世界終了通知
**あなたの世界、今日で終了です。**
空き缶を蹴った。乾いた音が石壁に跳ね返り、夜明け前の路地裏に虚しく響く。夜勤明けの陽太の視界は、ビルの灯も朝焼けも沈めたような、濁った灰色で満ちていた。
ポケットの奥でスマホが震える。無意識に取り出すと、差出人もサービス名も表示のないメッセージが一つ。
〈おめでとうございます。あなたの現実世界は、本日をもって終了いたします。〉
笑えればよかった。けれど、その瞬間、視界の端に人影が立った。スーツを着た男。全身をノイズが走り、街灯の光を受けても影ひとつ落とさない。
「困るよ、陽太くん。バグは、修復前に処理しなくちゃ」
唇は動かず、瞳だけがにこりと笑った。次の瞬間、世界が崩れる音もなく裂け、陽太を呑み込んだ。
*
──『ようこそ、観察者の諸神がた』
高天井に届くほどの巨大な部屋。円卓の中央に宙吊りの球体がゆらぎ、その中には日本によく似た地図が浮かんでいた——ただし空は網の目のようなデータ線で覆われ、街ごとに「スコア」が明滅する。
ログイン完了を告げるように、どこかで神々の笑い声が弾けた。
『このステージは本日をもって削除されます。ただし、恒例の“ファイナルクエスト”を実施いたします。候補者を表示します』
球体の映像が切り替わった。土手に立つパジャマ姿の青年。虚空を見上げるその瞳は、まだすべてを受け入れきれずにいた。
〈スキル:『嘘が真実になる声』〉
「おい、ふざけんな……」
陽太が口にした刹那、耳奥に異音が響く。
『スキルが発動しました。現在の発言:“おい、ふざけんな”──世界適用演算中』
とたんに空は裂け、犬が宙を舞い、小学生が電撃を放ち、スーツ姿の男たちが叫びながら走り始めた。
「……マジかよ」
口元を押さえ、地面に崩れる。心臓が鼓膜のすぐそばで鳴っているようだった。ひとつ、ふたつ、沈まない高鳴り。
*
天井のチャットウィンドウが狂騒を映す。
『始まった』『レアスキルはやっぱ映えるな』『大喜利大会開催中』『こいつに潰し合いさせようぜ』
球体の奥、陽太の背後。巨大な「ナマハゲ」のような異形が現れ、スマホを片っ端から奪い始める。
「……俺に、何をさせたいんだよ」
陽太は立ち上がった。空間に浮かぶホログラムパネルが指示を表示する。
〈クエスト内容を選択してください〉
1. 世界の敵(バグ主)の討伐
2. 神々との交渉
3. 世界を再構築する「真実」を放つ
躊躇なく、「3」へと指が伸びた。
*
円卓がざわめく。神々の中のひと柱——眼帯をつけた神がつぶやく。
『まさか……奴、嘘で我々を“消す”つもりか』
『その可能性は否定できん。奴のスキル範囲に、我々が含まれているならば』
『いいじゃないか。破棄予定の世界が創造主に牙を剥く。実に上等な見世物だ』
空に亀裂が走る。陽太は深く息を吸い、口を開いた。
「この世界は……ゲームなんかじゃない。ここで生きてる俺たちは、全部、本物の人生なんだ」
静寂。0.5秒後、世界が変わった。
空中スコア、すべて「∞」。チャットウィンドウは砂嵐に変わり、円卓はもろく崩れ落ちた。神々の声は、ノイズとなって四方に散る。
『……まさか、本当に……』
胸に手を当てた神が、嗤うように消えた。
「“嘘が真実になる”ってんなら……次はこれだ」
陽太の声は、自己の深奥から漏れ出す呪詛めいた響きに変わっていた。
「お前らなんか、最初から、いなかった」
仮想神のデータ構造が因果ごと焦げ落ちていく。蜘蛛の巣のようだったデータ線が、煙のように空へ溶けて消える。世界を覆っていた虚構の膜が、剝がれ落ちていった。
*
気づけば、土手の上。空には雲、遠くで電車の音。
スマホを覗けば、ただのロック画面。例のメッセージは影も形も残していなかった。
住宅街を歩く。無人レジは消え、AI広告も見当たらない。テレビでは芸人がくだらないことを喋り、近所のガキが泣けば、母親が怒鳴り、その隣では誰かが笑っている。
試しに言ってみた。本屋の前で、制服の少女に。
「この世界って……本物だよな?」
少女は首をかしげ、きょとんと笑う。
「なにそれ、哲学? わけわかんない」
陽太は肩の力を抜いて息を吐いた。ポケットの中で何かが微かに震えた気がした──けれど、手に取ってみても、そこには何もなかった。
*
夜。薄暗い部屋で、陽太は布団に潜りながら自問する。
本当に世界を書き換えた? もしや、最初から全部──演出だったのか?
目を閉じかけた耳奥に、音が滑り込んだ。
『制作チームです。新ステージへようこそ。次回アップデートをお楽しみに──』
陽太は静かに身を起こす。そして、薄明かりの天井を見上げて、不意に呟く。
「……じゃあ今度は、世界そのものにこう言うか」
目の端に、一筋の光が射す。
「お前なんか……ただの背景だ」
その瞬間、世界は、ほんの少し色を変えた。




