第7話 夜なき国の王子
第二章、開幕です。
今回の語り手は「夜なき国」の王子・シン。
王子といっても、本人はあまりその肩書にこだわっていません。
ちょっと皮肉屋で、でも周りをよく見ていて……そんな彼の目に映る世界と、
やがてアストロ王国に出会うことで変わっていく日常。
少しずつ、世界は動き始めます。
ぼくの名前は、シン・オルタナクト。六歳。
この国では一応“王子”らしい。
父上は、リュサニア王朝の王──ラウンド・オルタナクト。
だけど、話したことなんて、ほとんどない。
王子っていっても、ぼくは王位継承権十三番目。
「13」って数字はエルフたちにとっては縁起がいいらしいけど、
この国じゃ、たぶん“いらない子”の番号なんだと思う。
少なくとも、王宮の人たちは、ぼくをそういう目で見ている。
母上は、名字のない人だった。
もともと一般家庭の出身で、「タエ」と呼ばれている。
父上のおかげで、貴族みたいな暮らしはできているけれど、
本物の貴族たちからは、ぼくも母上も、ずっと冷たい目で見られてきた。
この国は、「夜なき国」と呼ばれている。
その由来は──“白鯨戦争”。
八百年も続いた南と西の戦争で、
この国が初めて“完全な勝利”をおさめた戦いの名前だ。
戦場に立ったのは、王の母上……じゃなくて、
前の王の母の姉、つまり──父上とも母上とも血の繋がらない、賢者ノンナ・オルタナクト様だった。
名前だけは“祖母”のように扱われているけど、
ぼくにとっては、伝説の中の誰か──そんな存在だ。
光の魔法で夜を裂き、敵をまばゆい炎で焼き払い、
その背中が、白鯨のように大きくて、まぶしかった──
だからこの国は、「夜なき国」と自称するようになったらしい。
でも、本当に“夜がない”わけじゃない。
むしろ、ぼくにはこの国が、
昼の顔をかぶったまま、夜の底に沈んでるように見える。
今、ぼくは王子や貴族の子どもたちが通う「王国学校」で、授業を受けている。
広くてきれいな教室。光魔石のランプ。みんな同じ制服。
でも、ここにも“見えない壁”がある。
先生の視線がぼくを通り過ぎるたび、
誰かの笑い声が、背中に突き刺さる。
それでも、ぼくは今日もノートをひらいて、ペンを取る。
それしかできないから──それだけは、やっている。
三年前、エルフの国がなにやら大規模な準備をしている──って噂が流れたころ、
父上はノンナ様を小国アストロに派遣したらしい。
目的は、エルフたちの動きを“観察”するためだったそうだ。
だけど──
あのノンナ様が、なぜか一年前に急に“魔力欠乏症”になってしまった。
それが原因で、観察どころか全体の動きが遅れた…と、授業では習った。
先生いわく、ぼくら王族は「この国の歴史を背負う者」らしくて、
エルフや剣ばっかりのバカどもに負けないように、
**“ちゃんと過去を学べ”**って怒鳴ってくる。
でも正直──
ぼくからすれば、そんなのどうでもいい。
エルフがどうとか、剣がどうとか、
興味ないし、そんなことで王子扱いされるのもうんざりだ。
今から魔法の実践訓練と、剣術の実践訓練があるらしい。
魔法なんて、手ぇ抜いても言われた通りにはできるし、
剣術は……痛いから、あんまり好きじゃない。
でも、なんでか貴族のやつらとか他の王子たちって、
みんなしてぼくのとこに稽古つけにくるんだよね。
こっちは適当にやってるのにさ。
……ま、勝てちゃうんだけど。
だけど勝つと、お母様がまた周りから嫌味言われるから……
最近は**わざと負けてる**面倒くさいし、色々気を遣うのって疲れる。
勉強も同じ。
復習しなくても大体の内容は入ってるけど、
王子のなかでは最下位にならないようにしなきゃいけない。
それくらいの立場にいないと、また誰かに何か言われるから。
貴族のやつらよりは上、でも目立ちすぎないように……って、ほんと面倒だよ。そのためだけに復習もしてるし。
でも、最近ちょっとだけ楽しみなことがある。
それは──無詠唱魔法を練習すること。
ノンナ様みたいに、言葉なしで魔法を出せたらかっこいいし、
なにより……この国の中での立場も、きっと変わると思うんだ。
学校の魔法の授業はつまらない。
教科書どおりに詠唱して、同じ魔法を撃つだけ。
でも、無詠唱魔法だけは別。
一回も成功したことはないけど……それでも、
上手くなれば、もっと自由に生きられる気がする。
それに、大人になるまでに覚えられたら──
お母様があんなふうに周りから嫌味言われることも、
少しは減るかもしれない。
だから、今はそれを目指して練習してる。
家に帰ると、母上が珍しく泣いていた。
目を真っ赤にして、俯いたまま動かない母上を見るのは初めてだった。
「……どうしたの?」
そう問いかけても、母上は何も答えない。
ただ肩を小さく震わせて、堪えるように涙を流していた。
しばらくして、家令がやってきて静かに告げた。
──“明朝、シン=オルタナクト殿下はアストロ王国へ出立されます”──
ノンナ様が再びエルフの監視に赴かれることになり、
その付き人として、ぼくが任命されたという。
理由も、意味も、ちゃんとは分からない。
でも、そういうものなんだろうな、って。
母上は泣いていた。ずっと、泣いていた。
それだけで、全部伝わってしまった。
出発の朝。
家の玄関で、母上は少しだけ化粧をして立っていた。
目は少し腫れていたけれど、笑っていた。
「……気をつけて、ね」
「うん」
「手紙、書いてね」
「うん」
ぼくはもう何度も頷いた。
でも、本当は何も言いたくなかった。
母上の泣き顔を見たくなくて、いつも通りの顔でいたかった。
玄関を出ると、母上が後ろからぼくの手を握った。
「……あのね」
「ん?」
「次会うときは、いろいろなお話……聞かせてね。」
「……うん」
握った手は小さくて、すこしだけ震えていた。
アストロ王国に着いたぼくを迎えたのは、今にも崩れそうな小屋だった。
「……ここ、ほんとに……?」
馬車を降りて扉を開ける。ギィィと嫌な音が響いた。
……中は、信じられないほど綺麗で整っていた。
古びた扉の向こうには、まるで宮廷のような広間が広がっていた。
「──なんだよ、これ」
目を見開いたまま立ち尽くす。
こうして、ぼくの“もうひとつの生活”が始まった。
今回は、シンの視点から物語を描きました。
なぜ彼が突然ノンナの付き人としてアストロに行くことになったのか──
それにはいくつかの“理由”があります。
まず、王位継承権が13位と低く、「失っても痛手が少ない」という扱いを受けていたこと。
一方で、王族であるため、何かあった際に国民感情(特に反エルフ感情)を刺激できる存在でもあること。
そのため、「政治的に扱いやすい存在」として選ばれたのが、シンでした。
そして母上・タエが泣いていた理由。
それはもちろん、“息子が危険な場所へ行くこと”への不安もありますが、
一番大きかったのは──その優しさが利用されたことを、本人が知らないままだったこと。
シンの優秀さと努力は、ちゃんと母には伝わっていたからこそ、つらかったのです。
最後の「次会うときはいろいろなお話聞かせてね」の一言は、
**「いつになるかわからないけれど、あなたが無事に帰ってくる未来を信じてる」**という
タエなりの祈りでもありました。
エルフの計画が数十年単位という可能性もあるため、「次」が遠い未来になるかもしれない──
そんな想いも込められています。