第16話
王都編に入ります!よろしくお願いいたします!
第16話 飾られた花
湯気が、やわらかく立ちのぼる。
ほのかに甘い香りが、空気に溶けていた。
白く磨き上げられた床。
淡い光を反射する壁。
すべてが、息を呑むほどに美しい。
その中央に、ミラベルは座らされていた。
「失礼いたします」
侍女の声は、驚くほど静かだった。
だがその手は、迷いがない。
そっと、髪に触れる。
濡れた髪が指先に絡み、やわらかくほどかれていく。
櫛が通るたびに、静かな音が響いた。
別の侍女が、温かな布で頬を拭う。
さらに別の者が、衣服を整える。
次々と、手が重なる。
壊れ物を扱うかのように、丁寧に。
(……どうして)
ミラベルは、息を詰めた。
誰も、説明しない。
ただ、整えられていく。
髪が梳かれ、艶を帯びる。
肌が磨かれ、光を宿す。
文字通り、頭のてっぺんから爪先に至るまで整えられていく。
やがて羽根のように軽い布を纏わされ、導かれるまま別の部屋へ移された。
そこには、ひときわ目を引く一着のドレスが掛けられていた。
「綺麗……」
思わず口から漏れる。
それは、ただの客人が袖を通すにはあまりに優美だった。
身体の線に沿い、無駄なく、そして美しく形を整える。
光を受けるたびに、控えめに、けれど確かに輝く。
まるで――“見せるために作られたもの”だった。
(……こんなもの)
指先が、わずかに震える。
数人がかりで、手際よくドレスを着せられ、髪を結われた。
こんなドレス、着たことはない。
こんなに丁寧に、整えられたことも。
それなのに、鏡を見なくても分かる。
今の自分は、きっと、美しい。
その確信が、胸の奥をざわつかせた。
「……あの」
思わず、声が漏れる。
だが、手は止まらない。
「ご安心ください」
やわらかな声。
「すべては、陛下の御前に立つための支度にございます」
それだけ。
それ以上は、何も言わない。
(……どうして)
問いが、喉まで出かかる。
けれど、誰に、何を聞けばいいのか分からなかった。
やがて最後の仕上げに、輝く宝石の付いた髪飾りを髪に差し込まれる。
ネックレスも差し出されたが、石のペンダントだけは、どうしても外せなかった。
鏡が、そっと目の前に置かれる。
ミラベルは、ゆっくりと目を向け――息を呑んだ。
そこにいたのは、自分だった。
だが、違う。
整えられた髪が、柔らかく光を受けて揺れる。
肌は透き通るように整えられ、纏うドレスが、その存在を際立たせている。
見慣れているはずの顔が、どこか遠い。
(……誰……?)
一瞬、本気でそう思った。
これは、自分なのだろうか。
それとも、誰かのために作られた、“別の何か”なのだろうか。
胸の奥が、ひやりと冷える。
その時だった。
「ご用意が整いましたか」
扉が開く。
外に立つ侍従が、静かに頭を下げる。
「陛下がお待ちです」
逃げ場のない言葉だった。
――――――
廊下を歩く足音が、小さく響く。
左右に並ぶ衛兵。
揺るぎない姿勢。
整えられた空間。
すべてが、完成されていた。
(……違う)
森とは、まるで違う。
あそこには、温度があった。
息があった。揺らぎがあった。
ここには、それがない。
ただ、完璧に整えられている。
それだけだった。
自分もまた、その中の一部のように感じられて――足が、わずかに重くなる。
――――――
重厚な扉の前で、立ち止まる。
「お入りください」
低い声に、扉が、ゆっくりと開いた。
中は、広い。
だが、華美ではない。
必要なものだけが置かれた空間。
その奥。
一段高い場所に、一人の男が座していた。
白髪混じりの黒髪。
穏やかな青い瞳。
だが――その視線は、深い。
(……この方が)
ヒース王。
アルベルト・ヒース。
「近くへ」
深い、声だった。
ミラベルは、一歩、進む。
視線が重なる。
その瞬間、背筋が凍る。
優しいはずの目なのに。
すべてを見透かされているような感覚。
「ミラベル・ウィルスナー」
名前を呼ばれる。
胸が、強く鳴る。
「よく来てくれた」
穏やかな声音。
だが、その一言に逆らえない重みがある。
「……恐れながら」
声が、わずかに震える。
「私は、ここへ呼ばれた理由を……理解しておりません」
慎重に、言葉を選ぶ。
だが、逃げない。
王は、わずかに目を細めた。
「当然だ」
短く言う。
「説明が足りていない」
その一言で、場の空気が変わる。
「お前は、“王の庭”に触れた」
心臓が、強く跳ねる。
「……はい」
小さく、頷く。
「封印は、結ばれたと聞いている」
「……はい」
王は、しばし沈黙する。
その時間が、やけに長く感じられた。
やがて。
「“王の庭”は、守るべきものだ」
静かに告げる。
「解くものではない」
はっきりと。
「だが、お前はそこへ至り、結んだ」
その視線が、一瞬、ミラベルのペンダントに向いた気がした。
ほんのわずかに、鋭さが増す。
「その意味が分かるか」
問われる。
答えを求められている。
――沈黙は、許されない。
ミラベルは、息を吸った。
怖い、それでも――。
「……分かりません」
正直に言う。
だが、視線は逸らさない。
「ですが……守るものだということだけは、分かります」
長い……沈黙。
「ふむ」
破ったのは、王だった。
「それでいい」
短い言葉。
だが、確かに認める響きだった。
次の瞬間。
「お前は、守る者だ」
静かに、断じる。
その言葉が、胸に落ちる。
「そして同時に――」
わずかな間。
「守られるべき存在でもある」
その瞬間、違和感がはっきりと形になった。
(……守られる?)
胸が、ざわつく。
何かが、噛み合わない。
(これが……守られる?幽閉と何が違うの?)
だが――言葉にできない。
「当面の間、お前の身は王宮で預かる」
決定だった。
「これは保護だ」
穏やかな声。
だが、逃げ場はない。
「同時に、必要な措置でもある」
ミラベルは、何も言えなかった。
美しく整えられたまま。
何も分からないまま。
ただ、“そう扱われる存在”としてそこに立っている。
その胸の奥で、“守られる”という言葉への違和感だけが、静かに揺れていた。
つづく
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