真実の愛は何処に~婚約破棄の真相は?~
今回はちょっとしんみりします。
「チェルシー妃殿下、お招きありがとうございます」
「久しぶりね、バーランティ辺境伯夫人、昔のようにチェルシーって呼んで!」
「では、チェルシー様、私のこともアリソンで結構ですわ」
ここは、数ある王宮のテラスの一つ。そのテラスから続く庭にはオールドローズが咲き誇り、両脇にある白い小径は初夏の陽射しに煌めき、前方の池へと続く。
テラスにある丸いガーデンテーブルの中央には、初夏の花々が飾られ、テラスを吹き抜ける爽やかな風に僅かに揺れる。
手の込んだ焼き菓子数種類が金に縁どられた象牙色の皿の上に置かれ、繊細な花柄の陶器が出番を待っている。
「アリソン様、相変わらず人目を引く美貌ね...」
「あら、チェルシー様、ありがとうございます。貴女にそう言って頂けるとは思いませんでした。いつも悪役令嬢とかおっしゃっていたでしょう?」
「いえ、それは、あの時の流行の小説に出ていた」
「はいはい、主人公の可愛らしい少女をいじめる役ですよね」
「似ているというわけでは...」
「チェルシー様も相変わらず可憐でお美しいですわよ。昨夜の晩餐会ではゆっくりお話しする暇もなくてごめんなさい。久しぶりの王都なので、ご挨拶しなければならない方々が多くて...。そう言えば、昨夜はカミル殿下をお見掛けしませんでしたが」
「彼は、体調が良くないって言って欠席したの。本当のところは陛下に会いたくなかったんだと思う。それともアリソン様に会いたくなかったのかしら?」
「なるほど、そうかも知れませんわね」
辺境伯からと王宮の侍女たちを会わせて四人。アリソンを守るように後ろにたたずんでいる。
「ずいぶんたくさんの侍女を連れているのね? 王子妃の私には一人の侍女しかいないのに...」
アリソンは、少し目立ってきたお腹をさすりながら
「皆、私を心配してくれているの。今、妊娠中なので」
「アリソン様には、他にも子供がいるんですよね?」
「ええ、四歳と二歳の男の子です。今日は実家に預けていますの、両親とも孫バカで困りますわ。このお腹の子も、やっと安定期に入ったので久しぶりに王都に来ることができましたのよ」
「あの時、カミルがあんな風に婚約破棄したことを気にしていたからではないの?」
アリソンは、心からの笑顔を見せて
「いいえ、婚約破棄でもカミル殿下の言葉のせいでもなく、この五年間は、子育てと、国境の安定が優先事項だったので、なかなか王都に来ることが出来なかっただけですわ」
◇◇◇
アリソン・シンクレア公爵令嬢とカミル・アクセルロッド第一王子が王家からの希望で婚約したのは七歳の時だった。
小さい頃はそれなりに仲よく遊んでいたが、カミルは帝王教育は苦手だったらしく、
『カミルは絵ばかり描いているの。もう少し勉強に興味を持つようにして欲しいわ。アリソンの言うことは聞くでしょう?』と王妃様に会うたびに頼まれていた。
13歳で学園に入る前まではカミルもアリソンの言うことを素直に聞いてくれていたが、王妃教育が忙しくなる頃と時を同じくするように、彼はいつの間にか寡黙になって行き、アリソンと気持ちもすれ違うようになった。
アーロン男爵家の後妻の連れ子、チェルシーが学園に転校してきたのは3年生の終わりの頃だった。カミルは最初の数か月は興味を示すこともなかったのだが、アリソンとは違い、ピンクブロンドの髪を揺らしながら、表情豊かに笑ったり拗ねたりするチェルシーの様子に、だんだんと惹かれていくようだった。
この国は、以前には側室や愛妾がいたが、それぞれの子供たちによる王位をめぐる争いが熾烈を極め、暗殺、毒殺などが横行し、現在は側妃も愛妾も認められていない。継承権もしっかりと定められているので、仮に王に子供が出来なくても問題ないようになっている。
もし、カミルがチェルシーと結婚したいのなら、アリソンは身を引こうと思っていた。ただ、今のチェルシーが王妃にふさわしいとは思えず、つい口を出してしまったこともある。
「お食事中はそのように大きな声でお話しなさらないほうが良いと思いますわ」とか「廊下をジグザグに走ると危ないですわよ」とか「チェルシー様が魅力的なのはわかりますが、男子生徒とはもう少し距離を置かれた方が」
など。けれどもチェルシーには、その言葉は届くことがなかった。
「アリソン様は口うるさいって殿下が言ってましたよ。それにやきもちなんか公爵令嬢ともあろう人がみっともないです」
と返された。
アリソンが嫉妬するはずはないのだ、なぜなら、その時はすでに、兄の友人である当時のバーランディ辺境伯の嫡子、クリストファーへの思いに気が付いていたから。絶対に実る恋ではないので、心の奥底に秘めているだけだったが。
そして、あの五年前の卒業パーティの時、アリソンは婚約者である王子カミルに婚約破棄を言い渡された。
「アリソン、私は真実の愛を見つけた。その私の真実の愛であるチェルシーへ、貴女は数々のいやがらせをしたという。私はそんな貴女を許すことは出来ない。よって、この国の王子として次のように命令する。
アリソン、あなたをバーランティ辺境へ追放する。そして、今後五年間は王都への立ち入りを禁止する。もしこの命令を破ることがあれば、永久に王都には帰れないものと心得るように」と。
その言葉にかぶせるようにチェルシーが、
「私、怪我したわけではないんですけどォ、講堂の入口で押された時、すごく危なかったし、それから教科書やノートも酷く破られていたり、カバンが何度も隠されていたりしたんです。近くにアリソン様がいたこともあるし、きっと友達に頼んで私に嫌がらせをしたのではないかと思って。だって、カミル殿下と仲良くする私をいつも目の敵にしていたでしょ? 酷いことも言われたし...」
「殿下、私がそんなことをするわけがありません。酷いことって? 当たり前のことを言っただけだと思いますが」
「アリソン様は、私が殿下と仲が良いのを妬んでいたでしょう? それに人には厳しいくせに自分の都合の悪いことは忘れるんですねッ」
カミルの近くに立っている側近候補である伯爵令息のダニエルも調子に乗って
「そうだ、アリソン・シンクレア嬢、いい加減に認めろ。チェルシーはお前が公爵令嬢だからと、ずっと我慢をしていたんだぞ!」
「本当に、何もしていませんわよ。王妃教育や外交の見習いで忙しくて、この一年は週に三日学園に来れれば良い方で学園に来ても授業が終わり次第すぐに帰りましたし、チェルシー様とも会わなかったはずですわ。殿下はご存知かと」
カミルの方を見ると目を合わせずにわずかに眉間にしわを寄せて俯いている。
そんなカミルにチェルシーは縋り付いて
「でも、いじめられたのは本当ですゥ。殿下信じてくださるでしょ!」
「とにかくだ、お前が悪いのは分かっている。カミル殿下は婚約破棄だと言ってるんだ。むしろこのくらいの罰で済んだことにチェルシーに感謝すべきだ」
もう一人の側近候補、侯爵家三男のマシューもそう言い放つ。
二人の言葉に勢いを得たチェルシー。
「そうよ! わたしが殿下にあまりひどい罰は与えないでってお願いしたの」
アリソンは、あまりに低レベルな出来事に呆れて、彼らを睥睨し
「あなた達に『お前』呼ばれされるいわれはありません。調査していただければすぐに分かることではありますが、婚約破棄は受け入れます。正式には王室と公爵家の許可が必要ですが、私としては、カミル殿下の仰せのとおり、明日にでもバーランティ辺境に旅立とうと思います」
カミルはなぜか気まずそうに俯いたまま
「ああ......」
とだけ言った。
◇◇◇
「時の経つのは早いわね。あの卒業パーティで、私はカミルに腰をしっかり抱かれていたから、つい強気になって、あんなことを言っちゃったのよね」
「私がクリストファーと結婚してから、カミル殿下が『チェルシーの言ったような事実は確認できなかった。私たちは間違っていたようだ』と公式に謝罪されましたから。それですべて終わったと思っていますの」
「あのパーティの後、陛下が遊説先から帰ってきてすごく怒って、議会もなんだかカミルの王位継承を認めないって事になっちゃって...」
「そうでしたわね。もしかして、チェルシー様は、なぜカミル殿下が継承権を放棄せざるを得なかったのか分かっていらっしゃらないのかしら?」
「え?」
「ただの王子である彼には『バーランディ辺境に追放』とか『五年間は王都への立ち入り禁止』などと言う権限はなかったのですよ。もちろん『婚約破棄』も。そのことを知らずにあのような場所で行動を起こしてしまったことの方が議会で重視されたの。つまり王としての資質がないと...。側近候補だったダニエルとマシューも同様。だから、彼らも廃嫡された」
「えー、そんなこと、私が知らなくてもいいことだもの」
チェルシーが頬をプーと膨らませる。
「それもそうね」
アリソンは、小さな声でため息をついた。
「だったら、どうしてアリソン様はバーランディ辺境伯のところに嫁いだの?」
「父が激怒して『カミルのような暗愚なヤツと娘を結婚させるものか。バーランディのクリストファーのところに嫁にやることに決めた』って陛下に言ったの」
「あなたは、それで良かったの?」
「えーと、カミル殿下とあなたとの『真実の愛』に入り込むなんて出来ないと思って...」
「それもそうね。カミルは本当に私のことを想ってくれていたし...、あっ、紅茶、召し上がって!」
チェルシーの近くに控えている侍女が紅茶をカップにそそぐ。
アリソンが、紅茶に手を伸ばす前に、アリソンの侍女の一人が
「失礼します」と言って、銀のスプーンで毒見をする。
「えっ、私が何かすると思っているの?」
「気にしないで、バーランティの習慣なのよ」
と毒見の済んだ紅茶を、ゆっくり口に含む。
チェルシーが、思い出したように
「そういえば、昨夜の晩餐会では、びっくりしたわ。バーランティ辺境伯ってあんなに美しい人だったのね。『辺境の熊』と言われていたから、てっきりそういう人かと思っていたの」
「そうね、義父が怪我をして引退してからは、熊のようないで立ちをして、国境の争いの鎮圧に向かっていたわ。威圧感のある風貌が功を奏したのか鎮圧できたし、美しいと言われるのをあまり好んでないから、あの呼び名も結構気に入っているの」
「前から辺境伯を知っていたの?」
「ええ、学園時代は五歳上の兄と同級だったから、よく我が家に来ていたわ。時々、私の剣の稽古にも付き合ってくれたし、学園を卒業してからは二年ほど騎士団に所属して王宮にも来ていたから、私が王妃教育に行った時に少し話したこともあったのよ」
「へーえ、あなたは剣も扱えるの?」
「上手ではないけれど、王妃教育の一環よ。護衛騎士がいても何があるかわからないから、夫と自分の身を守るために、体術と剣術は一通り学ぶのよ。もっとも自分の命より夫、つまり王太子や陛下の命が優先だけれどね。チェルシー様はカミル殿下とは『真実の愛』なのだから、たとえ体術や剣を習っていなくても彼の盾になることに躊躇はしないでしょ?」
「えっ、えっ、そ、そうかも」
「カミル殿下は王位継承権のない王子だから、チェルシー様はあの厳しい王妃教育から逃れられて良かったわね」
「一人しかいない王子を王太子から外すなんてほんとあり得ないわよね!」
「王室としても、議会を説き伏せることが出来なかったのでしょう」
「私は、平民から男爵令嬢、そして王妃への大出世で伝説になるかもとか考えていたのに!」
「まあ、なかなか野心的だったのね。うふふ。でも王妃になるというのは大変な努力が必要なのよ。私は十歳の頃から教育を受けていたので切実に思うわ」
「愛さえあれば何とかなると思ってた...」
「そんなに甘い世界ではないのだけれどね。ところで、今だから聞くけど、ダニエルとマシューの二人とは『真実の愛』とは別な愛を育んだのかしら?」
「えっとー、」チェルシーは、少し俯き加減に話し始めた。
「学園では『爵位は関係ない。皆が平等』とか言われてたから、愛も平等と思っていたし、この美貌のせいか、いろいろな男の人からも声をかけられたから、元平民の私はチャンスを逃すことは出来なかったのね。それで二人とはそれなりに愛し合ったというか......」
「なるほど、あの年頃ですもの、お花畑にもなるわね。殿下は知っていたの?」
「どうかしら、多分知らなかったと思う。あの頃、殿下とはそういう関係ではなかったし」
「え、そうなの? あなたにのめり込んでいるように見えたのに」
「カミルだって、学園時代はあんなに私に夢中だったのに、貴女と婚約破棄してからは、絵ばかり描いて私の事はあまりかまってくれないし、挙句の果ては演劇の女優と噂になったり、有名な歌姫のところに入り浸ったりして、ものすごく腹が立つわ!」
「カミル殿下は、絵を描くのがお好きでしたものね。お上手でしたし。『王よりも絵描きになりたい』と良く言っていましたから」
「実は、半年ほど前にまた陛下を怒らせてしまって。陛下からあの婚約破棄から5年の間、しっかり勉強し直し、議会の連中の同意を得られれば継承権の事も元に戻せるかもしれないと言われていたのに」
「そうだったの...」
「あの人『この国の文化の礎は私が作る』とか言って『王立美術館』の設立を目指していたんだけど、贋作と分からずに高価な絵を何点か買わされて国に損をさせちゃって、その後で関係している貴族の何人かが捕まったりして、一大スキャンダルになったの。一応、まだ王子ではあるんだけどこの先どうなるのかな~」
「そういえばその話、クリストファーから聞いたような気もするわ。結果的に贋作の売買に加担していた貴族をあぶり出したのだから、カミル殿下はそれほど悪くないような気もするけれど」
「そうなの?」
「でも、継承権の復活は無理かもしれないわね」
「アリソン様は、カミルの事、好きだったんでしょ?」
「小さい頃はどちらかと言えば好きだったかしら。気の弱いところもあったけど優しかったから、王妃になったら支えたいとは思ったわ。でも、あなたが学園に編入する前あたりから、彼の方が私を避けるようになって、私には未来が見えなくなったの。だから、あの『婚約破棄』は、たぶんチェルシー様のせいではないわ」
◇◇◇
その時、開け放たれているテラスの入口から、見目麗しい男性が侍従と数人の近衛騎士を連れてやって来た。
「アリソン…」低く心地よい声が響く。
「あら、あなた。もう陛下との会談は終わったの?」
そっとアリソンに寄り添うのは、夫のクリストファーだ。後ろには侍従が控えている。
「ああ、先ほど正式に拝命を受けた。議会はすでに通っている。国の重鎮たちも全員賛成だ。騎士団の連中も喜んでいる」
「あれだけ、国を守るのに奔走したのですもの。当然と言えば当然ね。それにしても王宮内で近衛騎士六人を引き連れて歩くのは多すぎない?」
「僕と君の護衛だよ。特にこのような茶会ではね。まあ、そこにいる侍女もそれなりの者たちだけど」
「心配かけてごめんなさい」
自分がいないような二人の振る舞いに、少しむっとしたチェルシーは
「あのー、バーランティ辺境伯!」
「おっと、これは失礼した。確かカミルの奥様でしたよね」
アリソンに向けた眼差しとは全く違う冷たい目でチェルシーを見る。
「私は、王子妃ですよ。ちょっと礼儀に欠けるのではなくって? でも、...貴方は美しいから許すわ!」
侍従のケビンが呆れたような様子で
「礼儀に欠けるのは貴女様でございます」
「あら、ケビン、いいのよ。チェルシー様はまだ何もご存知ないのですもの」
「知らないって、どういうことなの?」
「夫人、あなたの許しは必要ありません。なぜなら、私クリストファー・バーランティが正式に王太子に任命されたからです。よって私の名前はクリストファー・ヴァン・アクセルロッドとなります」
「えーっ、なぜ?」
「カミルにはもう継承権は無いでしょ? クリストファーの父親は王弟だから一番目の継承権があったのだけれど、怪我の後遺症もあるし、もう引退していて王になる気は全くないの。
それで継承権が二番目のクリストファーに白羽の矢が立ったというわけ。実はずいぶん前から打診されていたのだけれどね」
「え、ということはアリソン、えーと、アリソン様は王太子妃ということ?」
「ええ、望んだわけではないけれど...」
「ふーん、びっくり!大誤算だわ!カミルのバカ!」
(なんだかカミル殿下が気の毒に思えて来たわ...)
そんなアリソンのつぶやきも耳に入らなかったようで
「もうっ、いまさらどうしようもないわね。そうか、そろそろターゲットを変える頃よね。えーと、次の辺境伯は誰がなるのかしら?」
少し首をかしげながら、媚を売るようにクリストファーを上目遣いで見る。
侍従のケビンがイライラしたように
「何と言うか、あなたの言葉遣いや所作が元お妃様とは思えませんな」
「へ? 今、『元』って言った? 私はれっきとした王子妃よ!」
「チェルシー様、ケビンは歯に衣を着せないタイプなの。許してね」
ケビンの方を向いて
「ケビン、チェルシー様のこういうところが、良いという人もいるのよ・・・」
「はあ~、信じられません」
「バーランティ辺境伯のことは夫人が心配することではない」
「クリストファーの弟が継ぐわ。隣国との境界に関しても和平条約が結ばれて政情は安定しているし、若い彼でも十分にやっていけるわ」
冷たいクリストファーの物言いにアリソンが思わずフォローする。
「弟さんはまだ独身なの?」
「は?」
ケビンが驚いて目を見張る。
「答える必要もないことですな」
「ふ~ん。まあいいわ。それでぇ、聞いてもい~い? カミルはどうなるの?」
懲りずに、また同じように上目遣いで軽く首をかしげクリストファーを見るチェルシー。
「カミルは、一代限りの準男爵位を与えられブレデル銀鉱山の管理人となる、数年は困ることのない資産が与えられることになっているが、もちろん領地は無い。努力し、地域に貢献するというような功績を立てれば準男爵位を次代に継げるかもしれないが。名前もアクセルロッドはもう名乗ることは出来ず、カミル・バートンとなる。これは、カミルも望んだことだが、来週中には北部のブレデル地方に行くことになる。家は用意されているはずだ。それと、貴方たちにはしばらく監視をつける。逆恨みされても困るからね」
さらに、冷たく言い放つ。
「うそーっ、ブレデル地方?北の方の田舎じゃない!そんな所に行かされるの?なんで、そんな所にカミルは行きたがるの?」
「ブレデル地方は美しい湖や古城もあるのよ。カミルは絵が好きだから、落ち着くと思うわ。だからあなたも一緒に楽しめるのではないかしら」
チェルシーはアリソンの話を全く聞いていない。
「準男爵なんて冗談じゃないわ! 王妃になるためにカミルを誘惑したのに。あ、そうだわ」
チェルシーが両手を握り、それを胸にあてて突然立ち上がり、クリストファーに向かって秋波を送る。
「クリストファー様ァ。私、あなたの愛妾でもいいですゥ。私、いい女でしょう?」
すぐに近衛騎士がアリソンを守るように立った。アリソンの侍女達も身構える。
「なんと、はしたない。しかも許可を得ずに王太子殿下を名前呼びとは。これは不敬罪で投獄されても仕方がないですな」
ケビンの言葉に、近衛騎士がチェルシーの両側に動く。
あまりにも途方もない物言いにあきれ果てた、クリストファーは
「今回は大目に見るとしよう。だが次は無い。言っておくが夫人には嫌悪感しかない。今後、アリソンや私、そして私の家族に少しでも近づいたら、即刻首を刎ねる。私にはその権限がある」
「え、そんなぁ..。私はただ私の良さを分かってほしかっただけなのにひどいわ、クスン...」
チェルシーは今にも崩れ落ちそうな風情で大粒の涙を隠すこともなくこぼす。
ケビンが思わず
「素晴らしい演技力ですな、しかしそれが通用するとでも?」
「えっ...」
「アリソン、大丈夫か? そろそろ引き揚げよう」
クリストファーは、また、優しい眼差しでアリソンを見る。
「ええ、私もそう思っていたところよ。陛下と王妃様にご挨拶を申し上げないと」
「ああ、両陛下とも君が王太子妃になったことを喜んでいるよ。早く引退したいそうだ」
「まあ・・・」
クリストファーに手を引かれて立ち上がりうっすらと微笑む。
その美しさに回りの者が息をのむ。
アリソンは優雅にチェルシーの方を向いて
「それでは、バートン夫人、今日はご招待ありがとう。もうお会いすることもありませんが、元気で過ごしてくださいね。お二人の幸せを祈っていますわ」
「ア、アリソン様も......」
「はー、そこは王太子妃殿下と言うべきかと、本当に何もわかっていない」
「あんたなんかにそんなこと言われたくないわ。失礼な人!」
「気の強いのは結構なことです。新しい土地でも問題ないでしょうな」
アリソンはクリストファーに腰をしっかりと抱かれて、庭に続く階段をゆっくり下り、二人寄り添い白い小道を歩いて行く。侍女や近衛騎士たちもそれに続く。
◇◇◇
クリストファーが気遣わしげに
「驚いたな! あそこまでとは...。アリソン、本当に大丈夫か?」
「大丈夫よ。学園時代で慣れているから。でも、ありがとう。チェルシーにああ言ってくれて、すごくすっきりしたわ」
「ま、首を刎ねる権限までは無いが、あの女にはあのくらい言わなければ分からないだろうな。カミルはあれを本当に好きだったのか?」
「私にはそう見えたわ。私には微笑みかけることもないのに彼女にはよく笑顔をみせていたもの。私との結婚は王家が決めたもので避けられないから、それこそ密かにどこかに囲うのかしらと思っていたの。でも、今考えるとなにかしっくりこないのよね...」
少し考え込んだアリソンが突然歩みを止めた
「急に立ち止まってどうした?」
「なぜ、カミルはバーランティ辺境へ行けと言ったのかしら? だって、辺境領は東と南にもあるわ」
「たしかに」
「この五年間は慌ただしくて、あの『婚約破棄』を振り返る暇もなかったけれど、今、冷静になってみると、カミルは私と貴方、いいえ私の気持ちを知っていたのではないかしら? 兄さえも気付いていなかったのに」
「どうやって知った? ああ、......君を注意深く見ていて気が付いたのかもしれないな。だが、私の気持も知っていたのだろう。なぜだ?」
「七年前、あなたが辺境に帰るその日、私が王妃教育を終えた時に偶然、あなたと回廊ですれ違ったわよね。私はあなたともう二度と会うことはないと思っていて」
「私も騎士団の連れがいたから、ただ『元気で過ごしてくれ』とそれだけしか言えなかったが、思わず去り際に君の手の先に触れた」
「私が、その時に流した涙をカミルがどこからか見ていたのかしら...」
「とすれば、あの婚約破棄は、君を私の元へ行かせようとしたのか」
「あるいは、カミルは王になる気がなかったから、私を解放したかった? カミルは、帝王教育は好きではなかったけど、それなりに賢い人だった。だからチェルシーとのことは、最初は信じられなかったの。あれはすべて演技だったの? 『バーランティへ追放』には強制力がないけれど、卒業パーティでのあの言葉は、」
「皆の心に刷り込まれるな。君がバーランティ以外に行くことはないと」
「ええ」
「うむ、推測だが、カミルは君のことを本当に好きだったのではないだろうか。なぜなら、王になりたくないだけなら他にも方法があるはずだ。だが、君は学園を卒業すると彼とすぐ結婚させられる。だからこそ、卒業パーティで『婚約破棄』を言い渡したのだ。君こそが彼の真実の愛だったのかもしれないな。君の幸せを最優先させたのだから」
「そんなそぶりもなかったし、学園に入ってからは、王宮でお茶をしても、いつも素っ気ない態度で絵ばかり描いていたから、そんな事、考えもしなかったわ......」
「あー、そうか、カミルがあの事件を起こしたのも、王都から離れようとするのも」
「えっ?」
「...なぜか、妬けるな」
どこからともなく、クチナシの甘い香りが漂ってくる。アリソンはクリストファーの首に両手を回し
「クリス、愛しているわ」
二人は美しく整えられた庭園の一角で口づけを交わす。
◇◇◇
離宮の侍女もチェルシーに呆れてさっさと引き上げ、一人取り残されたチェルシーはアリソン達を遠目で見ながら
「なんなのあの二人、デレデレして。クリストファーも私の魅力がわからないなんてどうかしてるわ。ぜーったい、片田舎なんかに行きたくない! カミルも何考えているのかしら。どうせ白い結婚なんだから付いて行く必要はないわよね。王子妃でいられるから一緒にいただけなのに。あー、今まで浮気した連中には碌なのがいないのよね、せめてお金持ちを捜さなくちゃ」
その後、チェルシーはカミルにブレデル地方に無理やり連れて行かれたが、領主を誘惑しようとして領主夫人の逆鱗に触れ、ブレデル地方のさらに北の修道院に送られた。
カミルは領主の娘と再婚して、子供も儲け、堅実に準男爵の地位を守った。また、ブレデル地方の美しい風景を描き、画家としても成功した。
彼のアトリエには、柔らかな笑みを浮かべた少女時代のアリソン王妃の絵が大切に飾られているという。
ーーーEndーーー
カミルの気持ちを思うと切ないですが、結果的には彼も穏やかな生活を手に入れて良かったです。
なお冒頭のお茶会は、チェルシーが王子妃という自分の立場をアリソンに示したくて(マウントを取りたい?)開催したのではないかと思います。
※皆様から多くの貴重なご意見ご感想をいただきました。本当にありがとうございます。お一人お一人に返信できなくて申し訳ありません。今後も見守っていただけると嬉しいです。