いつかまた一花咲かせてやろうとは思ってんだけどヨォ!」
と言いだしては聞いた事もない曲を弾き始める迷惑なおっさんだった。迷惑な騒音ではあったが、陽気な人なので店の皆から愛されていた。
彼がログインしない日が一週間続いた時、誰かが言った。
「きっとZUMIさん、音楽の方が忙しくなったんだよ」
皆がその言葉に頷いて、CDでたら買ってやろうな、曲は何度も聞いたもんな。
そう言って、席を詰めた。
だから、席はこのままがいい。
いつも通りに、2杯目の安酒をチビチビとすすっていた時。いつも通りの常連の一人HASSIさんが掛け込んで来て叫んだ。世界の終わりを。
「大変だ。このゲーム、サービス終了になるって!」
いつもなら活報に垂れ流しそうなネタだけど、なんとなくカッとなって書いた。
こんなVRMMOネタがあっても良い。世界はきっと優しい。