第4話 火魔法発動
ついに……この物語にも「魔法」という言葉が登場します!
でも、まだ本人は魔法が何なのかも、どういうものかもぜんぜん知りません。
ただ一つだけわかっているのは――
「なんか、変なことが起きたかも?」ってこと。
少しずつ広がっていく世界。
そして、アルムの中に眠る“とんでもない何か”が、ほんの少しだけ顔を出します。
それでは、第四話「火魔法発動」お楽しみください!
あの森に、三日月ともえという少女が“置き去り”にされる、
ちょうど一年ほど前の話し。
アルムが二歳になる頃には、周囲の言葉はなんとなく理解できるようになっていた。
「ミア様、お食事の準備を」
「クロロ様が戻られるのは夜になるそうです」
「アルム様、おててが汚れております」
そうしたやりとりを毎日聞いているうちに、誰が誰で、何をしていて、どう動けば叱られないか――そういう“空気の地図”は、もうしっかり頭の中にできあがっていた。
けれど、アルムはまだ一言も喋ったことがなかった。
別に喋れないわけじゃない。
言葉の意味はわかるし、使い方もなんとなく頭の中には浮かんでくる。
でも、それを口に出す必要を、アルムは感じていなかった。
(……話さなくても、誰も困ってないし)
欲しいものは指差せば出てくるし、笑えばメイドたちは喜ぶ。
何も言わなくても、メイドの一人は髪をといてくれるし、膝に乗せてくれる。
(言葉って、意外とめんどくさいのかも)
そんなことを考えていたある日。
アルムは、こっそり書庫に入った。
分厚い本たちに囲まれたその場所は、屋敷の中でも特別な“静けさ”がある。
小さな手で一冊の絵本を引き抜いて、ページをめくる。
(……これ、なんのこと書いてるんだろ)
絵は楽しい。色も形も知ってるものだし、物語が動いているように感じられる。
でも、そこに書かれた“言葉”はまだ、アルムの中に意味として落ちてこなかった。
(でも、いつか……これ、読めるようになるのかな)
ふと、そんな思いが浮かぶ。
(魔法の本、とかもあったりしてね)
にこり、とひとりごちる。
もちろんこの世界に魔法があるなんて、本気では思っていない。
でも――もし、あったらいいな。そう思うくらいの年頃だった。
(魔法が使えたら、言葉なんていらないかもね)
そんな風に、ぽつりと頭の中でつぶやいて。
アルムはまた、ページをめくった。
……けれど、そろそろ眠くなってきた。
(この本、すき……)
小さな胸にそんな気持ちを抱えながら、絵本をぎゅっと抱きしめる。
それをそっと持ったまま、静かに書庫を出ると――
誰にも気づかれないように、こっそり寝室へと戻っていった。
アルムの寝息は静かで、微かな吐息が毛布をわずかにふくらませていた。
読み終えた絵本は、ベッドの脇にぽつんと置かれている。
部屋の扉が、音を立てずに開く。
メイドが軽やかに足音を忍ばせ、ミアとクロロを中へと招き入れた。
「……もう、お休みになられました」
「そうか」
クロロは娘の寝顔をちらりと見たが、特に感慨を見せることはなかった。
そのまま窓の外に目を向ける。
「今日も……一言も喋らなかったわ」
ミアがぽつりとつぶやいた。
その声音には、不安とも落胆ともつかない色がにじんでいた。
「二歳になって、まだ言葉を話さないなんて……」
「……問題ないのでは? 理解はしているようですし、行動に支障はない」
メイドがやんわりとフォローするように言うと、ミアはゆっくり首を振った。
「そうなの。でもね……ときどき、ふと思うの。
言葉も話さないのに、こっちの言ってることを全部理解してるみたいで……それが、たまに怖いのよ」
メイドは言葉を飲んだ。クロロは目を細め、黙って聞いていた。
「まるで、心の奥まで見透かされてるような――そんな感じ。
子どもって……こんなものだったかしら」
「お前の期待が高すぎるのだ」
クロロの声は冷静だった。
娘に対する感情は、まるで“血統の評価”でしかないようにすら思えた。
ミアはうつむき、ベッドの脇に立った。
眠るアルムの額に触れる手は、どこかぎこちない。
「……魔法の気配も、今のところまったく感じられない」
「まだ“発現”していないだけです」
メイドが言葉を挟む。
「バーンデットの血筋には、代々強い魔力が流れております。
ご安心ください。……必ず、“目覚める”ときが来ます」
クロロが小さく息を吐いた。
「そのときが、あの子の本当の“価値”だ」
「価値、ね……」
ミアの表情は曇ったままだった。
部屋の外では、夜風がわずかに木の葉を揺らしていた。
その音を背に、三人は静かに部屋を後にする。
アルムの寝息は、変わらず穏やかだった。
けれど、その胸の奥では――まだ気づかれていない“力”が、微かに脈動していた。
ミアが部屋の扉に手をかけた、その瞬間だった。
「……なに、この匂い……?」
微かに立ち上る焦げ臭さ。 振り返った彼女の目に飛び込んできたのは――
絵本の角が、じりじりと赤く光りながら、燃え始めている光景だった。
「は……? 火……っ!?」
ベッドの脇。誰もいない場所。 ライターも、蝋燭も、なにもない。
「アクエリア・ウォータ──水よ、ここに!」
ミアはとっさに詠唱し、手のひらを絵本へと向ける。
ばしゃっと勢いよく噴き出した水が、燃えかけた絵本を包み、火の気を奪い取った。
じゅう、と音を立てて、紙の焼け跡が黒く濡れる。
「いったい、どういうこと……誰が……」
呆然としながらミアは、ベッドに眠るアルムを見つめる。
その小さな体はすやすやと寝息を立てているだけ。 まるで何事もなかったかのように。
(……まさか……)
この世界では、魔法を使うには**“詠唱”が必要だ。**
例え水ひとつ出すにも、「アクア」や「ウォーター」など、それっぽい単語を言わねば発動しない。
言葉の持つ力を通して、魔力が世界と繋がるのだ。
だが――さっきの炎は?
誰もいない。誰も唱えていない。
(……無詠唱? しかも、無意識……?)
そんなもの、ありえない。 生まれてまだ二年、しかも一度も言葉を発したことがない娘が、無詠唱で火を――?
(この子、ほんとうに“普通の子”なの……?)
ミアの背筋に、冷たいものが走った。
眠るアルムは、まるで天使のような寝顔で――
けれど、その絵本だけが、焦げたまま、静かに沈黙していた。
目を覚ますと、屋敷の中はざわついていた。
足音、慌ただしい声、どこか焦った空気が、薄く漂っている。
(……なんか、変だな)
まだ頭がぼんやりするなか、そっと隣にあったお気に入りの絵本に手を伸ばす。
ぺたり。
……冷たい。
(……え?)
絵本のページが、水を吸ってふやけていた。
インクは滲み、好きだった挿絵もぼやけて見えない。
(なんで……濡れてるの……?)
さっきまで夢中で読んでいた絵本が、まるで水に沈んだみたいになっている。
めくろうとしても、ページがぺたぺたとくっついて、もう読めなくなっていた。
唇を尖らせて、ぐすっと鼻をすすりそうになる。
(これ、好きだったのに……)
でも――声は出さなかった。
怒られるのも、心配されるのも、めんどくさかったから。
ただそっと、びしょびしょの絵本を抱えて、いつものように布団の上で小さく丸まった。
(おかしいな……昨日までは、ちゃんと読めたのに)
自分のせいだなんて、まだ思ってない。
でも、この日のことは――後から思い返して、ずっと胸の奥に残る出来事になる。
びしょびしょの絵本をそっと布の上に置く。
ページはもう乾かない気がして、ちょっとだけ、胸が痛んだ。
(……すきだったのになぁ)
そんな思いを胸に、メイドに手を引かれて廊下を歩いていく。
「アルムさま、朝食の時間ですよ。今日は……少し、遅めですね」
(?)
窓から差す光は、いつもより高いところにある。
朝なのに、もうお昼みたいな感じだった。
食堂の扉を開けると――お父様がいた。
(……あれ?)
思わず、足が止まる。
お父様は、朝にはいないことの方が多いのに。
「アルム、こっちに来なさい」
落ち着いた声。でも、なんとなく空気がぴりっとしている。
お父様の前には冷めかけたスープ。
メイドたちも、ぴんと背筋を伸ばして、緊張しているみたい。
席についたアルムを見て、お父様が口を開いた。
「……昨夜のこと、なにか覚えているか?」
(え?)
はじめて聞かれた言葉に、目をぱちぱちさせる。
(昨夜って……ふつうに寝たよね?)
寝相も悪くなかったはず。夢も見なかったし、いつもどおり、眠って……
思い返しても、思い当たることはなかった。
こくん、と首を横に振る。
「そうか……」
お父様は、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
でも、その指先がグラスのふちをなぞるように動いていて、どこか落ち着かない。
(……わたし、なんかしたのかな)
ただ、眠っていただけのはずなのに。
どうしてこんなに、みんなの顔がこわばっているのか――わからなかった。
朝、屋敷の玄関前には白く光る装飾を施された馬車が停められていた。
大きな馬がふたつ、落ち着かない様子で足を踏みならしている。
アルムはメイドに手を取られながら、ゆっくりと馬車へ向かって歩く。
お母様と一緒に敷地内を歩くことは何度もあったけれど、こうして屋敷の“外”に出るのは、今日が初めてだった。
「お嬢様、足元にお気をつけて」
メイドの声にこくりと頷いて、アルムは馬車へ乗り込む。
中には母と父の姿があった。二人とも少しだけ緊張した顔をしている。
「今日は、アルムを少し遠くへ連れていくわ」
母が柔らかく微笑んで言った。
「王国でも一番と名高い魔法使いの先生が住んでいるの。エルフの森の近くよ。とても立派な方でね、今日はその方にご挨拶をするの」
(……まほう、つかい……?)
耳にしたことのない言葉に、アルムの心が小さく波立つ。
魔法。それがこの世界に“ある”という事実に、彼女はこのとき初めて気づいた。
(……魔法……まさか……)
ふと、今朝の出来事がよみがえる。
お気に入りだった絵本が、起きたときにはびしょびしょになっていた。
最初は、夜中にメイドさんが何かをこぼしたのだと思っていたけれど――
(……でも、絵本が濡れてたのって……もしかして、魔法……?)
「私がやった」なんて感覚はなかった。
けれど、“魔法”という言葉を聞いた瞬間、それがまるで一枚の絵のように頭の中に浮かんだ。
(魔法で……濡れた……のかも)
胸の奥に残っていた小さな疑問が、“それかもしれない”という予感にすり替わる。
馬車が静かに走り出す。
窓の外には見たことのない景色が広がっていた。
高い塀を越えた先の道。知らない建物。行き交う人々。
全部が初めてで、全部がほんの少しだけ怖くて――でも、ほんの少しだけ、楽しかった。
アルムの目に映る世界が、ほんのすこしずつ広がっていく。
そしてその旅路の先で、自分という存在が“普通ではない”ことを知ることになるとは――
この時のアルムは、まだ知らなかった。
ついに第四話で「魔法」という概念が登場しました!
この世界では、基本的に魔法を使うには**“詠唱”**が必要です。
「アクア」「フレイム」「ウィンド」など、それっぽい言葉を口にすることで、魔力が世界に作用する――それが一般的な魔法の発動手順。
ですが今回のアルムは……なんと、無詠唱かつ無意識で火を出しました。
これは、歴史上のどんな天才魔法使いにも“類を見ない”現象です。
過去に「無詠唱」の魔法使いはわずかに存在していましたが、それでも意識的な操作が前提。
“無詠唱”かつ“無意識”で発動した記録は、一切存在していません。
つまり――
アルムはこの世界で、前にも後にもただ一人。
完全に異質で、常識から逸脱した存在です。
本人はまだ全く気づいていませんが、それはこの先の物語を大きく揺さぶる“運命の片鱗”なのかもしれません。
次回はいよいよ、王国随一の魔法使いとの出会い。
アルムの未来を揺るがす出会いになるか、それとも……?