第11話
第11話 侵食される森
パルス伯の屋敷、その最奥にある石造りの一室には、重苦しい緊張が満ちていた。
壁際には発掘された石碑がいくつも並べられ、灯火に照らされた古代文字が不気味な影を落としている。
石台の前には数名の学者たちが集まり、羊皮紙を手に震えながら文様を照合していた。
「……それで?」
低く抑えた声が落ちる。
部屋の中央、椅子に深く腰掛けたパルス伯は、顎杖をついたまま学者たちを見据えていた。
その眼差しは冷たく、返答ひとつ遅れれば首が飛ぶとでも言いたげだった。
年嵩の学者が唇を湿らせ、ようやく口を開く。
「は、はい……石碑の記述から見て、この遺跡に封じられた力を解くには、特定の地で儀式を行う必要があるかと」
「特定の地だと?」
「おそらく……“王の庭に咲く花”を指しております」
その言葉に、室内の空気がさらに張り詰めた。
パルス伯は微かに目を細める。
「王の庭、か」
学者は震える指で石碑の一文をなぞった。
「古い記録では、封印を解くには二つの条件が必要とされています。ひとつは、原初の妖精の血を継ぐ者。もうひとつは、妖精の力を引き出す触媒です。いずれか一方だけでは、封印には届かない、と」
「血筋の者は」
「記録を追えば、隣国へ逃れた一族に繋がります。現在のウィルスナー家が、その末裔である可能性が極めて高いかと……」
沈黙が落ちた。
やがて、パルス伯の唇がゆっくりと歪む。
「なるほど。ようやく繋がったか」
立ち上がった彼は、部屋の奥に置かれた小箱へと歩み寄った。
蓋を開くと、その中には一輪の花が静かに納められている。
その花は、切られてなお枯れる気配を見せなかった。
薄青く、内側から滲むような光を宿した花は、ミラベルが手にした花と良く似ている――いや、その物だった。
学者たちの喉が、ひゅっと鳴る。
「これが……」
「妖精の花だ」
パルス伯は花を摘み上げ、灯火にかざした。
「ウィルスナーの娘を押さえ、この花と揃えれば、封印に触れられる」
その声音に、確信と執着が混ざる。
「伯爵様、しかし石碑には、“結ぶ者”とあります。封印を解くのではなく――」
最後まで言わせなかった。
パルス伯の視線が、氷のようにその学者を射抜いたからだ。
「解くも結ぶも同じことだ。力に触れさえすれば、あとは使う者の意思でどうとでもなる」
誰も反論できなかった。
パルス伯は花を手にしたまま窓辺へ歩み寄る。
夜の闇の先には、自らの領地と、そのさらに向こうにある王都の方角が広がっていた。
「王家は代々、封印を守ることしか知らん。力を畏れ、ひれ伏し、見張るだけだ」
鼻で笑う。
「だが私は違う。その力を使う」
振り返ったその顔には、冷えた狂気が浮かんでいた。
「兵を集めろ。今度こそウィルスナーの娘を捕らえる」
短い命令に、部下たちが一斉に頭を垂れる。
やがて屋敷の外では、武装した兵たちが慌ただしく動き始めた。
松明が灯され、馬がいななき、鉄の擦れる音が夜を裂く。
その音は風の隙間を進み、森へと届く。
木々がざわり、逆立った。
――――――――
一方その頃、ミラベルとマルクスはヒースの森のさらに奥へと進んでいた。
妖精の庭を出てから、森の空気は安らぎとは程遠い。
木々のざわめきはどこか落ち着かず、風は絶えず葉を揺らし続けている。
まるで何かが怯え、ざわめいているような。
「……不思議だ」
先を歩いていたマルクスが、ふと呟いた。
「どうしたの?」
「森が、妙に騒がしい。さっきまでとは違う」
言われて耳を澄ませば、確かにそうだった。
鳥の声でも獣の足音でもない、もっと細く、もっと弱い気配が幾重にも重なっている。
その時、ミラベルは足元に小さな光を見つけた。
「……待って」
しゃがみ込む。
草のあいだから覗いていたのは、名も知らぬ小さな白い花だった。
花弁の先が、かすかに青く点滅している。消えそうなほど弱い光が、一度消え、また灯る。
「この花……」
ミラベルがそっと指先で触れた瞬間だった。
耳元で、柔らかな囁きが響く。
――来る。
思わず息を呑む。
それは声というより、感覚に近かった。
だが意味だけははっきりと伝わってくる。
――彼らが、来る。
直後、二人の脳内に重い地鳴りのような音が響いた。
マルクスが弾かれたように顔を上げる。
「……何だこれは」
低く吐き出したその声に、ミラベルの背筋が冷える。
森の奥、暗い木々の向こうから、鉄と怒号の気配が押し寄せてきていた。
花はなおも震えるように光っている。
ミラベルはその小さな光を見つめ、唇を噛んだ。
試練は終わったのではない。
ここから始まるのだ。
ゆっくりと顔を上げると、視線がマルクスと重なった。
言葉は、いらなかった。
彼は小さく頷く。
ミラベルもまた、それに応えるように頷いた。
森の奥から迫る気配は、もう隠そうともしていない。
それでも――、二人は立ち止まらなかった。
つづく
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