目覚めたら酒場に居たんだ
24:46。
腕時計の針はそう示している。
そんな夜も深まってきた頃、妙に重たい扉が軋む音を立ててゆっくりと開いた。
いつものカウンター席の背もたれにシワと毛玉が日に日に増え続けているスーツを適当に畳んで掛ける。
スーツが床に落ちないよう、背もたれと背中で挟み込む。
腰を下ろし、店内を見渡した。
……が相も変わらず客は俺を除いて2人くらいでガランとしている。
そして丸く曲がった白いカッターシャツを着たおじさんがそこに有るだけだ。
「ありがとうマスター」
コン、カラン。
氷が弾む軽い音と鼻腔に香る、この独特の匂いが一杯の訪れを知らせる。
シーバスリーガル12年、ロック。
俺がいつもこの店で頼むウイスキーだ。
いつもの店、決まった味、変わらない毎日。
……いや、この場合は『変えてしまった毎日』と言うべきだ。
情けない自分に苛立ちを覚えながら酒を口に含む。
とかく、このままの自分で大丈夫だろうか。そんな自己嫌悪的な思考に至りながら再び酒を口にする。
「──もーし!…もしも〜し!聞いてます〜?」
ぴょこぴょこ左で動く物体を無視しながら、大きくため息をついた。
「ため息だなんてヒッドォい!聞こえてるなら返事ぐらいしたらどうなんです!?」
この喋り方に擬音を当てるなら"プリプリ"だろう。
フンスと鼻息を荒くして左耳に触れるくらいに近づく女児を右手で椅子へ押し返した。
「子どもの相手をしているほど俺は暇じゃない、というかこんな時間に一人で何してる!親はどうした!」
身長から推察するに年齢は9歳〜10歳くらいか。
都会では見ないような特徴的な民族衣装?とにかく服装に意識が向いた。ムスッとした表情ではあるが、クリクリとした二重の瞳が下から覗く。
「アタシは子ども扱いしないでよ!アンタなんかよりもずっと長く生きてるんだから!こんなお酒だって───」
飲みかけの酒に伸ばした手に収まる前。俺は一気に残りの酒を喉元へ押し込んだ。
「ダメに決まってるだろ。」
この女児は一体何を考えてるんだ。
頬杖を付いてコチラに微笑む姿が視界に映っている。それは何処か大人びた印象を与え、宝石のシトリンと同じ黄金色の瞳には吸い込まれそうな蠱惑感があった。
「じゃあ勝負しましょう?」
ふと女児は言った。
YESかNOかを答えさせる間も無くルールの説明が始まった。
"お酒を飲みあって先にダウンした方の負け。"
それだけ。要は飲み比べ我慢大会である。
酷くシンプルなルールであったが、バカを言うなと。
「君はオレンジジュースで勝負か?……それじゃあ、おじさんの負けだな。マスター、お会計。」
掛けていたスーツを小脇に抱えて皮肉を混ぜつつ勘定をお願いする。───その口と手が止まった。
なんだこの異様な空気。他に居た客は帰ってしまったのか。いや、それだけでは無い。マスターの姿さえ何処にも見当たらないのだ。
「気づいた……?」
ねっとりとした甘露なボイスが背筋を凍らせる。
御年42歳。今までの経験で培った本能がこれはヤバいと全身に告げている。
立ち上がる俺の横、カウンターテーブルにサッとグラスが滑り込んできた。俺の知ってる匂いをした琥珀色の流体。
同じ物が女児の傍らに鎮座していた。
『飲め』ということなのだろう。
鼓動の高まりを全身が一生懸命俺に伝えている。
汗ばむシャツ、震える呼吸、怖気付き強ばる表情。
自分を客観視できたのはいい。
だが逆に、凝り固まった歪な誇りがその煽りに対して打ち勝てないことへの証明に成り下がっていた。
「……や、やってやる。やってやろうじゃねぇかあああ」
あ〜あ。言ってしまった。
カウンターに輝く琥珀の液体を体にすべて流し込み、再び女児の前へと躍り出る。
グラスを強打したのは自身への失望か、それとも驕りか。
1:35。
腕時計にはそう示されていた。
──────暗闇に落ちていくのはまだこれから。
「……ん…………さん………お客さん!!」
声?聞いた事のない女性の声だ。こんな感じで人に起こされるのはいつぶりだろう。
・・・。
ガタンッ!
「痛っっつぅあ………!」
一気に覚醒した体を起こしたせいか、全身の筋肉や関節に糸を両端から引っ張ったような痛みが来る。
そうだ思い出した。あの女児と飲み比べしてそれから……
以降のことはダメだな。全く思い出せん。
顎に親指を置いて数秒考え込むが何も出てこない。
「ん?」
周りの視線を一身に受けていることにようやく気がついたのは、この時だったか。
「あ、あのぅ……」
俺を起こしていた女性だろうか。少し汚れたエプロンを着ているが、何かのキャラクターのコスプレ?か、よくできている。
「お客さん、大丈夫ですか……?」
「え?あ、まぁはい。」
そんなありきたりな返答をして冷静になったが、ここは何処だろう。どう見たってBARではない。ワイワイがやがやとしていてむしろ酒場という方が近しい感じだ。
酔っ払った後にこの店に入った……と考えるのが普通か。
「すみません。ここって何処ですか?」
「おいおい兄ちゃんココは"アルファリオ"一番の酒場、『アポテラールの暁』。まさか知らずに入ったのか!?」
大柄・上裸・モヒカンと昔読んだ世紀末系漫画に出てきそうな癖の強い男がジョッキ片手に語ってきた。
「あ〜…」
この歳とはいえ、SNSを見ていれば最近のエンタメ/メディア情報は嫌でも入ってくるから何となく分かる。
特徴的な場所の名前。
コスプレかと思うような衣装とキャラクター。
そしてこの空気感に全く馴染まないどころか寧ろ浮いているスーツ姿の俺。
「これは……」
ようやく理解した。
俺は──異世界に来てしまったらしい。
END