第3話
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第3話 森での暮らし
マルクスの家は、森の奥にひっそりと佇んでいた。
背の高い木々に囲まれ、外からはほとんど見えない。
だが一歩足を踏み入れれば、そこには確かな“人の暮らし”があった。
薪の匂い。
乾かされた薬草。
使い込まれた道具たち。
どれも質素で、けれど丁寧に扱われているのが分かる。
ミラベルが目を覚ましてから、数日が過ぎていた。
最初は起き上がることすらできなかった身体も、今ではゆっくりとなら歩けるまでに回復している。
その間、マルクスは毎日欠かさず様子を見に来ては、何気ない話をしていった。
「今日はな、川で魚を狙ってたんだが……逆に逃げられてな」
肩をすくめながら、少しだけ悔しそうに言う。
「そのまま足を滑らせて、見事に落ちた」
その様子があまりにも想像できて、ミラベルは思わず小さく笑った。
「……それは、少し見てみたかったわ」
「やめてくれ。情けないところを見られるのは勘弁だ」
そんな他愛もないやり取り。
けれどそれは、確かにミラベルの心をほぐしていった。
身体の痛みが和らぐのと同じように、胸の奥に残っていた冷たさも、少しずつ溶けていく。
「体が動くようになったら、きっと恩返しするわ」
ある日、そう口にすると、
「そうだな」
マルクスはあっさりと頷いた。
「じゃあまずは、無理をしないことだ」
「……それは恩返しにならないと思うのだけれど」
「いいや、立派な仕事だ」
真面目な顔で言い切られて、ミラベルは思わず肩の力を抜いた。
「……ずるいわ」
「そうかもしれないな」
軽く笑うその表情は、どこか余裕があった。
――そして数日後。
ミラベルは、ついに家の外へ出た。
森の空気が、頬に触れる。
湿り気を帯びた風。
葉の擦れる音。
どこか遠くで鳴く鳥の声。
それは、これまで彼女が知っていた世界とはまるで違っていた。
「……綺麗」
思わず、そう零れる。
マルクスは何も言わず、ただその様子を見ていた。
その日を境に、ミラベルは外へ出ることが増えた。
マルクスは猟に出て、獣や魚を捕る。
それを燻製や塩漬けにし、近くの村へと運ぶ。
ミラベルは、その作業を手伝うようになった。
最初は見ているだけだった。
だが、手を動かし、覚え、繰り返すうちに――次第にそれが“自分の仕事”になっていく。
「……こう、かしら」
「そうだ。筋がいいな」
短い言葉。
けれど、その一言がどこか嬉しくて。
気づけば、ミラベルは笑っていた。
ここでの暮らしは、決して楽ではない。
けれど――不思議と、苦しくはなかった。
誰かに強いられたものではなく、自分の意思で動いているからだろうか。
あるいは――
隣にいる人のせいかもしれない。
ミラベルはまだ、その理由を言葉にできなかった。
この生活にも、だいぶ慣れた頃。
外の空気は澄んでいて、胸いっぱいに吸い込むと、それだけで身体が軽くなるようだった。
木々が風に揺れ、葉の擦れる音がやわらかく響く。
ミラベルはしゃがみ込み、足元の草をそっとかき分けた。
「……これ、使えそう」
指先で摘み取ったのは、小さな葉をつけたハーブ。
香りを確かめるように軽く指で潰すと、爽やかな匂いが広がる。
「それは?」
後ろから覗き込むマルクスに、ミラベルは少しだけ得意げに微笑んだ。
「燻製に使うといい香りが出るの。肉の臭みも和らぐわ」
「へえ……」
感心したように目を細める。
その反応に、ミラベルの胸がわずかに弾んだ。
気づけば、籠の中は木の実やハーブでいっぱいになっていた。
木の実は蜂蜜漬けに。
ハーブはオイルに漬けて保存する。
そうすれば、料理にも薬にも使える。
実家の庭には、多くの薬草が自生していた。
その知識は、ここに来て初めて“役に立つもの”になった。
最初にそれを見せた時、マルクスは本気で驚いた顔をしていた。
「こんなに詳しいのか」
あの時の表情を思い出して、ミラベルは小さく笑う。
実際、彼女が選んだハーブを使うようになってから、燻製の香りは格段に良くなった。
行商に出たマルクスも「よく売れる」と言っていた。
それが、少しだけ嬉しい。
誰かの役に立てている、という実感。
ミラベルは立ち上がり、軽く籠を抱え直した。
そして、自然とマルクスへ視線を向ける。
彼は少し離れた場所で、手際よく別の採集をしている。
無駄のない動き。
それでいてどこか余裕がある。
(……この人は、本当に不思議な人だわ)
最初はただの恩人だった。
けれど今は、それだけではない。
気がつけば、ここに来てから随分と時間が経っていた。
季節の匂いも、空気の温度も、少しずつ変わっている。
その変化と同じように――。
ミラベルの中にも、確かな何かが積み重なっていた。
マルクスは誠実で、優しくて。
決して踏み込みすぎず、けれど必要な時には必ず手を差し伸べてくれる。
そんな風に接してくれる人を、ミラベルはこれまで知らなかった。
だから――。
(この気持ちは……何なのかしら)
胸の奥にあるものに、そっと触れる。
温かくて、心地よくて。
けれど、まだ名前の分からない感情。
家族に向けるような親しさに似ている。
けれど、それだけではない気もする。
答えは出ない――けれど。
分からないままでも、いい気がした。
つづく
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