第13話
第13話 封印の間
森のざわめきは、次第に遠のいていった。
まるで、この先だけは森ですら軽々しく踏み込めない聖域であるかのように。
石に導かれるように辿り着いたのは、木々の途切れた先にひっそりと口を開ける古びた石の遺跡だった。
何者も踏み入れた痕跡がない。
苔むした外壁には無数の蔦が絡みつき、年月の重みを感じさせる。
だが、その沈黙は死んだものの静けさではなかった。
何かを待ち受けるような、張り詰めた気配がそこにはあった。
「ここね……」
ミラベルは思わず呟いた。
胸の奥が、嫌に熱い。
初めて訪れるはずの場所なのに、どこか懐かしさにも似た感覚があった。
マルクスは周囲を見渡し、低く息を吐く。
「こんな場所が、まだ森の奥に隠されていたのか……」
その声にはいつもの穏やかさはなく、王族としての鋭い緊張が滲んでいた。
二人は慎重に遺跡の内部へと足を踏み入れる。
ひんやりと湿った空気が肌を撫で、足音が石の回廊に小さく反響した。
壁には風化した文様や古代文字が刻まれ、ところどころに薄く青白い光が滲んでいる。
ミラベルは無意識にそのひとつへ手を伸ばした。
指先が石の表面に触れた瞬間、微かな熱が走る。
「……っ」
息を呑む。
脈打つような感覚だった。
石の奥に眠る何かが、自分の存在を知っているような。
「ミラベル?」
マルクスが一歩近づく。
ミラベルはそっと手を離し、顔を上げた。
「大丈夫……でも、この場所、ただ古いだけじゃないわ」
目を閉じる。
遠い昔の記憶でも探るように。
「覚えている、というのとは少し違うの。でも、私の中の何かが、この遺跡を知っている気がする」
マルクスは黙ってその言葉を聞いていた。
否定も、軽々しい慰めもしない。
ただ真っ直ぐに受け止める。
「ウィルスナーの血が、反応しているのかもしれない」
その言葉に、ミラベルは静かに頷いた。
さらに奥へ進むと、足元の石畳に刻まれた模様が、ひとつ、またひとつと淡い光を宿し始めた。
その筋はまるで二人を導くように、遺跡の最奥へと続いている。
「……進めと言っているみたいね」
ミラベルが呟くと、マルクスは剣の柄に手を置いたまま答える。
「行こう。だが、俺の傍を離れるな」
光の筋を辿って進んだ先で、二人は思わず立ち止まった。
そこには、巨大な石の扉がそびえ立っていた。
天井近くに届くほどの高さを持つ扉は、何重もの文様で埋め尽くされ、その中央には花を思わせる紋章が浮かび上がっている。
蔦と花弁、円環と交差する線。
それはミラベルにとって見覚えのある形だった。
「……うちの紋章」
かすれた声が漏れる。
ウィルスナー家に代々伝わる花の意匠。
それと酷似した紋様が、封印の扉の中心に刻まれていた。
ミラベルは息を呑み、扉を見上げる。
「ここが……」
言葉の続きを、マルクスが静かに引き取った。
「ああ。ここが――封印の間だ」
その一言で、空気がさらに張り詰める。
目の前にあるのは、伝承でも昔話でもない。
現実だ。
ミラベルは胸の奥に広がる不安を押さえながら、一歩だけ扉へ近づいた。
だが、その肩にマルクスの手が置かれる。
「無理に触れるな」
低く、制する声。
ミラベルが振り返ると、彼の目は扉ではなく、周囲の闇を警戒していた。
「封印を守る方法を探る必要はある。だが、今ここで“開く”必要はない」
その声音には確固たる意志があった。
「この扉は解くためにあるんじゃない。守るためにある」
ミラベルは小さく頷く。
そうだ。
自分がここへ来たのは、何かを壊すためではない。
守るためだ。
その時だった。
「……なるほど。花は、ここへ導いたか」
背後の暗闇から、重い足音が響いた。
ひとつ、ふたつではなく、複数の足音が石の床を踏み鳴らしながら近づいてくる。
マルクスが即座にミラベルの前へ出た。
剣を抜き、扉を背に庇うように立つ。
遅れて、暗がりの奥から人影が姿を現した。
先頭に立っていたのは、パルス伯だった。
その顔には、勝者のような歪んだ笑みが浮かんでいる。
手には、一輪の花。
薄青い光を宿したその花は、持ち去られたミラベルの花に間違いなかった。
「ようやく見つけたぞ、ミラベル。随分と手間をかけさせてくれたな」
その声音は、粘つくように低い。
「それに――第二王子殿下」
ミラベルの背筋を冷たいものが走った。
この場に立つパルス伯は、彼女が知っているどの貴族よりも恐ろしく見えた。
欲望を隠そうともしない眼差し。
この場のすべてを奪い取る気でいる。
マルクスは剣先をわずかに持ち上げた。
「ここから先へは進ませない」
その言葉に、パルス伯は鼻で笑う。
「進ませないだと?」
数歩前へ出る。
兵たちもそれに続き、半円を描くように二人を囲んだ。
「王子のくせに、随分と都合のよいことを言う。守るだけで何ができる」
マルクスの声は冷えていた。
「少なくとも、お前の野望をここで止めることはできる」
その応酬を、ミラベルは息を詰めて見つめていた。
だが、パルス伯の視線はすでにマルクスから彼女へと移っている。
「ミラベル。お前は自分が何であるか、もう聞かされたのだろう?」
その声に、嫌悪と恐怖が同時に込み上げる。
「お前は鍵だ。鍵は使われてこそ意味を持つ。違うか?」
ミラベルは歯を食いしばった。
「私は、あなたのための鍵じゃない」
はっきりと言い返す。
その声は震えていた。
けれど、目だけは逸らさなかった。
パルス伯の目がわずかに細まる。
「強くなったな。だが、それも束の間だ」
彼は手にした花を掲げた。
花弁の先が妖しく光り、封印の間の空気がわずかに揺らぐ。
「この花が何を意味するか、もう分かっているはずだ。あとは血筋を揃えるだけでいい」
ミラベルの顔から血の気が引く。
マルクスが一歩踏み込み、その前に立ちはだかった。
「パルス伯」
低い声が響く。
「封印は“解く”ものじゃない。“守る”ものだ」
だが、パルス伯は笑みを崩さなかった。
「守る、か。王家らしい物言いだな」
その声には、嘲りが滲んでいる。
「王家は代々そうしてきた。力を恐れ、閉ざし、ただ見張ることしかできなかった。だから衰退するのだ」
彼の声音が、次第に熱を帯びていく。
「だが私は違う。この力を使う。王家が守ることしかできなかったものを、我が手で支配する」
その言葉は、もはや宣言だった。
「力を持つ者こそ、王たりえるのだ」
ミラベルの胸が、強く脈打つ。
この男は本気だ。
花も、封印も、国さえも――自分のものにするつもりなのだ。
マルクスの剣先が、わずかに動く。
「そのために森を踏みにじり、花を奪い、人を道具にするのか」
パルス伯は一歩も引かない。
「道具? 違うな。価値あるものを、正しく使うだけだ」
その言葉に、ミラベルの中で何かが音を立てて切れた。
「違う!」
思わず叫んでいた。
兵たちの視線が、一斉に彼女へ向く。
「私は、誰かに使われるためにここにいるんじゃない」
胸の奥で、青い石がじわりと熱を帯びる。
「この森も、この扉も、あなたのためにあるんじゃないわ」
パルス伯の表情が、初めてわずかに歪んだ。
「……口の利き方を覚えたようだな」
その瞬間。
扉の紋様が、淡く光を宿した。
全員の視線が、巨大な封印の扉へと吸い寄せられる。
花の紋章が脈打つように明滅し、足元の石畳に青白い光の線が広がっていく。
遺跡全体が、低く唸るように震え始めた。
ミラベルは思わず扉を振り返る。
胸の奥が、引かれるように熱い。
だがそれは、扉を開けと誘うものではなかった。
問われている。
この場で何を選ぶのかを。
マルクスもまた、異変を理解したのだろう。
振り返ることなく、低く告げる。
「ミラベル、扉から目を離すな」
その一言に、彼女は頷いた。
パルス伯は花を掲げたまま、低く笑う。
「いい。ようやく応えたか」
兵たちに向かって手を振る。
「捕らえろ。王子は生死を問わん。娘は傷つけるな」
命令が落ちた瞬間、兵たちが一斉に動いた。
マルクスが剣を構え直す。
彼の背中越しに、ミラベルは扉の光を見つめたまま唇を噛んだ。
逃げることも、迷うことも、もうできない。
扉の前で、ミラベルとマルクス、そしてパルス伯はついに真正面から向かい合った。
戦いは、もう避けられなかった。
つづく
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