2、王子カイル
「……何だ、今のは」
カイル王子は、豪奢な寝台の上で眉をひそめた。
頭の奥に直接響いた声。
聖女アリアの、あの澄ました声音だ。
『本日より、託宣を下すことにしました』?
「はっ」
思わず鼻で笑う。
「託宣? 何のつもりだ。神様気取りか?」
『ただ今、国中の成人を迎えた方に語りかけています』
また声が響く。
隣で男爵令嬢がシーツを胸元まで引き上げ、不安げに身を寄せてきた。
「殿下……今の、もしかして聖女様の声ですか? 託宣って、神の……?」
「落ち着け。神なんて存在しない」
カイルは無造作にガウンを取って羽織り、ついでに置いていたグラスの酒を煽る。
「古来より神を見た者は誰もいない。聖女は力があるだけの、ただの人だ。神の御使い? 笑わせるな」
「でも、声が……」
「ああ、便利な力だとは思うさ。だからこそ、神殿や国王が囲ってる」
彼は当然のように言った。
「要は道具だ。国を回すための、な」
男爵令嬢は少しだけなじるように、王子を横目で見つめた。
「……そのように悪し様に仰っても、結局、殿下は私を捨て、聖女様と結婚なされるおつもりなのでしょう?」
「結婚はするが、形式上のものとなるだろうな」
遣る瀬ないように、カイルは溜め息を吐いた。この件に関しては自分は被害者だとはっきり言える。
「結婚は王家と神殿を繋ぐ鎖だ。嫌であっても、王命だから逆らえん」
「形式上と言うことは、 聖女様との間に御子を作らないのですか……?」
カイルは彼女の顎を指で持ち上げ、薄く笑った。
「あの女と子作り? 冗談じゃない。やつれ果て、感情も乏しく、若くして老婆のようだ。正直、視界に入れたくもない」
「……」
「聖女とは結婚するが、名ばかりの妃で城に置く気は無い。となると、側妃が国母となる。俺の寵愛を受け、未来の国王を産むのはそなたかもしれないぞ?」
そのときだった。
『ご存知の通り――』
再び、声が響いた。
今度は、はっきりと。
『瘴気は人の負の感情や欲望から生まれます』
カイルの視界が、ぐにゃりと歪む。
「……何だ?」
次の瞬間、彼は気付いた。
見られている。
まるで天井から降り立つようにゆっくりと視点が下がっていく。
豪華な私室、幾つもの酒瓶。
若者たちが顔を赤くして、げらげら笑っている。その中心にいるのは自分だ。
『判断が難しい方のために、例をお見せしましょう』
「な、なにを……」
声が流れ始めた。
「仕事? いいんだよ。どうせ俺の分も聖女があくせく働いているさ」
「結婚すれば、あいつの功績も俺のものだからな」
これは、先日、友人たちと酒を飲んでいた時のものだ。
自分の声とその姿が、国中に流れていく。
「先週の夜会は楽しかったな。お前たちも良い女と姿を消したが、どうだった?」
「もし子どもが出来たら聖女に下ろさせればいい。あいつの力は処女膜すら元に戻せるからな」
「ああ、実体験だ。もう3回俺の子を下ろさせている。ご令嬢方も喜んでいたぞ。素知らぬ顔で他の男に嫁げるってな」
「やっ、やめろッ!? 何だこれは!? 消せぇぇ!!」
カイルは叫び、頭を抱えた。
だが映像は続く。視点を変えながら。
寝室だ。乱れたシーツ。腕の中には昨夜から一緒にいる男爵令嬢。
「聖女とは結婚するが、名ばかりの妃で城に置く気も無い」
「要は道具だ。国を回すための、な」
傲慢な笑み。
聖女への蔑み。
そして搾取。
すべてが、本人の言葉で曝される。
『以上が、神の教えに反する一例です』
その声はとても淡々としていた。
『欲望は瘴気を生みます。瘴気を生む行動は慎んでください』
プツリ、と映像が途切れた。
カイルは荒く息をして、周囲を見渡した。
隣にいた男爵令嬢は距離を開け、カイルを凝視して戸惑いに身を震わせている。
寝室の扉の向こうから、ざわめきが聞こえた。
自分だけではなく、本当に国中の者が聞いていたのだとしたら──。
「……嘘だ」
そう呟いた声は、震えていた。
「こんなこと……許されるはずがない……」
自分は王子だ。
次期国王だ。
裁かれる立場ではない。裁く立場だ。
「聖女が狂っただけだ。神殿の奴隷に等しい分際で、何を思い上がったことを……」
親指の爪を噛みながら、ひとしきり悪態を吐いていたそのとき、廊下で誰かが強く扉を叩いた。
ドンドンドン!!
返事をする間もなく、扉が蹴破られるように開く。
入ってきたのは顔を真っ赤にして青筋を立てた国王と、呆れ顔の弟──第二王子のアイルだった。
布一つ纏っていない男爵令嬢は悲鳴を上げてベッドの中へ潜り込み、逆にカイルはベッドから転がり落ちるように父へと駆け寄った。
「ち、父上?! これは誤解でっ……!」
「黙れ! 結婚するまではと、あまり口うるさく言わないよう周りに言っておいた私も愚かだったが、ここまで慎みのない乱れた生活をしておったとは!?」
怒れる国王の背後では、弟が軽蔑の混じった目で兄を見ている。
「……兄上の表向きに取り繕った顔は昔から見事だったよね。学業も優秀で見目麗しく、まさに皆に好かれる王子様って感じで」
「っ、アイル……!」
「でも、その本性は国や民のことなんてどうでもいいし、興味があるのは女性ぐらい。聖女様を奴隷にしか思ってないし、面倒な仕事は立場が下の者に丸投げ。兄上には国王の資質はないと俺は思いますよ」
あまり仲が良くもない弟に酷評されて、カイルはカッと頭に血を上らせる。
「ふざけるなアイル!? 学業でも剣術でも、何一つ俺に勝てたことがない凡人が、何を偉そうに!!」
弟に掴みかかろうとした上の息子を、少し冷静さを取り戻した父親が深いため息と共にさえぎる。
「偉そうなのはお前だ、カイル。何故、誰よりも国を支えてくださっている聖女様にひどい真似が出来る……。自分の浮気相手の子を下ろさせていたのは本当なのか?」
「っ、父上、あれは誤解なのですっ!」
「もうよい。ここで話しても無駄な時間が過ぎるだけだな。お前の側仕えや侍女、護衛騎士たちに真実を聞いてからにしよう」
カイル王子が慌てたように「しかしっ!」と声を上げる。
「そ、そこの弟に側仕えたちも買収されているかもしれません! 私はアイルと聖女が通じ合い、私を有責で婚約破棄したいがため、この度のことを企てたのではないかと思うのです! そうです! きっとそうだ! まずはアイルと聖女を取り調べてください!」
必死に唾を飛ばしながら懇願するカイルに、王は曖昧に頷く。
「大丈夫だ。側仕えたちには嘘が吐けぬよう、真実薬を飲ませよう」
「し、真実薬を……? しかしあれは、王家に関わる重大事件の際のみの使用と決まっていて」
「重大事件だろう。第一王子が廃嫡されるかどうかが決まるのだから」
その言葉に、カイル王子は自分の足元が崩れ去る恐怖を感じ、顔を引きつらせながら青ざめた。




